18 欧州大戦6
1944年3月1日にアメリカが対独戦へ連合国側から参戦したことは、欧州大戦の大きな転換点となった。
アメリカはそれまで以上にイギリス・ソ連へ武器や食料を輸出し、両国は前線への圧力を強めた。
海底ダンジョンからの資源産出量が増加していた日本も、有り余る資源を消費すべく、両国への武器輸出を強化した。
6月6日には、イギリス・アメリカ軍を主力とする連合国軍が『ノルマンディー上陸作戦』を決行。フランス北部へ橋頭堡を築き、フランス解放へと進撃。
そして地獄を見た。
実質的にドイツの傀儡国であったヴィシーフランスは、ナチスの感心を買うためか、ドイツ以上に反体制側の人間をゲットーに放り込み、そうでない人間は畑や工場で徹底的に働かせ、多量の工業製品と農産物をドイツに供給しつつフランスの『ナチス化』を進めた。
あまりに手早く・過激に進んだヴィシーフランスのナチス化に、ヒトラーは、
「こんなことならフランスに攻め込むのではなく、調略すれば良かった!」
と嘆いたほどだった。
そんなヴィシーフランスは、東部戦線で実験された『ゲットーをモルヒネ漬けにして中毒者を前線に叩き付ける』戦術を当然のように研究しており。モルヒネの代わりに大麻を使うことで、より安価な中毒兵の生産を実現していた。
ノルマンディーに上陸され手が足りなくなったドイツ軍を助けるべく、ヴィシーフランスは中毒兵を連合国軍へとぶつけた。ぶつけまくった。
降伏することなく、痛みに鈍く、ひたすらに暴れまわる中毒兵に、連合国軍は大打撃を受けた。戦後国際政治の主導権を見据えていたアメリカ・イギリス軍と、白人に抑圧されてきたフランス植民地からの黒人・アジア人主体な自由フランス軍は、躊躇なく中毒兵を殺していた。だというのに大打撃を受け進軍が遅れるほど、中毒兵は暴れた。
そんな光景は、6月20日からのソ連の大反攻『モスクワ作戦』が始まった東部戦線でも見られた。モルヒネや大麻の中毒になった元はソビエト人民であった中毒兵が、ソ連軍へと叩き付けられていった。
ドイツ人からすれば、そのうち自分達が入植するための土地でしかない旧ソ連領の人々など邪魔でしかないので、ドイツ軍は中毒兵を使ったのだ。
中毒兵の利用は、ドイツ軍首脳部を割れさせた。
ナチス政権下のドイツ軍は、旧プロイセン軍の流れを組む『国防軍』と、ナチスに憧れ熱狂した人々からなる『親衛隊』の2つに大別された。
国防軍からしてみれば、中毒兵は邪法も邪法で許されないことだ。しかしナチズム塗れな親衛隊からすれば、中毒兵は使い潰すべき兵器でしかない。
当然国防軍は中毒兵の導入を渋った。しかしナチスという政権与党からの命令を渋った国防軍は、嫌がらせのように困難な作戦に従事させられ潰されていった。
そこで国防軍首脳は、ナチスの中心であるヒトラーを暗殺し政権を奪取するクーデターを企んだ。しかしナチスの秘密国家警察であるゲシュタポに察知され。先んじて逮捕されたり左遷されたりして、国防軍首脳は力を失っていった。
国防軍勢力が没落する反面、ナチス政権の信者である親衛隊はますます勢力を拡大したのは、当然の流れだろう。
これにより、東西の戦線で中毒兵はますます利用されるようになり、痛みに鈍い中毒兵を効率的に殺傷するため、連合国軍とソ連軍の倫理観の箍はどんどん外れていった。
ドイツ側はと言うと、より素早く・より安価に・より強い中毒兵を生産するための人体実験に余念がなかった。
欧州大戦は、人間がどれだけ残酷になれるかの見本市と化していった。
人の手によって造られている地獄に、世界は恐怖した。特に武器輸出の主体となっている日本・イタリア・チェコスロバキアは、商談の中の雑談で地獄がサラッと語られることに忌避感を抱いた。
「中毒兵は危険だ」
「その危険性を軽く語る連合国及びドイツはもっと危険だ」
イタリアとチェコスロバキアは、中毒兵を高効率で殺傷するための大量破壊兵器の研究に邁進した。
日本はというと、ソ連が確保した中毒兵に、ダンジョン産の薬草から作った『ポーション』を投与し、元に戻せないかの研究を進めた。
ダンジョン探索の中で、ダンジョン内に生える野草を料理として煮込んだところ、偶然その効果が発覚した薬草群を使ったポーションの研究は、ソ連へ輸出する医薬品を増やすため、欧州大戦中猛烈に進んでいた。だから結果が出るのは早かった。
いわゆる状態異常解除系のポーションを投与することで、中毒兵の凶暴性はあっさり解除出来た。回復系のポーションを投与すれば、萎縮したり壊れたりした臓器を回復でき、日常生活に戻すことすら可能だった。
1944年10月頃、状態異常解除ポーションを利用した発煙弾を日本は完成させ、イギリス・ソ連に輸出。
試しに使ってみたところ、中毒兵の無力化に十全に使えたことから、連合国軍・ソ連はこの『対中毒兵発煙弾』の大規模な輸入を開始。
対中毒兵発煙弾が使われるようになった、東部戦線1945年1月頃、西部戦線1945年3月頃。中毒兵が無力化されたことと、そもそも中毒兵に出来る反体制派の人間が枯渇してきたことから、ドイツ軍の前線は崩壊。
ドイツは東西から潰され。1945年5月20日、連合国軍の攻撃によりベルリン陥落、ドイツ総統ヒトラーをはじめとしたナチス幹部の自殺した死体も発見される。
この後、ドイツ東部に残っていたドイツ軍は次々と連合国軍に降伏し、東部戦線で戦っていたドイツ軍も、戦死するか降伏して証明。6月30日、ダンツィヒにて連合国軍とソ連軍は握手を交わし、ドイツ全土は連合国軍とソ連軍によって占領された。
ドイツ首脳部の中で、降伏出来た者は海軍元帥カール・デーニッツくらいだった。他は自殺するか、どこかに逃亡するか、重度の麻薬漬けでポーション治療したは良いものの記憶が飛んでいた。
占領地を拡大するため無茶な前進を行い虐殺・略奪を繰り広げていたソ連軍よりも、可能な限り捕虜を取っていた連合国軍にドイツ軍を降伏させたいと考えていたデーニッツは、前線の退却速度を調整することでオストプロイセン除くドイツ領を連合国軍に占領させることに成功した。
これにより、ポーランド領を境に、東をソ連が、西を連合国軍が管理することが決まり。この欧州大戦終結時から、『3極冷戦』が始まった。




