聖戦の行方
神殿は魔国の東、聖国の北の海に浮かぶ島にあった。島の中央に雲を突くほどの高い神殿には、冗談のように長い階段が螺旋に付いている。
どういう原理なのか、さっぱり分からないけれど、神殿の階段を一歩登った途端に、ここにいた。
神殿の最上部は四角く広く、左右に突き出た台座があり、それぞれに聖人と聖女が立っていた。
やがて二人が歌い始める。
我は光 人々照らし 希望を歌い 幸せ運ぶ
我は闇 人々安らぐ 揺りかごとなりて 癒しもたらす
我ら対となり 常に寄り添い 共に歩まん
いつしか分かれ 離るる時も 心は永久に 離れるなかれ
子供特有のソプラノと、しっとりとしたアルトが混ざりあい、柔らかで美しい旋律を奏でる。
私とカイくんは最上部の中心で、向かい合って立っている。
黒髪に赤い瞳、黒い鎧を纏い、漆黒の剣を構える少年。まだ幼さの残る顔立ちだけど、初めて夢で見た時よりもずっと背も伸びて、男らしくなった。
押さえきれないほどの、歓喜が沸き上がる。目の前の魔王と戦える喜び。
私も剣を抜いて構えた。対称的な白銀の剣。こいつに選ばれてから、全てが始まった。
さあ、はじめよう。
私たちの最後の戦いを。
動いたのは同時だった。互いの踏み込みと同時に、キィンという金属音と共に中央で激しい鍔迫り合いになる。
既に互いに強化魔法はかけている。今の私自身の身体能力向上も相まって、普通の床ならあの踏み込みで壊れるところだが、流石は代々魔王と勇者が戦う舞台だ。
刃の向こうには、カイくんの赤く燃える瞳。刃に映るは私の爛々と光る翠の瞳。
負けないように力を入れながら離れる隙を窺う。小さく足さばきや目線でフェイントを入れる。引っ掛からないな。
離れる時も同時。振り下ろす私の剣をカイくんが受け、流して胴を払いに来たカイくんの剣を私がまた受け流す。
激しい斬り合いの応酬となった。剣が合わさる度に鋭い金属音と火花が散る。
無駄な動きはしたくないから、紙一重で避ける。代わりに髪を切り、耳元を掠める剣の風切り音に胸が踊る。ギリギリの攻防。命のやり取りがどうしようもなく恍惚を呼ぶ。
歓喜、悦び、狂喜。
打ち合う剣撃は福音、祝賀。
確信する。ああ、この為に生まれてきたんだと。
そして、このギリギリの命のやり取りの中でも互いにまだすることがあった。
斜めに切り上げ、かわされて回り込まれるのを、自身も体を回転してかわし、互いの剣が交錯し、激しく火花を散らす。
その中で、さらに互いの手札を増やすために魔力を練り上げる。
「はっ、はっ、はっ!」
「ふっ、ふっ、ふっ!」
互いの息遣いを感じ、血を沸騰させ、思考を過熱させる。互いの膨大な魔力が精緻で芸術的ですらある模様を描いていく。
完成するのも同時。
「光よ!貫け!」
「包み込め!闇!」
呪文によって魔力を媒介にマナが魔法として具現化する。眩い光が巨大な槍となりカイくんへ向かい、漆黒の闇が私を呑み込みに来る。
2つの魔法は轟音と空気を振動させ、ぶつかり合い、相殺されて消失する。
波紋が祭壇の中央に立つ聖女と聖人へも到達する。髪を巻き上げ衣服を激しくはためかせたが、どちらも眉ひとつ動かさなかった。
表情の抜け落ちた空っぽの器。神を降ろす条件は整いつつあった。
聖人と聖女の歌声、魔王と勇者の戦いは続く。
かわし、かわされ、斬り込み、斬り込まれ、踏み込み、踏み込まれる。放たれた魔法が、大気を振るわせて相殺し合う。
命を賭けた美しくも危険な舞踏。神へ捧げる剣舞。
戦いの中で新たに魔力が練り上げられる。
「悲しみに終止符を!」
カイくんのまだ発達途中の筋肉が盛り上がり、血管が血を吹く。限界を超えたブーストだ。
「希望を現実に!」
全ての感覚が鋭敏になり、世界の動きがゆっくりになる。視界が赤く染まり鼻血がつう、と流れた。こちらも限界を超えたブースト。長くはもたない。
限界など知るか!全てはこの時の為にあった!
命を燃やせ!魂を込めろ!
「おおおおおおおっ!!」
カイくんの燃える赤い瞳が、剣の一撃が、叫びが彼の覚悟を伝える。
終わらせる!悲しみを、憎しみを、嘆きを、不安を、絶望を!
「あああああああっ!!」
私は視線に、剣に、叫びに覚悟と想いを込める。
実現させる!希望を、喜びを、幸せを、優しさを、願いを!
拮抗する力と力、想いと想い、命と命。
白熱し、加速する二人の戦いが、儀式となり神が降臨する。
光の聖女と闇の聖人が歌う。神の歌を。
我は光 人々照らし 希望を歌い 幸せ運ぶ
我は闇 人々安らぐ 揺りかごとなりて 癒しもたらす
我ら対となり 常に寄り添い 共に歩まん
いつしか分かれ 離るる時も 心は永久に 離れるなかれ
ああ 光と闇 表と裏 引き合う我ら
ひとつとなりて 福音満ちる 世界よ 久遠なり
聖女の体が光に包まれ、やがて光は上へ集まる。
聖人の体が闇に包まれ、やがて闇は上へ凝る。
光は細くたおやかな指を描き、しなやかな腕を形のよい豊満な胸を、括れた腰に長い足を形造っていく。長い睫毛に縁取られた大きな瞳が開き、光の女神セイルーンが降臨した。
闇は長く大きな手を描き、逞しい腕を広い胸板を、がっしりとした体に長く強靭な足を形造っていく。深く一筋も光を通さない瞳が開き、闇の男神デュロスが降臨した。
2対の神は互いの手を取り、微笑む。
聖女と聖人から神が離れ、意識が戻った。
私の頭にも目にも意識にも、その光景は全く入っていなかった。胸中を占めるのは狂おしい程の歓喜。
赤く染まった視界に映るのは、限界を超えて沸騰する脳が、無理な渦動に悲鳴を上げる体が求めるのは、ただ一つ。目の前の魔王に剣を突き立てる事!!
「……っ、兄さん!」
そのか細い声は、剣撃の合間の僅かな静寂に響いた。
意識が戻り五感が復活したカイくんの弟が、泣きそうな顔で上げた声だった。
カイくんの瞳が僅かに揺れる。ほんの僅か、一瞬にも満たない刹那の揺らぎ。
加速した世界にいる私には、十二分の隙だった。
甲高い音を立てて、カイくんの手から黒の剣が弾かれた。剣はくるくると宙を舞い、床に深々と突き刺さり …… 。
私は体当たりのように彼にぶつかりながら、剣を突き出した。




