45 旅に出る前に②
ライズは嬉しそうに両手をピョコピョコ動かしながら報告した。
『俺から話しかけることはできませんが、侍女長が捕まっていたことで、あちらこちらでジーク殿下の話題が上がっていたんですよ。情報収集には事欠きませんでした』
幽霊の声は、普通なら生きている人には聞こえない。なので、ライズは人々の会話を聞いて情報収集してきたそうだ。
『噂話なので、もちろんすべてが真実ではないでしょう。それでも、俺の疑問は解決しました』
『ライズさんの疑問って?』
『それは……』
ライズは、小さな手をビシッとロアンナに突きつける。
『ジーク殿下が、どうしてここまでロアンナ様を毛嫌いしているか!? です』
今さらながらの疑問に、ロアンナは目をパチパチと瞬かせた。
『それは、殿下が華やかなものがお好きで、地味な私が嫌だからでしょう? 年齢も私の方が上だし、この黒髪も嫌がられているわ』
英雄の色と称えられている珍しい黒髪をロアンナは気に入っているが、確かに悪目立ちする。
『それですよ! それがおかしいんです! ロアンナ様のどこが地味なんですか!?』
必死なライズに、ロアンナは困ったように微笑みかけた。
『あのね……。あなたの暮らしていた領地とは違って、王都にはたくさんの女性がいるのよ。殿下にだって好みくらいあるでしょう?』
『えっ!? 俺にだって、好みくらいありますけど!?』
『ライズさんと殿下では、見てきた女性の数が違うのよ』
『そ、そんな、可哀想な子を見るような目を向けないでくださいよ……。ってちがーう!』
ライズの手は、今までよりも高速で動いている。
『そもそもジーク殿下は当初、ロアンナ様との婚約を嫌がっていなかったらしいんです!』
『まさか……』
『多くの使用人が話していたので、これは間違いありません!』
ロアンナが王太子宮に入ったときには、ジークはすでにお飾りメイドを侍らせていた。そのせいで、ロアンナは婚約者としてジークに出会った瞬間から、好意のかけらも持てないでいる。
『お飾りメイドを侍らすことが、私への嫌がらせじゃないとでも?』
『ま、まぁ、婚約者がハーレムを築いていたら、百年の恋でも冷めそうですもんね……。でも、ロアンナ様もそれを見るまでは、ジーク殿下のこと、別に嫌いではなかったでしょう?』
『嫌いも何も、それまでは殿下とはかかわりがなかったわ。式典やパーティー会場でお見かけするぐらいだったもの』
『そうなんですよ!』と言いながらライズは跳ねた。
『ロアンナ様とジーク殿下って、婚約するまではほとんど接点がなかった二人なんです! でも、王都で暮らしていればお互い顔は知っている。だから、ジーク殿下は、元からロアンナ様が年上であることも、髪が黒いことも知っていたんですよ!』
ロアンナの口から、小さなため息が漏れていく。
『だから知っていても国王陛下の命令で断れなくて、私と嫌々婚約したからこんなことになっているのでしょう?』
『違いますって!』
お茶の入ったティーカップを、ロアンナは静かにソーサーに置いた。
『ライズさん。結論を簡潔に言うと?』
『ジーク殿下は、ロアンナ様の外見を知った上で、結婚してもいいなと思うくらいには気に入っていた。しかし、クラウチ侯爵家から断られたのでプライドがズタズタに傷つけられてしまい、それ以降、憎むようになった』
予想外の言葉に、ロアンナの瞳が大きく見開く。
『ちょっと待って……。断ったって、一番初めの婚約打診がきたときの話よね? あれは、私が五歳も年上だから殿下に相応しくないと辞退したのよ?』
『でも、殿下はそうは思わなかった、ということではないでしょうか?』
ライズが集めた噂話では、一度目の打診を断られたあと、ジークは大層荒れていたそうだ。
『王妃様も、英雄の血を引いているからそんな生意気なことをするのだと、それ以降、クラウチ侯爵家を敵視するようになったとも聞いています』
『そんな……。無茶苦茶だわ……』
これまでのジークの無礼な発言や態度の数々が、ロアンナの脳裏を過ぎった。
『あれは、わざと私のプライドを傷つけようとしていたのね……。自分が、先に傷つけられたから仕返しをしたかったんだわ』
改めてその視点で考えると、確かに腑に落ちるところが多々ある。
『国王陛下に婚約解消を願わなかったのも、そのためなのね。そんなことがきっかけだったなんて……』
胸の内に沸き上がった激しい怒りと悲しみがごちゃ混ぜになり、ロアンナの瞳に涙が滲んだ。
涙に気がついたのかライズが、オロオロとロアンナの周りを飛んでいる。控えていたエリーも「お姉様?」と呟きながら小首をかしげた。
「大丈夫よ」とエリーに微笑みかけてから、ロアンナは鼻から深く息を吸い、ゆっくり口から吐いた。
そのまま目をつぶり、しばらく呼吸にだけ集中していると、荒波のように暴れていた感情が少しずつ落ち着いてくる。この方法を教えてくれたのはロアンナの父だ。父は、祖父から教わったと言っていた。そして、祖父は「腹式呼吸」やら「禅の教え」がどうやらと言っていたらしい。
心が落ち着くと共に、ロアンナは少し笑ってしまった。
『どうりで婚約解消がうまくいかないわけだわ。私は敵のことをまったく分かっていなかったのね』
こちらを苦しめることを目的にしている人物と、穏やかな話し合いはもちろんのこと、いい関係を築くことなんてできるはずもない。
『今からでも誤解をとけば、ジーク殿下との和解も可能かもしれませんが……』
ロアンナは、震えるように首を左右に振った。
『せっかく情報収集してくれたライズさんには申し訳ないけど、その話を聞いて、より一層ジーク殿下への嫌悪感が増したわ。私がジーク殿下と結婚する未来は絶対にこない』
『分かりました。でしたら、俺にジーク殿下と交渉させてもらえないでしょうか?』
『それはライズさんが、私の体を使ってジーク殿下と話し合いをするということ?』
ライズは、全身を傾けてコクリと頷く。
『今は婚約を続けたほうがロアンナ様にとって都合がいいと分かっています。それでも、俺はロアンナ様がジーク殿下の婚約者のままでいることに納得できません』
『そうは言っても王家にここまで憎まれているのならなおさら、婚約解消なり破棄なりしたあと、クラウチ侯爵家が何をされるか分からないわ』
『お任せください。クラウチ侯爵家やロアンナ様に被害がいかないように、交渉してみせます。でも……』
『でも?』
『交渉している場面を、ロアンナ様は決して見ないと約束してください』




