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ダンジョン国家日本  作者: ネムノキ


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21 3極冷戦3

 3極冷戦にはあまり関係ないが、大きな戦争が起こったのは『インド』と『インドシナ』だ。


 欧州大戦にて、イギリスに多大な兵器と兵士、資金を送ったインドは、戦後独立運動を激化させた。しかし独立するに当たって、イスラム教徒が多数を占める地域を別に独立させるか、それとも共に独立させるかで揉めた。

 1951年1月1日付で、インダス川流域からビルマ地域に至るまでのインドが、同一の国として独立したが、その前から揉めていた。インダス川流域やベンガルデルタはイスラム教徒が多いし、ビルマは仏教徒が多い上にインドとは別の文化圏。揉めるのも、当然のことだろう。

 宗主国だったイギリスは、


『我々から独立するんだから、我々の問題ではない』


 とこの問題に知らん顔。こんなことより産業の壊滅していたフランスに工業機械を売り、カナダにイギリス資本を残す作業で忙しかった。

 結果、インド独立と同時に、インダス川流域は『パキスタン』として、ビルマ地域は『ビルマ連邦』として、ベンガルデルタは『バングラデシュ』として、インドからの独立を宣言。そのまま戦争が始まった。


 パキスタンには、イラン伝いで同盟諸国とソ連からの武器が流入しつつ。中東戦争で戦い足りなかったアラブ義勇兵が参戦した。

 ビルマには、隣国タイから武器が流入。前線が停滞した辺りからは、タイに近い後方の都市部へ工業機械が輸出され、国家基盤となる産業が発展し始めた。

 バングラデシュには、アラブ商人がタイから購入した武器が流入した。

 インドは、イギリス植民地時代から引き継いだ工場があったし、多産推奨のヒンドゥー教徒が多いので、自力で戦えていた。それにアメリカやイギリスとの伝手を使えば、兵器の類は簡単に確保出来た。


 インドは、戦争が始まって半年経たない5月、メコン川が増水する季節に入ると共に、ビルマ・バングラデシュの占領を諦め、停戦。そのままこの方面の国境が決まる。

 一方西部、パキスタン方面では戦闘が激化。イギリス統治時代、イギリスが煽ったイスラム教徒・ヒンドゥー教徒間の宗教問題も絡み、戦争はどんどんと激化していった。




 1955年になっても、インド・パキスタン間の戦争は終わらず、両国はただただ疲弊しており。2月、イタリアと日本が仲介する形で、休戦協定が結ばれる。


 イタリアは、パキスタンを同盟勢力に迎える、という利益があった。

 日本は既にビルマとバングラデシュを共栄圏に迎えており。その両国で四苦八苦しているダンジョン管理を、インドにもやらせる、という取引があった。


 それらの理由から両国は休戦を仲介したのだ。




 欧州大戦の際、多数の兵士を自由フランス軍へ送ってインドシナは、欧州大戦終結後の1945年10月、フランスに力がないことを理由に独立を宣言していた。しかし文化の違いから、ベトナム・ラオス・カンボジアと3つに分かれて戦争を始めた。

 これら3か国は、いずれも欧州大戦で鍛えられた兵士が軍の中心となっていたから、戦争の趨勢を決めるのは兵器の質と数だった。


 ラオスとカンボジアは、西の隣国タイから武器を購入しようと企んだ。しかし独立したばかりの両国に、十分な兵器を買える金はなかった。

 またこの時のタイは、更に西、独立運動盛んなインド(ビルマ)の紛争が波及してくることを恐れており、両国へ支援する武器はなかったし、この3国の戦争そのものが迷惑だった。

 ベトナムはアメリカからの武器輸入を考えたが、やはり金がなく満足に買えなかった。

 このままだと泥沼化すると危惧したタイは、日本にこの戦争をどうにかして終わらせられないか、お願いした。


 お願いされた日本は、1948年7月、3国の仲介に乗り出した。

 この谷は俺のモノだこの川は私のモノだと、会議の場でも殴り合う3国の代表を定期的に鎮圧しつつ、講和会議を続けていると、1949年12月、ラオスとベトナムの国境線沿いの軍と村が何者かに襲われて全滅する事件が起こった。


「お前がやったんだろ!?」


 激昂するラオスとベトナムの代表を鎮圧し、日本の代表は現地に日本軍主体の調査団を派遣、詳しく調査に当たらせる条件を呑ませた。

 日本の代表はこの虐殺を行った存在に心当たりがあった。そして調査の結果、その通りだと判明した。


「いやー、ダンジョンで鍛えられた虎は強敵でしたね」


 現地入りした日本軍は、あっさりと虐殺犯な虎を退治してみせた。しかも、現地の森林に配慮して、素手で倒すほどの余裕を見せて。

 3か国は恐怖した。軍を殲滅し得る、ダンジョンで強化された虎と、そんな虎を素手で楽々と倒せる日本軍の練度に。

 ここから、ベトナム・ラオス・カンボジアの停戦協定は急速にまとまり。1950年2月20日、インドシナ戦争は終結、国境線も決まり。また3国は共栄圏に入りダンジョン管理を厳密化していくことも決められた。


 この騒動を受けたタイは、インドで戦争が起こった時の備えとして、象や牛をダンジョンで鍛えはじめ。それをベトナム・ラオス・カンボジアも真似した。

 タイ・ベトナム・ラオス・カンボジアの象軍団が、インドシナ地域を代表する精強な軍隊として知られるのは、3極冷戦の終わり頃のこと。

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― 新着の感想 ―
小口径の拳銃なら効かなさそう
各国のダンジョン事情もそうだけど、公海やら未踏区域にもダンジョンは存在するので、いずれ亜人だけの国とか台頭してきそう
兵器の発展とどちらが強くなるのが早いのか楽しみ
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