【4-7.シルヴィアの再検死】
そのとき、クロウリーさんの真っ黒ローブに留めてあったブローチが「ピッ」と鳴った。
「あー」
とポルスキーさんは反射的に身構えた。
クロウリーさんはブローチに軽く指を当てると、
「上司からだ。凄いタイミングだな。ようやくシルヴィアの再検死の許可が下りたらしい。明日だそうだ。集まれるものは集まれと」
とポルスキーさんに言った。
ポルスキーさんは飛び上がった。
「まあっ! もう一生許可が下りないと思ってたわ! でも、明日? そんな急に?」
「再検死を邪魔する方も必死なんだろう。あんまりこっちに時間を与えたくないんだ。私は行こうと思うが……」
とクロウリーさんはちらりとジェニファーの方を見ると、ジェニファーは
「メメル・エマーソンの件は任せておけ」
と理解顔で大きく頷いた。
その瞬間、ポルスキーさんが大きく両手を掲げて手をパンっと打った。
いきなりの大きな音にラセットとジェニファーはビクッと身を竦めた。
「な……んだよ」
ラセットが文句を言うと、ポルスキーさんの前に積まれていた書類の山がまたガサガサ、バサバサと浮き上がり、扉や引き出しが開け放されたデスクやキャビネットの方へ一目散に飛んでいくと、先を争うように元あった場所へ収まった。
ラセットが呆気にとられる。
「お片付け?」
ポルスキーさんはラセットににこっとしてから、いつになく熱心な顔でクロウリーさんを振り返った。
「クロウリーさん、私も行っていいかしら。シルヴィアには犯人を見つけると約束したもの」
クロウリーさんは大きく頷いた。
ジェニファーも頷いた。
「ヒューイッドはシルヴィアの方に注力するんだ。これからすぐに魔法協会に戻って、シルヴィアの前回の検死の書類を見返したり、やれることは全部やってくれ」
そしてジェニファーとラセットはメメル・エマーソンの身柄を魔法協会に移すことを掃除婦の老婆に説明しに行き、ポルスキーさんとクロウリーさんはメメル・エマーソンの件をジェニファーとラセットに託し、シルヴィアの再検死の方に行くことになった。
さて翌日、クロウリーさんがポルスキーさんを伴って魔法協会の検死担当官の部屋に顔を出すと、その部屋の職員が「あー」とぶっきらぼうに挨拶した。
「シルヴィア・ベルトーチの再検死の件です」
とクロウリーさんが身分証を示しながら言うと、その職員は、
「数人集まってますよ。そろそろ始まるでしょ。参加するなら準備してください」
と隣の会議室を顎で示した。
クロウリーさんとポルスキーさんは検死に臨み真っ白ローブを借り、緊張した顔で隣室に入り込んだ。
シルヴィアの遺体が検死台の上に横たわっていた。
ポルスキーさんはシルヴィアの霊とは話したことがあるとはいえ、生身のシルヴィアに会うのは初めてだった。
防腐処理がしてあるのだろうが、明らかに生気のない土気色の顔。あんなに美しかったシルヴィアが抜け殻のような儚さでそこにいた。
ぞっとした。
生きている人間をわざとこんな状態にした殺人鬼が、世の中にはいるのだ。
担当の検死官はとてもやる気のなさそうな態度で近づいてくると、
「えー。一度検死をした遺体ですが、再度見たいという要望がありましたので……簡単に」
などともごもご言いながら軽く手を合わせると、それからシルヴィアの手首を指し示した。
「こちら。手首のところに横に2本裂傷がありますね。刃物の切り口です。3cmと5cmくらいです。一部の裂傷は組織深くまで達していて、血管を分断しています。これによる失血死と考えられます」
シルヴィアの手首に残された生々しい傷跡を見て、ポルスキーさんは思わずふらついた。
ポルスキーさんは生々しいもの、痛々しいものがとても苦手なのだ。
クロウリーさんがすかさずポルスキーさんの体を支える。
「どうした」
「に、苦手なの……」
ポルスキーさんはいつになく弱った声でクロウリーさんの腕にしがみついた。
「……部屋、出るか?」
クロウリーさんが小声で心配そうに聞くと、ポルスキーさんは唾を呑み込みながら、
「い、いえ……ちゃんと見るわ。私が来たいと言ったんだし。でも、ごめんなさい……、ちょっともたれかかってもいいかしら……」
と真っ青の顔で震えながら答える。
「それはいいが……」
クロウリーさんはポルスキーさんの肩をきつく抱いてやりながら心配で堪らない。
そのとき、魔法協会の職員の一人が聞いた。
「裂傷が2本と言うのは?」
「一本目は少し角度が悪かったようです。傷は深かったため覚悟は十分といったところでしょうが、血管を思ったようには傷つけなかったため、2回目切ったのでしょう」
検死官はさらっと答えた。
質問した者がもう一度聞く。
「そんなやり直しするほど冷静に自分の体を切れるものですか?」
「それは彼女の精神状態にもよりますし、私には何とも」
検死官は困ったような顔をして答えた。
別の職員が聞いた。
「睡眠薬などは」
「あったようですよ、部屋に。飲んだような形跡も。これは検死報告書にもありますね、ご自身では読まなかったのですか?」
検死官が書類を確認しながら冷たく答えた。
その職員が、
「睡眠薬を飲んで、それほど力を込められますか、ということです」
と答えると、検死官は「ああ」といった顔で、
「睡眠薬の効き方も人によりますからね、私には何とも」
と小さく首を横に振った。
「それ以外の傷や不審な点は?」
とクロウリーさんが聞いた。
検死官はクロウリーさんの方を軽く見たが、クロウリーさんが具合の悪そうな女性を抱きかかえているのを見て眉を顰めた。
「……そちらの女性は大丈夫かね?」
「大丈夫です。それより私の質問は……」
とクロウリーさんが聞くので検死官は、
「他に傷はありません。落ちていたナイフには死亡した女性の指紋だけ。これは自殺です。不審な点はありませんでしたよ」
と淡々と答えた。
「で、でも……自殺に見せかけようと思えばできるじゃない……」
と具合の悪そうな女性が震える声で抗議の声を上げるので、検死官はまた顔を顰めた。
「見せかけるとは?」
「ええ。シルヴィアを眠らせて。自分は手袋をして、彼女の掌越しにナイフで手首を掻き切ることくらいできると思うの」
ポルスキーさんは喉から絞り出す声で言った。
検死官は呆れた声を出した。
「そりゃ、こじつけようと思えば何でもこじつけられますよ」
ポルスキーさんは青白い顔で首を横に振った。
ポルスキーさんはシルヴィア本人から「気づいたら死んでた」と聞いているので、これが他殺だということを知っている。
ポルスキーさんはこのシルヴィアの遺体を前に、今、犯人像を見出さなければならない。
「ま、魔法にかかった痕跡は調べたの? 残穢は?」
ポルスキーさんは検死官の目を見て聞いた。
「ふ、ふん。報告書を読まなかったのかね? 眠りの魔法が使われていたようだよ。でもそれだけだ」
「眠り薬を飲んだのに、眠りの魔法まで? 変じゃない」
ポルスキーさんは指摘した。
「別に。よっぽど寝たかったんでしょうな。自殺が怖かったのかな」
「自殺が怖かったのに、あの深い傷? ものすごい覚悟がないとあんな傷はつかないでしょう?」
ポルスキーさんの疑問に、検視官は一度大きく深呼吸をした。そして冷静に諭すように言った。
「お嬢さん。これが興奮効果のあるコーヒーと眠りの魔法の組み合わせならね、矛盾と指摘できるでしょう。でも、睡眠薬と眠りの魔法は矛盾とは言えません。念には念を入れたと思うだけです」
「でも、あなたなら? 100%効果のある眠りの魔法に、わざわざ眠り薬まで用意する?」
「知りませんよ」
検死官はぷいっとそっぽを向いた。
クロウリーさんがゆっくりと検死官に聞いた。
「かけられた眠りの魔法がどんなタイプのものか、調べてもよいか?」
「そ、それは……」
検死官は口籠った。
ポルスキーさんは必死の声で嘆願した。
「お願いです。シルヴィアは知り合いなの。彼女の霊をここで呼んでもいいけど、彼女の霊は確かにはっきりと殺されたと言ったの。私は犯人を捜さなくちゃならない!」
お読みくださいましてありがとうございます!
手首を切って自殺するときって何cmくらいの傷が必要なのかとか全く見当がつかず、物差しを自分の手首に当てて、「これくらい?」と完全にあてずっぽうで書きました。3cmと5cm……? どうもすみません……(大汗)
もし詳しい方がおられたら指摘していただきたい!!!(≧▽≦)
他力本願すみませんっ!!!(大汗)





