氷柱
「何で私たちまで行かなきゃいけないの?せっかく採取がいいところだったのに」
オクトくんの住む別荘まで向かう最中、アウレアが不満げにそう漏らす。
フィオリーは花や薬草の入った籠を膝の上に乗せ、おろおろした様子だ。
「ごめんなさい」
怯えた顔でそう言ったオクトくんを見て、アウレアはくわっと目を見開いて言った。
「子どもが遠慮なんてするんじゃないわよ。人助けなら広い意味では薬師の仕事よ!」
今日もアウレアはアウレアだった。
オクトくんは「この人は一体何を言っているのだろう?」と、彼女のちぐはぐな発言についていけてない。
「ほら、子どもは飴でも食べなさい」
「あ、ありがとうございます」
アウレアは、きれいな黄金色の丸い飴が入った袋をオクトくんに渡す。
彼女は私にも飴をくれて、「今日のために持ってきたけど渡すタイミングがなかったんだな」と気づくと可愛らしく思えた。
私はオクトくんに「アウレアお姉さんは怒っていないのよ」とだけ言っておく。
「アウレアは護衛と一緒に帰ることもできたのに、心配してついてきてくれたのよね。ありがとう」
「っ!」
素直じゃないアウレアは、否定も肯定もしなかった。
ここでフィオリーが、おそるおそる質問する。
「あの、私は魔力がないので足手纏いかと思うのですが、一緒に来てもよかったんでしょうか……?」
所在なさげにする彼女に対し、私は「ごめんね」と告げる。
「危なそうだったら、馬車の中にいてくれていいから!自分の安全を第一にして」
「ありがとうございます」
フィオリーは、ホッとした様子だった。この子は繊細で心配性だから、無理させないようにしなきゃ。
「このあたり?」
そのとき、アウレアが窓の外を見て言った。
私もつられて窓の外に目をやる。
貴族の別荘が立ち並ぶこの場所は、オフシーズンの今、住んでいる人は少ない。
ひっそりとしていて、ときおり別荘の管理人やロボットメイドたちが歩いているのが見えるくらいで、バカンスにやってきた貴族らしき人の姿はなかった。
「あれです!」
オクトくんが、赤レンガの大きな邸を指さす。
その立派な別荘を見る限り、ハーディ家は男爵家の中ではかなりな資産家なようだ。
それなのに、オクトくんに従者が一人もいないのはやはりおかしい。
もしかして、弟の様子がおかしいから別荘に母子共々追いやられた?親が子を無条件で愛すわけじゃないというのは、私が身をもって知っている。
確定じゃないけれど、オクトくんが置かれている状況を想像すると胸が痛む。
魔法馬車が到着して扉が開くと、オクトくんは勢いよく飛び降りた。
グランジェーク様も私もそのあとを追ってすぐに馬車を下りる。
「寒っ!」
思わずそんな第一声が口から出た。頬を刺す冷たい空気は、太陽の光が降り注ぐ空の様子とあまりに違和感がある。
「雪……?」
はらはらと舞う粉雪に、私は眉根を寄せた。
雲もないのに、どこから舞っているんだろう?
「シュゼ、これを」
グランジェーク様は自分のローブを脱ぎ、すぐさまそれを私の肩にかけてくれる。驚いてそれを返そうと思ったが、大きな手で制されてそれはできなかった。
私は彼のローブを着て、ぶかぶかの袖を少しまくる。
「邸が凍っている」
彼の視線の先には、季節にそぐわない氷柱をぶら下げた扉があった。まるで極寒の地に来たようだ。
開け放たれた扉はその状態で凍り付いていて、ランプもエンブレムもそこら中の物がすべて凍っていた。
邸に近い場所ほど氷や雪に覆われているので、どうやら中に原因があるらしい。
「私、氷柱なんて初めて見たわ」
馬車から下りてきたアウレアがそう呟く。フィオリーも邸を見て、呆気に取られていた。
この国では、氷柱ができるほど寒い場所に領地を持っている貴族は数えるほどだから、彼女たちが珍しそうにそれを眺めるのは普通の反応だろう。
先に下りていたオクトくんは、庭先で呆然と邸を見つめていた執事らしき男性に駆け寄る。
「スヴェト!」
「あぁ、おぼっちゃま」
「母さんは!?ジャレンは!?」
「それが、まだ中に……!」
白髪を上品に整えたスヴェトさんは、悲痛な面持ちでそう話す。
彼はグランジェーク様を見ると、縋るようにして言った。
「どうかお助けください!悪霊が、悪霊が幼いジャレン様に!」
邸を凍らせる悪霊など、聞いたことがない。
これはどう見ても、ジャレンくんの魔力が暴走しているために起こった現象だわ。
グランジェーク様は、冷静に事実を告げる。
「これは悪霊の仕業なんかじゃない。魔力持ちの暴走だ」
「そんな!」
スヴェトさんは、愕然とする。
けれどその反応は、幼いジャレンくんを心配しているというよりは、何かもっと別の絶望に打ちひしがれているように見えた。
「?」
私は違和感を抱く。
何だろう、何かおかしい。
スヴェトさんを観察していると、その襟元にあるブローチに目が留まった。
琥珀色の宝石と銀を使ったそれには、ヤギのツノをモチーフにした印が刻まれている。
「サリュ教?」
一部熱狂的な信者がいることで有名な組織の紋章だった。
自然を愛し、自然と共に生きると説く賢者が率いているという噂で、彼らは魔法を「自然に逆らうもの」として嫌っている。
グランジェーク様もブローチに気づき、ここで何があったかを察したみたいだった。
「子どもが魔力持ちだと認めたくなくて、ここに閉じ込めたのか」
侮蔑をはらんだ声音に、スヴェトさんがびくりと肩を揺らす。
周囲の空気が張り詰め、グランジェーク様の怒りの大きさが伝わってくる。
「母さん!ジャレン!」
オクトくんが手にしていた籠が地面に転がる。
開け放たれたまま凍っていた扉から、彼は邸の中へと入っていった。
「オクトくん!」
私は慌てて後を追う。
邸の玄関は、壁や窓、照明器具に至るまですべてが白い氷の膜が張っていて、外よりもさらに空気が冷たい。瞬きをすると、目が痛いくらいだった。
そこら中に、凍り付いた物が散乱している。
邸の惨状に驚いて足を止める私とは違い、オクトくんは何度も転びそうになりながら走っていっているのが見えた。
玄関ホールにメイドが三人倒れていて、駆け込んできたアウレアが護衛たちに指示をする。
「この人たちを外へ運んで!」
「はい!」
ほかに人影は見えず、そもそもこの別荘にはそれほど多くの人間はいないみたいだった。
すぐに外へ運ばれたメイドたちは、フィオリーとアウレアによって介抱される。
「シュゼ、ここは任せて」
「グランジェーク様」
私の隣に寄り添うようにして立った彼は、廊下に向かって右手を翳す。
その手からゆらりと魔力の光が湧きあがったと思ったら、一瞬にして辺りの氷が消えてなくなっていった。
「すごい」
「やはり普通の氷じゃないな。俺の魔力で包み込むだけで上書きできた」
「上書き?」
「普通の氷は、魔力で包み込んでも溶けない。魔力には温度がないからだ。だがここの氷は、俺の魔力に触れると消滅した。やはり、ジャレンという少年が精神崩壊状態になったことで邸が凍ったんだろう」
精神崩壊状態。まだ幼い少年がいつまで保つだろう?何時間も耐えられるはずはなく、邸全体を凍らせるほどの魔力を放出しているとなれば、急がなくては手遅れになってしまう。
このままでは本人も、お母さんやオクトくんだって命が危ない。
「シュゼは俺から離れないで」
グランジェーク様はそう言うと、オクトくんの後に続いて奥へと進んでいく。私は彼の広い背中を追って走っていった。





