【5-15.ラセット劇場・前編】
その頃、スリッジ会長の部屋をそそくさと抜け出してきたマクマヌス副会長は、硬い表情のまま自室へと戻ろうと魔法協会の通路を足早に歩いていた。
失敗した――。スリッジ会長を操り辞職させるという企みは、いとも簡単にエンデブロックにより阻まれてしまった。
マクマヌス副会長は唇をかんだ。
しかし、まあいい。今回の件はちゃんと責任を取る者がおり、自分はまた別の方法で会長失脚を狙うだけだ。
そう――考えればいくらでも手段はあるのだ!
マクマヌス副会長がそう思いながら人気の少ない廊下を通り過ぎようとしたとき、
「親父、目論見ははずれたか?」
と軽い口調のラセットに声をかけられた。
ラセットの口調は「だから言ったろ」と言いたげだ。
マクマヌス副会長はこんなところでラセットに待ち構えられていたのには驚いたが、かといって正面から相手にする気はなく、
「何のことかは知らんが、私は急ぐ」
とさっさと横を通り過ぎようとした。
「サンチェス氏がフローヴェールに全部責任を押し付けるよう手配したぜ。あんたはしらばっくれてりゃ大丈夫」
とラセットが父の横顔を真っすぐ見据えながら言って来るが、マクマヌス副会長は何も言わずにただ前だけを見て歩き去ろうとした。
そんな父親の様子にラセットは苦笑したが、さすがに無視は嫌だったようで、
「おーい、俺、今回のこと調べて、母親のこと初めて知ったよ」
と冷たく立ち去る父の背に覆いかぶせるように言った。
すると、マクマヌス副会長は初めて顔色を変えて目を剥き出し、ばっとラセットの方を振り返った。
マクマヌス副会長は周りを軽く見渡し誰もいないことを確認すると、さっとラセットの傍まで引き返し、一番近くの部屋の扉を開けラセットを押し込んだ。そして自分も中に入ると、
「何を、知った?」
とほんの少し焦ったような声で聞いた。
父の尋常ではない様子に首を竦めながら、ラセットは、
「母親が魔法使いじゃないってこと」
とぽつりと答えた。
「それ以外は?」
マクマヌス副会長は目を吊り上げてラセットに尋問する。
「いろいろなー」
とラセットは父のペースには乗らずゆっくりと腕を組み、
「だがあやふやなことも多いから、親父からちゃんと説明してもらった方がしっくりくるよ」
と苦笑して言った。
マクマヌス副会長は気味の悪い光を目に湛えていた。
そしてじっと黙っていた。
父が何も言わないので、ラセットは父の気持ちを計りかねるように、
「なんでそんなに会長職にこだわるんだ? 俺の母親が一般人ってことに関係してるんだよな。会長になって一般人を排斥したい?」
と聞いた。
「まさか!」
とマクマヌス副会長は声を荒げた。
「むしろ逆だ。魔法協会は権利や生活習慣の問題で何かと一般人社会と対立しがちだ。だが私はその対立を失くしたい!」
マクマヌス副会長はたいそう真面目に見えた。
しかしラセットはすぐに信じてしまえるほどお人好しでもなかった。
「立派な使命だな。じゃあ何で俺の母親は病院に入院しっぱなしなんだよ?」
ラセットの言葉にマクマヌス副会長はぎょっとした顔になった。
それをラセットは冷たく見下ろす。
「それは、言わん……」
とマクマヌス副会長はかすれ声で絞り出すように言った。
ラセットは父親を睨んだままだ。
マクマヌス副会長は少し気を落ち着かせて言葉を探した。
「例えばロバートは魔法使いと一般人を分断して考えがちだ。今の社会だと、魔法使いとして出世したければ魔法使いの社会で教育を受けなければならず、どんな些細な魔法も躊躇なく使えることが暗に求められている。一般人に紛れて暮らしている環境ではなかなかそうはいかないから、出世する者ほど魔法使いのみの世界に長くいて、自然と考え方が魔法使いファーストに偏りがちだ。だが、私は一般人と共に暮らす社会を実現したいのだ。魔法使いと一般人が共に暮らせる環境であれば、おまえの母親はつらい思いをしなくてすんだ――」
ラセットは父の言葉には答えなかった。もう一度同じ質問を繰り返す。
「母はなぜ病院に入っているのだ?」
マクマヌス副会長は長い息を吐いた後、仕方がないというように腕を組んだ。そして後悔を滲ませる声で言った。
「……おまえと離れ離れになったからだ」
「え?」
ラセットは思いがけない返答に驚いた。続きを促すように体を乗り出す。
マクマヌス副会長はもう黙ってはいられないことを悟った。
「おまえの母は確かに一般人だった。だがおまえに魔法特性があると分かり、魔法使いとして育てるとなった時点で、それなりの教育が必要だとなった。ロバートの言うところの『分断』だ。一般人とは異なる世界で育てるのだ。だから一緒には暮らせない――、極端な言い方をすれば、おまえの母親は子どもを取り上げられた。それは彼女の精神を深く傷つけて、昔で言うところの『神経衰弱』の症状を引き起こした。症状がどんどんひどくなり、やがてどうにも一人で暮らせなくなったから、病院に……それは私が面倒を見ている」
ラセットは初めて知り、困惑を隠せなかった。子どもの頃から母がいないことを寂しいと思ったり不思議に思ったりしていたのは事実だが、自分の(魔法使いとしての)生活は当たり前のものだとも思っていたので、急にそれが母を失った理由だと言われてもピンとこない。母が気の毒だと思う反面、普通に母のいる生活を望むなら今の自分を全否定しなければならなかったのか?と思うと、なんだか現実的に受け止められなかった。
「……俺が魔法使いにならなきゃよかったのか?」
マクマヌス副会長はラセットが混乱しているのを感じ、慌てて首を横に振った。
「すまない、私の言い方が悪かった。違うんだ、そうじゃない。そもそも――魔法使いが、特に無自覚の子どもが一般人に紛れて暮らすのは大なり小なり苦労を伴うのだ。魔力は一朝一夕でコントロールできるようなものではないから。おまえが魔法特性を持っていた以上この現実は避けられなかった。魔法使いにならなきゃよかったとかそういった話ではない――」
ラセットはまだ気持ちに整理がつかなかった。
「母親に会いたいと思っていたよ。だが、そう言える空気じゃないのは子どもながらによく分かってた。誰も母親の話をしないから。まさかそんな理由だったとは――」
マクマヌス副会長はラセットが受け入れられるまでとことん付き合う気ではいたが、母に会いたかったと言われると素直に首を垂れるしかなかった。
「――そうか。寂しい思いをさせてしまって申し訳なかった。私も多少自分のことでいっぱいいっぱいだったかもしれない。おまえの気持ちまでフォローしきれなかった」
「あんたが俺に魔法協会での出世を求めなかったのは、俺の母親が一般人という引け目があったからか?」
とラセットは聞いた。
ラセットは、父親は魔法協会であくせく働いているのに、自分に対しては魔法協会に入ることを反対したかつての日々を思い出していた。不思議だった。結局ラセットは家庭内の空気に押し切られるように民間を選んだが、何となくあのときの父親の態度には納得がいっていなかったのだった。
マクマヌス副会長は後ろめたそうな顔をしたが、
「それはあった。ロバートの今の魔法協会で出世するというのは、おまえの母やその病気を否定するように思えてしまってね、受け入れがたかった。私がもっと早く魔法協会を変えられたらよかったのだが」
とはっきりと答えた。
「そうか」
ラセットは喉の奥で唸った。
ラセットは暗い顔をしていた。
これらのことは父に問い質したかったことだったが、聞いたところで自分がスッキリするとは思えなかった。
案の定――ラセットはひどく複雑な気持ちの沼にはまってしまったような感覚に陥った。
とはいえ、ラセットは父親に言わなければならないことがあった。
「まあ、あんたに考えがあったことは認めるさ。だが、スリッジ会長を引きずり下ろすには、だいぶやり方が汚過ぎたんじゃないか?」
「やり方に汚いもくそもあるか」
とマクマヌス副会長は開き直った。
「人殺しはやり過ぎだ!」
ラセットは恫喝した。
しかし、マクマヌス副会長は反省の弁を述べるどころか、そっぽを向いた。
「シルヴィア・ベルトーチという魔女か? それはデイヴィッドの計画だ、そこまでは私は指示してないぞ」
「ジェニファーの誘拐もか?」
ラセットは目を鋭くさせる。
マクマヌス副会長は当然のように頷いた。
「スリッジ会長の娘のことか? それだって誘拐までは指示していない。デイヴィッドは何か知らんが手柄に焦っていた。彼は私が会長になった暁には大幅な出世を望む気で次々と計画を立てた」
「サンチェス氏一人に責任を押し付けるのかよ」
とラセットは詰ったが、マクマヌス副会長は首を横に振るばかりだった。
「押し付けると言うのは間違った言い方だ。彼は自主的にやった」
「理事たちの支持を得ようと懐柔しようともしていたな。それはあんたがモーガンに頼んだんだろ?」
とラセットがこれは言い逃れできまいと指摘すると、さすがにそれに関してはマクマヌス副会長は、
「まあ、それは否定はしない。だが懐柔工作に違法性はないはずだが」
と居直った。
しばらくラセットは黙って父親を見ていたが、やがて淡々としたよく通る声で言った。
「だってさ、ヒューイッド。もういい、親父を任意で引っ張れよ。少なくともモーガンとサンチェス氏との関係は吐いたぞー!」
その言葉にマクマヌス副会長の表情が凍った。
お読みくださいましてどうもありがとうございます!
マクマヌス副会長はそういう事情があったんですね。
次回、後編です。





