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三幕 春島美桜

 川原から家までは、そんなに遠くはない。

 俺は家に入り、まだ早い時間ではあったが、シャワーを浴びて、汗を流して、寝まきにも着替えを済ました。

 そのあとは姉貴が帰ってくるのをテレビでも観たり、夕食を食べたりして、まった。

 七時。

 いつもなら帰ってきてもいい時間を、とっくにすぎていた。

 防犯ではないが、姉貴はカギを持っていない。

 だからといって、開けっぱなしで二階にもいけない。

 前にそれをやったら、怒られた。おまけに二階はインターホンも聞こえづらい。

 そんなもんで、テレビで、連続して放送しているバラエティー番組を延々流して、姉貴が帰ってくるのをまった。

 あいだにある短いニュース報道。内容は犯罪組織の密売輸送車とアジトが見つかり、逮捕されたというものだ。

 押収されたとされる映像の中にあの時、俺を轢こうとしたトラックに酷似しているトラックが映しだされた。

 俺は唖然とした。

 なら、あの時、轢かれていたら、どうなっていたのか。多分、轢き逃げされる。

 他の町、外国に行って、行方をくらませるだろう。そうしたら、もう捕まりっこない。

 神様は、俺は絶対に死なないと真子ちゃんから渡された手紙に書かれていた。でも……本当の本当に俺は、轢かれなかったのか? と言われればわからない。勝手な推測だ。だいたい、あのトラックが都合よく重なるはずもない。もしかしたら、あの時のトラックは俺の姿が見えなかっただけだったのかもしれない。

 そうだ。きっと思い違いだ、そうすることにした。


 そろそろ、十一時に時計の長い針は指しかかっていたが、姉貴は一向に帰ってこないし、連絡さえない。

「なにやってんだよ……」

 そう嘆いていると、玄関の開く音がした。

 急いで駆けつけると、そこには上半身だけ玄関に乗り上げて、突っ伏している姉貴がいた。

「ど、どうしたんだよ」

 近づくと姉貴の身体からは、タバコ、お酒、香水が混じったような臭いで覆われていた。

「ク、クサ……」

「ああー……なん、だってぇ~、ワタシが……ワタシがクチャいだってぇ~。お前、なぁー! 先輩の……先輩の、体臭に、ケチをつけるってのかー、おい!」

 仰向けに身体をひっくり返すと顔が真っ赤でひどく酔っていた。

「はいはい。とりあえず、リビングに運ぶからな」

 持ち上げ、肩で担いで、リビングまで姉貴を引きずりながら、運ぶ。

「おーい! ワタシは、まだ、飲めるぞ~!」

 耳元ですごいうるさい。耳がキーン、となる。

 ソファーで寝かして、氷枕を頭に敷いて、水を用意した。

 普段、酒を飲まない姉貴に疑問を覚えた。

 とりあえず、毛布をかけて、照明を消そうとスイッチに手をかけると、

「桜太~……ワタシ…………さみしいんだよ~……神ちゃんなんで……いなくなったのよ~……ずっと……ずっと、ここに…………いるって……」

 ソファーで姉貴の顔は見えなかったが、声で泣いていることと、やけ酒の原因がなんとなく、わかった。

 だけど俺は「ごめん……」とだけしか言えなかった。

 二階に上がった。

 自室にあるカバンから手紙とCDケース二枚だけ持参して、神様の部屋に入った。

 となりの部屋。同じ家の中とは思えないほど、広々とスッキリしている。

 あるのは、キレイにたたまれた服、ベッドとカーペット、カーテンにはレースとレーンにかけられた青鷹高校の制服。

 蛍光灯がついていないため、電気がない。でも月明かりが良好な場所だから、かまわないと神様が同居の日に言っていた。

「いつ来ても、殺風景だな」

 一週間前にも帰ってきてから、さりげなく、もしかしたら……の気持ちで覗いて以来だが、やっぱり、なに一つ変わらない。

 しんみりしていても仕方ない。手紙に書かれていた『ベッドのすみ』をさぐった。

「これ……か?」

 ベッドの壁際の隙間に手をいれると、またCDケースがでてきた。

「三枚、あるのか」

 俺の部屋にも、この部屋にも再生プレーヤーはない。

 たしか……と姉貴の部屋からプレーヤーを拝借して、コンセントをさして、CDをいれる。再生。

「……………………? あれ?」

 プレーヤーから音がなにも聞こえない。

『きろくなし』と表示される。二枚目もそうなった。三枚目のCDをはずした時に一枚の紙切れが、ディスクとのあいだに挟まっていた。

「手紙……?」

 俺は小さな紙切れを広げ、内容を読む。


  桜太へ、大切な話

 桜太は覚えておるか? 子犬のことを。

 これは絶対に言っておかなければならんと思って、こういう形になってしまったんじゃが、許してほしいんじゃ。

 では、言うぞ。

 じつはというとな、妾にはもう、なにも力はない。動物と目で話すこともできない。

 ただの神様じゃ。

 なぜかというとな、その子犬の最期を妾は視たんじゃ、とっても、苦しかった。哀しかった。涙もでた。

 桜太も知っておるじゃろ? 初めて会った日。妾がなぜ泣いておるのか、桜太は答えてくれたはずじゃ。 

 そう、哀しいからじゃないか、って妾、自分の気持ちに気づくことができて、とっても嬉しい気持ちにもなった。胸のもやもやが取れるとは、こういうことなのじゃろう。

 桜太には…………知っててほしい。妾がなぜ第二九九代目神様になれたのかを。

 それはな、妾のもう一つの『力』が関係しておるんじゃ。

 その力こそが『力を一個消滅させて、未来か過去の一分間を視る』ことが妾にはできた。

 妾には、数え切れないほどの力があった。つまらないものから、ありえないほどの威力を持った力まで。

 でも、妾はそんな力に興味がなかった。

 それもそうじゃ、妾はただ、桜太と死ぬまで一緒にいることができるなら、それでよかったからじゃ。

 妾は探した。妾と桜太が一生そばにいられる未来を――

 でも……なかった、見つけることができなかった。

 それでも、妾は一ヶ月だけでも……と妾は桜太と遊ぶことにした。

 一パーセントにも満たない未来の可能性を信じて。


 隅々にまでずっしりと書かれた紙切れ。

 俺は驚きよりも、怒りよりも、嬉しさ……よりも、また違う感情が俺をあふれさせた。

「どっちが…………遠慮してるのやら……」

 前に絢さんから言われた『遠慮』のことを思いだした。

 そんなことを考えていると、持っていた三枚のディスクをケースに直そうとした時に、誤って落としてしまった。

「あれ? 記録面になにか書いてある……」

 CDの記録面には赤のえんぴつでグルっと一周だけが引かれていた。

 試しに他の二枚も見ると同じように青、黄が書かれていた。

「なにかの暗号……なのかな……」

 もらった順で暗号になっているのだろうか。

「……信号機?」

 いやいや、安直すぎる気がする。もっと考えろ俺。

 色に関係のあるもの。なんだ? 過去に神様に関係あるものなんてあったか? …………わからない。

 俺を変えるために用意した暗号。伝えたい。残したい。なにか――。

 天井を見上げた。座っているためか真っ暗に見える。

 月明かりが俺を照らす。

 ベッドに背中を預けた。

 そういえば、今日は色々ありすぎて、眠い…………。

 目がそっと自然に閉じて、俺を眠りにつかせた。




「はっ」

 俺は朝の日差しと毛布をかけていなかったせいか、朝の肌寒さから眼が一気に覚めた。

「そうか……あのまま、俺……寝てしまったのか」

 床で寝たせいか、身体が少し痛い。

 どうにか、自室で制服に着替えて、一階に下りた。

 キッチンから、誰かが調理する音と魚を焼く匂いがする。

 不思議に思いながら、リビングに入るとソファーには姉貴がいなく、キッチンに向かうと案の定、姉貴がキッチンに立っていた。

「珍しいね。それより頭痛とか平気なのか?」

「まず言うことがあるはずでしょ」

「あ、おはよう」

「うん、おはよう。平気だよ、これくらい。あんまり飲んだわけではないからね」

 姉貴は手際よく、目玉焼き、焼き鮭、サラダの盛りつけを並べる。

「でも、昨晩の姉貴の顔、真っ赤だったけど」

「ああ、ワタシ、お酒弱いからさ、コップ一杯でああ、なるわけよ。昨晩もコップ二杯ぐらいだよ、タバコだって、臭い嗅いだだけでむせる」

「そうなのか」

「それより、ほら、食べるよ」

 ご飯とみそ汁も姉貴が用意して、俺の前に持ってきた。

 そういえば、姉貴の手料理なんて引っ越ししてきた日以来だ。

 いただきます、と言って、食べだす。

「ねえ……桜太」

「な、なに?」

「ワタシが初めて神ちゃんと会った時のこと、聞きたくないか?」

「え?」

 俺は箸を止めて、姉貴を見る。

「ワタシはその日はひどく憂鬱……違うな、桜太が引っ越してくる前の昇格から、ワタシは仕事にスランプを感じていたんだと思う……。デザイナーなんてスランプばかりだ、って同僚に励まされてばっかりで、ワタシ、仕事辞めようか、なんて考えてた時期もあった……」

 俺は初めて聞いた、事実。今までの姉貴を知らなかった俺にとって、引っ越してきた姉貴が俺にとっての姉貴の印象だったから。

 でもあの時も、この時も姉貴はいつも、いつも仕事のことばっかり頭で考えて、考えて悩ませていたんだと思うと、俺はなんで気づいてあげられなかったんだ……と頭の中で責めてしまう。

「ごめん……」

 俺は握りこぶしでズボンを握りしめた。

「なんで桜太が謝るんだい? 仕方ないだろ、お前はワタシを知らなすぎるんだから」

「それじゃ……ダメだ……たしかに俺は姉貴のことなんかなに一つ知らない。姉貴が俺になにも話してくれないし、仕事だからって全部一人でかかえこんでるし、俺は……姉貴の……弟なんじゃないのかよ……」

 俺は顔を横にそらした。涙がでそうになったからだ。

「すまない。でもね」

 姉貴が俺の頭に手を乗せる。

「そんな時に神ちゃんと会ったんだ。いきなりだったさ。『妾と――幸せにならないか』って、びっくりして、鳩が豆鉄砲を食らったような顔にワタシはなったさ」

 神様らしい、言葉……だな。

 神様がこの家に同居を始めた日からが、本当の正真正銘の姉貴。神様に優しいわけではない、あれは姉貴が神様に対しての当たり前の接し方で、感謝とか恩とか関係がないのかもしれない。

「それで、どうしたんだ?」

「はは、どうだったかな、よく覚えてないな。それより時間だよ」

 姉貴の歯を見せたニカッとした笑顔。初めて見せた気がした。

 俺は「なんだよ、それ」とあきれながら、カバンを手に持つと、

「ワタシはバカだからさ、それと……ありがとう、そして……ごめんな」

 姉貴はしんみりしたような感じにしている。

「俺も……姉貴には、すごい感謝してる、それと、俺も……ごめん」

 照れくさくて言えなかった言葉だ。姉弟でも「ありがとう」と素直に感謝すること。「ごめん」と躊躇なく謝れる関係は大切だな、やっぱり。

「面白い奴だね、ほら、遅れるよ」

「姉貴に言われたくない。じゃあ、いってきます」

「はい、いってらっしゃい」


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