【5-17.私はおまえが大切なんだ】
その後のことはだいぶごちゃごちゃとして大変だった。
クロウリーさんは厳格な顔をしながら、マクマヌス副会長を伴って部屋から出て行った。デュール氏や犯罪対策本部の上層部にマクマヌス副会長の当面の処遇を仰がねばならない。
ラセットの記者仲間たちは、スリッジ会長と記者会見の日程について二言三言やりあっている。それをジェニファーが宥めようと間を取り持っていた。
ポルスキーさんは、マクマヌス副会長が責任を取るということになり解決か期待されてほっとしたが、残る問題としてサンチェス氏がまだ野放しになっていることを不安に思っていた。
そして、叔父がサンチェス氏の結界運営上の横暴に何となく不快感を示していたことを思い出し、叔父が何かしでかすんじゃないかということも心配していた。
職員ではないポルスキーさんはこの場に残ってもやるべきことはないため、ひとまず退出して叔父の動向を窺いに邸へ戻ろうと思った。
しかし、そう思っていた矢先、ポルスキーさんは、ラセットが一人そっと部屋を抜け出そうとするのを目ざとく見つけた。
「ラセットどこに行くの?」
「いや? 別に……」
ラセットは、見つかったと一瞬バツの悪い顔をしたが、なんだか白々しい態度で誤魔化そうとした。
「あなたが、お父さんやジェニファーの関わるこの件を他の記者仲間に任せるなんて変。どこか行くの? 何の用事? あ……、まさかいなくなろうなんて思ってないでしょうね?」
ポルスキーさんはふと嫌な考えが頭に浮かび、射抜くような目でラセットを見つめた。
さっきラセットは父から残酷な事実を知らされたのだ。彼は冷静に父の責任を指摘したから、彼がどのように事実を受け止めたかは分からなかった。しかし、家族の問題は誰にとってもひどくデリケートで、ラセットだとて思い詰めて極端な選択に走ってしまうことだって考えられたのだった。
だから、ポルスキーさんは彼女なりにラセットを慰めようとした。
「あのさ、ラセット。あなたが魔法使いで、それをあなたのお母さんが気に病んで、そしてあなたのお父さんがそのお母さんを何とかしてやりたかったってことは――うん、なんかうまく言えないけど、でも、どれも別にラセットのせいじゃないんだからね!」
何となく不穏な空気を感じ取ったのか、ジェニファーがスリッジ会長の傍を離れて足早にこちらに足を向けた。
「わかってるさ!」
ラセットは投げやり気味にポルスキーさんに向かって答えた。
「ちょっと母んとこ行ってくるだけだって」
そう言いながら、ラセットは青白い顔で何となく落ち着かなさそうに手をぎゅっと握っている。
「ああ、お母さんのところ。そう。でも、ちゃんと帰ってくるのよ? 魔法使い辞める、なんて言わないでよ?」
ポルスキーさんが心配そうに念を押すと、ラセットはぼんやりと思っていた本心を言い当てられてぎくっとしたが、
「は、はは……まさか。なんでそんなこと」
と口先で否定してみせた。
すると傍までやってきたジェニファーがラセットの腕をがしっと捕まえた。
「ラセット、お母さんのところには私も一緒に行ってやる。おまえを一人にはさせない」
「ジェ、ジェニファー……?」
ラセットが少し頬を赤らめてジェニファーの腕を振り払おうとしたとき、ジェニファーが言った。
「私はおまえが大切なんだ。いなくなるなんてやめてくれ」
ラセットはまさかそんなに直球でジェニファーに言われるとは思っておらず、耳を疑った。
「え? 今、ジェニファー、何て?」
横で聞いていたポルスキーさんの方がラセットよりすっかり興奮してしまった。
「まあ、ラセット! これはジェニファーの愛の告白よ!?」
ラセットは驚きと喜びで中途半端な顔をしている。
「イブリン、そういうところ、母親似だな……」
ジェニファーは照れながら、ポルスキーさんの肩をべしっと叩いた。
ポルスキーさんの声がかすかに聞こえたのか、少し離れたところで記者に囲まれているスリッジ会長は記者の矢継ぎ早の質問そっちのけで、茶髪の縮れ毛を揺らしながら嫌そうな顔でこちらを見ていた。
ジェニファーがラセットを支えると言ってくれてほっとしたポルスキーさんだったが、今度はラセットが胡散臭そうに聞いてきた。
「おまえもどっか行こうとしてなかった?」
ポルスキーさんは少しドキッとした。私のことまで気を配る余裕あったのかと心の中で突っ込んだが、ジェニファーが途端に心配そうな顔でこっちを見たので、
「あ、ほら、さっきうちの叔父が『サンチェス氏が結界をいじった可能性がある』って聞くとふらっと部屋を出て行ったでしょう? なんだか叔父が何を考えているのか心配で」
と素直に言った。
フローヴェールの自供の場に居合わせなかったラセットは「なんてことになっているんだ」と新事実に愕然としたし、ジェニファーも「サンチェス」と聞いて未解決な問題が残っていたことに改めて気づいてハッとした。
「私たちも行こうか」
とジェニファーが身を乗り出したので、ポルスキーさんは慌てて断った。
「だいじょうぶよ、ジェニファー。あなたはラセットと一緒にスリッジ会長のサポートに回って。マクマヌス副会長が責任をとるなら、これからいろいろ魔法協会運営が大変になるでしょ。フローヴェールやマクマヌス副会長の身柄の件はデュール氏や犯罪対策本部の方々がやってくれるし。サンチェス氏のことは私が叔父さんの様子を見てくるわ」
するとラセットが口を挟んだ。
「サンチェス氏のことは俺もけっこう調べたんだ。でも、ほんっといろいろ隠すのが上手らしくて、あんまり分からなかった。俺もさ、意気揚々と『調べてやる』なんて自分から言っておいてこの体たらくで、我ながら情けないんだけどさ。――表面的な業務上のこととかはもちろん調べられるんだよ、でも肝心の知りたいところになるとふいっと手がかりが消えるんだよな。サンチェス氏が親父をたびたび訪ねてるってことは親父と関係ありそうに見えるのに、じゃあ本当に親父の派閥だったのかというと、それは確証が持てない、みたいな」
ポルスキーさんはラセットの言うことが直感で理解できる気がした。
「サンチェス氏ってそーゆー性格っぽいよね。まあでも、あの叔父さんがあんな興味を示したってことは何かありそうな気がするの。何とかなるかもよ」
そして楽観的ににこっと笑って見せ、そして叔父の邸へ帰ろうとした。
するとジェニファーが、
「あ、イブリン、待て」
と何かを思い出したように声を上げた。
ポルスキーさんが「何?」と不思議そうに振り返ると、ジェニファーは少し躊躇いながら、
「すまない、こんなタイミングで言うべきことじゃないのかもしれないが」
と前置きしてから軽く咳払いして、そして意を決したように、
「いいかげんそろそろ、ヒューイッドの気持ちを汲んでやってくれ。ちょっとヒューイッドが――気に病んでいるようで、こちらがハラハラする」
と要望した。
ポルスキーさんは真っ赤になった。
「え、ええ!? ジェニファーったらいきなり何を言い出すの」
「ヒューイッドの何が不満? それとも実はデュール氏と付き合っているのか? イブリンのお母さんが言っていたな」
とジェニファーが半信半疑で聞いてくるので、
「それはないわよ!」
とポルスキーさんは慌てて否定した。
ラセットも大きく肯いて、
「イブリンはヒューイッドのこと本当は好きだもんな」
と決めつけるように言った。
「別れてるし!」
照れ隠しでポルスキーさんが叫ぶと、ジェニファーが怖い顔をした。
「それは今だけは言わないでくれないか。ちゃんと本気で聞いてくれ。ヒューイッドはイブリンとやり直したがっている。だがイブリンはいつもはぐらかしているように見える。ヒューイッドはイブリンの気質をよく知っているから、これまではイブリンがそんな態度でも許してくれていたんだろう。だが、最近君たち二人を取り巻く環境が以前と変わってしまい、ヒューイッドはなんとなく不安に思っているんじゃないか。じゃなきゃメメル襲撃犯にあんな残虐な態度はとらない、ヒューイッドはもっと合理的な人間のなはずだ。あんなヒューイッドは見ていられない」
ポルスキーさんは面と向かって叱られて狼狽えた。
怯んだポルスキーさんにジェニファーは畳みかけるように言う。
「もし、イブリンにその気がないなら、はっきりヒューイッドにそう言ってやってくれ。そうでないとヒューイッドが前に進めない」
「ま、前にって?」
「別の女性との未来ということだ」
とジェニファーははっきりと言った。
ポルスキーさんは殴られたようなショックを受けた。
クロウリーさんが自分ではない別の女性と――? 頭の中が真っ白になる。それは考えたことがなかった。なんて自分勝手なんだろうか。自分の浅ましさが心底嫌になった。
「それは嫌……」
ポルスキーさんは不愉快にざわつく感情を持て余しながら絞り出した。
ジェニファーが悪いわけではないのに、思わずジェニファーに鋭い目を向けてしまう。
ジェニファーはそのポルスキーさんの目を見返して、少しほっとした。
そして口元を緩めると、
「じゃあそういうことなんじゃないのか。他人のものになってからやっぱり好きと言っても遅いんだから。自分の都合ばかりで考えちゃいけない、相手のことも考えてやれ」
と優しく諭した。
ポルスキーさんは何も答えなかったが、その目は何かの気構えがうっすらと表れているようにジェニファーには見えた。
ジェニファーはポルスキーさんに自分の忠告が伝わったのだと理解して、それ以上は踏み込むことをやめた。後は本人たちでうまくやってくれ――。
そこへ、唐突に部屋の扉が開いて、マクマヌス副会長を犯罪対策本部に預けたクロウリーさんが部屋に戻ってきた。
まさにクロウリーさんの話をしていたところだったので、ポルスキーさんはドキッとする。
「あ、あら、クロウリーさん、戻ってきたの? マクマヌス副会長の方は?」
とポルスキーさんが聞いた。焦ったのか声が気持ち裏返った。
ポルスキーさんが取り乱しているのでクロウリーさんは怪訝な顔をしたが、
「マクマヌス副会長は大物だから、後の采配は全部デュール氏や犯罪対策本部の上層部が指揮することになった。問題ない。それより、もういい時間だ、イブリンを放ってはおけないだろう。今日のところは忙しかった、エンデブロック氏の邸に帰るなら送る」
と当然のように言った。
確かに日はとっぷりと暮れていた。
ポルスキーさんは顔を赤らめた。
マクマヌス副会長を捕まえた日でも自分を忘れず気遣ってくれるクロウリーさん。この特別な気持ちがポルスキーさんには嬉しかった。
お読みくださいましてどうもありがとうございます!
叔父さんに言われても響かなかったのに、ジェニファーに言われたら響くポルスキーさん(;´∀`)
さて、次回はサンチェス氏を追い詰めます。





