一時の平和
目が覚めると、眠っているシグルズの熱は下がっていて、頬に赤みが差していた。メイちゃんもまだ寝ているけれど、顔色が良くなっている。
そして、仏頂面のフィンさんが座っていた。
彼の姿は散々で、頬には擦り傷と泥、ローブは所々破れているし、焦げている所や血の付いた所もある。座り方もいつもの優雅な佇まいではなく、どこかだらけた様子だし、常に湛えている微笑みは不機嫌そうな表情にとって変わっていた。
「おはよう、クロリス」
「フィンさん、無事だったんですね」
私は寝ている二人を起こさないよう、小さな声で囁いた。
窪みの入り口に腰を下ろしているフィンさんは、白む朝の空気の中で憔悴した様子ですら絵になった。
本当、イケメンは得よね。などと思わず場違いな感想を抱く。
それが伝わった訳ではないだろうが、フィンさんは目の下にはっきりと隈を浮かべ、私をじとっと見る。
「ああ、無事だとも。ほぼ一晩中あいつらを撹乱して、引きずり回してクタクタだっていうのに、メイの目眩ましの魔法は優秀だったよ。見付けるのにどれだけ苦労したことか。おまけに皆寝こけてるから、見張りに起きてなきゃならないし」
フィンさんはぶつぶつと文句を言ったが、それでも皆を起こさないようにやはり小声だ。不機嫌ながらも仲間を気遣うことは忘れない。出来る男、フィンさん。
「あ、あははは。お疲れ様です」
私はフィンさんに心の中で謝りながら、乾いた笑いを浮かべて取り敢えず労う。
「それで?随分顔付きが変わったけれど、覚悟は決まったってとこかな?」
「はい」
腰に差した剣の柄を握る。無機質な筈の剣の柄が、掌の中で脈動している。
「敵は残り3人。おそらく全員魔族だ。僕の渾身の氷から抜けたからね。特に赤毛の男、あいつは強い」
「分かってます」
「サポートに回りたいところだけど、正直僕もほぼ魔力切れだ。シグルズも満足には動けない。回復を待ちたい所だが、それまで見付からないでいられるかどうか」
やや乱れた髪を掻き上げて、フィンさんは渋い顔だ。
「私が戦います。もう震えない。まだ少し怖いけど、皆に勇気を貰ったから」
信じてくれたメイちゃんから、優しく泣かせてくれたシグルズから、戦う意味を確認させてくれたカイくんから。貰った勇気が私に灯をともす。
フィンさんはそんな私を琥珀の瞳で透かし見て、ふっと微笑んだ。
「なるほどね。やはり君は勇者だって訳だ。ま、それはいいとして」
そこで一度区切ってから、半眼で私を指差す。
「いつまでそうやっているつもりだい?」
正確には抱き合うように横になる私とシグルズを。
「へ?あ、ああ?!」
そうだったあ!うわああ!恥ずかしい!
慌てて身を起こそうと、私の体に回されたシグルズの腕をそっと持ち上げようとして、青い瞳とかち合った。
「起きてたの?!」
「そりゃ起きるだろ。そんだけ騒げば」
「だったら声かけてよ!」
「いや、まあ…… 折角だったし」
非難する私にシグルズは目を逸らして歯切れが悪い。後半はぼそぼそと聞き取れなかった。
恥ずかしさもあって、私はシグルズの腕を乱雑に叩き落として身を起こす。
「クロリス様!」
そこへ背後から抱き付いて来た人物がいる。メイちゃんだ。彼女は私を抱き締めつつ、然り気無くシグルズと私の間に体を入れた。
「全く油断も隙もない!」
「起きたんだ、メイちゃん。体調は大丈夫?」
「ええ。よく眠らせて頂きましたから。それよりもシグルズ様!」
メイちゃんは私に、にっこりと答えてからシグルズを睨む。
あれ?メイちゃーん?顔が恐いですよ?
「お、おう」
メイちゃんの剣幕に、若干引きつった顔でシグルズは半身を起こして後退る。
そんなシグルズにメイちゃんは手でしっしっと払う仕草をしながら、回復魔法の構成を編んでいるのが見えた。
「どさくさに紛れてクロリス様に何させているんですか!ええい、母性本能なんかくすぐらせませんよ。早く治ってしまえ」
なんか凄い台詞を呪文にして、回復魔法が発現する。メイちゃんの回復魔法では深い傷は治せないが、何度も重ね掛けすれば、かなり治せるのだ。
「助かった。ありがとう、メイ」
手を握ったり開いたりして具合を確かめ、シグルズが礼を言う。
「言っておきますけど、普通にしている分にはいいですが、戦闘なんてすれば傷が開きますからね。それと」
メイちゃんはシグルズに指を突き付けてから、私の肩をがしっと掴んだ。
「いいですか、クロリス様。男は狼なんですよ。油断しちゃいけません!」
「え?いや、私に女の魅力なんてないし、油断も何もないって」
あっはっは!メイちゃん心配性なんだから。
自慢じゃないけど、男の子にモテたことなんて一度もない。何故か女の子にはモテたけど。
「はあ、楽しそうな所悪いけど、そろそろ気付かれたみたいだよ」
フィンさんが溜め息混じりに立ち上がった。空に向かって上がる魔法が見えたのだ。おそらく仲間への合図だろう。
シグルズも大剣に手をかけて立ち上がろうとする。その額を私は手のひらで押した。
「私が戦うから、シグルズは見学」
「…… 戦えるのか?無理しなくていい。傷なら平気だ。俺がなんとかしてやる」
「凄く魅力的な提案だけどね。これは私の戦い。信じて見てて」
腰の剣を抜きながら微笑んで、フィンさんの横をすり抜け崖下の窪みから出る。その間に魔力を練り上げていた。




