断罪公爵令嬢、美少年魔王様の眷属になりまして
「クローデリア・フォン・レーヴェンハルト。魔族と通じ、聖女エリシア・ブランシェ、および王国への反逆を企てた罪により、ここに断罪する」
私を断罪する宣言が、王城前広場に高らかに響き渡り、観衆がざわついた。
王城前広場には、断罪台の裏に巨大な水晶モニターが設置され、私の姿が映し出されていた。
王国中に張り巡らされた「信仰ネットワーク」と呼ばれる魔導通信網により、王国中の町村に設置された水晶モニターにも、私の姿が映し出されているはずだった。
これらの設備はすべて、聖女エリシアが自分の姿を全王国民に見せ、崇めさせるため、そして私のような反逆者を見せしめにするために、血税を注ぎ込んで作りこませたのだ。
その上、自分を崇めない者や、自分に敵対する者を擁護する者には容赦なく罰を与えるのが、この聖女のやり方だ。気まぐれに税を上げたり、「浄化」として残虐な体罰を与えたりもするのだ。
断罪台の上で、震えそうになる足に力を込める。耳には、人々の囁きが否応なく入り込んでくる。
「噂は本当だったのね……」「聖女様は相当な嫌がらせを受けていたらしい……」「公爵令嬢のくせに魔族と通じていたらしいぞ……」
ふん、どうせ酒場の噂話と井戸端会議で、適当な尾ひれをつけた話でしょう?
ずいぶん好き勝手に言ってくれるものだ。愚かすぎて、反吐が出る。
断罪台の横では、聖女エリシアがわざとらしく、しくしくと泣いていた。その肩を抱くようにして、王太子ユリウスが背中をさすり、慰めるような声をかけている。
――とんだ茶番だ。
平民出身で、王都になかなか馴染めなかったエリシアを私は親身になって面倒を見てきたつもりだった。神秘的な美しさを湛える容貌に、素晴らしい光属性のマナにより、すぐに聖女エリシアは王国民の人気を集めるようになった。そうなると私は用済みになり、むしろ目障りになったようだ。
光の聖女のはずなのに、いつのまにか彼女の魔力はどこか淀んでしまっていた。強い白い光に、薄く混ざり込んだ粘っこい闇の気配……人を守るだけでなく、破壊と混沌の魔力が混じっている……誰ひとりその異様さに気づかないのが、私にはひどく不気味だった。
それを私が見抜けているのは、生まれつき持っていた「魔力を見る目」のおかげではあるのだが。
「クローデリア、おまえとの婚約は破棄させてもらう!」
エリシアを庇いながら、王太子ユリウスがまたも高らかに宣言する。
それはそうだろう。王太子が罪人と結婚などしたら、王家の威信に傷がつく。そこまでは理解できる。
だが――。
婚約者が濡れ衣を着せられているかもしれない、という想像すらしないとは。
かつて、王太子配下の騎士団の失敗を、部下ひとりに押しつけて自分だけ無傷で済ませたときと、まるで同じだ。
誰かを助けるよりも保身を優先するのは昔から変わらない。その上、今は聖女の言いなりだ。そんな男が王になる国の未来は想像するだけで気持ち悪くなる。
「いや、婚約破棄だけで済むと思うなよ。罪の重大さを考えれば、死罪が妥当だ!」
ユリウスは、死罪という言葉をことさらに強調した。
私はその言葉を、静かに受け入れる。今さら何を叫んだところで、誰も私の言葉など聞きはしないだろう。聖女と出会ってしまった時点で、私の運命は決まっていたのだ。たぶん。
──いや、もっと前からだ。
前世の私は、泣き真似の上手な可愛らしい顔の後輩女子のひと言で、あっさり「悪者」にされた。上司も同僚も、簡単にそちらを信じてしまった。
やがて私は鬱になり、ぼんやり歩いていたところを事故に遭って死んだ。
理不尽を押しつけられる役回りだけは、転生しても変わらないらしい。
「待ってください!」
そのとき、聖女が口を開いた。震えながらも、よく通る声だった。
「死罪はあまりに酷です。せめて国外追放で……魔王国への追放で許してあげられませんでしょうか」
おお、と観衆から感嘆の声が上がる。慈悲深い聖女さまの提案、というわけだ。
より酷い罰を、マシな罰に見せかけることで、優しいように見せつつ相手をより絶望に落とすタイプ。
前世のあの後輩女子も、まったく同じだった。周囲の前では泣き、笑い、味方を作って、私だけを悪者にする。
このクズ聖女め……。魔王国への追放など、死罪と何も変わらない。むしろ、もっと残虐な殺され方をしかねない。ただ殺すのではなく、恐怖の底まで落ちてから死ねという、聖女なりの慈悲のつもりなのだろう。
――こいつは、本物のクズだ。
「では、ここにクローデリア・フォン・レーヴェンハルトの刑を『魔王国への追放』と確定する」
私への罰の宣告を聞いた観衆たちが、一斉に歓声を上げ、拍手をした。
それは、魔女のように扱われる私にすら慈悲を与え、追放によって王国に平和をもたらした――そんな聖女への称賛だった。
人々が愚かなのか、聖女の狡猾さのほうが上なのか。どちらにせよ、この場では真実が完全に歪みきっている。
もしかしておかしいのは私のほうなのか、と考えた瞬間、吐き気が込み上げてきた。
「ではさっそく刑を執行しましょう」
聖女エリシアが詠唱を始めた。転送魔法のようだが、あれは術者本人が行ったことのある場所にしか飛ばせない――魔法学でそう習ったのを覚えている。
その転送魔法の送り先が魔王国なのであれば、エリシアは魔王国に足を踏み入れたことがある、ということになる。
だが、もうどうでもいい。このあと私は恐ろしい魔物か魔族に虐殺されるだけだ。
せいぜい王国を、聖女を、王太子を、全力で呪って死んでやる。ろくでもない王国の未来で、おまえらも私以上に苦しめばいい。
淡い光に体が包まれる。その光にはやはりあの淀みが混じり、私は不快感に包まれた。
やがて視界が暗転した。
※
気がつくと、私は地面に叩きつけられた。
あの聖女の魔法は闇属性が混じることで常に痛みを伴うのだ。
以前、エリシアに魔法で流行病の治癒をされたときも酷かった。
「痛みはあなたの肉体が全力で修復しようとがんばっている証拠です」などともっともらしいことを言っていたが、あれは間違いなく闇属性の痛みだった。
顔を上げて、周りを見渡すと赤い土の大地が広がっていた。その赤はまるで人の血が大地に染み込んでいるかのようだった。
細い木々がところどころ生えてはいるが、どれも葉をつけておらず、白く枯れており、それは人の骨を連想させた。
ーーこれが魔王国か……まるで地獄のような景色だ。
視界を遮るものはほとんどなく、遠くまで見通せた。
突然現れた人族の女である私を、自分たちに与えられた餌と認識しているであろう複数の魔獣の姿もはっきりと見えていた。
この不毛の大地で、一人寂しく死んでいくのだと思うと、涙が溢れてきた。
周りには誰もいない。もう公爵令嬢でも王太子の婚約者でもないのだ。気を張る必要もない。しっかり悲しんで、しっかり恐怖を噛み締めて死んでいこう。
願わくば、死後に人を呪えますように……あのクズ聖女に少しでも痛い目を見せてやる。
涙で霞んだ視界に、魔獣たちが迷わず近づいてくるのが見える。
狼のような四足歩行の魔獣が4匹。いずれも私よりも背が高く、大きかった。だらしなく開いた口もとから涎が流れている。体からは赤黒い魔力が滲み出ていた。
私は魔力はあるものの、補助系の魔法がメインで、攻撃魔法は覚えていない。そもそも公爵令嬢で戦闘が必要なことなんてなかった……
「この体は差し上げますので、できれば、あまり痛くせずにひと飲みにしてください……」
そう震えた声で口に出してはみたものの、言葉も祈りも通じているとは思えない。4匹がそれぞれ腕とか足とか顔とかから噛みちぎっていく感じでしょうか?
膝は笑い、手が震えていた。
「ほう、その身を捧げるというのか。食べたいとは思わんがな」
え? しゃべれるの?
と思っていたら、4匹は大きな咆哮を上げて一斉に飛びかかってきた。
思わず身を固くして目を閉じる。
…………あれ? 痛くならない。
願いが通じてひと飲みにしてくれたのかしら。
恐る恐る目を開ける。
4匹の狼魔獣が倒れていた。
「え? なんで? 私ったら急にすごい魔法に覚醒して無意識に倒しちゃったのかしら」
「んなわけあるか」
また先ほどの声がした。
振り返ると背の低い少年が立っていた。長い漆黒の髪、少女のようにも見える、なかなか可愛らしい顔をした美少年なのだが、その金色の瞳が妖しさを放っていた。
「あなた、どなた? こんなところにいたら危ないわよ」
声がまだ震えてしまっていた。
「こんなところとは言ってくれるじゃないか」
よく見ると、見たことがない不思議な魔力を纏っている。強い闇属性だが、薄く白い光のような魔力も混じっている。まるで、聖女の真逆のような魔力……少年ながらただものではなさそうだ。
「ここはわしの領地じゃぞ」
思わず吹き出してしまった。
話し方が老人のようで、見た目とのギャップがすごい。しかも自分の領地だという冗談をそんな口調で言うとは変な子だ、と思った。
「笑いよるか、失礼なやつだな」
私はいよいよおかしくなって大声をあげて笑ってしまった。だんだん震えもおさまってきた。
死ぬかと思ったら変な少年が突然現れて、私の頭はどうかしてしまったかもしれない。
「だっておかしいんだもの。ここは魔王国……魔王領よ。そんな可愛らしい顔をして、あなた自分が魔王だとでも言うつもり?」
「一応、その魔王なんじゃが……」
あら、まだ冗談を続けるのね。ちょっとしつこくないかしら。じゃあ、私も付き合ってあげますか。
「魔王なら聖女も簡単に倒せるでしょうね」
「いや、無理じゃな」
美少年が急に真顔で答えた。闇属性の似合う妖しく美しいその表情に、うかつにもドキッとしてしまう。
「あら、魔王って思ったより強くないのね」
「わしは十分強いつもりじゃ。おまえが怯えとったその魔獣どもを、ちょっと指を動かす程度で倒せるほどにはな」
え? この子が助けてくれたの? 確かに魔力は凄まじいわね。って、まさか本物!?
「じゃあ、なんで聖女は倒せないの?」
私も半分本気になって聞いてみる。
「わしが弱いんじゃない。今の聖女は強すぎるんじゃ」
私は魔王(と言い張る美少年)の魔力をしっかりと検分する。ここまで大きい闇属性の魔力は見たことがない。
しかし……聖女の魔力の凶悪さは私もよく知っている。しかも光属性が主なので、この少年には相性の悪い相手になるだろう。
「あなたじゃなくて本物の魔王ならどうなの?」
「じゃから、わしが魔王だと言っておるじゃろう。魔王アスラゼルじゃ」
その名前を聞いた途端、背筋に冷たいものが走った。悪逆の魔王のその名を知らぬ者はこの地上にいないだろう。
「……ああ、そう。アスラゼル、よろしく。私はクローデリア。元公爵令嬢よ」
「ほう、公爵令嬢が私の領地にのこのこやってくるとは。聖女に追放でもされたか」
「なんで知っているの?」
「ついでに言うと王太子の婚約者だったんじゃないのか?」
「なんでそこまでわかるの? 本当に本物の魔王なの? すごい力があるの?」
「だから本物だと言っておるじゃろ。なんでわしが嘘つかないといかんのじゃ。力なぞ使わなくても公爵令嬢がこんなところにいたらそれくらい推測できるわ」
「なんだかわからないけれど、あなたがすごいことはわかったわ。助けてくれてありがとう」
「礼には及ばん。おまえはわしに身を捧げると言っていたから助けただけじゃ」
また背筋に冷たいものを感じた。
魔王に身を捧げるというのはどういうことなの? もしかしたら魔獣に喰われることより恐ろしいのではないの?
「私をどうするつもり?」
「まあ、警戒することはない。ちょっとわしの眷属になってもらうだけじゃ。あの聖女は止めなければならん。おまえも聖女に復讐したいじゃろう?」
復讐……そうだ。私はあのクズ聖女を呪い殺したいくらい憎んでいるのだ。それができるなら、魔王に身を捧げるくらいいいのでは?
この美少年ちょっとタイプだし。話し方はあれだけど。
「でも、聖女には勝てないって……」
「今の聖女と言ったはずじゃ。なに、対応する方法はある。そのためにおまえにも働いてもらうのじゃ。
ちょうど人族の協力者を探していたところに、領地内に人族の気配があったから来てみたら、聖女に追放された元公爵令嬢がおったというわけじゃな」
「アスラゼルも聖女が憎いの?」
そう聞くと、アスラゼルは少し考えてから口を開いた。
「憎いのとは違うな。魔族のためにも人族のためにも、あやつは野放しにできんというだけじゃ」
魔王からまさか「人族のため」なんて言葉を聞くとは思わなかった。
面白い魔王様ね。
「いいわ、利害は一致しているみたいだし、仲間になってあげる」
「人の話をよく聞かんか。仲間ではなく、おまえはわしの眷属になるのじゃ」
「? 仲間と何か違うの?」
「そうじゃな。仲間は裏切れるが、眷属は絶対服従じゃ」
何それ? ヤバいやつじゃない。
「断ってもいいかしら」
「断ってもいいが、ここで魔獣の餌になるだけじゃぞ」
何なの、その最低な2択は!?
「心配するな。わしとおまえは利害が一致しているようじゃし、見た目のとおり、わしは優しい魔王じゃ。ここで魔獣に喰われて死ぬよりよっぽどよいじゃろ」
……それはそうね。
「……聖女を倒せる見込みはあるの?」
「おまえが眷属になればな」
魔獣に喰われるよりは、好みの美少年に飼われて、あわよくば復讐できるなら、迷う必要なんかないわ。
「やるわ」
私がそう答えると、アスラゼルが私の手を取った。すると、ちくりとした痛みが走った。爪の先で私の手のひらを切ったのだ。
「ちょっと! 痛いのはいやよ!」
「いや、ちょっと血をもらうだけじゃよ」
アスラゼルは、私の手のひらに小さく滲んだ血を指で掬い取り、その血で空中に何かを書き始めた。
《魔王の眷属契約ルーン》
《対象:クローデリア・フォン・レーヴェンハルト》
《効力:魔力共有・魔力拡張・魔力検知・魔力鑑定》
「何これ、すごい」
「ほう、古代魔法文字が読めるか」
そう、私は昔から古代魔法文字が読める。それも私の魔力の特徴だ。
続けて、アスラゼルは自らの手のひらにも傷をつけ、私の手のひらの傷に、一滴の黒い血を垂らした。
するとルーンが黒と白に妖しく輝いた。
「魔王アスラゼルはクローデリア・フォン・レーヴェンハルトを眷属として認める」
アスラゼルの宣誓とともに、空中のルーンが私の胸に吸い込まれていく。心臓のあたりが熱くなった。
「クローデリア、おまえも宣誓せよ」
「クローデリア・フォン・レーヴェンハルトは、魔王アスラゼルの眷属となることを承諾するわ」
すると、心臓の熱が引いていった。
「じゃあ、これで私はあなたの眷属ね。アスラゼル、これから私のためによろしく頼むわよ」
「……なぜ眷属のほうが魔王より偉そうなんじゃろか」
※
「で、どうしたら聖女を倒せるの?」
「今のあやつは信仰を集めすぎておる。人々の信仰が強く多いほど、光属性のマナが大きくなるのじゃ。それがあやつの今の強さの源泉になっておるのじゃな。それを何とかせねばならんの」
「じゃあ、信仰するのをやめさせればいいのね?」
「どうやってやるんじゃ?」
「噂でも流せばいいんじゃないの? あの聖女は無罪の公爵令嬢を追放したクズだって。そうしたら誰もあんな聖女信じなくなるわ」
「いや、皆がクローデリアより聖女のほうを信じたから追放されたんじゃよな? おまえがそんな噂を流したところで誰が信じるんじゃ?」
「何よ、アスラゼルも私が信用できないっていうの? 眷属にまでしておいて失礼なやつね」
「信用しないも何もわしは真実を知っとるわ。問題は、多くの人間が聖女を信じていることなんじゃよ」
「そんなことわかりきっているじゃない。だからどうすんのよ、って話でしょう? しっかり考えなさいよ」
「なんでわしが眷属に説教されて命令までされとるんじゃ……とりあえず、ここではなんだから場所を変えようかの」
アスラゼルが詠唱を始めた。
「まさか転移魔法? 転移魔法は痛いから嫌なのよね」
問答無用で視界が暗転し、次の瞬間、移動が完了する。
普通に立っていた。
「あら、あなたの転移魔法は優しいのね」
目の前に広がったのは、大きな町だった。立派なお店や屋台やらが軒を連ね、多くの魔族が行き交っていた。
人族が思うような魔族の町と、それは大きく違っていた。むしろ、王都よりも大きく発展しているのではないかという印象まで持った。
行き交う魔族たちも和やかな顔で笑っていた。
「こんなの魔族じゃない……」
私は思わず呟いた。
「人族は神話時代の魔族のイメージしかないんじゃろな。魔界から移住してきた当時の魔族はもうおらんし、ここで生まれて育った魔族はこの世界に順応しておるんじゃよ。魔王国では職も安定して、福祉も充実しておる。
人族が世界に負の感情のマナばかり流すもんじゃから、バランスをとるために魔族が変わらざるを得なかったのじゃ。今の聖女が現れてからますますそれがひどくなってきていて、下手したら世界が崩壊してしまうんじゃ」
「人族なんかよりよほどちゃんとしているじゃない。王国じゃアホな王族と貴族ばかり贅沢して平民や奴隷は苦労して辛い目にあって……」
「それも聖女の信仰に人々をすがらせる要因の一つじゃろうな。さあ、わしの城に案内しよう」
魔王城は大きくはあったがシンプルなデザインで質実剛健といった様相だった。
「あんまりおどろおどろしい城じゃないのね」
「どれだけ魔族に偏見があるんじゃ……」
魔王城の扉では、門番らしき魔族兵たちが「お帰りなさい、魔王様」と和やかに挨拶を交わした。
今さらだけど、本当にアスラゼルは魔王なのね。
魔王の間にやってくると、一人の強面の大柄な魔族の男がいた。これぞ魔族という印象だった。
「アスラゼル様、よくお戻りになられました……そちらの方は?」
「やあ、ノクス、ご苦労様。こいつはわしの新しい眷属のクローデリアじゃ。よろしくな」
「け、眷属ですか?」
「そうじゃ。見てのとおり人族の眷属じゃ。クローデリア、これは四天王筆頭のノクスウェルじゃ」
私は元公爵令嬢として、優雅なお辞儀をしてみせる。
「はじめまして。ノクスウェルさん、よろしくね」
「はあ、よろしくお願いします、クローデリア様」
「昔はこいつは荒くれ者だったんじゃ。おまえが思う魔族そのものじゃったぞ」
アスラゼルが嬉しそうに私にそう話した。
確かにノクスウェルからは、荒々しい闇の魔力が見えた。今はそれをうまくコントロールできているということなのね。
「やめてください、アスラゼル様。そんな昔の話は」
「ははは。そうじゃな、今は四天王筆頭として魔王政府の善政を支える中核じゃな」
そう言われて、ノクスウェルは少し照れたように頭を掻いた。強面が照れるのは何か微笑ましいな。
「さて、では作戦会議を始めるかの」
「聖女対策ね」
聖女と聞いて、ノクスウェルがまたビクッと反応した。私たち何か悪いことしているのかしら。
「そうじゃ。さっき言った通り、聖女への強い信仰が問題なんじゃ。どういうきっかけで信仰と支持を得るようになったか、心当たりはないかの? わしの見立てでは、王家と聖女の間に何かあるのではないかと睨んでおるのじゃが……」
王家と聖女という言葉を聞いたとき、私の頭に強い痛みが生じた。
※
大聖堂の地下の一室。
白い祭壇と王太子ユリウス。
祭壇の前の聖女エリシア。
滴り落ちる血。
※
「大丈夫かの、クローデリア」
気がつくと、美しい顔の少年が金色の瞳で私の顔を覗き込んでいた。素敵な夢だわ、と思ったけど、アスラゼルだわ。
「……何か思い出しそうだったんだけど、全部は思い出せないの」
「気の失い方も不自然だったの。おそらく記憶を封じられておるな。わしの言葉の中に、クローデリアの魔力感知を強く刺激したものがあったのじゃな。追放されたのは単に聖女に嫌われていたためだけじゃないかもしれんの」
「ええ!? 記憶を封じるってなんてことしてくれるの。本当に許せないわ、あのクズ聖女」
「で、何か少しでも思い出したことはないかの?」
「たぶん、大聖堂の地下の祭壇で王太子と聖女が何かしていたわ」
「なるほど」
アスラゼルが少し考え込んだ。
「よし、そこに行けるかの?」
「え? 私? 無理よ。あんたが行きなさいよ」
「なぜアスラゼル様が眷属に命令されているんだ……」
ノクスウェルがぼそっと言った。
「そうなんじゃ、なぜじゃろうな……いや、わしやノクスは聖女の強力な光属性の結界のせいで、王都には入れんのじゃ」
「魔王なのに使えないわね。私なんて王太子の元婚約者の公爵令嬢だったのよ? 有名人で罪人なのよ。すぐに身元がバレるから結界を破るより無理よ」
「変装したらいいじゃろう。偽装ルーンを施してやるわい」
そう言ってアスラゼルが私に向けて空中にルーンを描いた。
《偽装ルーン》
《対象:クローデリア・フォン・レーヴェンハルト》
《効力:容姿擬態(信者)・魔力擬態(信者)》
私の体が淡い黒のヴェールのような魔力に包まれた。
「うん、いいと思うぞ。見るからに聖女の信者だし、魔力もただの信者っぽくなった」
自分ではわからないわね。でも嫌だわ、あそこに戻るのは。
「準備はいいか?」
「え? 何?」
「クローデリアの記憶を封じた結晶か何かがあるはずだ。それを見つけて回収してくればよい。そうしたら戻してやるのでな」
質問を続けようとすると視界が暗転した。転移魔法だ。
※
視界が戻ると、目の前には大聖堂が聳え立っていた。
「くそっ、アスラゼルめ」
「魔王が憎いですか?」
そこに、神官の男が立っていた。顔をうっすら覚えているので、おそらく会ったことがあるはずだ。
「え? あ、はい。そりゃもう」
「ああ、それで大聖堂にいらしたのですね。では聖女様が一日でも早く魔王アスラゼルを滅ぼしてくださるよう一緒に祈りましょう。さあ、どうぞ」
「あ、まあ、ちょっと痛い目を見せるくらいでもいいんですが、はい、では祈りましょう」
私の正体はバレていないようだ。そこはさすが魔王の偽装ルーンといったところか。
神官に促されるまま、大聖堂の中に入っていった。
大聖堂の礼拝堂ではあの憎き聖女が説教をしているようだった。
……ってことは地下に行ってもバレないチャンスじゃないの。
「すみません、ちょっとお手洗いに行ってきます」
そう神官に言って、足早に移動する。
「魔王討伐と魔族殲滅の日は近いです。皆様、祈ってください。王国を腐敗に導こうとしていた公爵令嬢ももういません。皆様、もう少しです。頑張ってくださいね」
聖女の言葉に一瞬、足が止まりかけた。またはらわたが煮えくりかえる気持ちになったが、そのためにも今は必要なことを完遂しなければならない。
地下祭壇の部屋の扉には鍵がかかっており、びくともしなかった。中に入るのは難しいか……
鍵穴を覗いてみると、中の様子が少し見えた。
白い祭壇。記憶の断片と同じだ。
でも何も思い出せない。やはり私の記憶に強い枷がかけられているようだ。
もう一度鍵穴を覗いてみる。
白い祭壇の横にルーンが刻まれていることに気づいた。魔力で読めないか試みる。
「王家……血……贄?」
どういうことだろう。
鍵穴から顔を離し、周りを見渡す。何か他に手がかりないだろうか。
と、何か小さな魔力の気配を感じた。私にとって何か親しみのある感じがした。
見ると、扉の端のほうに小さな結晶が落ちており、それが魔力を発しているようだった。
私はそれを手に取った。頭がズキっと痛んだ。
「どなたかいるの?」
エリシアの声だ。
と思ったら、また視界が暗転した。
※
「無事に見つけたようじゃな」
目の前にアスラゼル。王城に引き戻されたようだ。手には先ほど拾った結晶もあった。
「危ないところだったわ」
「ああ、ぎりぎりじゃったな」
「知ってたの?」
「眷属のことは監視できるからの。眷属になって魔力拡張されたから、記憶の結晶も見つけられたようじゃな。眷属になってよかったじゃろ?」
「この結晶のこと?」
私は手に握っていた結晶をアスラゼルに見せた。
「そうじゃ。聖女がそこにおまえの記憶を封じているのじゃ。解放してみるかの」
アスラゼルが結晶に向けて、ルーンを描いた。すると頭の痛みとともに私の脳裏に映像が流れてきた。
白い祭壇に横たえられた王太子ユリウス。その手首から血が滴り落ち、聖女エリシアがその血を啜っている。
エリシアが血を啜りながら、こちらを振り向いた。地下礼拝堂の扉の鍵穴から中を覗く私に気がついたのだ。
エリシアは、ユリウスの血に汚れた口で何か詠唱したようだった。おそらくそれが記憶を抜き取り結晶化する魔法だったのだろう。そこで映像が途切れた。
「王家、血、贄……」
「なるほど、そういうことか」
「え?」
「クローデリアの記憶をわしも読ませてもらった。眷属じゃからの」
「え、そんなエッチなことしないでよ」
「何を言うとるんじゃ。必要な記憶以外見ないわ」
と言いながら、狼狽えるアスラゼルが可愛らしかった。耳まで赤くなっている。
「嘘。他にも見ているでしょう?」
「なぜわしは眷属にこんなにも責められとるんじゃ」
からかうのはそこまでにして、私は真顔になって考える。
「どうやら王族は聖女のための生贄になっているようね。だから私と王太子の仲を割きたかったのね」
「そうじゃな。おそらく王家の血から王国民の信仰を集める力を得つつ、王族を洗脳して操り、信仰を広めるための手先にしておるんじゃろな」
「そう考えると、ちょっとユリウスも可哀想ね……とはぜんぜん思わないわ。いい気味だわ」
「しかし、クローデリア一人の記憶では弱いのぉ。しかも王太子が贄にされるって程度じゃネタも微妙じゃな。もう力を得ている以上、その力の解除もできんだろうしの」
「えー!? 苦労して取り戻したのに」
「もうちょっと情報が集めたいので次行くかの。実は聖女が攻め込んできた町があるんじゃが、生き残りの住人たちが何も覚えておらんのじゃ。たぶんまた記憶ルーンがあるから、おまえの能力で見つけてきてくれ」
とアスラゼルが言うや否や、視界が暗転した。
※
人使いが荒い魔王ね、まったく。
転送された先で、目の前には、破壊された家屋や、魔族のものと思われる死骸が大量に転がっていた。子供の玩具や、食べかけのパンなども散乱し、人々の生活がそこに確かにあったのだと感じられた。
「ひどいわね」
「ひどいでしょう?」
そこには魔族の女性がいた。この町の住人だったのだろうか。
「あなた……人族かしら。あの日、この町に人族の聖女が来たのよ。で、気づいたらこんな惨状になっていて。多くの魔族が死んでいたわ。私も病院で目覚めて、奇跡的に生き延びたと言われたけれど、何が起きたのかまったく覚えていないの」
やはり記憶を封じられているのだな。
「記憶を取り戻したいと思う?」
「……正直に言うと怖いわね。知らないままでいたほうが平和に暮らしていける気がする。人族だろうと魔族だろうと誰かを憎んで生きていくなんて辛すぎるわ」
本当にどちらが魔族なんだかわからないわね。復讐心に燃える私もちょっと恥ずかしくなるわ。
とはいえ、私は聖女の情報を集めないといけないのだ。意識を集中して魔力を捜索する。
「あ、あった」
足元の土の上に、周りの石に溶け込んでその小さな結晶は落ちていた。こんなの私じゃなきゃ見つけるのは無理じゃない。聖女本人も見つけられないでしょうね。
まあ、今回は楽勝だったわね。でも……
強制転送が作動し、魔王のもとに戻った。
「この記憶を戻すのは待ってあげたほうがいいんじゃないかしら」
戻ってすぐに私はそうアスラゼルに訴えた。
「ふむ、そうじゃな。あまりに辛い記憶が入っていたら、記憶を戻すのは酷かもしれんの。じゃあ、ちょっと覗かせてもらうかの」
「そんなことできるの? 本当にいやらしい魔王ね」
「え? なんじゃ、見ないのか?」
「見るわよ!」
アスラゼルは私の手のひらに乗った結晶に向けてルーンを描いた。
すると結晶から光が放たれ、周囲に映像が映し出された。
あの廃墟からは想像もできないような立派な町並みが広がっていた。たくさんの魔族の人々が行き交い、活気にあふれていた。
そこに聖女エリシアがやってきた。
人々はエリシアに気づき、誰かが声をかけようとする。その声がけは敵対心からではなく、親切心からであることは、見てすぐにわかった。
エリシアはそれを無視し、詠唱を始めた。
エリシアを中心に大きな光が放たれ、強い衝撃が起こったことが映像からもわかった。
光属性魔法にこの物理破壊力があるのはどう考えてもおかしい。
光が収まると、地面の土が映し出された。記憶の持ち主が倒れたのだろう。
まだ意識が残っていたようで、離れたところから聖女の声が聞こえた。
「うーん、もうちょっとね。また信仰を集めてから試そっと」
エリシアがまた別の詠唱を行った。今度は記憶を封じるものだ。万が一、生存者がいることに備えてのものだったのだろう。そこで映像は途切れた。
「なんなんじゃ、こいつは」
温厚なアスラゼルもさすがに腹が立ったようだ。その周囲に大きな闇が広がっていき、魔王の間の外にまで広がろうとしていた。
「ちょっと落ち着きなさい。あなたが怒ると世界のマナのバランスが崩れちゃうんじゃないの?」
「ああ、そうじゃった」
アスラゼルが落ち着きを取り戻し、闇が収縮していった。
「……まさかわしにあえてこれを見せてるってことはないじゃろうか」
「マナのバランスを崩すことがやつの目的なら、それもありそうね。あの聖女は目的のためならなんでもするわ」
「世界を支配したいのか、滅ぼしたいのかよくわからんの、あの聖女は」
そのとき、ノクスウェルが手を挙げて発言をした。
「……あの、実は私もあの聖女に会ったことがある気がするんですが」
「どういうことじゃ、ノクス」
「今映像を見せてもらって、あの聖女の顔に見覚えがあるな、と思いまして。でも会って何があったか何も覚えてないんですよね」
「絶対、記憶を封じられているじゃないの!」
「そうですよね」
「場所はどこじゃ。ノクスとクローデリアと二人ともそこに転送させてやるぞ」
「人族の王国と魔王領の国境沿いの、人族側の町の縁のあたりでしたね。人族側には入っていないです。聖女の結界ができるとかでその周辺に視察に行ったときです」
「まあ、適当にそのへんに転送するから探してくれ」
視界が暗転した。
※
転送先に到着すると、目の前に王国の町の城門が見えた。
城門は固く閉ざされ、人族側から魔王領側を監視する者すらいなかった。魔王領の人々の生活を見れば、こちらの魔族の方がよほど豊かで人間的な生活をしているとわかりそうなものだが、そうはしないようだ。
「もう強力な結界が張られていますので、魔族は人族領には入れません。私や魔王様ですらも。だから見張りすら立てる必要はないんでしょう。こちらから向こうには入れず、向こうからは好きなときにやってきて、町を破壊して帰るんです。来るのは聖女だけですが」
横にはノクスウェルがいた。
「あの門に見覚えがあります。あの辺りで聖女と会ったと思います」
ノクスウェルが示した門のほうに私たちは近づいていった。
それほど進まずとも、私は魔力を感知し、記憶の結晶を見つけた。
「あったわ」
私が記憶の結晶を示した。
ノクスウェルが手を触れると、少し顔をしかめた。本人のものに間違いなさそうだ。
アスラゼルのもとに戻り、ノクスウェルの合意のもと、記憶の結晶の内容を確認することになった。
アスラゼルが記憶の結晶にルーンを施すと、映像が始まった。
ノクスウェルは聖女エリシアと対峙していた。
「魔族の方ですか?」
「ああ、そうだ。魔王政府四天王筆頭のノクスウェルだ」
「それはお強そうですね」
「まあな」
「あの、私、人族なんですけれど、魔族に憧れていまして……」
エリシアはしおらしくもじもじするような仕草をしていた。それは私の知っているエリシアからは考えられないような姿だった。完全に演技だ。
「ふむ、そうじゃろうな。魔王アスラゼル様は最高だ。人族であろうとあのお方の魅力には抗えまい」
「はい、そうなんです……アスラゼル様にぜひお近づきになりたくて。お慕いしているんです」
「そうだろうな。俺もアスラゼル様が大好きだ」
私は何を見せられているのかしら……
横を見ると、現実のノクスウェルが顔を手で覆い隠していた。記憶を見られるって恥ずかしいわよね?
「それで、できることでしたら、ノクスウェル様の眷属にしていただけませんでしょうか?」
「何? 眷属? ふむ、眷属ともなると俺に絶対服従しなければならないが、よいのか?」
「はい!」
エリシアは恋する乙女のような顔でノクスウェルを見つめた。気持ち悪いな。
「よし、いいだろう。名は何と申す?」
「エリシア・ブランシェです」
「よし、エリシア、では契約だ」
映像の中のノクスウェルが、エリシアの指先を切って血を取り、空中に契約ルーンを刻んだ。
《四天王ノクスウェルの眷属契約ルーン》
《対象:エリシア・ブランシェ》
《効力:闇属性付与、闇属性魔法強化》
次に自分の指からも血を取り、エリシアの血と混ぜた。
「四天王ノクスウェルはエリシア・ブランシェを眷属として認める」
「よし、エリシア、おまえも宣誓せよ」
「エリシア・ブランシェは、四天王ノクスウェルの眷属となることを承諾せず、付与される能力だけを受け取ります」
「……は?」
「これで柵ができるわね。ありがとう、ノクスウェル。じゃあ、忘れてもらうわね」
エリシアは、いつもの悪魔のような聖女の顔でにやりとして、映像は途切れた。
「どういうことよ! あんた、聖女に力を与えちゃってるじゃないの! 契約しないで力だけもらうなんてありなの?」
ノクスウェルが狼狽えて黙り込んでしまったところをアスラゼルが庇った。
「いや、契約は成立していないから、力は完全には与えられていないはずじゃが、それでも十分だったということじゃな。しかし、柵とは何のことじゃろか。闇属性を付与しても、魔族には影響がないしの……人族の人々を外に出さないようにしたいのか?」
「おい、アスラゼル、おまえもなんかあるんじゃないの?」
一人だけまだ恥ずかしい思いをしていない魔王に詰め寄る。
「ついに眷属におまえ呼ばわりされてしまったんじゃ」
「聖女と会ったことはあるでしょう?」
ノクスウェルが記憶を封じられていたなら、アスラゼルも何かあるに違いない。
「もちろん何度も会ったことはあるんじゃ。結界ができるまでは王都にもしょっちゅう行っておったわい」
「そうなの? 私はあんたに会ったことないわよ」
「何で魔王が公爵令嬢に会いに行くんじゃ。王や大司祭たちと貿易や文化交流の話をしに行っとったんじゃ」
「は? そんな平和的な話し合いに来ていたのに、何で人族はあんたのことを恐怖の大魔王みたいに思っているの?」
「そうなんじゃ。それがわしも疑問だったんじゃが。結界で王国に入れなくなってから聖女に悪い話ばかりされとるんじゃろな……あっ!」
「何? 何か忘れていそうなことを思い出した?」
「ああ、そうじゃ。何で忘れとったんじゃろ。わし、結界ができる前に王都の外れで聖女に呼ばれて会ったことがあるんじゃが、何をしたかさっぱり覚えとらん」
「え? やっぱりアスラゼルもあるんじゃないの。早く転送しなさいよ。あんたの記憶も見つけてきてやるわよ。それであんたの間抜けなところを笑ってやるのよ」
「目的が変わってしまっとる……」
「いいから早くしなさい」
「わかっとるわ」
視界が暗転した。
※
転送された先には、柵に囲われた広大な土地があった。中にはいくつか無機質なデザインの建物があるようだったが、何の建物かはわからなかった。
「何なの、ここは?」
「聖女様の悔恨所です」
振り返ると、神官らしき男がいて、笑顔を向けていた。まるで顔に笑顔を貼り付けられたかのように表情が動かず、不気味に感じられた。
「悔恨所ですか?」
「はい、聖女様が罪を悔やむ人々を集めて、ここで浄化して差し上げているのです。私もその一人なのですが、聖女様の浄化によって、生まれ変わったのです。聖女様は本当に素晴らしい」
あからさまに怪しい施設ね。アスラゼルはこの中に案内されたのかしら。
「あなたも悔やみたい罪があるようでしたらどうぞ中にお入りください」
悔やみようのない冤罪ならありますけれどね。あなたの崇めるクズ聖女に捏造されましてね。
「おや、どこかで見たことがあるお顔ですね」
あ、人族の領地に来ているのに偽装ルーンしてないじゃない。断罪された公爵令嬢ってバレたらどうするのよ。
「アスラゼルのやろう……」
「魔王を憎む気持ちは大事ですね」
「はは……そうなんです。魔王にはいろいろ恨みがありまして」
ってやってる場合じゃないわ。とっとと記憶の結晶を見つけて帰りましょう。
あ、あるじゃない。
神官の男の足下からその魔力が出ていた。
私は転んだふりをして記憶の結晶を拾った。
「私はこの地上に降り立った奇跡の女です。あなた方を真の悪から救いますので、ちょっと待っててくださいね」
そう神官に言い残して、私はアスラゼルのもとに強制転移された。
きっとびっくりしたでしょう。あの作られた笑顔がちょっとでも崩れていたら嬉しいな。
さっそくアスラゼルの失われた記憶を見てみることになった。
アスラゼルも恥ずかしい思いをしたらいいわ。
そうして私たちはその映像を見たのだが……
「これは……」
「あの女、終わってるわね」
その内容に、私たちは絶句した。
聖女の目的は世界征服でも、世界のマナを乱すことでもなかった。
「たかだか数十年しか生きていない小娘に、魔王の逆鱗に触れたらどうなるか教えてやるとするかの」
※
その日、王国中が聖女の大祈祷祭に沸いていた。
聖女が王国民のために祈り、王国民が聖女のために祈るという大イベントだ。
私が断罪された王城前広場には、豪奢な祈祷台が設置され、その後ろの巨大な水晶モニターには祈りを捧げる聖女エリシアの姿が映し出されることになっている。
人々はすでに祈りの大合唱を始め、聖女の登場を待ち受けていた。
私は偽装ルーンで擬態し、王都に潜入した。狙いは魔導通信網の中継機だ。
聖女も神官たちも王城広間に出て、中継機のある大聖堂は警備が薄くなっているはずだった。
私は魔力検知によって、大きな出力がされている大聖堂の一室を探り当てた。
中に中継係の神官がいたので魔力共有でアスラゼルの力を借り、昏倒させた。
そして念のため中継室には闇の結界を張り、人族が入れないようにした。
記憶ルーンから生成した中継機用の映像ルーンを設置して、あとは再生するのみ。私の断罪を水晶モニターに配信した忌々しいこの道具が、復讐の火蓋を切ると思うと、興奮で手が震えてくるわ。
ーー時は来た。
今頃、エリシアは王城前広場の祈祷台に上がっていることだろう。
そして自分が祈りを捧げる美しい姿が王国中に流れることを思って悦にいっているはずだ。
しかし、そこに流れるのは、聖女の別の姿……いや、本当の姿と言うべきか。
さあ、聖女の断罪の配信を始めましょう。
まず映し出されるのは魔王アスラゼルが招待された、柵に囲われた悔恨所だ。映像には聖女エリシアも映されている。
「なんじゃ、ここは」
アスラゼルがエリシアに話しかけた。
「私のかわいい子豚ちゃんたちの育成所よ」
「養豚場? 貿易関連の話かの?」
「いいから、中に入りましょう。見たら喜ぶと思うわ」
二人は入り口へと向かい、中へ入っていく。
入った途端、そこには多くの神官のような人々が整列して待ち受けていた。その表情は、皆一様に貼り付けたような笑顔だった。
エリシアの姿を認めると「おかえりなさいませ、聖女エリシア様」と全員が声を揃えて言った。
「皆様、ご機嫌よう。今日もお元気そうで何よりです」
エリシアが言葉を返す。
すると神官たちは笑顔を崩さぬまま、涙を流し始めた。
「ありがとうございます、聖女エリシア様。お美しい姿を拝ませていただいた上に、美しいお声で美しい言葉を賜り、感激です」
神官たちは、口々にエリシアに感謝の言葉を返した。
吐き気を催すほど異様な光景だった。
「なんじゃ、これは。気色悪い」
アスラゼルが呟いた。
「何か仰いました?」
「言ったが、どうでもいいわい。何なんじゃ、こいつらは」
「これが私のかわいい子豚ちゃんたちですわ」
「子豚? 人間に見えるんじゃが、歳かのぉ。わしの目が悪いんかの?」
「人族の人間ですわ。家畜のようにして、私の言うことを何でも聞いて、崇めてくれるの」
「何を言うとるんじゃ。おまえは神から祝福され、人族を守護する聖女なんじゃよな?」
「ええ、その通りですわ。ですから、人族は皆、私のことが大好きで、言うことを聞いてくれないといけないの。お利口な家畜としてね。ここは人族を効率よく家畜化するための実験場なんです。私をちゃんと褒められない子には体罰を与えたり餌を与えなかったりして、しっかり育ててきたの。
ああ、早く全王国民を私の家畜にしてあげたいわ。そうしたら皆、幸せになると思うの。素敵でしょう?」
アスラゼルが絶句した。
「魔王ならわかってくれるでしょう? せっかくだから、魔族も家畜化したらいいと思うの。人族にも魔族にも崇められるなんてどんな素敵な気分になるんでしょう」
「こんな非人道的なこと許されるわけないじゃろうが。魔族にそんな愚かな考えを起こすものはおらんわ。何なんじゃ、おまえは」
アスラゼルがそう返すと、一瞬前までご機嫌だったエリシアの表情が怒りに歪んだ。
「は? 魔王のくせに人道を語るとか何なの? せっかく仲間にしてあげようと思ったのに。私の家畜にならないなら、魔族なんか滅ぼしてやるわ。そうなったら魔族たちも無能な魔王を恨むでしょうね」
「そんなことをわしが許すわけがなかろう」
「ふん、覚えておきなさいよ…….と言いたいところだけど、賛同いただけないなら忘れていただくわ」
そこで映像が途切れた。
先ほどから中継室の外が騒がしい。
エリシアが喚いている声が聞こえるが、もちろん無視。
ノクスウェルがすでに眷属契約の完全キャンセル処理を済ませているので、結界を破る力も、扉を破壊する力ももうないようだ。
配信は続く。
・ノクスウェルとの眷属契約する場面
・贄の王太子ユリウスの血を啜る場面
・町を破壊する場面
「王国民を一人残らず家畜化することを目指し、悪魔と契約した聖女エリシアが、王国を闇属性の結界の柵で囲い込んで人族が外に出られないようにし、王家を贄として下僕のように扱い、気分次第で町を破壊して回る」というストーリーになっている。
多少の脚色はあるものの、実際の記憶映像を使ったノンフィクションだ。
映像でわかる通り、エリシアの目的は世界を支配することそのものではない。
誰にも批判させず、自分を褒めてほしいという、ただの承認欲求なのだ。
そのくだらない目的のために、人族が家畜化され、善良な魔族たちが滅ぼされようとしていたということだ。
※
配信が終わると、外での整然とした祈りの大合唱は完全に途切れ、混沌とした騒ぎに変わっていた。
前世から、後輩女子の泣き真似だけで理不尽に疑われていた私はもういない。魔王の力を借りて、理不尽な力を振りかざす者こそ断罪される世界に変えたのだ。
私は中継室の扉を開けて、外に出た。
髪を乱した鬼の形相のエリシアがそこにいた。
「おまえがやったのか!」
私を見るなりエリシアが叫んだ。偽装ルーンのおかげで、自分が断罪した公爵令嬢クローデリアとは認識できていないようだ。
聖女への信仰が急速に萎んでいっているのがわかった。エリシアの光属性の魔力が急速に消えていっているのだ。
私は哀れみの一瞥をくれてやった。
「聖女に向かってなんだ、その目は!」
「もうおまえは、全王国民にとって、蔑みと嫌悪の対象でしかないわ」
「うるさい! 愚かな王国民どもはまた騙せばいい。でもおまえは許さない!」
喚き続けるエリシアの背後から、また別の影が近づいてきた。
その姿を見たエリシアが怯えて引き攣った顔になった。
「負の感情が高まっとるわい」
魔王アスラゼルだ。王国への魔族の侵入を阻んでいた光の結界も、もう力を失っているようで、魔王も王国内に入れるようになったのだ。
「久しぶりだな、聖女……エリシアと言ったか。まもなくわしもその名を忘れてしまうじゃろうが」
「な、何よ。どうするつもり」
「魔族への嫌悪なぞ比にならんくらい嫌われおったな。ちとやりすぎたか。マナの流れの淀みがひどすぎるんじゃ。なのでこの世の汚物となった聖女にはご退出いただくとするかの」
アスラゼルが空中にルーンを刻む。
《偽装ルーン(恒久)》
《対象:エリシア・ブランシェ》
《効力:容姿擬態・魔力擬態》
エリシアが淡い黒いヴェールの魔力に包まれた。
するとあの神秘的な美しさを湛えていたエリシアは特徴のない容姿になり、すでに弱々しくなっていた光属性の魔力もまったく見えなくなった。
もはや普通の一般人より存在感が薄くなっているように見えた。モブ属性ってひどいわね。何か視線が滑るというか、視認すること自体が難しくなってない?
一般人エリシアは何か喚いているようだったが、もうそれも雑音にしか聞こえなくなってきた。
「クローデリア、何か言ってやるといい」
アスラゼルが私の偽装ルーンを解いた。エリシアは私の正体にさぞ驚いているだろうが、何か表情も凡庸でよくわからないわね。
「えっとエリ……何だっけ? うーん、なんかもう名前も忘れてきちゃった。
え? 何言ってるのかわかんない……もういいわ」
エリシアが泣くでも笑うでもなく、空っぽに歪んだ。今までで見たことがないような表情だった。
「ちょっと待て、クローデリア。聖女エリシアの記録も地上からすべて消しておくことにするのじゃ。あんなやつの記録があるだけでもマナの流れに影響が出そうじゃからな。最初から聖女エリシアはいなかったことに……うん、それがいいんじゃ」
アスラゼルがエリシアの偽装ルーンに書き込みを加えた。
《偽装ルーン(恒久)》
《対象:エリシア・ブランシェ->モブシア(姓なし)に名称変更》
《効力:容姿擬態・魔力擬態・記録霧散》
「信仰ネットワークと王国の公文書に刻まれた『聖女エリシア』を霧散させたわい。人の記憶までは消さんが、すぐに忘れられるだろうよ。
もう聖女としての復権は無理じゃ。今までのように偉そうにしたり、騙そうとしたら袋叩きにあうから慎ましく生きるんじゃぞ」
モブシアを残して、アスラゼルと私はその場を去っていった。
「おい、そこの……誰だおまえは。そこで何をしている?」
後ろのほうでそんな声がした。
※
外に出ると、町中が聖女を罵る怒声で溢れ、人々が聖女を探していた。大聖堂の神官までもが、目を血走らせていた。
あの聖女はもういないのに。いえ、最初から聖女なんて悪い夢だったのよ。
平和な日常が戻ればすぐに忘れて、歴史にも残らず、やがて話題にも上がらなくなるでしょう。
「王国は復興に少し時間がかかるじゃろうな。クズ聖女と無能な王家のせいで、思ったよりボロボロな状態じゃ。
クローデリア、おまえは王都に残るか?」
私は少しだけ考えたが、すぐに結論は出た。
「いえ、魔王国の方が楽しそうだわ。いい人も多いし」
「ああ、そうじゃった。おまえはわしの眷属じゃったな。契約解除してやってもいいぞ。おまえが眷属だとなんか面倒くさそうじゃ」
アスラゼルが最後にぼそっとつけ加えた。
「何言ってんのよ。せっかくの便利な能力を捨てるようなことするわけないじゃない。それにご主人は私のために働いてくれるかわいい魔王様なのよ」
アスラゼルは本気で呆れた顔をしたが、私はご機嫌だった。
私はもう誰にも振り回されないわ。魔王の眷属だからって、自分で自分の好きな道を選んでやるんだから。
そう誓って、アスラゼルの腕を引っ張って歩き出した。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
もし少しでも「面白かった」と思っていただけたら、
①ブクマ登録 ②★評価 ③一言感想
のいずれか一つでもいただけると、めちゃくちゃ励みになります。
ご興味ありましたら、他の作品もちらっと見ていただけると嬉しいです!
改めて、ありがとうございました!




