第二十五話 悪魔の力に抗う唯一の方法
時はマーブルの胸の中心が赤黒い靄に貫かれ、『スカイサーベル』のリーダー格の男と異形の男が対峙した頃のこと。
「ひゅっ、ぁ……ふぐぅ」
両腕が弾け飛ぼうが、腹部の真ん中に風穴をあけようが平然としていたマーブルが苦しげに喘いでいた。胸の中心の風穴は塞がる予兆すらなく、血が噴き出すこともなかった。
どう見ても普通ではない損傷。
その正体を魔法しか知らないミーリュア=ヴィーヴィ公爵令嬢は見当もつかなかったが、サキュバスは違った。
「これ、やっぱりデーモンスキルよね……。そうなってくると、魔法使いでは勝ち目はないわよね」
「なっ、にを、どういうことですか!? 何か知っているなら教えてください!!」
ともすればマーブルよりも悲痛な顔をしたミーリュアの叫びにサキュバスは気圧されながらもこう返した。
「そ、そもそも魔法とは人間が高位存在の力を模倣したものよ。神の力である奇跡、には模倣するほどの取っ掛かりすら見つけられなかったけど、悪魔の力であるデーモンスキルだったら人間でも何とか模倣できたってこと。とはいえ、お手本となったデーモンスキルは圧倒的自由度を誇っているけど、基本的に魔法は増幅一辺倒。所詮はデーモンスキルの劣化版でしかないけど。……そんな魔法しか使えないアタシは悪魔としては落ちこぼれで、だからこそ魔女なんかの好きにされていたんだけど、さ」
そうなってくると悪魔は契約魔法に縛られているというものにも別の見方がでてくるのだが、少なくとも今は関係ないことである。
「つまり、魔法よりも『上』の力にマーブルは苦しめられているってこと!?」
「そういうことになるわね」
「それで!? どうやったらマーブルを助けられるんですか!?」
「助けるって、そもそもアタシとマーブルは別に仲間でも何でもないから助ける義理なんてないんだけど。魔女エレインを殴ってもらった恩はあるけど、昨日はおもいっきり殴られたしねっ。乙女の顔を何だと思っているんだが!!」
「いいから!! 早くマーブルを助ける方法を考えてくださいッッッ!!!!」
「はっはぃいいいっ!!」
びくっと肩を跳ね上げて思わず肯定してしまったサキュバス。言葉一つで悪魔を使役するなど、それこそ大陸最強最有力候補であっても不可能な偉業ではあるだろう。……単にサキュバスの肉体はともかく精神には隙が多いだけなのかもしれないが。
「で、でも、力の差は歴然よ。あの男の、というか悪魔の使っているデーモンスキルは概念的消去。人間にもわかりやすく言うなら減少の『深化』みたいなものよ。ありとあらゆるものを例外なく消し去る力。サラリとマーブルが言っていたけど、名前を消し去る云々が本当のことなら、あの悪魔の力は種族としての鎖である『真なる名』を破る領域に至っているということだもの。『千の闇』最強とかも言っていたし、いやでも、まさかそこまでは、ああだけどあれだけの力を持っているなら本当に『女王』を超える古の伝説的悪魔なんじゃあ──」
「そんなことはどうでもいいんです!! 邪神とも関わりの深いとされている『千の闇』最強だろうがなんだろうが関係ありませんっ。大事なのは一つ! マーブルを助けるためにはどうすればいいんですか!?」
「…………、打つ手があるとすれば一つしかないわよ」
サキュバス自身もできるわけないと思っているのか、その声は弱々しいものだった。それでもミーリュアの血走った瞳を前にどこか言い訳するように続ける。
「概念的消去を操るデーモンスキルは常に対象を抹消しているのよ。だから、昨日あれだけの再生能力を発揮していたマーブルの傷が塞がらないなんて話では済んでいない。おそらくは傷という概念すらも吹き飛んでいるから、出血もなく風穴だけがそこにあるって感じね。加えるなら、体力やら何やらも抹消され続けられているから、昨日は両腕が砕けたって何のそのと暴れていたマーブルが今では立ち上がることもできていないのよね」
だけど、と。
サキュバスは一つ区切ってから、
「逆にいえばその程度で済んでいるということでもあるのよ」
その時だ。
ズッッッドン!!!! と天空より降り注いだ『持続』する紫電の剣が赤黒い靄に呑み込まれて跡形もなく消し飛んだのは。
「やっぱりね。風穴に漂っている赤黒い靄は胸の中心を抉り取ること『しか』できていない。さっきの紫電の剣のように全体へと侵食、抹消することだって容易いはずなのに」
「つまり!?」
「マーブルの自然治癒力、あるいはそれ以外の『何か』がこれ以上の抹消を押し留めているのよ。消え去る先から再生していっているから、ハタから見ると『変化がない』ようにしか見えていないってこと、よね? この辺はちょっと自信はないけど、まあそういう理屈でも成り立つはず。となれば、再生力さえ底上げすれば、デーモンスキルを押し返して傷口を塞ぐこともできる……かもしれない」
語尾をごにょごにょと震えさせて、ミーリュアから視線を逸らすサキュバス。
故意的に嘘は言っていない。もちろんサキュバスの見立てが間違っている可能性もあるだろうが、それは置いておいて、真剣に分析した結果を話してはいる。
だけど、だ。
相手は『真なる名』を消し去ったという大言壮語が『でもこいつならそれくらいできるかも』と思わせるほどの怪物である。そんな怪物のデーモンスキルを再生力の底上げだけで押し返すだなんて無茶苦茶だ。そんなの、どうやって果たせというのだ。
半ば以上諦めているサキュバスに対して、ミーリュアはバッと顔を上げてこう叫んだ。
「肉体強化魔法!!」
「はい?」
「肉体強化魔法は膂力や自然治癒力など肉体の性質を底上げします! それをマーブルが使えるようになれば、デーモンスキルを押し返して傷を癒すことだってできるはずです!!」
「いや、待ってっ。そんなうまくいくとは思えないんだけどっ」
「やってみないと分からないじゃないですかっ。マーブル、マーブルっ。肉体強化魔法、使えますか!?」
肉体強化魔法自体は初心者用の魔法である。あまりにも増幅率を高めすぎると自壊する恐れもあるが、初心者が可能な程度の増幅率で魔法を展開すれば問題はないので魔法を覚えるための最初のステップとしてよく用いられている。
もちろん戦闘能力がほとんどないミーリュアでも肉体強化魔法くらいなら使えるのだが……、
「蒼の人にも、言ったけど……私、魔法使えない、んだよ」
「それは身体的な理由で?」
「ううん。……まだ教えてもらって、ないだけ……だけど」
いかに初心者用の魔法である肉体強化魔法とはいっても、この場ですぐに使えるようになるほど簡単ではない。
天才と呼ばれる者であっても一ヶ月、一年かけたってそこまでおかしくはないとされているのだ。
いかにマーブルが拳で魔獣の群れや魔女を撃破するだけの優れた才能を持っていたとしても、魔法という異なる分野においても即座にマスターできるだけの才能があるというわけではない。
だから。
だから。
だから。
「良かったです。それなら何とかなりそうですね」
ほっと。
安堵の表情を浮かべるミーリュアをサキュバスは怪訝そうに見つめる。
「何とかって、この状況でどうしてそんなことが言えるのよ?」
「身体的理由で魔法が使えないなどであれば手の施しようもありませんでした。しかし、教えてもらっていないから使えないだけであれば、教えてあげれば使えるようになるということです」
「いや、いやいやっ!! どうやって? いかに初心者用の魔法とはいえ習得までに最短でも一ヶ月はかかるのよっ。それをこの場ですぐに覚えさせるって? マーブルの天才性はそこまで優れているとでも考えているわけ!?」
「そうではありません」
ミーリュア=ヴィーヴィ公爵令嬢は言う。
『教授凌駕』。教えるのがうまいことからそのような異名を持つ彼女だからこそ。
「わたくしの魔法は言葉が持つ『力』を増幅します。わかりやすく言えば教えるのがうまい、それもわたくしができることであれば言葉で伝えるだけで誰でもできるようになるんです!!」
言葉で何かを伝えるというのは、当人が思っている以上にうまくいっていないものだ。何度も何度も繰り返しても、百パーセント正確に『他者を理解する』というのは困難なのだから。
それを、ミーリュアの魔法は増幅する。
己の知識や技術、感情に至るまでを言葉一つで百パーセント正確に伝えるのだ。
ゆえに『教授凌駕』。
ミーリュア=ヴィーヴィが身につけているものに限り、彼女はどんなことでも他者に伝えることができる。
「肉体強化魔法、使えないなら今すぐ使えるようにわたくしが教えて差し上げます!! 肉体強化魔法さえ使えるようになれば、マーブルなら必ずやデーモンスキルに勝つことができます!! できるに決まっているんですっ!!」
Aランクパーティーのリーダー格でも大陸最強の最有力候補でも単体最強の魔女でもない。ミーリュア=ヴィーヴィだからこそ果たせることもある。
さあ、今こそ挑戦の時。
停滞した空虚な盤面をひっくり返し、邪悪の支配から脱却する時である。




