第7章 鎮魂-1
(ここはどこ? ユウタたちは、どこに行ったの?)
再び意識が戻ったとき、カーネはアリギエーレを構えたまま、見覚えのない荒野に立ちつくしていた。
(えーと、クサカと闘ってる最中にユウタが飛び込んできて、魔剣の柄に妙な宝石をはめ込んで……そのあと、どーなったんだっけ?)
身につけているのは罪鬼と闘っていたときの戦闘服だが、脇腹の負傷がすっかり癒えているところからみて、あれから多少の時間が経過しているようだ。
困惑しつつ剣を下ろし、周囲を見回してみるが、敵のクサカ、そして裕太や仲間のヴェルトロたちの姿さえ消え失せている。
そもそもいま彼女が立っている場所じたい、さっきまで戦場となっていたあの神社とはまったく異なる世界だった。
空にはどんよりと暗雲がたれ込めているものの、周囲が見渡せることから時刻はおそらく日中だろう。
そして視界に入る光景は見渡す限りの荒蕪地。
(あたし、クサカに負けて冥界に戻されたのかな? ……にしちゃ、ちょっと感じが違うような気もするけど……)
『カーネ! 私の声が聞こえますか?』
「――テレーズ!?」
慌てて左右を見回すが、彼女の姿は見えない。
が、声の出所は間もなく分かった。
他でもない、いま自分が手にしているアリギエーレを通して、女魔導師の意思が「声」となって伝わってくるのだ。
「何が起こったの? ここはいったい――」
『詳しい話はあとです! とにかく、一刻も早く麻美さんに会ってください!』
「アサミ? ……急にそんなこといわれても、いったいどこに……」
『落ち着いて、もう一度周囲を調べてください。どこか、変わったところはありませんか?』
いわれてみれば、ただでさえ陰気で薄暗い荒野の一角に、さらに暗く、闇がひとかたまりになって凝縮したような空間がある。
よくよく観察すると、頭上にたちこめる暗雲は、全てそこから噴煙のごとく湧き上がっているようだった。
「あそこに……アサミが?」
『はい。……あなたは初めてでしたね。”彼女”に会うのは……』
確かにそうだ。
しかし、自分に瓜二つという麻美の写真は既に裕太の卒業アルバムで見せてもらっているので、初対面でも会えばすぐに分かるはずだ。
それにしても、黒雲の湧き起こるあの場所から感じる、あの異様な気配は何か?
今まで闘ってきた罪鬼たちにも似た、いやそれ以上に邪悪で禍々しい、あの感覚は――。
ともあれ、ここに突っ立っていても始まらない。
油断なく魔剣を握りしめたまま、カーネは暗黒の源泉へと向けて一歩を踏み出した。
◇
「な、何よ……コレ?」
問題の場所へとたどり着くのに、ものの十分とかからなかった。
そこで彼女が見たものは、一面に広がる泥沼。
タールを思わせる漆黒の沼面からボコボコと魔瘴気が吹き上がり、それがそのまま上空を覆っているのだ。
まるで地獄のような光景だが、それにしては罪を犯した亡者たちの苦痛の叫びも、彼らを責め立てる獄卒たちの姿も見あたらない。
「アサミが……ユウタの幼なじみの女の子が、こんなトコにいるっての?」
『はい……この沼の中心に、”彼女”がいます……』
魔剣を通して伝わってくるテレーズの意思には、普段のおっとりした彼女からは想像もつかぬ苦悩と、ある種の「覚悟」が感じ取れた。
(いったいどうなってるの……何だって、こんな場所に彼女が?)
カーネ自身は、笠倉麻美の悲惨な最期に関する事実など知るよしもない。
ただ裕太の態度や断片的に聞いた話から、彼と失踪した麻美の間に何らかのトラブルがあったことは察しがついている。
かといって、卒業アルバムに残された麻美の屈託のない笑顔からは、とても地獄に堕ちたり罪鬼に化身するような邪な印象は微塵も感じられなかったのだが。
(あのぉ、テレーズ? 彼女に会うってことは、その、やっぱりこの沼に……)
『……お願いします』
「うえぇ……でも、しゃーないか」
カーネは意を決すると、魔力で宙に浮き上がり、硫黄泉のごとく魔瘴気を噴き出す沼面ぎりぎりの高度を滑るように移動し始めた。
が、その瞬間。
「……!」
雷に打たれるようなショックを覚え、ヴェルトロの少女は前のめりに沼の中に墜落していた。
悪臭を放つ泥濘の中に沈み込んだ途端、意識に蜘蛛の巣のごとく無数の亀裂が走り、その間隙から洪水のごとく膨大なビジョンが流れ込んでくる。
(なっ……!?)
それらが笠倉麻美の「記憶」であることに気づいたときは、もう手遅れだった。
学校帰りの書店でたまたま目撃した万引き。
それが原因となって起きた不良たちとの諍いと、理不尽な拉致監禁。
そして日下司朗の登場で幕を上げる、この世の生き地獄――。
「……ぷはぁっ!」
溺れる寸前、必死の思いでようやく沼面から顔を出し、魔剣にしがみついて辛うじて身を起こす。
「ひ、ひどい……酷すぎる……これ、いったい何なのよぉーっ!?」
『お分かりになりましたか? この沼は……麻美さんの怨念そのものなのです』
「テレーズ……まさか、あなたもこれを?」
『はい。……もし神官としての修行を積んでいなければ、きっと気が触れていたでしょう』
カーネとて、この一年ラミアからの厳しい教練を受けていなければ、その場で精神が崩壊していたに違いない。
一人の少女が数ヶ月にわたって受け続けた暴行と陵辱、苦痛と絶望を、ほぼ一瞬の間に追体験してしまったのだから。
そして裕太が麻美に対して抱く深い罪悪感も、ようやく理解できた。
(確かに、ユウタの裏切りは許せない……でも、ユウタは……こうなることを承知であたしに協力してくれた……身の危険を承知で、アリギエーレに紅玉を――)
封印を解かれた麻美の膨大な怨念。
同時にヴェルトロのカーネとして裕太と過ごしたわずか二日足らずの思い出が、少女の中で激しく反目し、せめぎ合う。
黒い泥水にまみれ、魔剣にすがりついてゴホゴホ咳き込みながら、カーネはやるせない思いにただ泣きじゃくった。
「あんまりよ! こんなのってないよ……何で? 何でこんなことになっちゃったの? アサミもユウタも、悪いことなんか何もしてないのに……!」
『それでも、起きてしまったことは、もう取り返しがつきません……今のわたしたちにできることは、せめて麻美さんの魂を――』
「分かってるなら、早く彼女を助けてあげてよ! テレーズ、あなた魔力にかけては『十二使徒』にもひけをとらない魔導師でしょ!?」
『ごめんなさい……わたしは、こちら側で麻美さんの怨念を抑えるのが精一杯で……だからカーネ、今はあなたにお願いするしかないのです』
「声」はいつしか弱々しく、苦しげなものに変わりつつある。
そのときになって、ようやくカーネも自らが置かれている状況を理解した。
ここは現世でも冥界でもない生と死の狭間、麻美の怨みの念が創り出した閉鎖空間なのであろう。
そして今、現世のあの神社では、テレーズが限界ギリギリの力を出し切って怨霊と化した麻美を抑え込んでいる。
『麻美さんの魂じたいは、わたしの元の肉体をベースに創り出したアリギエーレの中に封印されています……つまりそこは、あなたがいま手にしている魔剣の内部でもあるのです』
「??? ややこしいわねぇ……でも分かった。何とか、やってみるわ」
カーネは気を取り直し、魔剣を杖代わりにして沼の中心部に向かって進み始めた。
魔力を使って再浮上することも試みたが、タールのような沼水が下半身に粘り着き、まるで磁力に囚われたかのように沼から抜け出すことができない。
さらにもう一つ、彼女の前進を阻む存在があった。
沼の底から伸びた何者かの「手」が、少女の足を捕らえようとまとわりついてくる。それも十や二十といった数ではない。
姿を見せぬ指先がカーネの足に触れるたび、もはや言葉では表現できないほど凄まじい呪詛の念が、酸のごとく彼女の皮膚を浸食した。
奇妙なことに、それらは最初に感じ取った麻美の「記憶」とは全く異質なものである。
「くっ……!? な、何なのよ? こいつら……」
『麻美さんの怨念に引き寄せられた、無関係の亡者たちです……おそらくは、彼女同様に不幸な最期を迎えた人たちの……』
(そういうこと……か)
生前、何の罪も犯さなかったにもかかわらず、怨みを抱いたまま非業の死を遂げた人間は何も麻美だけではない。
犯罪被害者。親の虐待によって幼い命を奪われた子どもたち。世界中の紛争や飢餓による無辜の犠牲者――数で比較すれば、自業自得で罪鬼になるような連中より、そちらの方が遙かに多いはずなのだ。
笠倉麻美の怨念がいかに強烈なものであったとしても、本来なら彼女一人の力で冥界全体を破壊することなどできるはずもない。
だが、現世と冥界の狭間を行き場もなく漂っていたそれら無数の怨念が、たまたま麻美の怨霊を「核」として結集し、巨大な霊団を形成していたとすれば――。
「冗談じゃないわ! 罪鬼どころの騒ぎじゃない……こんなのを放置していたら、いずれ冥界も現世も……!」
息を止め、思い切って頭から沼の底へとダイブする。
濁った泥水を通した視界の中にも、自分を沼底へ引き込もうとする無数の生白い「腕」の群がゆらゆらと蠢いている様が確認できた。
中には明らかに幼い子どもと分かる手さえある。
(――ごめんなさいっ!)
カーネは心を鬼にして剣を振るい、足下一帯に伸ばされていた怨霊たちの腕をなで切りにした。
そのまま再び水面に顔を出し、後も見ずがむしゃらに沼の中央を目指す。
やがて濛々と立ちこめる魔瘴気の彼方に、流木のように浮かび上がる小さな黒い影が目に入った。
「……やっと、ここまでたどり着いたのね……」
低く、掠れた声が響いた。
ゾクッとするような冷たい風が吹き付け、カーネのために道を空けるかのごとく魔瘴気の一部が吹き払われる。
その奥に、首から上だけを水面に突き出し、上目遣いにじっとこちらを見つめる若い娘の頭があった。
見覚えのある顔だ。
裕太の卒業アルバム。そして瞳の色を別にすれば、自分と瓜二つの少女――。
「あなた……アサミ?」
「ずっと待っていたのよ……『あなた』が来るのを」




