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ダンジョン国家日本  作者: ネムノキ


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22 3極冷戦4

 欧州大戦により、イギリス・フランス・ベルギー・オランダは明白に没落した。しかし転落する落ち方が違った。

 イギリスはゆっくりと植民地帝国を解体し、旧植民地に資本や影響力を残せた。

 オランダは東インドを独立させ共栄圏に譲り渡すことで、中南米の植民地を維持する力を捻出出来た。

 ベルギーはコンゴ独立のため、インフラや教育機関の整備に協力することで影響力を残そうとしていた。

 フランスはどうにもならず、空飛ぶ飛行機からパラシュート無しで落下するかのように、植民地帝国は崩壊していった。




 フランスが、シリアを同盟に、インドシナを共栄圏に、もぎ取られていった様は既に記した。

 中南米のフランス植民地はというと、欧州大戦中にその資本をアメリカに売却しきってしまい、旨味がなくなったので1950年までに独立させていた。

 では残るアフリカはというと、サハラ以北とサハラ以南で事情が違っていた。


 サハラ以北のフランス領、アルジェリア・保護領チュニジア・保護領モロッコは、欧州大戦中にイタリアの援助を受け。自由フランスを支える工業地帯になるべく、ダンジョン鉱山からの様々な資源を得て、それを使ってモノを造る工業と、完成した商品を世界へ売るためのインフラまでの動線の全てが程々に発展していた。

 欧州大戦終結時、フランス経済の中心と言えたのは、これら北アフリカのフランス植民地であり。これらの地域は、フランスに残ることでフランス本土を足掛かりにヨーロッパへ影響力を持とうとしていた。

 つまるところ、アルジェリア・チュニジア・モロッコは、フランス本土を逆に『植民地化』することを企んで、フランスに残留したのである。

 これに欧州諸国は良い顔をせず。イギリスはフランス本土を復活させるべく、またイギリス経産界の利益にもなることから、インフラや工場といった設備をフランスに販売した。

 だがそれでも、フランス本土はアルジェリア・チュニジア・モロッコのおまけ以上になれなかった。それほど、欧州大戦の被害が大きかったのだ。


 一方サハラ以南のフランス植民地は、欧州大戦によって兵士として働き盛りの男手を取られていって、半数は戦死した(正確には3割5分戦死し、2割はフランス本土に残った)。

 それだけの血を流したのだからと、サハラ以南アフリカは、フランスからの独立を望んだ。フランスにそれを止める力はなく、その『力がない』ことが悲劇を生んだ。

 3極冷戦第3ラウンド『アフリカ大乱』である。




 サハラ以南のフランス植民地は、好き勝手に独立を宣言。調停者なく独立していった諸国は、ダンジョンや鉱山、水源に森林を求めて隣国と争い。国と国で争っていたら、自国内の部族どうしが争いはじめ、村どうしが争いはじめ。

 1951年には、サハラ以南の旧フランス植民地は、誰が敵で誰が味方か分からない。そんな酷い戦争で埋め尽くされていた。

 おまけにその戦争は旧フランス植民地に留まらず、1952年中頃には、ベルギー領コンゴ、イギリス領西アフリカにも飛び火。もはや手が付けられなくなる。


 この戦争を抑えようとした国々があった。

 スペインはスペイン領サハラへ出兵し、モーリタニア建国へ貢献。しかしスペイン領ギニアについては、ビオコ島とアンノボン島以外の大陸部を喪失してしまう。

 ポルトガルは、特に活発に動いた。

 ポルトガル領である。ギニア・アンゴラ・モザンビーク・保護領コンゴへ出兵しつつ現地軍・ダンジョン探索者・工業を育成。ただ資源を産出するだけの植民地から、モノも買ってくれる市場へと、遅まきながら育てはじめた。

 また現在でいうところのセネガル・ガンビア・ギニアに援助して1970年までに友好国を建国させたし。ベルギー領コンゴの西端部、アンゴラと保護領コンゴを繋ぐ地域にベルギー領コンゴの政府と軍が存続するよう援助し続けた。


 当然、この戦争を煽っていた国々があった。だから上に挙げた地域以外は乱れ続けた。

 アメリカはその経済的植民地であるリベリアやイギリス領西アフリカの港に拠点を置き、周辺の部族へ武器を売っていた。

 イタリアはサハラ交易の相手であるチャドやニジェール辺りの部族に武器を売っていた。

 旧フランス領の荒れ様に危機感を抱いたことで、自治権を拡大しつつもイギリスからの独立は見送っていたエジプトとイギリス・エジプト領スーダンは、インフラ整備の資金稼ぎにと、イタリアとは別のチャドの勢力に武器を売った。

 アフリカ分割からこの方搾取され続けてきたアフリカ諸国に、あまり予算はなかった。だからアメリカやイタリア、エジプト・スーダンが売ったのは、銃や機関銃、トラック程度だった。

 しかし欧州大戦を戦った人々が、中途半端な中毒兵の技術を持ち帰っていたことで、アフリカでの戦争は『大乱』と呼ばれるほどの争いになってしまった。


 中毒兵まではいかないが、麻薬中毒になった兵は倫理観の箍が外れやすく。アフリカのあちらこちらで虐殺と、その報復の虐殺が行われた。特に同盟と連合国の代理戦争という形になったチャドでは、アフリカの他の地域以上に戦争が激化した。

 結局、アフリカ大乱は人の手によって終わらせることが出来なかった、いわば『人類の汚点』として、後世知られるようになる。

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