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第5章 地獄の門-3

「な~んだ、見破られてたか。魔力迷彩の意味なかったなぁ」


 ちょうど裕太と森川たちを隔てる空間にカーネの姿が現れ、音もなく石段に降り立った。


 昼間から着ていた制服ではなく、裕太が初めて目撃したときと同じ緑のコスチューム、すなわちヴェルトロとしての「戦闘服」に装いを変えている。

 その右手には、本来の大きさに戻した魔剣アリギエーレがしっかり握られていた。

 既に彼女は臨戦態勢を整えていたのだ。


「やあ、お久しぶり笠倉さん……おっと、今はヴェルトロのカーネだったか」


 自分たちが殺した麻美と瓜二つの少女を目の前にしても、司朗はほとんど動じなかった。イザハドの魂を吸収したことで、ヴェルトロ側のメンバーについてもそれなりの知識を得ていたのだろう。


「人違いしてるようね。アサミとユウタ、それにあんたたちの間に、昔何があったかは知らないわ。あたしの仕事は、ヴェルトロとしてあんたたち罪鬼を地獄に送り返すこと。それと、ひとつハッキリしたことがある――」


 背後の裕太を案じるようにちらりと見やり、カーネは魔剣を両手持ちに変えて再び向き直った。


「あんたたちが、何百ぺん地獄に堕ちても当然のクズ野郎ってことよ!」

「その強気な性格……変わらないねぇ。まあいいさ。手強い上級クラスの連中が出払ってる間、君ひとりをおびき出すのも計画の一部だったんだから……なら、始めようか?」


 その言葉を合図に、カーネの目の前に並んでいた森川ら四人、正しくは四匹の罪鬼が一斉に姿を消した。

 ほぼ同時に、鳥居の向こうに立っていた司朗のシルエットが崩れ、見る間にその形を変えていった。


(手下どもと融合するつもりね……!)


 森川たちはともかく、イザハドを倒した罪鬼・クサカの実力は相当なものだ。

 一瞬、融合中の防御が手薄な瞬間を狙って一気に仕掛けることも考えたが――。


 あえてカーネはその時間を使い、背後でうずくまったまま動かない裕太の周囲に半球状の魔力障壁を張った。

 ともあれ、戦闘中に裕太を人質に取られてはかなわない。

 できれば瞬間移送か何かで安全地帯まで飛ばしてやりたかったが、あいにくそこまで高度な魔力はまた習得していなかった。

 その間、わずか一秒足らず。

 素早く振り向いたときには、既にクサカは四匹の手下たちとの融合を終えていた。


「ワハハハハハ!」


 高らかに笑いながら立ち上がった姿は、身の丈およそ五メートル。

 全体としては人型を保っているが、その頭部はねじれた角を長く伸ばした牡山羊を思わせ、烏のような黒い翼、黒褐色の獣毛に覆われかぎ爪をむき出しにした手足など、昔の画家が描いたサバトの悪魔像を彷彿とさせるものだった。

 ただひとつ昔の悪魔像と異なるのは、巨大罪鬼の胸から腹にかけて人面疽のごとく森川ら四人の顔面が浮き上がり、ボスである司朗の顔は頭部の額あたりから突き出し笑っている点だった。


「見たか! これこそ俺の真の姿――俺は地獄すら超えて、この世を滅ぼす悪魔としてこの肉体を得たのだ!」


 融合した手下たちの人格にも多少影響されているのか、言葉遣いまでさっきより野卑になっている。


(うっわ~。シュミわる~……)


 外見がどうこうというより、むしろ敵の自己陶酔ぶりの方に薄気味悪さを覚えつつも、カーネは石段を蹴って舞い上がり、やはり翼を広げて離陸した巨大罪鬼と空中で対峙した。


(イザハドも敵わなかった相手に、あたしの魔力が通じるかしら……でも、やるしかない!)


 左の掌を罪鬼に向け、魔力を物質化させた炎の球を数発、立て続けに放つ。


「むん!」


 クサカが左の翼を前に回し、難なく火球をはじき飛ばした。


「フハハッ、きかんわ!」

(思ったとおり……あの翼が、防御の役も果たすわけね)


 もとより、今のはジャブ代わりに放った様子見の攻撃に過ぎない。

 カーネは再度左手から火球を発射し、一瞬の間をおいて自らも突撃した。


「きかんといってるだろうが!」


 先刻同様、クサカが翼を振るう。

 だが、飛んでくる火球に気を取られてカーネの姿を見失っていた。

 罪鬼が火球を弾いた瞬間、その巨体ゆえに生じた一瞬の隙をつき、ヴェルトロの少女は敵の頭部のすぐそばまで間合いを詰めていたのだ。


「もらったぁーっ!」


 驚いたように見上げる司朗の顔面に深々と剣を突き立てる。


「ニギャアアアアアッ!」

(……え?)


 なぜかその悲鳴は、足下の方から聞こえた。しかも、複数。

 見れば、クサカの胴体付近に生えた四つの顔、森川たちが顔面を歪めて苦しんでいる。


「な、何でおまえらが痛がってるの?」


 ざっくりと刃を突き立てられた当の司朗は、顔面がほぼ真っ二つに割れているのにもかかわらず、涼しい顔で薄笑いさえ浮かべている。


「ほら、どうした? 好きなだけ攻撃しろよ。俺はここにいるぜ」

「い、いわれなくたって――」


 罪鬼の額で両足を踏ん張り、司朗の顔に突き立てたアリギエーレを引き抜く。

 魔剣の切っ先が抜かれると同時に、顔面の傷跡はファスナーを閉じるかのように素早く回復していった。


「まさか……?」


 状況を理解したカーネは再度の攻撃を止め、いったん飛び退くと改めて敵の全身を確かめた。


「ふふ。気づいたか? 俺と他の四人は融合しているが、完全に一体化したわけじゃない。我が肉体が受けた痛みやダメージは、こいつらが代わりに引き受けてくれるってわけさ!」

「何て奴……自分の仲間を」

「仲間ぁ? 馬鹿らしい、こいつらは俺の下僕だ。主である俺の盾になるのが当然の務めだろうが!」


(なら……その盾から潰せばすむ話じゃない!)


 カーネは狙いを頭部から、手下たちの顔面がある胴体部分へと変えた。

 魔剣を正眼に構え、体内の魔力を切っ先一点に集中する。

 以前に群体化した罪鬼を一撃で吹き飛ばした、遠距離攻撃系としては彼女が使える最も破壊力の大きな技だ。

 四体の手下のうち一体の顔を狙い、無数の放電光を束ねた青白い稲妻が走る。

 派手な爆音と共に白煙と火花が飛び散った。

 が――。


「いてぇーっ! いてぇよぉおおおぉ!」


 相変わらず森川たちが苦しむばかりで、巨大罪鬼の本体には何のダメージも与えていないようだ。


(肉体の苦痛はしっかり伝えてるくせに……手下どもの魂だけは再殺されないよう、特に厳重な魔力障壁を張ってるのね)


 原則として、ヴェルトロの魔力か魔兵器で再殺しない限り罪鬼は不死身だ。

 というか、もう死んでいる。

 そして手下の罪鬼たちが再殺されない限り、巨大罪鬼の本体たる司朗自身は、いかなる攻撃を受けてもダメージどころか痛みすら感じないようになっているのだ。


 手下たちにしてみれば、再び地獄に堕とされたのと何ら変わらない状況だろうが。


「どうした、もう手詰まりか? つまらんなぁ……あの大男の方が、まだ楽しませてくれたぞ?」


 漆黒の翼が羽ばたき、今度は罪鬼の側から襲いかかってきた。

 鋭いかぎ爪を光らせた両腕を振り回し、空中のカーネを捕らえようと追ってくる。

 相手も本気を出してきたのか、さっきまでとは格段にスピードが違う。

 罪鬼が長い顎をくわっと開き、魔瘴気を凝集した黒い炎を吐きかけてきた。


(――!)


 新体操選手のごとく身を翻し、間一髪でよけたところを、突然肩のあたりに焼けるような痛みを覚え、少女は境内の石畳へと叩きつけられていた。


「ぐっ……?」


 いつの間にか、罪鬼の両肩や脇腹など数カ所から鉄パイプほどの太さを持つ長い触手が伸び、それじたい別の生物のように空中でうねくっている。

 それぞれの触手の先は、薙刀のように鋭い刃物となっていた。

 おそらく、あれでイザハドの肉体を切り刻んだのだろう。


(しまった! つい両腕の攻撃ばかりに気を取られて――)


 魔剣を握りしめたまま地面を転がり、辛うじて次の攻撃は避けた。


 魔力による幻影術で姿を消し、鎮守の森へと駆け込むと、森林の精気が自分の気配を覆い隠してくれたため、追ってきた触手は戸惑うように立ち木の間で右往左往している。


(勝てなくてもいい……とにかく時間を稼ぐのよ! 隊長たちが戻って来るまで)


 アリギエーレからの魔力補充により左肩に受けた傷を癒しつつ、カーネは思った。

 今はドレスの胸元に貼り付けた水晶球を通して、自分が闘っている状況もそのままテレーズに伝わっているはずだ。


 罪鬼がいらだったように咆吼をあげ、今度は本物の炎を吐き始めた。

 森に逃げ込んだカーネを、何としてもいぶり出すつもりらしい。


「バチ当たりな奴ね。そんな心がけだから地獄に堕ちるのよ!」


 毒づきながらも、やむなくカーネは再び境内に飛び出した。

 襲いかかってきた触手数本を、アリギエーレの一閃で切り飛ばす。

 触手は切断面から再生を始めるが、そのスピードは本体のそれに比べて遙かに遅い。


(そういえばここは神社、この国の『聖域』なのよね……なら、奴も思うように魔瘴気の補充が利かないはず!)


 とにかく長期戦で粘る覚悟を決め、地上に降りたクサカと再び対峙する。

 そのとき、ふと奇妙な変化に気づいた。

 罪鬼の胴体に生えた手下たちの顔が、いつの間にか三つになっている。


(あれ? 確か、さっきは四人いたはずなのに?)


 石段の方向から悲鳴が上がった。


「――ユウタ!?」


 慌てて振り返ると、いつの間に本体から抜け出したのか、クサカの手下の一匹が石段の半ばで裕太に襲いかかっている。


「なんで? ちゃんと魔力障壁を張っといたのに――」

「ヴェルトロのくせにうかつな女め。今度障壁を使うときは、忘れず地面の下にも張っておくことだな」


 背後から、嘲るような声が響く。

 慌てて魔力の火球を放ったが、一瞬遅く、手下の罪鬼は裕太の身体をつかんだまま、地面に沈み込むようにその姿を消した。


 数秒後――ボコっと音を立て、クサカの胴体に元通り四つめの顔が出現した。

 わずかに遅れて、地面に消えた裕太の上半身も奇妙な植物のように姿を見せる。


「そんな……ユウターッ!」

「……?」


 まだ意識はあるようだった。

 さっきのショックからまだ完全に立ち直ってないのか、罪鬼の一部に取り込まれた己の上半身を、不思議そうな顔でぼんやり眺めている。


「さてと……これから先、俺の身体が攻撃を受けた場合、その苦痛はさっきと同じくこのガキにも伝わる。これがどういう意味か分かるか?」

「くっ……」


 カーネは悔しさに歯ぎしりしたが、全ては手遅れだった。


「悪魔だの、世界を滅ぼすんて偉そうにいうわりに……やってることは安っぽいチンピラと同じね。……で? あたしにどうしろってのよ。降参すればいいわけ?」

「降参だと? とんでもない。いかな悪魔の俺でも、誇り高いヴェルトロにそんなひどい要求はせんよ。ただひとつ欲しい物がある……それさえ頂けばガキは無傷で解放するし、また闘いを続けるさ」

「何が……欲しいのよ」

「分かってるだろう? 貴様が持ってるその魔剣……アリギエーレさ」


 カーネの背筋に戦慄が走った。

 すでにイザハドを倒したクサカは、ヴェルトロの弱点を知り抜いている。

 特に戦士系のヴェルトロにとって魔力の源であり、己の分身ともいうべき魔兵器を敵に奪われることは、ある意味で死よりも辛く、また屈辱的な行為に他ならなかった。


「馬鹿っ! やめろカーネ!」


 罪鬼と少女の会話を聞いているうちようやく正気に戻ったのか、下半身を罪鬼の胴体に取り込まれたまま、裕太が叫んだ。


「ぼくはこのまま日下に取り込まれたっていい! どうせこのまま生きてたってひきこもりで父さんや母さんに迷惑かけるだけだし……それに、もう地獄に堕ちても仕方のないことを――ぎゃあああっ!?」

「いま、こいつの左足首を細胞レベルで融合させた。罪鬼同士ならともかく、生者の場合はひどく苦痛を覚えるらしいなあ。グズグズしてると、ほんとうに取り返しがつかなくなるぞ?」

「ユウタ……」


 カーネは半泣きの表情で少年を見つめ、そしてうつむいた。


「あたしは……あんたが現世でどんな人生を送ってたか、いったいどんな罪を犯したのか……そんなこと知らない。ただ、あんたはあたしにとって初めての……たった一人の友だちだから……」


 アリギエーレを地面に突き立て、そのまま一歩後ずさる。


「さ、持ってきなさいよ……でも、その代わりユウタは――」


 みなまでいわせないうちに、触手の鞭が飛んで少女を殴り倒していた。


「げふっ!」


 数m後方に弾き飛ばされて倒れたカーネの両足首に、左右から別々の触手が絡みついてきた。


 フワリと体が宙に浮く。

 2本の触手は絡め取って逆さに吊り上げた少女の両足を、クレーン並みの怪力で大きく割り開いた。


「あぁーっ!?」


 やがて左右の太腿が一直線に伸び切るまで引き広げられ、カーネの股関節がミチミチと不気味な音を上げて軋む。


「い、痛い!! ……は、放せぇ……うあぁああ!!!」

「ククク……いい格好だな。どうだ? このまま真っ二つに引き裂いてやろうか?」


 愉快そうにいうクサカの声。


「――だが、それでは呆気なさすぎてつまらん」


 カーネの片足を捕らえる触手を解いたかと思うや、残りの片足をつかんだまま無造作に神社の石畳へと叩き付けた。

 それはもはや戦いでも何でもない。

 猫がネズミをいたぶるかのように執拗な拷問。

 受け身も取れず大地に激突し、グシャっと鈍い音が響くたび少女の体がゴム鞠のごとくバウンドして苦痛に歪んだ口から血反吐を吐いた。


 そんな酷たらしい責め苦が五、六分も続いただろうか。


 倒れ伏したカーネが血の泡を吹き、苦しげに手足を痙攣させる姿を見下ろしながら、罪鬼は腕を伸ばして地面から魔剣を引き抜き、満足そうに眺めやった。


「正直、あの大男のヴェルトロと闘ったときはしくじったよ……魔銃を奪い取るつもりがうっかり破壊してしまったため、あいつの不死能力も失われて……結局、充分苦しめる前に死なせてしまった。もう同じ失敗は繰り返すものか」


 罪鬼の額に浮かぶ司朗の顔全体が、笑いの形にぐにゃりと歪む。

 それが興奮したときの癖なのか、赤い舌先でしきりに口の端を嘗めながら。


「今度は……楽しんでやるぞ。じっくり時間をかけてな」

「……ぐっ……」


 全身痣と傷だらけになったカーネは、それでもふらつく足で立ち上がり、唇を噛みしめ罪鬼を睨み上げた。


「約束よ……その前に……ゴホッ、ユウタの体を……」

「馬鹿が。罪鬼とヴェルトロの間に約束なんか成立するか!」


 バシュッ。

 右の二の腕あたりを棍棒で殴られたような衝撃。

 同時に、急に半身が軽くなった。


(なに……これ?)


 ボトリと音を立てて地面に落ちた自分の右腕を、カーネは奇妙な気分で見つめていた。

 吹き出す鮮血が右半身を濡らし、生温かい感触が肩口から右足まで伝わる。

 一瞬遅れて襲ってきた激しい痛みにうめくと同時に、今度は左腿に同様の衝撃を受け、少女はバランスを崩してその場に転倒した。


「ほう……さすがは魔剣アリギエーレ。なかなかの切れ味だな」

「やめろーっ! やめてください! 日下さん!」


 懸命に叫ぶ裕太の声が、ひどく遠くから聞こえる。


(悔しいな……魔剣さえあれば、こんな傷……)


 気絶しそうになるほどの激痛の中、それでも気を失うこともできず、カーネは緑色の瞳から一筋の涙を零した。


(ユウタ……ラミア隊長……テレーズ……ごめんね、みんな)



「やめろーっ! やめてください! 日下さん!」


 自らが融合されていく痛みも忘れ、裕太は叫び続けた。


「あなた、前にも彼女を殺してるじゃないですか! いったい、何度同じことを繰り返せば気が済むんですか!」

「ククク……『歴史は繰り返す』というだろうが? この女が俺の目の前に戻ってくる限り、何度だって殺してやるさ。いわば運命ってやつだな」

「そ、そんな……」

「ほうら見ろ、磯狩。懐かしいだろう?」


 司朗はぐいっと巨体をひねり、右腕と左足を失って地面に倒れたカーネの姿を、わざわざ裕太に見せつけた。


「今度は、一部始終をじっくり見せてやる。あの娘は、また同じ目に遭うんだぞ? おまえのせいでな」

「やめてくれぇ――っ!」

「さてと。お次は左手といくかな」


 うつぶせに倒れた少女の背中を巨大な片足で虫けらのように踏みつけ、罪鬼は魔剣を握る右腕を高々と振り上げる。


 虚空を切り裂いて銃声が鳴り響いた。


「ウオッ?」


 実際には銃声よりもわずかに早く、音速を超えて飛来した一発の銃弾が刀身の根元部分に命中し、罪鬼の手から魔剣を吹き飛ばしていた。


「おいたが過ぎたわね……坊や」


 暗雲のたれ込めた夜空を背景に、黒革のロングコートをコウモリの羽根のごとくはためかせ、青い髪にサングラスの美女が浮かんでいる。


 その片手には、女の細腕には似合わぬ大口径のオートマチック拳銃が青白い硝煙をたなびかせていた。

 あえて魔剣の柄を狙ったのは、融合された裕太にダメージを与えない配慮だろう。


「うぬっ。き、貴様は……ラミア?」

「お馬鹿さん。わざわざ獲物相手に名乗る猟犬がいると思って?」

「ショッピングモールはどうしたっ! 人間の街が壊滅するのを放ってきたのか!」

「あそこにいた罪鬼どもなら、一匹残らず再殺してきたわ。……後は、こちら側の警察や消防隊の仕事よ」

「そんな馬鹿な! あ、あそこには百人近い仲間を……」

「ふぅ。あの程度の連中で一晩足止めできると思われたなら……嘗められたものね。冥王十二使徒の私も」


 サングラスの下の紅い唇が、困ったような微苦笑を浮かべた。


「ううっ……」


 初めて狼狽を露わにした司朗は、そこでハッとしたように周囲を見回し、取り落とした魔剣の行方を追う。


 剣は空中に浮かんでいた。


「これは、返して頂きますわ……」


 一見宙に浮いた魔剣が喋ったようでもあるが、実際には身体いっぱい使って剣を抱えた、小さな少女人形が発した言葉だった。


「それは俺の物だ! 返せーっ!」


 口から放射した魔瘴気の黒い炎は、しかし人形の周囲に張り巡らされた魔力障壁に中和されあっさり消滅した。

 人形は剣を抱えたまま、地上へ倒れたカーネの元へと降下していく。


「おっと、間違えちゃいけない。君の相手は僕だよ?」


 テレーズを追って突進しようとした罪鬼の行く手を、大きく両手を広げた黒ずくめの若者が阻んだ。


「テレーズ、彼女の治癒を頼むわ」

「はい! 直ちに」


 聞き覚えのある声にうっすら目を開くと、最初に飛び込んだのは、心配そうにのぞき込むテレーズの小さな身体だった。


「間に合ってよかった……よく頑張りましたね、カーネ」

(みんな、来てくれたんだ……)


 そう思った瞬間、カーネの両目からどっと涙があふれ出た。


「ごめんなさい! ごめんなさい! あなたやラミア隊長にあれだけ忠告されたのに……あいつに手も足も出なかった。ユウタを人質にとられて……いいようにいたぶられて……あたし、ヴェルトロ失格です」


 悔しさと情けなさに負傷の痛みも忘れ、少女は子どものように泣きじゃくった。


「いいのよ。イザハドのように消されてしまったらそれまでだけど、あなたはこうして生きている……今回の経験を、今の痛みと一緒に身体に刻みつけておきなさい」


 傍らに降り立ったラミアが、拳銃をコートの下のショルダーホルスターに収めつつ、静かな口調でいった。


「その通りですよ。ヴェルトロなら、誰でも一度は通る試練ですから……」


 テレーズが球体関節の両腕を広げ、グラスアイの瞼を静かに閉じる。


 間もなく、切断されて地面に転がったカーネの手足が光の粒子となって舞い上がり、それは彼女の右手と左腿のあたりに凝縮すると、元通り肉体の一部として再生を始めた。


「ちょっと待って!」

「あ、動いてはダメ! まだ手足の再生が……」

「ユウタが……ユウタが、奴の身体に取り込まれてるんです! あたしの治癒は後回しでいいから――お願い! 彼を助けてあげて!」

「心配しなくていいわ」


 罪鬼・クサカの動向を目で追いながら、ラミアがこともなげにいった。


「あちらの方は、オウマに任せたから」



「ふうん……モチーフはバフォメットか。なかなか渋い趣味……といいたいところだけど、ちょっとセンスが古すぎない?」

「おまえは確か……魔導師のオウマか」


 黒い山高帽を目深に被り、その声から十代の若者らしい、ということ以外に素顔さえ見せない黒衣のヴェルトロ。

 イザハドの記憶にも彼に関する詳しい情報はなかったのか、罪鬼・クサカは警戒したように身構えた。


 慌てて胴体の半ばに突き出した裕太を指さし、傲然と叫ぶ。


「これを見ろ! 戦士だろうが魔導師だろうが、俺の身体を攻撃すれば、その苦痛は全てこの人間に行くんだぞ!『罪鬼狩りに無関係の生者を巻き込んではならない』――それがおまえらヴェルトロの掟だったよなぁ?」

「なんだ、人質を取られちゃったのかあー。こいつはまいった。手が出せないやぁ」


 何やら棒読みのセリフで緊張感に欠ける。


「いっておくけどな、俺とこいつは、もう細胞レベルで融合してるんだ――もし魔力でこの部分をえぐり取ったところで、こいつが死ぬだけだからな!」

「……細胞レベル、だって?」


 それを聞いたオウマの口許に、ありありと失望の表情が浮かんだ。


「なんだ……君の魔力って、その程度のモノだったの?」

「何だと? 悪魔の申し子であるこの俺に向かって!」


 怒りに任せて、罪鬼の巨碗が横殴りに振るわれる。


「申し子……ねえ」


 オウマは何もしなかった。

 魔力障壁も張らず、避けようともせず、鋭いかぎ爪の一撃を無防備に受けたのだ。

 当然、その身体は胸と腰のあたりでスライス状に切断され、大量の血飛沫、それに内蔵や砕けた骨が飛び散った。


「ふっ、口ほどにもな………なにぃ!?」


 司朗を始めとして、罪鬼・クサカを構成する五つの顔が、一斉にこわばった。

 空中に四散したオウマの内蔵。

 それらは地上に落下する直前、回転しながら縄状にまとまったかと思うと、巨大な蛇のごとくクサカに襲いかかってきたのだ。


「な、なんだ……こいつは?」


 思わず身を護ろうと、反射的に翼を前方に閉じたのが災いした。

 大蛇と化したオウマの臓物は、閉じた翼の上からクサカの巨体に幾重にも巻き付き、凄まじい怪力で締め上げていく。


 そのため、翼を閉じたままクサカは身動き一つ出来なくなった。

「うぬぬぬ……」


 その間に――。


「やあ、君が裕太君だね?」

「え? ……ひっ!」


 声をかけられた裕太は、顔を上げるなり思わず絶句していた。

 目と鼻の先に、山高帽を目深に被った若者が浮かんでいる。

 ただし、その胸から下はすっぱりと切断されていたが。


「こんな格好で失礼。僕はオウマ。カーネから名前くらいは聞いてない?」

「そ、それじゃあなたも……」

「ヴェルトロさ。まあ、こんなところで自己紹介でもないだろ」


 いうなり、黒革の手袋をはめた手で裕太の片手を握り、ぐいっと引っ張った。

 細胞レベルで融合していたはずの裕太の身体が、いともたやすくクサカの胴からヌルリとすっぽ抜けた。


「……?」


 不安そうに自分の身体をなで回す眺め回す裕太にはお構いなく、オウマの上半身は少年の身体を担いで罪鬼の翼をすりぬけ、そっと地面に降ろした。


「あ……ありがとう……ございます」

「礼にはおよばないよ。あっちにラミア隊長やカーネもいる。あとのことは、隊長から聞くといい」


 裕太がよろよろと歩き出したのを見届け、オウマはパチン! と指を鳴らした。

 それを合図にクサカを締め付けていた臓物が解けたかと思うと、次の瞬間には、若き魔導師の肉体は服まで元通りに復元されていた。


「きっ貴様……いったい何をした!?」

「量子レベルのエントロピー縮小……ひらたくいえば、時間を逆行させたのさ」

「時間を? そ、そんな馬鹿な……」

「なにかと便利な術でねえ。ついでにいえば、逆に時を早めることもできる」


 再び両手を広げた姿勢で宙に舞い上がると、オウマは右手を上げ、黒手袋の指先で、クサカの胴体に顔だけ出した罪鬼の一人、一番年下の高田を指名するかのごとく指さした。


「え、オレ? れっ……れれっ……れげぇぇ!」


 罪鬼とはいえまだ若い高田の顔が見る間に小皺を増し、あっというまに青年から中年、さらに高齢者のそれへと「劣化」していく。


「た、高田ぁーっ!」

「たす、たふ、たふけてぇ……くさか……ひゃぁん」


 もはや目鼻の区別も定かでないほどしわくちゃになった高田の顔はそのままミイラ化し、やがて罪鬼・クサカの胴体から完全に消滅した。

 その間、わずか十秒足らず。


「まずは一体、再殺完了……」

「ばっ馬鹿な……高田たちの本体には魔力障壁が……」

「ん? そういや薄っぺらな魔瘴気の膜があったみたいだけど……あれ障壁のつもりだったの?」


 帽子の下の口許がニタリと嗤い、牙のごとく鋭い犬歯を覗かせた。


「ぬう……」


 罪鬼の額から、司朗の顔が悪鬼の形相でオウマを睨み付けた。


「森川……」


 何事かを決意したかのように、低い声で手下に語りかける。


「は、はいっ?」

「貴様らはもう要らんっ! 俺の一部になれ!」

「へ? そ、そんなぁ……はぎゃぁああぁあっ!」


 めぎめぎめぎめぎ――。

 森川、関根、小森の顔が哀れな悲鳴と共に巨大罪鬼の内部に呑み込まれ、同時に罪鬼じたいもその形態を変え始める。


 最初の融合と同様、それは瞬く間の変貌だった。


 肉体はひと回り小さくなったが、それでも身の丈三メートルはある。

 先刻のような角や牙、それどころか目鼻や口すらないのっぺらぼうの巨人。

 その代わり、筋骨逞しい肉体の至る所が皮膚病患者のごとく無数のイボにびっしりと覆い尽くされていた。


「ふむ。手下たちを完全同化させ、魔瘴気の密度を上げたか……」


 オウマが腕組みしたまま、少し感心したようにつぶやく。

 異形の巨人が身を起こすと同時に、その全身を覆うイボが音を立てて次々と弾け、中から親指サイズの人間の顔が飛び出した。

 全て司朗だ。

 幾百とも知れぬ司朗の顔が、甲高い声で一斉にケタケタと笑い声を上げ始めた。


「そうそう。あんなこけおどしの悪魔モドキより、その姿の方がよほど君らしいよ……ま、少しは楽しませて――」

「……待って!」


 オウマが半分振り返ると、そこにはアリギエーレを携え、よろよろと歩み寄るカーネの姿があった。


「まだよ。まだ終わっちゃいない……オウマ、そいつはあたしにやらせて!」

「ケガの方は……いいのかい?」


 そう尋ねると共に、オウマは後方にいるラミアの指示を仰ぐように、ちらりと視線を送った。


「テレーズ。カーネの治癒状況は?」

「切断された手足の再生は完了してます……でも、さっきの闘いでのダメージがまだ完全には……」

「なら、充分ね。ダメージの方は、魔剣の力で自己回復できるはずよ」


 ラミアがうなずくと、オウマも了解したようにすっと身を退いた。


「ありがとう、オウマ……それに、ユウタを助けてくれたことも」

「ひとつ訊きたいな。あいつとの決着にこだわるのは……さっき散々痛めつけられた仕返し? それとも、人質がいなくなったから?」

「そんなんじゃ、ないわ……」


 辛そうに足を引きずりながら、それでも少女は魔剣を構え直し、手負いの獣のように凄烈な笑みを浮かべた。


「なぜか分からないけど……このが、私にいってるのよ。『あいつを殺せ』って……」

「なるほど……君はなかなかいいヴェルトロになれそうだ。この闘いで生き残れたらね」


 カーネの肩を軽く叩き、黒衣の魔導師はラミアたちの元へ戻っていった。

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