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第十四話 無力な自分には戻りたくない

 広間から出てきたエレミアと入れ替わるように、再度ヤルンヴィト辺境伯に呼ばれたユリウスが入室していくのを見送り、エレミアは別の場所で待つよう案内された。他の来訪客と顔を合わせても都合が悪い、エレミアは仕方なく用意された待機用の客室へ移る。


 そこにはすでに温かいティーセットが用意され、落ち着いた暗色のベルベットで統一されたバルコニーに繋がる窓辺とソファに、壁には古い大陸地図が飾られていた。


 ひとまず、エレミアは濃厚な茶葉の香りに誘われ、お茶をいただくことにした。部屋付きの使用人は、辺境高地産茶葉の蘊蓄(うんちく)を語りながら手早くティーカップへ濃い目の飴色をした茶を淹れると、それに合うおすすめの燕麦クッキーを皿に取り分け、すみやかに姿を消した。


 ようやく、エレミアは一人きりになれた。白磁のティーカップを摘み、滋味溢れる茶を味わう。エレミアが目をやった壁の古い大陸地図は、ベルルーニ王国と四辺境と接する他国を描いている。時代によって名前は変わるが、北は蛮族、西は海賊、南は古王朝、東は荒野の部族——フィンダリア同盟は元来荒野の遊牧民たちで構成された国家だ——でおおむね合っている。


 ベルルーニ王国がここまで大きくなったのは、つい三十年ほど前のことだ。先代国王とその父王、つまり先々代国王がベルルーニ王国統一を果たし、先代国王は王妃プロティアを迎えて平和な時代を築いた。唯一の公爵に相当する王弟、四辺境伯、王都に住む宮中伯、それから各地の伯爵、子爵、男爵……前の時代の区分をなくし、新たな王国の階級制度を作ったことで、それまでモザイク状だった複雑極まりない配置の領土を争っていた諸侯も納得し、手を取り合って経済的発展を遂げた。


 言ってみれば、先代国王は英雄だった。しかし、その影に隠れていた王弟アルトリウスの野心は見抜けなかったのだ。『三王子の粛清』で王妃と息子たち三人を失った先代国王は、一気に年老いて覇気を失ってしまったという。王弟へと王冠を譲ったのち、先代国王はすっかり表に出なくなった。そのせいで、病気説も死亡説も飛び交っているが、真相は不明だ。


 何にせよ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。かつての王弟アルトリウスは、国王となってから王国統一と経済大発展よりも栄誉ある功績を残せるわけがなかった。あるのは諸侯の争いの調停や外敵に備えることくらい、お世辞にも目立った功績とは言い難い。先代国王の時代を知るヤルンヴィト辺境伯たちが、現国王へ不満を持つのもやむなし、なのである。


 もっとも、『兄嫁と甥三人を殺して玉座に就いた男』という風聞は最悪なので、どちらかと言えばその嫌悪感がより反抗心を抱かせたのかもしれない。


 まさか、その結果、エレミアが現国王へ不満を持つ人々と協力することになろうとは……。


 ——いや、ユリウスはどうなのだろうか。


 父ヴィクトリアスともども追放され、隣国での暮らしを余儀なくされた彼は、現国王のことをどう思っているのだろう。エレミアは考えてみたが、よくよく考えれば直接聞いた覚えもなく、さりとてあの賢い小さな騎士が復讐心に囚われるだろうか、とも思うのだ。


 ヤルンヴィト辺境伯たちの反乱計画に、ユリウスが織り込まれていることは確かだ。現国王を退位させたあと、誰が王位に就くかで後々揉めるより、先んじて正当な王位継承権者として担ぎ上げたほうがいいに決まっている。ユリウスを旗頭に、王位の奪還という大義名分を喧伝して、王都へ進軍する。それがすでに組まれている予定の大まかなところだろう。


(あのユリウスが、大人しく担ぎ上げられるとは思えないけれど……私を助けるためにヤルンヴィト辺境伯の協力が必要だったから、今まで話に乗っていただけ、ということもあり得るわ。ただ、隣国に逃げたところで、勝手に祭り上げられることもあるし、ユリウスは早い段階で態度を鮮明にしなければならない)


 それ以上のことは、ユリウスにでも聞かなければ分からないことだ。


 となれば一旦脇に置いて、もう一つの重大懸念事項を考えよう。


 それが——エレミアとユリウスの婚約について、だ。


 なるべく考えないようにしていたが、一度その問題に向き合ってみるとエレミアは頭が重い。


「はあ……」


 エレミアがカリシア子爵家の屋敷から逃げて、もう一週間近く経つ。本当にユリウスが隠蔽工作とマークたちの暗殺をイシディヤへ指示を出したのなら、現地は大騒ぎになっているはずだが、今のエレミアにそれを知る(すべ)はない。ユリウスに尋ねたところで気遣って本当のことを言うとは限らないし、もはや完全にエレミアの手を離れたこととなってしまっている。


 万一、エレミアがユリウスと婚約して『死んだはずの元カリシア子爵夫人が、王位継承者の婚約者に』などと巷でセンセーショナルに騒がれたとして——誰が問題視するだろう? テニアとその子にも注目は集まり、マークの不義不貞は暴かれるだろうが、それでエレミアへ同情が集まるとは限らないのだ。


 今までなら、絶対にありえなかった。


 王妃プロティアと似ていることがマイナス要素となっていた今までと、これからが異なるのであれば——どうなる?


 完全に未知数だ。ユリウスを大いに批判する者もいるかもしれないし、逆に歓心を買うためにエレミアへの同情を集めようとする者もいるかもしれない。そのあたりは、おそらくヤルンヴィト辺境伯たちは対策を打つだろうが、何とも言えなかった。


 なぜなら、『結婚』ではなく『婚約』だからだ。


 その完全に政略によって行われる『婚約』は、必ずしも『結婚』を確実にするものではない。今後の趨勢(すうせい)次第では、エレミアが使えないのなら切り捨てられ、その婚約は破棄されるだろう。


 所詮、エレミアはその程度の駒であり、誰も本気で王位を狙うユリウスと結婚させようとはしていないはずだ。あの場では承諾する以外に道はなく頷きはしたものの、これから一体どうすればいいのか。


(だ、第一、ユリウスが私みたいな……と、年増と婚約したいなんて思うはずがないわ。結婚なんて論外よ、論外。私なんか、どうせ……ちゃんと結婚をしたマークにさえ愛されなかったのに、将来有望なユリウスが好きになってくれるわけがない。今だって気遣いに気遣われているのに、もっと負担になるだけだわ)


 そんな調子で、すっかりエレミアは自分自身に落胆してしまうだけだった。


 ため息は何度となく繰り返され、部屋の空気まで澱んでしまったかのようだ。いっそ外の空気を、とバルコニーに出てみれば、眩しいくらいの夕日が山嶺の向こうに沈んでいた。意気込んで部屋から出てきたのに、落日とは縁起が悪い。まるで己の身の行く末のようだ、と落ち込むだけだった。


 散々な有様のエレミアだったが、不意に背後から声がかけられた。


「綺麗ですね」

「えっ!?」


 振り返れば、ユリウスがいた。ヤルンヴィト辺境伯との話は終わり、エレミアのもとへ迎えにきてくれたようだ。


 エレミアの驚きを、ユリウスは自分の発言を聞き直してのことと思ったらしく、今度はもう少し詳しく言い直した。


「赤銅色の髪が夕日に映えて、本当に美しいです」

「……あ、ありがとう。そう褒められたのは、久しぶりだったから驚いてしまったわ」


 事実ではある。エレミアは幼いころ、父母や姉たち、それに従兄の王子たちからそう褒められたことがある。


 今となっては、遠い昔の話だ。なのに、今更頬が熱くなり、照れ隠しに俯いてしまった。慌てて室内に戻り、一旦ソファに座る。ユリウスはソファ横に立ったまま、それはそうと、とこう切り出した。


「辺境伯から何か申しつけられましたか?」

「それは……」

「いえ、聞き出そうとしているわけではありません。辺境伯は僕に知られたくないことをあなたへ話したのでしょうし、僕はあなたを縛りつけようだなんて思っていません」


 それはどうにも、不思議な言い回しだった。


 ユリウスは、エレミアとの婚約、というヤルンヴィト辺境伯の計画などどうでもいいかのようで、それでいてエレミアの自由を約束しようとしている。


 もしかすると、父ヴィクトリアスとの約束による『エレミアを守る』という本分を果たそうとしているのだろうか。それならむしろ、守るから自分の指示に従ってくれと言ってきそうなものだ。


 困惑するエレミアへ、ユリウスは言葉を選んでこう告げる。


「ご自分の信じる道をお選びください。僕たちは、お互いにそうしなければならない立場にありますから」


 そこまで言われて、初めてエレミアは気付いた。


 エレミアの立場と、ユリウスの立場。かつての王妃の縁戚と、元王子の嫡男。死んだはずの元子爵夫人と、隣国にいるはずのいわくつきの少年。


 お互いに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 無力な貴婦人だったエレミアは、もうその肩書きに戻りたくはない。一方で、ユリウスはどう足掻いても血筋や生まれの因縁から逃れられず、判断を誤るわけにはいかない。


 そんなお互いだから、どちらかがどちらかに縋る、などという無責任なことはしてはならない。


 ユリウスは驚くほど物が見えている。気遣いはその副産物で、彼はきっと、はるか遠くまで見通した上で行動しているのだろうとエレミアは確信した。


 ならば、とエレミアは一つ息を呑んで、ようやく考え抜いた言葉を伝える。


「あなたは、私のことを信じてくれる? きっと、あなたのために……そうしたいと願っているわ」


 少しは考えるかと思いきや、ユリウスは即座に肯定した。


「ええ、もちろん。レディの信頼に応えない騎士はいません。その代わり、あなたもできるかぎり僕のことを信じてください」

「分かったわ。約束よ」


 小さな騎士は、レディを籠の鳥として扱わない。一人前の貴婦人を子ども扱いなどしない。


 それは、責任ある大人に対する信頼であり、目指すべき理想の関係だ。好悪(こうお)愛憐(あいれん)といった感情ばかりでは、成り立たない。


 ふふ、とエレミアは笑った。ユリウスに信じてもらえたことが、嬉しかったのだ。ユリウスもまた、微笑む。


「それはそうと、まだ夕方です。今日は一泊しますし、少し街を歩きませんか? このあたりはそれなりに栄えていますから、きっとあなたが気に入るものや食べ物もありますよ」

「気遣ってくれてありがとう。なら、お言葉に甘えて。エスコートしていただけると助かるわ」

「承知しました、レディ。では、お手を」





 この日、エレミアはヤルンヴィト辺境伯と話した内容について、ユリウスへ話すことはなかった。ユリウスもまた、エレミアへ何も語っていない。


 それでも、二人はやるべきことを見つけ、互いの道を邪魔することはない。


 翌日、エレミアは、拠点に戻るユリウスを見送った。


 エレミアには、やるべきことがあるからだ。

次回、エレミア立志編始まるよ〜

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