【5-10.母の罠】
その頃、デュール氏はちょうど一日の用事が終わり、執務室で一息ついていたところだった。
今日訪ねて来たポルスキーさんが自分に呪いがまだ付いていると言っていたので、これからポルスキーさんの家を訪ねようかとぼんやり思った。
今のところ普段通りの日々を送れているデュール氏はまだ呪いがついていると聞いてもピンときていなかったが、呪いと言われればやはり気がかりだった。
それにポルスキーさんに会えるというのは嬉しくもあった。
そんなタイミングで、
「アシュトンっ! 大丈夫!?」
とポルスキーさんがノックもせずに執務室に飛び込んできたのだ。
デュール氏は無礼を咎めることもなく「イブリンっ」と笑顔になった。クロウリーさんやジェニファーが後ろに控えていることはどうでもいい。
しかし、そのときデュール氏はふとポルスキーさんの後ろに魔女が一人付き添っているのが目に入った。
「イブリン? 彼女は誰?」
ポルスキーさんは「あ」と振り返った。
「ごめんなさい、こちらはメメル・エマーソンよ。シルヴィアの呪いの原型を作った魔女」
それを聞いてデュール氏がばっと身構えた。
「君が?」
シルヴィアの呪いで厭世的になり鄙びた山村に引き籠った日々が思い浮かぶ。
ポルスキーさんはそっと擁護する。
「いや、呪いをかけたのはモーガンとフローヴェールだからね。メメルのせいじゃないから。でもメメルが原型を作ったんだもの、メメルなら効率よくこの呪いを解けるわ。モーガンが口封じで殺されて、メメルのところにも追手が来た。あんまり時間がないかもしれない。あなたの呪いを解くから――」
そう言ってポルスキーさんがメメルに目配せをし、メメルが頷き返したとき、急にデュール氏の執務室の外でバタバタと騒がしい足音がした。
もしや、また奴らが!?とポルスキーさんはじめクロウリーさんもジェニファーも緊張し身構えた。
メメルを襲った連中が、性懲りもなく、今度はデュール氏を襲いにやって来たのかと思ったのだ。
皆の剣呑な雰囲気にデュール氏がごくりと唾を呑み込む。
美しい目に不安そうな色を浮かべて執務室の扉の方を食い入るように見つめた。
すると、その足音は執務室の前でぴたりと止まり、前室で秘書に「アシュトンに会わせてちょうだい、大事な話よ!」と大声を上げる女の声が聞こえた。
その声を聴いて、ポルスキーさんはあからさまにげんなりとした顔をして頭を抱えた。
状況を放っておくわけにもいかず、つかつかと扉の方に歩いていくとバタンと開けて、
「お母さんっ! こんなところで何をしているの?」
と呆れた声で叫んだ。
「まあ、イブリン!」
ちょうどいいわ、といった様子でポルスキーさんの母が明るい表情を浮かべる。
「あなたのことで来たのよ」
そしてポルスキーさんの母は執務室の中にデュール氏がいるのを見つけると、速足で部屋の中に入ってきた。
「ちょっと、アシュトン! あなた本当にうちの娘と付き合ってるの?」
ポルスキーさんはうんざりした顔になった。
「ちょっと――お母さん、今はそんなくだらない話をしている場合じゃないのよ。モーガンって人が殺されてね、このメメルって人も襲われかけて――こっちはとっても緊迫した状況なの!」
ポルスキーさんの母は「そんなこと知らないわよ」といった顔をした。
「ちゃんと説明してくれたら早々に帰るわよ! ザッカリー(※ポルスキーさんの母の弟)に聞いたのよ。あなたの彼氏はアシュトンじゃない、別の人だって言うんだもの! どういうこと?」
デュール氏が焦った顔で「彼氏は僕です――」と言いかけたので、ポルスキーさんは鬼の形相でとにかくデュール氏を押し退け、
「お母さん、そういう話はね、暇なときにお茶を片手にやってよ。いや、やる必要もないわね、私彼氏いないから! とにかく――」
と母のことも押し退けようとした。
そのときジェニファーは、クロウリーさんが顔をぎゅっと顰めたのに気づいた。
――え?
ジェニファーは、先ほどのメメル襲撃の際にクロウリーさんが放った凶暴性を、またここで垣間見たような気がした。
しかしポルスキーさんの母はびくともしない。
「彼氏いないって、それは嘘でしょう? さっきそこでロバートに会ったんだけど――」
「ロバートって誰よ?」
ポルスキーさんがうんざりした顔で聞き返すと、母はさも当然の顔で、
「スリッジ会長のことよ」
と答える。
「えっ!? 知り合いなの!?」
とポルスキーさんがさすがに驚くと、母は
「同級生よ。それはどうでもいいけど。ロバートが言うには、あなたは指輪をしてて彼氏がいるって。指輪って何よ?」
と詰め寄った。
ポルスキーさんは慌てて手を隠した。
「ゆ、指輪なんか知らないわよ!」
「イブリン、ヒューイッドの指輪、まだしてるの!?」
デュール氏も悲鳴のような声を上げた。
同行していたメメルは「何この時間」と呆れ果てながら、ちらりとポルスキーさんの手元に視線を落とす。
ポルスキーさんの母がメメルの視線に気づき、目を光らせた。
「まあ本当、指輪だわ! ヒューイッドって誰!?」
「お母さんは知らなくていい人よ!」
「お母さまは知らなくてけっこうです!」
ポルスキーさんとデュール氏が同時に叫んだ。
ジェニファーはハラハラしていた。隣のクロウリーさんの顔はもう土気色で、非常に苛々ラしているのが手に取るように分かった。
これだと思った。
ヒューイッドが普段と調子が違うのは、きっとイブリンのこの態度だ――。
しかし、ジェニファー以外誰もクロウリーさんの凍てついた態度には気付いている様子はなかった。
ポルスキーさんの母の目が険しくして声を荒げている。
「私に隠し事? アシュトンまで? いいわよ、ロバートに聞くから。あ、もしかしてヒューイッドってさっきの男かしら。私がロバートと喋ってたら少し離れたところでこっちの様子を静かに窺ってた男がいたのよね。でもなんか陰気臭かったし、あれが『ヒューイッド』ならお母さん大反対だわ……」
クロウリーさんがぴくッとなった。
身に覚えのないことまで言われて憤慨したのではない。
スリッジ会長をこっそり窺う陰気臭い男? それって――?
同じ違和感をポルスキーさんも感じたようだった。慌てて母の言葉を遮る。
「ちょっと! お母さん、その男の様子を詳しく」
ポルスキーさんの母は娘の慌てた様子にポカンとした。
「やっぱり『ヒューイッド』ってそいつなの?」
「何でもいいからその男はどんなの!」
ポルスキーさんは目を吊り上げている。
ポルスキーさんの母はいまいちよく分かっていない顔をしたが、
「神経質そうで背が高くて……」
と説明し始めた。
すぐにポルスキーさんとメメルが反応した。
「それってフローヴェール!?」
メメルが手首に巻いていた水色のヘアゴムを取り外すと、指でつまんで目の高さに持ち上げた。
メメルがなにやらぶつぶつと小声で呪文を唱えると、摘まみ上げられたヘアゴムの輪の内側が急に真っ暗になり、やがて中にぼんやり光が灯り薄靄のように人の姿が浮かび上がった。
「こんな人?」
ポルスキーさんの母は見たことのない魔法に驚いていたが、目を凝らして中を覗いた。
「ああ、そうね。この男よ」
ポルスキーさんは青くなった。
「フローヴェールがスリッジ会長に接触しようとしている? それって危ないんじゃないかしら!」
デュール氏も同意するように険しい顔で肯き、
「スリッジ会長の周りには秘書官もいるだろうが、手遅れになっては……」
と大股で部屋を飛び出していこうとした。
「ア、アシュトン!? 話が終わってないんだけど?」
とポルスキーさんの母が不満そうにデュール氏の背に声をかけるが、デュール氏は、
「イブリンのお母さん、ごめんね。僕はイブリンとの結婚はいつでも大歓迎だけど、ちょっとスリッジ会長の様子を見てくるよ」
と柔らかい笑顔だけ見せてそのまま出ていった。
クロウリーさんが嫌そうにその背を睨む。
ポルスキーさんとメメルも慌ててデュール氏を追おうとしたが、そのとき、ガタっと音がして、ポルスキーさんの母が立ち眩みしたかのように手で頭を押さえ、前かがみになって俯いた。
ハッとして慌てて駆け寄ったクロウリーさんが、ポルスキーさんの母を支えた。
「お、お母さん? 急にどうしたの? だいじょうぶ!?」
ポルスキーさんもぎょっとして母に駆け寄り背をさすろうと手を差し伸べたとき、ポルスキーさんは母の耳の中から、小さな羽虫がひゅいーと飛んで出ようとするのを見た。
ポルスキーさんは何やら嫌な予感がし、震える指を羽虫に向け『拘束の魔法』を使った。ポルスキーさんの下手くそな拘束の魔法は、筋状の光が出たはよいものの、空気抵抗に負けるかのようにくねくねと曲がりながら進んだ。そして『拘束の魔法』が羽虫まで辿りついたとき、なんと羽虫は『拘束の魔法』に触れた瞬間にパチンっと微かな爆ぜるような音を立てて掻き消えてしまったのだった。
その様子を見ていたメメルがぎょっとして、
「その羽虫、何かの魔法だったんだわ!」
と深刻な顔で叫んだ。
「う……ん」
ポルスキーさんの母が呻き声を上げたので、クロウリーさんが「大丈夫ですか?」と落ち着かせるように声をかけた。
するとポルスキーさんの母は、
「何かずっと誰かの喋り声が頭の中で響いて不快だったわ。何だったの?」
と顔を顰めながら言った。
「え? お母さん、さっきから私の彼氏が誰とかずいぶんと調子よく喋ってたじゃないの」
とポルスキーさんが厭味半分怪訝そうに言うと、母は、
「ああ、確かザッカリーがあなたの彼氏はアシュトンじゃないって言うから、どういうことか聞くためにアシュトンとお茶でもしようと思って来たのよね。でも、ロバートとばったり会ったところらへんから、なんだかずっと……うーん、なんかよく分からないわ」
と要領を得ないことを言っている。
ポルスキーさんは青ざめて聞いた。
「頭の中に響いていた喋り声って何?」
母は頭をはっきりさせるように軽く振った。
「ロバートのところに男が訪ねて来た事を伝えろと、言ってたような?」
ポルスキーさんはばっとクロウリーさんとメメルを振り返った。
「ねえ、これって、もしかして罠なんじゃないの!?」
ポルスキーさんは戦慄した。
クロウリーさんがずいっと身を乗り出した。
「イブリン、急いでスリッジ会長とデュール氏のところへ! イブリンのお母さんは私が医務室の方へ連れて行くから」
「ク、クロウリーさん……」
ポルスキーさんは少し躊躇った様子を見せたが、クロウリーさんが、
「いいか、もし『人を操る魔法』がスリッジ会長なりにかかってしまったら、問答無用でエンデブロック氏を呼ぶんだ。そこは請け負ってやると約束してくれた」
と助言をすると、ポルスキーさんは意を決したように頷いて、メメルとジェニファーと共にスリッジ会長の執務室へと向かうことにした。
ここまでお読みくださいましてありがとうございます!
嬉しいです。
お母さん、何しに来たん!?と思ってたら、なんか罠の仕掛け人をさせられていたようです。
ってゆか、耳の中に羽虫……想像するとめっちゃ嫌。
次回、フローヴェールがデュール氏にかけた呪いが発動しちゃいます。





