絶対Sだよ、この人たち。
午後からの訓練が始まる。
私は、スープとジュースでお昼御飯を済ませ、メイちゃんに着替えを手伝って貰ってから、魔法使いの講師を待った。
うう、どんな人だろう。やっぱシグルズみたいにスパルタかなあ。
ドキドキしながら座ったまま扉を見つめた。
相変わらず手は震えるし、体は重いけど、立てるくらいには回復した。
こんこんとノックの音が響く。
「失礼するよ」
現れたのは、涼しげな目元の20代後半の男だった。
やだ、イケメン!
すらりとした体に、深い青髪、神秘的な琥珀の瞳、女も羨む白い肌。整った顔立ちだが、優しげな笑みが美形特有の冷たい印象を消していた。
「初めまして。僕は君の魔法の講師を務めさせていただく、魔法使いのフィンです。よろしくね」
フィンさんはにっこり笑って、優美で長い指の手を差し出した。
「クロリス・カラナです。よろしくお願いします」
うわあ、なんか緊張しちゃう。
おずおずとフィンさんの綺麗な手を握って握手する。
フィンさんと私は訓練場の中央へ、メイちゃんは部屋のドアに近い隅に待機する。
剣の訓練の時もいたメイちゃんの定位置だ。時々退出しては飲み物やタオルなんかを持ってきてくれる。
「では、魔法について知っていることを教えてくれるかな?」
フィンさんは、柔らかく私に質問した。
彼は物腰が柔らかく、礼儀正しくて誰貸さんとは大違いだ。
「ええと、殆ど何もしらないです。魔法を見るのも、お祭りの時のお祝いの花火くらいで」
正直に言う。魔法は誰でも使えない。というか、使える人の方が断然少ない。
魔法使いなんて雲の上の人で、それこそお祭りの時にしか見たことがない。
当然魔法だってお祭りの花火以外に見たことがない。何たるかなど知る由もなかった。
「魔法とは、自分の魔力を媒介に世界に満ちるマナを集め呪文で事象に変換する事だ」
うーん、分かるような分からないような。
「例えば蝋燭が触媒たる自分の魔力、火がマナ、蝋燭が燃えるのが事象だ。己の魔力を媒介にして、火のマナを使い、呪文で引火させて蝋燭に灯をともす」
フィンさんはそう説明してから、右手を手のひらを上に向けて前に出した。
「実際にやってみよう。まず僕の魔力を媒介に、周囲のマナを引き寄せる」
ふわりとフィンさんの手のひらの上に淡い赤の光が灯る。
「集まった火のマナに呪文で引火させる」
光は細くなって小さく複雑な模様を描いた。そこへフィンさんの一言。
「イグナイテッド」
光の模様が燃え上がり、ぼぼっと手のひらの上に炎が現れた。
「今、僕の魔力を蝋燭の芯にして、マナを燃料に火を燃やしている」
フィンさんは火をかざしたまま説明する。火の中には、よく見ると最初の光の模様が一際明るく輝いて見えた。
「これが魔法の基本だ。無から有に変える力。自在に使いこなせれば何だって出来る可能性を秘めている」
凄い。格好いい。
「ただし、制御が非常に難しい。自身の魔力の制御は勿論、マナの取り扱いを一歩間違えれば」
フィンさんは、火の中の光の模様をほんのちょっと崩す。途端に手のひらの上の炎が弾けた。
あちちちちっ。
火の粉が飛んできた。慌てて手をかざして顔を庇う。
「と、まあ今のはわざと暴発させたからこの程度だけれど、見ての通りの危険度さ」
軽く肩を竦めてフィンさんが言う。
「呪文自体は切っ掛け程度だから、何を言ってもいい。ただあまりにかけ離れた意味の呪文にすると、やはり失敗する」
この時、私はフィンさんの説明を聞いてもうわあ難しそうだな、くらいに考えていた。直ぐに大間違いだと身を以て知ったけれど。
「さて、このまでは理論だ。実際に実技をやってみよう。メイ」
「かしこまりました」
メイちゃんが、フィンさんに一礼してドアから出ていく。
「?」
「魔法は危険だからね。準備もそれなりに要るんだよ」
またドアがノックされ、開いたドアから女性が一人入ってきた。腰まで伸ばした黒髪に紫の瞳、二十歳くらいの美人だ。
「この国随一の回復魔法の使い手だ」
「んふ、フーリエよ。よろしくね。勇者様」
彼女は少し鼻に掛かった甘ったるい声で挨拶してから片目を瞑った。白いローブ姿の上からも分かる大きな胸元と、目元の泣きホクロが色っぽい。
へえー。回復魔法が使える人って始めて見た。って何故にそんな人が今ここに?
「よろしくお願いします」
取り敢えず女性に向かって頭を下げる。フィンさんが、にっこり笑って言った。
「さて、始めようか」
はっきり言おう。私はこの時まで魔法を舐めていた。それを思い知る事になる。
額からふつふつと流れる汗が滑り落ちる。目が霞んで、荒い息が洩れる。その事が只でさえなけなしの集中力を乱す。
魔力を媒介にする。それはとても精緻で繊細な作業だ。引き起こしたい事象を想像し、それを引き起こす為の魔力を編み込む。イメージとしては、糸だ。細い糸を編み上げて形作る。
それは普通の人には目に見えるものではないのだが、魔力を持つ人には目視することが出来る。
私は手のひらを上に向けて、そこへ魔力を集める。その魔力を細く細く、糸のようにして精緻な模様へ編み上げていく。
フィンさんのように瞬時に形にはならない。ゆっくりゆっくりと魔力を細く変換して、編んでいく。この作業の一つ一つに、がりがりと精神を削られる。
また、汗が頬を伝う。頬から首筋へ流れる感触。
くすぐったい。気持ち悪い。そんな小さなことで、気が逸れた。
赤い光の模様があと少しで完成、というところでゆらりと揺らいで、一部がぷつんと切れる。
途端に光の模様に集まっていたマナが荒れ狂い、牙を剥く。
「あああああっ!」
火のマナを集めていた私は、腕を炎に焼かれた。
「イグニスパグナ」
フィンさんの魔法が水を具現させ、私の腕を包み込む。炎が消えて、私の腕に火傷と痛みを刻み込んだ。
「はあい、治れ」
フーリエさんが瞬時に腕の火傷を治してくれる。私がさっき使おうとしていた魔法とは比べ物にならない複雑な魔力の構成が瞬時に編み上がる。
「惜しかったな。構成そのものは、ほぼ出来上がっていた」
フィンさんは私が失敗する度に、懇切丁寧に何処を失敗したのか、どうすればいいのか教えてくれる。
それから優しく、出来ている部分は褒め、言うのだ。
「もう一度頑張ろう。君なら出来る」
優しく天使の微笑みで。
悪魔の笑みだこれ。イケメンの優しい笑みにときめいたのは最初だけ。
先程から既に何回目になるのか分からないやり取りだ。
魔法を使おうとしては、失敗して腕を焼かれフーリエさんが治してくれる。その度に激痛、そして瞬時に治され、また挑戦。
絶対Sだよ!この人たち!それも、『ど』がつくSだね!
何が大丈夫だ!何が惜しかったな、だ!何が君なら出来るだ!
全然大丈夫じゃないよ!超痛いし、超怖いよ!!
心の中で散々悪態をついて、泣き言を言う。悪魔みたいな二人に不平不満をぶつけて、泣き喚いて好きなだけ心を荒らしてから。
大きく深呼吸して、心を凪の状態にする。そうして、魔法の制御に全神経を傾けた。




