16 欧州大戦4
ヴォルガ川・カマ川・ウラル山脈ラインでドイツに出血を強いるつもりなソ連だったが、足りないものがあった。それは兵器であり、食料である。
鉱物資源については、シベリア各地のダンジョン鉱山から得られた。兵士も、まだまだ徴兵出来るし金や銀の採掘量が減ってしまうがダンジョン鉱山から転用することも出来る。しかし兵器と食料については、全く不足していた。
そこでソ連は、遥か、とは言えなくなった極東の国々、日本・満洲国・カムチャツカ共和国と交渉を持った。アメリカと交渉を持つ前に、近場で済ませられることを済ませようと考えたのだ。
満洲国とカムチャツカ共和国との交渉はすんなり決まった。満洲国からは穀物と布製品に荷馬を、カムチャツカ共和国からは魚介類の缶詰を、ソ連は戦時価格にしては安価で入手した。
日本との交渉は難航した。そもそもソ連と日本は互いに仮想敵国なため、日本としてはソ連に武器を売りたくなかったのだ。そこでソ連は、日本の国防上の弱点である『北樺太』を売却して、日本を引き込もうとした。
当初、日本はこの提案を断った。欧州大戦前、ソ連が独立したばかりのカムチャツカ共和国へ攻め込んだ『熊戦争』の情報をカムチャツカ共和国から得た日本は、ある確信を持っていたからだ。
「ダンジョンで探索したりダンジョン産の食物を食べたりすれば、身体能力は向上する」
「その能力向上は、人間以外の動物にも起こる」
いくら軍を支えるインフラと士気がなかったからとはいえ、粛清の嵐が吹き荒れていたとはいえ、仮にも軍隊が熊ごときに負けるのはおかしい。
そう考えた日本軍は、カムチャツカ共和国へ進出する企業の調査隊という形で、熊戦争の戦場を調査した。そこには確かにダンジョンがあり、そのダンジョンには熊が出入りしており、そしてダンジョン探索していた熊は戦車が目じゃない程度に強かった。
このことから。
『管理されておらず動物が出入りするようなダンジョンの周辺は強化された動物が跋扈する危険地帯である』
という結論を、日本陸海軍は得ており。
つまり海底ダンジョンに出入りする魚や鯨が、将来的には艦船を沈めるようになると、日本の軍と政府は確信していた。
島国である日本にとって、航路の安全が保障出来なくなることは、国家存亡の危機である。欧州大戦始まった頃から、日本は日本列島周辺の海底ダンジョン探索に力を入れつつ、外、台湾や南洋州での海底ダンジョン探索に余力を当てて航路の安全を高めようとしていた。
だから1930年代中頃から増えに増えていた人口はダンジョン探索とそれを支える工業分野に十二分に吸収され。それでもなおダンジョン探索と工業は人手不足気味だった。
そんな中、ダンジョン管理の怪しい北樺太を渡されても、管理するための人手が足りずむしろ足を引っ張りかねないのだ。つまり日本にとって、この時の北樺太は不良債権で魅力がなかった。
ソ連にとって、北樺太を代価に日本から武器を買えなかったことは、大きな衝撃だった。北樺太という資源地帯を邪魔だと言わんばかりの日本側の態度は、交渉のレートを上げるためのテクニックにしてはおかしなものだった。
混乱したソ連とスターリンは、アムール川以南の沿海州も代価に加えた。日本の態度は更に渋いものになった。
日本が領土に飛びつかないのは売りたくない商品を要求しているからだと勘違いしたソ連は、代価を変えずに日本から購入する兵器を変更した。一番欲しかった戦車や戦闘機、大砲の類を省いて、小銃と機関銃、スコップやツルハシといった土木道具、各種医薬品に限定したのだ。
日本軍としては、沿海州と北樺太が日本領になれば、日本海側の脅威から解放されるため、ダンジョンという脅威がなければソ連の要求を飲みたかった。
また砲火力なく銃だけで戦争の趨勢を決めるには多大な戦死者を出さねばならないことを、日本軍は日露戦争から学んでいた。
ここでソ連の要求を呑めば、沿海州と北樺太というソ連の領土を削った上で、ソ連人民を合法的に減らせる。そう企んだ日本は、ソ連からの条件を少し変え。
『北樺太の日本への割譲』
『アムール川以南沿海州を日本の保護国たるトランスアムール共和国として独立させる』
ことを条件に、ソ連への武装輸出を決めた。
日露戦争時に鹵獲した『モシン・ナガン』が、旧式ではあれど最前線でも使われていたことから、1942年2月頃から、日本はこれをコピーして大量に輸出した。
あくまでこの武器輸出は、長期間ソ連をドイツと戦わせて弱体化させるのが目的だったので、機関銃の類は小銃と比べるとほとんど輸出されなかった。
その他医薬品や土木道具については、小銃より多いくらいに輸出された。人でなしの所業を行っている自覚からか、医薬品は特に多かった。
更に、交渉レートを高くし過ぎた自覚のあった日本は、アメリカからのトラック・戦闘機・戦車・保存食の輸入、タイからのゴム輸入を成立させようと駆け回るソ連外交官へ協力した。
まず間違いなく、アメリカやタイとソ連との貿易協定は、日本無しでも成功していた。しかし日本が間を取り持ったことで、ソ連のスパイ活動を警戒していた両国は比較的スムーズにソ連への大規模輸出を決めたのだ。




