第4章 災厄の夜-2
司朗の言葉に嘘はなかった。
翌日の月曜から、熊井を始め今まで裕太をいじめていたグループの中心メンバーが、ぱったり登校して来なくなったからだ。
日曜の深夜、繁華街を遊び歩いている最中、突如として数名のチンピラ風の男たちに襲われ、それこそ半死半生になるまで袋だたきにされたのだという。
特にいちばんひどくやられた熊井吾郎は全治半年の重傷。
片眼を失明し、鉄パイプで両膝の関節を粉々に砕かれたため、退院後も車椅子での生活を余儀なくされるだろうという噂だった。
確かに憎んでも余りあるいじめグループではあったが、裕太は彼らの不幸を喜ぶ気にはなれなかった。
それが司朗の差し金によるもの、そして自分に対する「好意」などではなく、むしろ形を変えた「恫喝」であることは明白だったからだ。
「笠倉さんのうちとは、昔から家族ぐるみのおつきあいだったんでしょ? 麻美さんとも、ずいぶん親しかったんじゃないの?」
「確かにそうですけど……それは小さい頃の話です。特に中学に上がってからは、ほとんど口を利くこともなかったですし……『幼なじみ』ってことで変に誤解されて、周りから冷やかされるのも嫌でしたから」
「そうはいったって、お隣同士じゃない。たとえば放課後なんか、たまたま帰りが一緒になったりして……何か話をするとか、それくらいあったんじゃないですか?」
「そういえば……夏休みの少し前、一度だけ帰り道が一緒になって……少し話をしたことがあります」
「そのときね、麻美さん、何か悩みを抱えているとか、そんな様子はなかったかなぁ?」
「そうですね……いわれてみれば、悩みというかグチをこぼしてました。その、お父さんのことで……」
「それは、いったいどういう?」
人の好さそうな初老の刑事が、ここぞとばかりにぐっと身を乗り出してくる。
「心配しなくていいよ。確かに彼女のお父さんも警察の人だけど、今回の捜査には直接加わってないし、君の話した内容は必ず秘密にしておくから」
「『もうガマンできない』……そう言ってました。なまじお父さんが警察の偉いひとだから、自分はいつも優等生でいなくちゃならないし、友だちからも敬遠されて窮屈な思いばかりしてるって……どこか遠くに行って、自由になりたいとも」
「なるほどねぇ……」
刑事は手帳に何事かさらさらと書き付けていたが、やがて顔を上げて裕太に礼を述べた。
「いや、ご協力感謝します……しかしすみませんねえ、こんな時期にわざわざ来て頂いて。受験勉強、そろそろ本番でしょ? 頑張って下さいね」
裕太に対するいじめは嘘のように収まっていた。
『熊井たちの件、あいつが関わってるらしい……聞いた話じゃ、親戚にヤクザの幹部がいるらしいぜ』
『マジかよぉ? それじゃ、オレたちだってちょーヤベエじゃん』
『何にせよ……触らぬ神に祟りなし、だな』
そんな噂が、校内のあちこちでひっそりと広まっていた。
確かにいじめる者はいなくなったが、その代わりそれまで密かに同情してくれていた数少ない友人たちまで離れていった。
残り一年余りの中学生活の間、裕太はいじめという地獄からは解放された。
ただそれは、孤独という名の新たな牢獄に移されたというだけのことだったが。
◇
玄関先で裕太と別れたあと、カーネはただちにヴェルトロのアジト、すなわち旧笠倉邸へと走り込んだ。
帰り道、ただの人形にカモフラージュするため胸に抱いていたテレーズも、門をくぐるなり再び自力で浮上して彼女を先導する。
テレーズの案内で一階のリビングに入ると、二人がけのソファにラミアが足を組んで腰掛け、近くの壁際には影のようにオウマが控えていた。
家の中だというのに、相変わらず異教の牧師のような黒い外套に、山高帽を顔が隠れるほど目深に被っている。
(そういやあたし、オウマの素顔って一度も見たことないなぁ……って、今はそれどころじゃないか)
「イザハドがやられたって!? ケガの具合は? 相手はどんな奴?」
「容態については、もう心配する必要はないわ……彼は、もうこの世にいないから」
「いない……って……」
ラミアの言葉に当惑したカーネの目に、テーブルの上に置かれた黒い物体が飛び込んだ。
何か鋭利な刃物ですっぱりと切断されたバルカン砲の銃身。
イザハドが愛用していた魔銃の一部だ。
「わたしの責任です……」
空いたソファの上にふわりと降り立ったテレーズが、申し訳なさそうにうつむいた。
「隣町の廃工場に強い魔瘴気の気配を感じて……彼に様子を見に行ってもらったのです。でも、まさかこんなことになるなんて……」
「あとから僕も駆けつけたんだけどね……手遅れだった。肉体は修復不能にまで破壊され、残念ながら魂も喰われたのか回収できなかったよ」
「そんな……」
カーネは言葉を失った。
「魂が喰われた」ということは、もはや再生も転生もできず、この宇宙から完全に存在を抹殺されたことを意味する。
イザハドとは確かに反りが合わず口喧嘩ばかりしていたが、彼のヴェルトロとしての実力は認めていたし、同じ戦士系として常にライバル意識を燃やしていた相手だった。
「現場の残留意識から何とか情報を探ろうとしたけど、結局読み取れたのは死に際の混乱と恐怖、それに苦痛だけ……敵はかなりの魔力を使いこなすうえ、恐ろしいほどのサディストだね。ヴェルトロの命ともいうべき魔銃を破壊して抵抗力を奪ったうえで、肉体を切り刻み、嬲り殺しにしたようだ」
オウマの報告が淡々としたものだけに、その内容にカーネは却って吐き気を覚えた。
「今回逃亡した罪鬼たちの中にそれだけの大物がいるとすれば……やはり主犯の日下司朗である可能性が高いわね。オウマ、あなたの意見は?」
「おそらくは。クサカの生前のデータによれば、彼には典型的な快楽殺人者の傾向があったようですから」
「確かにね。日下とその一味は『例の事件』に味を占めたのか、車を手に入れてから密かに深夜の街を巡って若い女性を『狩って』いた。日下自身がその美貌と理知的な会話で女性をドライブに誘い、山中に連れ込んで仲間たちと暴行、殺害……遺体はそのまま山の中に埋めるから証拠も残らない」
「その挙げ句、車ごと崖から落ちて事故死だから世話がないですねえ。地獄での刑期は五百年でしたっけ?」
「冥府の裁判官も甘いわ。5千年でも短かすぎるくらいよ……それにしてもイザハドは功を焦ったわね」
ラミアがため息をついた。
「彼に与えた任務は、あくまで下級罪鬼の掃討……もしクサカを発見したら、直接交戦は避けて私かオウマに報告するよう命じてあったのに」
外見上の年齢・性別はヴェルトロとしての実力とは関係ないが、サングラスを外した彼女の怜悧な美貌は、同性であるカーネから見てもゾクっとするほどだ。
しかし女隊長の切れ長の目と金色の瞳は、いまは憂鬱そうに陰っている。
部下を喪った哀しみなのか、それとも最優先ターゲットである罪鬼・クサカを取り逃したことを悔やんでいるのか、それはカーネにも分からなかったが。
「ときには猟犬が獲物に返り討ちにされることもある……イザハドほどの戦士でさえ、相手を見くびればこういうことになるのよ。よく覚えておきなさい、カーネ」
「……!」
カーネは内心どぎまぎしつつ、裕太から借りてきたアルバムを抱き締めた。
それほどの強敵とはつゆ知らず、自分は今日、司朗の生前のマンションをのこのこ訪ねていたのだ。しかもラミアたちに内緒で。
「あら。その本はなに?」
「え? あ! こ、これは……」
仲間たちの視線が自分に注がれる気配を感じ、ますます気まずさを覚える。
「その……隊長から監視を命じられた人間、磯狩裕太が所持していた卒業アルバムです。彼は日下司朗が生前通っていた同じ中学の卒業生で……だからこのアルバムに、偶然撮影されたヤツの姿も写ってました! あの、もちろん今夜ご報告するつもりだったんですけど……」
「見せて」
すっと差し出されたラミアの手にアルバムを渡すと、彼女は司朗の写ったページをちらりと眺め、すぐカーネに返してきた。
「ありがとう。その本は明日、持ち主に返しなさい」
(それだけ……?)
肩すかしをくったような気分だった。
そういえばさっきのオウマの報告を聞く限り、ラミアたちは司朗に関して冥界からかなり詳細なデータを与えられているらしい。
あるいは、重要な情報を伝えられていないのは自分だけなのか。
「しかしイザハドも相手が悪かったね。生前に軍の特殊部隊で鍛えた彼の戦闘術も、クサカには通用しなかったわけか」
「何ですって?」
オウマの言葉を聞きとがめたカーネは、思わず大声を上げていた。
「ちょっと待って!『生前』って……イザハドは元々人間だったの? あたしたちヴェルトロは、冥界で命を与えられた存在じゃ――」
「いや、それはケースバイケースだよ? たとえば僕なんかは……」
「オウマ!」
女隊長の鋭い声に、黒ずくめの少年は軽く肩をすくめて口をつぐんだ。
カーネはアルバムの最後のページを開き、麻美の写った写真をラミアに突きつけた。
「これ見てください! ユウタやクサカが通っていた同じ学校に、あたしと瓜二つの女の子がいたんです! これって偶然なんですか? あたしは、いったい何のために今回の『狩り』に招集されたんですか?」
「ヴェルトロの一員として、地獄から逃亡した罪鬼たちを狩るため……そうではなくて?」
「……」
「それともう一つ。カーネ、あなたの魂は紛れもなく冥王陛下に生み出された存在よ。私は嘘なんかついてないわ」
「じゃあ、この身体は? もし、これがアサミの身体だったとして……彼女の魂はどこに行ったんですか? ひょっとして、あたし自身がアサミの生まれ変わりで、生前の記憶を封印されてるんじゃないですか!?」
「それについては今回の『狩り』を無事に完了したら教えるわ。というより、あなた自らが嫌でも知ることになるでしょうけど」
「なら、いまここで教えてください! でなきゃ、あたし……」
「どうするっていうの?」
「え……?」
「ヴェルトロとしての自分が信じられなくなった。もう闘うつもりはない、というのなら……この場にあなたは不要よ。速やかに冥界へお帰りなさい。別にペナルティはないわ……向こうで一般の亡者として暮らせるよう、私が取りはからっておくから」
ラミアがコートのポケットから取り出したサングラスをかけ直す。
あたかも「これ以上、任務外の会話に時間を割くつもりはない」という意思表示のように。
「いいこと? 現世だろうが冥界だろうが『完全な自由』なんてものは存在しないの。ただし考え方しだいで、生きるための選択肢はいくらでも見いだせる……どの道を選ぶかは、あなた自身が決めることよ」
「でも……あたし、こんな気持ちのままじゃ……」
「皆さん、ちょっと待ってください! いま、罪鬼の気配を感じました――この近くです!」
その場にいた全員の視線が、テレーズに集まった。
人形の姿をしたヴェルトロは、人間の目から見ればビー玉サイズの水晶球を両の掌で抱え、詳しい情報を読み取るように念を凝らしている。
「まさか、またクサカ?」
「いえ、あそこまで強力な魔瘴気ではありませんが……今までにない大群です。カーネ、そこのテレビをつけて!」
いわれるまま、テーブルの上にあったリモコンでテレビのスイッチを入れると、そこに映し出されたのは、どこかの局が臨時で流しているらしい報道番組だった。
『――で発生した正体不明の集団による暴動と火災はますます激しさを増し、地元警察は周辺道路の封鎖と逃げ遅れた一般客の救出を急ぐと共に……』
「な……何よ、これ……?」
望遠レンズによる現場中継と思しき荒い画面の中で、激しく炎上する建物と、その中で逃げまどう多数の人々が、影絵のごとく動いている。
まるでどこか遠くの国で起きた暴動のニュース映像のようだが、それはまさしくこの同じ町の中、駅から少し離れた場所にある大型ショッピングモールでたったいま進行している事態に他ならない。
そしてカーネの目は、燃え上がる炎の中に、踊るように飛び跳ねる人ならぬ異形の存在を捕らえていた。それも十や二十という数ではない。
「ありえない……隠れていた罪鬼どもが、あのショッピングモールに一度に押しかけきたっていうの……?」
「やれやれ……ずいぶんと派手に仕掛けてくれたものね。オウマ、あの中にクサカはいると思う?」
「いいや、単なる陽動でしょう……奴の目的は知りませんが、今頃どこかに潜伏して、僕らの出方を見守ってることでしょうね」
「いずれにせよ……ほっとくわけにもいかないわね」
ラミアが立ち上がり、同時にテレーズもソファから舞い上がる。
「あたしに行かせてください! あの程度の罪鬼どもなら、あたし一人で充分……」
「あなたはここに残りなさい、カーネ。いくら相手がザコの群でも、あれだけ衆人環視の中での戦闘となると厄介だわ。罪鬼の再殺と並行して、目撃者の記憶消去、おまけに対メディアの情報操作までこなさなきゃならない……私とオウマ、それにテレーズで行くわ」
「で、でも……」
「それと、引き続き磯狩裕太の監視を続けるように。いえ、もう『警護』といった方がいいわね。あの少年と生前のクサカとの間に何らかの因縁があるとすれば……クサカ自らが彼に接触を図る可能性もあり得るわ」
ラミアの指先は、まっすぐカーネの持つ例の卒業アルバムをさしていた。
「カーネ、これを……」
宙を滑って近づいたテレーズが、カーネの手にあの小さな水晶球を握らせた。
「あなたの動向はこれでモニターしておきます。くれぐれも気をつけて……あなたも、裕太さんのことも」




