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第3章 鬼畜-3

 日下司朗から裕太の家に電話がかかってきたのは、うららかに晴れたある日曜の午後のことだった。


「裕太ーっ、電話よ! 学校のお友だちから」


 二階の自室でベッドに寝転がり、ぼんやり漫画雑誌を眺めていた裕太は、母親の声にビクっと全身を硬直させた。


(ま、まさかあいつら……こんな休みの日にまで?)


 ドアを開け、階段の下にいる母親に恐る恐る問いただした。


「友だちって……誰から?」

「えーと、何でも三年のクサカさんて方から……」

(くさか、くさか……えっ、まさかあの日下先輩?)


 もちろん、現生徒会長で校内きっての秀才である日下司朗の名は裕太も知っている。

 しかし全校集会などで遠くから見たことはあっても、それ以外はろくに面識もない自分などに、あの優等生の先輩がいったい何の用だろう?


 ともあれ、クラスのいじめグループからの呼び出しではないことに安堵しつつ、裕太は階下へ降りて受話器を取った。


「もしもし? お電話代わりました……」

『やあ、君が磯狩裕太君だね?』


 とても初対面とは思えぬフレンドリーな声が、出し抜けに飛び込んできた。


『僕は三年A組の日下司朗。ほら、生徒会長の……』

「は、はい。先輩のお名前は、よく存じてます……でも、いったい何のご用でしょう?」

『いやあ、せっかくの休日にいきなり電話して申し訳ない。実は、次期生徒会長の笠倉麻美さんから、君のことについてちょっと相談を受けてねえ――』


(そういや、三学期から次の生徒会長に決まってたんだっけ……麻美のやつ)


 司朗の話は簡潔にして明瞭だった。

 先週、新生徒会への引き継ぎのため笠倉麻美と何度か同席する機会があった。

 その際プライベートな相談として、クラスでいじめを受けている裕太の件を打ち明けられたのだという。


『彼女、君のことをずいぶん心配していてねえ……ただクラスも違うし、女子の自分が下手に口出しして状況を悪化させることを案じて、それで僕に相談してきたというわけさ』

「あの、ぼくは、別に……」

『いやいや、気遣いは無用だよ。実はかくいう僕も、小さい頃は病弱だったせいでよくいじめの的にされた経験があってねえ……笠倉さんから色々話を聞いて、やはりこれは君のクラスだけでなく、全校生徒でよく話し合って解決すべき問題だと思ったわけさ』

「はあ……」

『むろん君に迷惑をかけるようなことはしないから、その点はご心配なく。で、どうだろう? さっそくだけど、今日あたり暇だったら直接会って話がしたいんだけどな……本当は笠倉さんにも来てもらう予定だったんだけど、あいにく彼女、インフルエンザにかかってしばらく学校に来られないそうだから』

「はい……はい。分かりました……じゃあ三時に、駅前で……はい、失礼します」


 普段着のうえにダウンジャケットを羽織り、母親には「ちょっと出かけてくる」と告げて家を出た。


 空は抜けるように晴れ渡っていたが、風の冷たい日だった。

 駅前に出るためのバス亭へと向かう途中、ふと立ち止まり、隣家二階の閉ざされた窓を見上げる。


「麻美のやつ、病気だったのか……」


 そういえば、数日前から校内で姿を見かけなかった。というより、日々の過酷ないじめに耐えるのが精一杯で、そこまで気が回らなかったというのが正解だろう。


(あんなひどいこといったのに、麻美はまだ気にかけてくれてたんだ……ぼくのこと)


 ほんのひと月前、放課後の手洗い場で彼女に投げつけた暴言を思い返し、裕太は改めて自己嫌悪に駆られた。

 子供の頃から家族同様に育ち、心から自分の身を案じて救いの手を差し伸べてくれた麻美を拒絶しておいて、そのくせ今は生徒会長といえ赤の他人である日下司朗を図々しく頼ろうとしている。


「最低だな……ぼくって」


 思わず独りごち、慌てて麻美の部屋から目をそらして歩き出した。


 ひとつひっかかるのは、以前はあれだけ司朗を嫌っていた麻美が、その彼に自分の件を相談したということだ。

 もっともあれは一年の頃の話だし、同じ生徒会役員として直に接しているうちに、司朗に対する評価が好意的に変わったとしても何ら不思議ではない。


(二人とも優等生だし、学校じゃアイドル並みの人気者だし……考えてみれば、お似合いのカップルだよなぁ……実はもう、恋人同士になってたりして)


 そう思うと、自分だけ置き去りにされたようで、少し寂しい気がしないでもない。


(でも……それでいいじゃないか。麻美とは、これまで通り幼なじみの友だちとして、気楽につきあっていけばいいんだから)


 日下先輩との話し合いが終わったら、駅前の店で彼女が好きなアイスでも買って、帰りにお見舞いに寄ろうと決意した。

 病状しだいで本人に直接会えるかどうかは分からないが、もし一目でも会うことができたなら――。


 謝ろう。心から。


 そう考えたら、ほんの少しだけ気持ちが楽になった。

 どこへ向かうのか、蒼穹を突っ切って白い飛行機雲が過ぎっていく。

 その先に待ち受けている運命も知らぬまま、少年は黄色いバス停の標識を目指し、少し足を速めて歩き続けた。



(そうだ。あの日も、こんな風によく晴れてたっけ……)


 爽やかに晴れ渡った空を見上げ、裕太はぼんやりと思った。

 ただし季節が違う。

 桜の花もすっかり散ったこの時期、Tシャツの上に薄手のパーカーを羽織っただけで充分なくらい陽気は暖かい。


「ちょっとー、なにボヤッとしてんのよユウタ?」


 空を見上げたまま立ち止まった少年の背を、背後からついてきたカーネが小突いた。


「で? クサカの住んでた家には、いつになったら着くの?」

「ああ……ごめん。もう、すぐそこだよ」


 ここは裕太の自宅からバスで三〇分ほどの駅前商店街。

 数年前、少し離れた場所に広大な駐車場を備えた複合型ショッピングモールが開店してから客を取られてやや寂れたといえ、未だに数多くの商店やオフィスビル、マンションなどが密集して建ち並ぶ市の中心部であることに変わりはない。


 その中の一つ、駅から徒歩五分ほどの場所に建つ十階建てのビルを、裕太は片手を上げて指さした。

 ファミリータイプとしてはそこそこ高級な部類に入る瀟洒なマンションである。


「ほら、あそこだよ。生前の日下さんは、あのマンションの最上階に住んでたんだ」

「中には入れないの?」

「それは無理だよ。建物の入り口は防犯用のオートロックになってるし……それに本人が亡くなってから遺族のお母さんは他の街に越したっていう話だから、今は新しい人が入居してるんじゃないかな?」

「う~ん……」


 カーネは手にしたアルバムの司朗の顔をもう一度見やり、次いで目をつむり意識を集中するようにうつむいた。


「……はぁ、ダメだわ。罪鬼はおろか亡者の気配も感じやしない。冥界から逃げた亡者のお約束パターンで、生前の住居に舞い戻ってるんじゃないかと期待したんだけど」

「そういや、昼間は大丈夫かな? あの怪物が、街中で襲ってくるなんてことは……」

「太陽が出ている間、奴らのパワーは大幅にダウンするのよ。それにあたしらヴェルトロが追ってきてることにもそろそろ感づいてるだろうし……今頃はどこか人目につかない場所にこそこそ隠れて、じっと息を潜めているに違いないわね」

「生前は頭の切れる人だったからなぁ……たとえ罪鬼になっても、そうそう尻尾はつかませないと思うよ。日下さんは」

「ちょっとー、何よその言いぐさ? あんた、いったいどっちの味方なの?」

「そ、それはまあ……」


 いってみれば日下司朗は自分と麻美の人生を狂わせた張本人だ。

 当然、憎くないといえば嘘になる。


 だが誰より許せないのは――他ならぬ自分自身。


「ま、世の中そんなに甘くないわよね……ともかく、ターゲットの生前の写真を手に入れただけでも収穫よ。これで奴の捜索もやりやすくなるってもんだわ」


 アルバムをパタンと閉じ、気を取り直すようにつぶやくカーネ。

 そんな少女の横顔を隣で見下ろしていた裕太は、ふと気になって尋ねてみた。


「ところでこの商店街、昔、麻美が学校帰りなんかによく寄ってた場所なんだけど……どう? 何か懐かしい感じがするとか……」

「知らないっ。な~んにも感じないってば!」


 なぜか不機嫌そうにいうと、カーネは顔を上げ、キッと睨み付けてきた。


「だいたい何よ? さっきから聞いてりゃーアサミ、アサミって……その子、いったいあんたの何だったの? もしかして恋人?」

「そ、そんなんじゃ……ないよ」

「なら、いー加減その話はよしてよね。部屋でもいったとおり、あたしは冥界の戦士『ヴェルトロ』のカーネ。いつまでも知らない他人と一緒にされちゃ、迷惑だわ!」

「ご、ごめん……」


 彼女が腹を立てるのも、もっともだと思った。

 仮に裕太の想像どおりカーネが麻美の生まれ変わりだとしても、前世の記憶が一切消えている以上、事実上赤の他人といっていいだろう。


「君には迷惑かもしれないけど……もし麻美にもう一度会えたなら、どうしても謝らなくちゃならないことがあるんだ。ぼくには……たぶん絶対に許して貰えないだろうけど」

「? それって、いったい――」


「おい、君たち!」


 カーネの質問は、背後からかけられた無粋な声に遮られた。


 振り返ると、二人組の制服警官が厳めしい顔でこちらを睨んでいる。

 無差別殺人が続いているとあって、警察によるパトロールも日頃に比べて格段に厳しさを増しているのだろう。


「君ら中学生だろう? こんな時間に、学校はどうしたの?」

「ちょっと、交番まで一緒に来てくれる?」


 裕太は狼狽した。

 制服姿のカーネはもちろんだが、童顔の自分まで同じ中学生だと思われているらしい。まあ十六歳で高校にも行かず無職というのも、それはそれで情けないが。


「あ~らごめんなさい、お巡りさん」


 いきなり脳天気な声と共に、カーネが裕太の腕に抱きついてきた。


「あたしたち、いまデート中なんですぅ。何か悪いコトでもしましたぁ?」

「……あれ?」


 二人の警官は驚いたように掌で目を擦り、狐につままれたような表情で互いに顔を見合わせた。


「おかしいな? 確かもっと子どもに見えたのに……」

「し、失礼しました! ご存じかとは思いますが、近頃この地域で物騒な事件が相次いでおりますもので……お二人とも、ぜひお気を付けて」


 ひとしきり謝罪の言葉を述べたあと、警官たちは首をかしげながらその場を離れていった。


「いま、何かやったの? あのお巡りさんたちに」

「あの二人には何もしてないわ。ちょっとばかり光の屈折率を変えて、あたしたち二人をもう少し年上のカップルみたいに見せかけただけ。ま、ヴェルトロの魔力としちゃごく初歩的な幻影術よ」


 そこでパッと裕太の腕を放し、


「……って、今のは単なるカモフラージュだからね? 変な気起こさないでよ!」

「起こさないってば……」

「さてと……夜までは、もうこれといってやることもないし――そうだ! よければ、町の中を色々案内してよ。考えてみれば、現世に来てから昼間の町って一度も見学してなかったし」


 ちょっと悪戯っぽい笑みを浮かべると、


「何なら、ホントにデートしてあげてもいいのよ~? ユ・ウ・タ・く~ん」

「ば、馬鹿っ……からかうなよ」


 とはいえ、このあと暇なのは裕太も同じだ。罪鬼の徘徊が続く限り深夜のコンビニ通いもできないので、昼間に身体を動かしておかないと夜眠れなくなる。


「OK? なら、こんな所に長居は無用ね。もっと賑やかな場所に行きましょ!」


 再び裕太の手を取り、上機嫌で走り出すカーネ。

 先刻の険悪なムードを修復するための、彼女なりのフォローだろうか?


「! あれ、いったい何のお店?」


 ほどなくして立ち止まり、平日の割に女性客でにぎわう一件の店舗を指さした。

 そこは専ら若い女性に人気の高い、大手アイスクリームのチェーン店だった。


「あれは……アイスクリーム屋だよ。三〇種類以上のフレーバーがあって、自分の好みでトッピングできるんだ。冥界には、ああいう店はないのかい?」

「ん……あるかも知れないけど、行ったことないなぁ。冥界の一般住民は現世で生きてた頃と同じように食事するけど、あたしらヴェルトロは、基本的には魔力の補充だけで生きていけるから……」

「なら、試しに食べてみる?」


 母親から食事代として小遣いを貰っているので、多少の持ち合わせはある。


「わーい、ユウタ太っ腹ぁ♪ じゃあーあたし、先行ってるからね!」

(やれやれ、まるで子どもだなぁ……といっても、人間でいえばまだ一歳だから無理もないか)


 嬉々として店の中に飛び込む少女の背中を見守りつつ、尻ポケットから財布を取り出す裕太。

 そのとき、ハッと気づいて再び店の看板を凝視した。


(あそこは……!)


 そのアイス屋は、失踪前の麻美がいちばんのお気に入りにしていた店だった。



「へー、ここが『神社』ね? 話は教官から聞いたことがあるわ」


 軽やかにステップを踏み石段を上りながら、カーネがいった。


「ユウタはよくここへ来るの?」

「最近はそうでもないけど……昔はよく遊びにきたよ。あさ……いや、近所の友だちと」

「なかなか静かでいい場所じゃない。駅前の商店街ってとこも面白かったけど、こっちの方が何となく落ち着くっていうか、あたし好みだなぁ」

「そりゃないだろ? さんざん人に奢らせといて……」


『うわー。いっぱいありすぎて、どれ選んだらいいか分かんないよ~!』


 と贅沢に悩むカーネに三段重ねのスペシャルサンドを振る舞ってやったあと、二人はゲームセンターやファーストフード店などを巡って日中の時間をつぶした。

 中学の制服姿、おまけに何か新しいものを見つけるたびカーネが子どものように大はしゃぎするため、裕太にしてみればまた警官の目に留まらないかと冷や汗ものだったが、幸い大したトラブルも起きず、結局四時を回ってからバスで駅前をあとにした。

 まだ日没までには多少の余裕があったため、ついでに自宅近くにあるこの神社まで足を伸ばすことにしたのだ。


 裕太にとっては子ども時代に麻美と二人でよく遊んだ思い出の場所であるが、昼間のことを思うと、カーネの前でそれを口にするのはさすがに憚られた。

 五分ほどかけて石段を登り切り、鳥居をくぐるとそこにはさして広くない境内と本殿、それに周りを囲む鎮守の森があるだけだ。

 それでも寺や教会と同じく現世とあの世が交錯するある種の「聖域」には違いなく、冥界の住人であるカーネにとってもよりなじみやすい場所なのであろう。


「あれ、誰もいないの?」

「社務所もない小さな神社だからね。宮司さんは近くにある自分の家に住んでるよ。年末年始、それに夏と秋のお祭りを別にすれば、あとはせいぜい月に一度くらい来て掃除や神具の手入れをするくらいじゃないかな?」

「ふうん……」


 人がいないと聞いて安心したのか、賽銭箱の上の鈴を面白がってガラガラ鳴らしたり、本殿の奥にあるご神体を無遠慮に覗きこんでいたカーネが、ふと境内の一角に目を留めて裕太に尋ねてきた。


「あれ、なーに?」

「ああ……これは絵馬だよ」


 塀の表にびっしりと吊り下がった五角形の木札を手に取り、裕太は説明した。


「参拝したとき、この裏に自分の名前と願い事を書いて奉納するのさ。一年経ったら『お炊きあげ』っていって全部燃やしちゃうけど」

「え~? もったいない……で、ホントにそれで願いが叶うの?」

「どうかな? まあ、気持ちの問題だからね……ぼくの高校受験のとき、母さんがわざわざ合格祈願の絵馬を納めてくれたらしいけど、結局全部落ちちゃったし……」

「お母さんが? 裕太が自分でお参りしたんじゃないの?」

「ぼ、ぼくは、受験勉強で忙しかったし……横着したから神様に嫌われたかな? ははは」


 いえやしない。当時の自分は情緒不安定で、参拝どころか勉強じたい全く手の着かない状態だったなどとは。


 授業中も、夜ベッドに入っても、瞼の裏にはあの日見てしまった「あれ」がちらつき、現実と悪夢の狭間をさまよっているような日々だった。

 両親からはカウンセリングを受けるよう勧められたが、たとえ相手が医師やカウンセラーであっても「あれ」の話などできるはずがない。

 あくまで「受験のプレッシャー」そして「幼なじみの麻美が失踪したショック」で押し通し、心療内科で抗不安剤や抗鬱剤を処方してもらい――ようやくまともに眠れるようになったのはここ半年のことだ。


「ふうん? ……ま、何にせよこんな木の板一枚で願いが叶うなら、誰も苦労なんかしないわよね~」


 などとバチ当たりなことをいいつつ絵馬を眺めていたカーネが、急に「あれ?」と声を上げた。


「どっかで見覚えがあると思ったら……これと同じのがあの家にもあったわよ? その、昔アサミがいたっていう二階の部屋に」

「麻美の部屋に……? そんなはずないよ。絵馬は神社に納めるもので、部屋に飾るようなものじゃない」


 とはいえ、一種の伝統芸術ともいうべき絵馬はデザインもカラフルで凝ったものが多く、旅先の土産やインテリア感覚でコレクションしている人も多いと聞く。


(そんな趣味があったのかな? 麻美にも)

「それって、何か願い事でも書いてあった?」

「さあ? 別に飾ってあったわけじゃなくて……部屋にある机の引き出しに入ってたわ。何だか分からないから、そのままにしてあるけど」


 裕太にもわけが分からない。

 奉納もせず飾るわけでもないなら、神社の絵馬などいったい麻美は何に使うつもりだったのか?


「気になるようなら、後で見せてあげようか?」

「そうだな……いや、せっかくだけど遠慮しとくよ。罪鬼の件が片付くまで、麻美のことはしばらく忘れることにする。彼女と君はあくまで『別人』。そうだろ?」

「……」


 ふいにカーネが後ろ手を組み、気まずそうに俯いた。


「ごめん……あたし、嘘ついてた」

「?」

「さっき駅前にいたとき『何も感じない』っていったでしょ? ホントは、ちょっと妙な感じがしたんだ。といっても、あたしじゃなくて……」


 カーネはブラウスの第一ボタンを外し、襟元から何かを引き出した。

 今まで気づかなかったが、彼女は服の下にペンダントをかけていたのだ。

 銀色の細いチェーンの先にぶら下がった、民芸品のナイフを象ったような奇妙な形のアクセサリー。

 促されるまま、鼻先を近づけ目をこらし――裕太は驚きのあまり声を上げていた。

 大きさこそ三センチくらいと小さいが、それはまさしくゆうべカーネが罪鬼たちを「再殺」するのに使っていた、あの長大な剣と殆ど同じデザインだったからだ。


「これって、まさか……?」

「気がついた? ゆうべあんたも見たでしょ。あたしが罪鬼と闘うのに使った武器……正式には魔剣『アリギエーレ』。普段は、邪魔にならないようこうして縮めてるんだ」

「まるで……孫悟空の如意棒みたいだな」

「ソンゴクウって誰?」

「あ、いやこっちのこと……」


 異世界から来た、しかも誕生後まだ一年という彼女が「西遊記」のことなど知らなくても当然だろう。


「……それはともかく、あたしら戦士系のヴェルトロにとって魔剣や魔銃は単なる武器じゃないわ。ある意味で己の分身であり、魔力の源でもある大切なアイテムなんだけど……このアリギエーレの様子が、今朝からずっとおかしかったの」

「おかしいって?」

「ユウタからアサミの話が出たり、アサミに関係する場所に行くたび、急に熱くなったり、小さく震えたり……あたし自身に何の心当たりもないからつい黙ってたけど、ひょっとして彼女の件と何か関係があるのかも……」

「……」


 何と答えてよいか分からず、ただ唖然とする裕太。

 一方、ついさっきまで遠足の小学生のようにはしゃいでいたカーネが、いまにも泣き出しそうな顔つきになって己の足下を見つめている。


「ヴェルトロは冥王様じきじきに命を与えられた存在。生者でも亡者でもない、生死を超越した誇り高い冥界の戦士――ラミア教官からはそう教えられて、あたしもずっとそう信じてた。でも、もしそれが嘘だったとしたら……あたしは一体何者なの? アサミって子の生まれ変わり? それとも――」

「お、落ち着けよ……ごめん、ぼくも麻美の件にこだわりすぎてた。とにかく時間も遅いし、今日の所はいったん帰って……」


 そこまでいいかけ、裕太はうっと口ごもった。

 カーネの背後、ちょうど石段の下の方から、淡い光を放つ物体がフワフワと近づいてくる。


(ひ、人魂? ……いや、罪鬼?)

「危ない、カーネ! 後ろ!」

「――え?」


 驚いたように振り返るカーネ。

 光る物体は、近づくにつれその姿を明らかにしていく。

 それは身の丈六〇センチに満たぬ幼い少女を模した人形だった。


「わぁーっ!?」

「なーんだ……あ、心配ないわよ。彼女は『味方』だから」

「味方? え? それじゃあ、あの人形も?」

「捜しましたよ、カーネ」


 宙に浮かんだまま人形が人語を発したので、裕太は再び悲鳴を上げそうになった。


「紹介するわ、ユウタ。彼女はヴェルトロのテレーズ。あたしみたいな新米と違って、スゴ腕の魔導師なんだから!」

(ヴェルトロって……みんながみんな、人間の姿をしてるわけじゃないのか……)

「そんな、大袈裟ですわ……それにわたしは、ラミア隊長やオウマのように戦闘用の魔力が不得手ですから」


 穏やかな成人女性の声で謙遜すると、テレーズは改めて裕太の方へ向き直り、小さな頭を下げた。


「はじめまして、テレーズと申します……仲間のカーネがお世話になっております」

「あ、いえ……こちらこそ」

「ところで、いったいどうしたのテレーズ? 夜の定時ミーティングにはまだ時間があるし、わざわざあなたが迎えに来るなんて」

「ただちにアジトへ戻るようにと、ラミア隊長からのご指示です……それと、悪い報せがあります」


 むろん人形なので表情はないが、明らかにその声は深い悲しみに沈んでいた。


「イザハドが……罪鬼に倒されました」

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