情報と教訓と国境と
白山達一行は山賊に襲われた以外は、特に異常なくオースランドとの国境の都市であるジョゼまで到達した。
ここまでの予定はそれほど遅れもなく、ジョゼで1日休息を取り、それからオースランドへ入る予定になっている。
白山達の部隊だけであれば、特に休息の必要はないのだがリンブルク公御一行の体調を考えることも必要になってくる。
もし無理をしてオースに入って、疲労から失態を犯してしまえば、それだけで国益に影響が出るのだ。
それ故に国境の町で十分に休息を取り、万全の体調で入国する事になっていた。
国境の都市といえばやはり交易が盛んらしく、王都では見られないような品や、人々が行き交っている。
そんな中で白山は、目立たないゆったりとした現地の衣装に着替え、ブラブラとジョゼの街を歩いていた。
無論、衣服の下にはSIGとナイフを携行しており、背中に背負った袋の中にはMP-7が入れられている。
夕暮れの街で店じまいを始めた露天を冷やかしながら、さり気なく尾行の有無を確かめてから、少し混み始めた酒場に入る。
ドサリと背中の袋を床に置き、エールを注文した白山はそれと気取られないように店内の様子を確認してから、代金の銅貨をテーブルに置いた。
「はいよ、エールお待ちどうさま! お兄さん、食事はどうする?」
元気のいい看板娘に、適当につまみをたのんでエールをちびちびと飲み始めた白山は、何をするでもなくただ黙って店の中を眺めている。
「おう、兄ちゃんここ空いてるか?」
白山が目を向ければ、粗野な出で立ちで金属製のプレートを胸に巻き、ヒゲを蓄えた男が隣の席を指さしていた。
「ああ、空いている」
白山は素っ気なくそう言って、運ばれてきた肉の煮込みを口に運びながらエールを傾ける。
「兄さんも旅の身らしいな。俺は南から北へ向かっている。兄さんはどっちからだ?」
男もエールを注文し、看板娘に銅貨を渡しながら素早くその尻をなで上げる。
看板娘はそんな客のあしらいなど慣れたものらしく、素早く男の手をはたき落とし、小さく鼻を鳴らしながら遠ざかってゆく。
白山はその仕草に苦笑しながら、「俺は北から南へ向かっている」と男に答えた。
存外に叩かれた手が痛むのか、手を撫でながら白山の言葉に頷き、語を継いだ。
「南はかなり暑かったが、北の気候はどんなもんだ?」
「北の方は、過ごしやすい温度だ」
それを聞いた男は、満足そうにニヤリと笑ってから、少しだけ白山の方に身を寄せてきた。
「召喚の時以来だな。元気そうで何よりだ」
男の名前はシドニー・ウォルターといい、れっきとした召喚者だった。
しかし、この男の風体を見て現代からやって来たと言われても、誰も信じないだろう。
そのぐらいこの世界に馴染み、現代臭さを見事に消していた。
「ああ、そっちもすっかりこっちに馴染んだみたいだな。それで、仕事は進んでるか?」
ウォルターは、木崎から要望を受けて召喚された人員で、一般の隊員達は一切知らされていない。
唯一、そうした人員がいると言う事だけは人事ファイルに記されており、教官達は存在だけは知っている。
ニーズ・トゥー・ノーズの原則に従い、知る必要のない人間には、徹底的にその存在が秘匿されているのだ。
ここまで徹底した保全を行うのは、ウォルターの任務ゆえだった。
彼の任務はヒューミント。つまり人的資源を活用した情報収集を、主たる任務としている。
数人の同僚とともに呼び出されたウォルター達は、木崎が事前にスカウトしてきた冒険者や貴族の影達に対して教育を施し、基幹要員として育て上げた。
それも人目につかないように、マザーレイクの畔にわざわざ小屋を作り、そこで教育を施す徹底ぶりだった。
まるで、CIAのザ・ファームのような場所で、訓練を施された人員達は各地に散り、ケースオフィサーとして現地で工作員を探して育て、情報を吸い上げる。
ウォルターはオースランド方面の情報を司る、南部担当班を統括する立場だった。
「ああ、ねぐらは完成して荷物も運び込んだ。今後は手足を増やして、鍛えるのが最優先だな」
そう言って笑いながらエールを煽ったウォルターは、大声でおかわりを頼む。
一見すれば衆目を惹きそうなその声は、酒場の雰囲気にマッチしており、誰も気に留めない。
運ばれてきたエールを受け取り、再び看板娘の尻に手を伸ばすが、彼女も心得たもので巧みにお盆で防御していた。
このやりとりを見て、この男が他国の間者であると看過できる人間は少ないだろう。
「それで、これが頼まれていた資料だ」
そう言ってテーブルの下で手を動かし、マイクロSDのカードを白山に手渡した。
こうした電子機器を扱えるのは、この世界では白山達だけであり、現物を入手しても情報を読み取られる危険は少ない。
それに英語や日本語で内容を記述すれば、この世界の住人には、それだけで暗号足り得るのだ。
しかし、SOP<通常作戦規定>に従って、SDカードを内容はパスコードによるロックと暗号化が施されている。
過分とも言える保全措置だが、やりすぎという事はない。
「ああ、助かる。それで、少し向こうの情勢やネタがあれば聞かせてくれ」
それを懐にしまった白山は、今回の目的であるオースランドの情報をウォルターに尋ねた。
報告書としてSDカードを受け取ってはいるが、現場を見聞きした生の声は、文章には載らない貴重な情報が得られるものだ。
白山の言葉を聞き、エールのカップを静かに置いたウォルターはさり気なく周囲を見渡してからおもむろに口を開いた。
「おおむね情勢は安定している。王家の統率が行き届いており、それなりに強い軍を持っている」
そんな語り口で始まったウォルターの所感は、有益な情報を白山にもたらしてくれた。
興味深くその話を聞いた白山は、時折質問を交えながら、内容を頭に叩き込んでゆく。
「ああ、今日は助かった。ゆっくり飲んでいってくれ」
そう言ってテーブルの上に金貨を一枚置き、酒場を後にする。
ウォルターは軽くカップを上げて白山を見送ってくれた。
この静かな会合は、誰にも気取られることなく、そして誰の目に留まることもなく、街の日常として過ぎ去っていった。
「周辺に、不審な兆候はありません」
「……了」
店を出た白山の耳に、少しの空電雑音とリオンの澄んだ声が不意に響く。
山賊の襲撃は完全なイレギュラーだったが、良い意味でも悪い意味でも、白山達は注目を集める存在だ。
国内の防諜網が完成していない現在、どこで誰が白山の言動に耳目を寄せ、あるいは身を害するかわからない状況となっている。
もし白山が皇国の間者の立場だったとすれば、この会談は是が非でも、妨害しなければならないと考えるだろう。
そして王都から離れた国境の街で、白山が単独行動をするとしたなら、それは情報収集や暗殺の絶好の機会になる。
言ってみれば白山は自分の身をエサにして、周囲に虫が寄って来ていないかを確認するために動いたのだった。
白山の視界や感覚にもそれらしい人間は引っかからなかったし、バックアップとして白山を見守っていたリオンも、そうした影を捉えることはなかった。
ひとまず今のところは、問題なさそうだ。
もっとも、王都を車両で出発してから、休まずにジョゼまで到達しているのだ。
たとえ白山達の出発を王都で感知したとしても、車両よりも速い速度で情報を伝達して、襲撃や監視の手筈を整えるのは至難の業になる。
懸念されるのは、オースランドに到達してから向こうに根を張っている間者などが、何かしらの罠や襲撃が待ち構えている場合だが、それについては現地で対処するしかない。
安全を確保しようと部隊が独自に動けば、警備を担うオースランドにいらぬ不信感や懸念を与えてしまう。
部隊の運用や警備計画にも、繊細な機微が求められることになるのだ。
それ故に、今日の会合で得られたウォルターからの情報は、非常に有益なものになる。
客観的にオースランドの軍がどの程度の練度があるのか?
行政機構としての王家の統率は行き届いているのか? といった必要な情報が、漏らさず手に入ったからだ。
今日の宿泊場所である高級宿に戻った白山は、早速リンブルク公や前川一曹を集め入手した情報を共有する。
リンブルク公はその情報の内容に驚き、前川などは、やっと情報がまともに上がってくるようになったと、安堵していた。
必要な情報を共有した一行は、明日に備えて早々に床へ向かった。
明日はいよいよ国境を超え、オースランドに入国することになる。
あるものは不安と緊張を。そしてある者は期待を。それぞれに異なる心境を抱え夜は更けていった……
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一夜明け、本日はいよいよ国境越えになるのだが、部隊の雰囲気は一変していた。
他国への進出するという心境的なものだけではなく、見た目にも変化があった。
これまで隊員達が着用していた迷彩服は、緑や茶色を基調としたウッドランド迷彩だったのだが、全員が新しい戦闘服に袖を通していた。
召喚する数量とサイズの問題で、これまではウッドランドを着用させていたが、これから赴くオースランドは砂漠に近い環境だ。
そのため派遣隊員分の戦闘服を、マルチカム(OCP)に更新したのだ。
ただし、王国内では比較的緑が濃くOCPでは少し明るすぎるとの判断で、昨日の休息を利用して被服変更を下達したのだ。
それに伴い、タイヤへのチェーン装着やカモフラージュネットの変更、エアクリーナーの清掃とフィルターの追加を行い、全体的に明るい色合いになっている。
車両については、塗り直しは手間になるのでカモフラージュネットで代用することにした。
白山の経験上、少し走れば砂塵がまとわりつきすぐに砂色に染まるので、そこまでは必要ないと判断されている。
水トレーラーも満タンに補充し、出発の準備が整った。
河崎三曹の先遣班は、ここから別行動になる。
国境沿いに待機して万一の場合に備えた待機任務が続くことになる。
そして、彼らには帰投後の帰り道で本体に補給を行う為に、王都からやってくる補給班から燃料などを受け取り、それらの警備も行わなければならないのだ。
白山は高機動車に乗り込む前に、最終確認を行うべく河崎の所へ向かう。
その途中で彼らの高機動車に、不思議なものが飾られているのに気づいた。
その木彫の看板には、プレートキャリアの胸元に突き立った矢と説明文が書かれており、その横に実物のプレートと矢が掲げてあった。
『この間抜けは敵の接近に気付かず矢を受けたが、プレートを適切に装着していたので命拾いした。プレートは絶対に抜いてはならない』
白山は苦笑しながら、その文言を眺めていると矢を受けた当人が、バツの悪そうな笑顔を浮かべながら白山に敬礼してくる。
「良い教訓になったようだな。体の具合は問題ないか?」
答礼を返してから白山は、その本人に尋ねる。頭を掻きながら「問題ありません」と答えた隊員に頷き、その場を後にした。
あの看板は帰還後に部隊の本部に持ち帰られて、目立つ所に飾られることになるだろう。
こうして部隊の歴史とともに、教訓が蓄積され部隊は強くなっていくのだ。
「では、出発しましょう」
前川一曹からの無線を聞き、白山は後部座席のリンブルク公に声をかけた。
ゆったりとした衣服を着た公爵は、ゆっくりと頷きそれを見た白山は、ドライバーに合図を出し車両を出発させる。
進み出した車両はジョゼの街を抜け、国境を目指して進んでゆく。進むほどに木々の背が低くなり、岩や砂が目立ってくる。
国境の街道は、往来が多く、平坦な環境も相まって道路は広く作られていた。
交易で行き交う馬車を追い越しながら、車両は進んでゆく。
砂塵が立つために車間は少し広めに取ってあり、何事かと道行く人々は目を丸くしていた。
程なくして少し大きめの建物が見えてきて、白山は車両の速度を落とさせる。
距離数や情報の通り、あそこが国境の警備詰所だろう。
昨日のうちに本日国境を通過する旨を知らせてあったので、問題は起こらないはずだ。
しかし詰所に近づいて入国を知らせようとすると、突然オースランドの兵達が走り出て、一行に槍を突きつけてきた。
「何者だ!全員その面妖な馬車から降りよ!」
大柄でいかつい顔をした隊長と思しき兵士が、車両に向けて声を張り上げる。
警備兵の動きに、国境通過の順番を待っていた商人や旅人たちが、バラバラと詰所から逃げてゆく。
「高機ガンナーは詰所屋上に警戒、三トン半は正面兵士を警戒しろ。全員発砲は禁止する。待機せよ」
前川一曹の声が無線に響く。
入国前だというのに、初手からこの洗礼では先が思いやられるなと思いつつ、白山が事情説明に出ようとすると後ろから声がかけられる。
「やれやれ、手荒い歓迎ですね。では外交使節として、仕事をさせて頂きましょうかね」
そう言って声をかけてきたのは、リンブルク公だった。
「では、同行させていただきましょう」
白山は公爵の言葉に頷き、無線を手に取った。
「パッケージ1と俺が車外に出る。そのまま待機しろ」
「前川、了…… 何かあれば合図を」
そう言って砂を踏みしめて外に出た白山は、後部座席を開放し、リンブルク公を伴って隊長らしき人間に近づいてゆく。
「全員槍を降ろせ!こちらにあらせられるはレイスラット王国よりの使節、リンブルク公爵である!」
リンブルク公の護衛についていたアルフが、空気を震わせるような大声で、周囲を一喝する。
その声だけで、一瞬だけ槍の穂先が下がりかけるが、すぐに元の高さに引き戻された。
その動きは外部からの言葉に惑わされず、確固たる指揮系統を持っている証左でもあった。
「責任者と話をしたい!前に出られよ」
リンブルク公も正面に並ぶ槍衾に臆する事なく、堂々と声を発する。
「私がこの詰め所の責任者である。確かに本日レイスラットから使節の通過があるとは聞いているが、斯様な仕儀とは聞いておらぬ」
詰め所の責任者は、渋面を崩さずに車両へと顔を向け、あくまでこの場で粘るようだ。
「では、こちらを確認して頂こう。レイスラット王国からの使節委任状と、オースランド王より、こちらのホワイト公を招聘する正式の書状です」
二通の書類を責任者に渡し、その場から一歩も退かずにリンブルク公は堂々と主張を述べる。
「ふむ、確かに書類は間違いなく正規の物であるな」
そう言った責任者はチラリと後ろに視線を向けて、槍を収めさせた。
リンブルク公がその様子を見て少し安堵していると、何やら兵士達が三トン半の方に移動して隊員達に降りるように指示している。
無論、待機を命じられている隊員達はその命令に従う事はなく、何があっても対応できるように、銃を手に冷たい視線を周囲に向けていた。
「あの兵達は何を?」
今度は自分の部下に槍を向けている兵達を見て、白山は少しばかり咎めるような視線を責任者に向ける。
しかし憮然とした態度で、責任者は言い放った。
「ふん、護衛の兵というが、外にも出ずに馬車にこもった護衛など、護衛とは到底考えられん。
護衛の兵士でないならば、その人品を検めなければ入国など認められぬ!」
白山を体格で勝る責任者は、文字通りこちらを見下すようにそう言い放ち、小さく鼻を鳴らす。
これは侮られていると感じた白山は、昨夜の事前情報を思い返し、対応策を素早く考えた。
「なるほど、護衛の兵が外に展開していないというが、それはそうだろう。
この程度の警備を突破するには、兵を展開させる必要もないと言う事だからな」
白山はわざと挑発するような言葉を責任者へ投げかけて、ニヤリと口角を釣り上げる。
「なっ!」
責任者は白山の態度と言葉に顔を紅潮させ、白山に掴みかかろうと一歩足を進めた。
しかし、白山は手のひらを相手に向けてそれを制すると、言葉を続ける。
「なに、言葉で言っても理解できなかろう。いま証拠を見せてやる」
そう言って白山は、無線に手を伸ばすと命令を発する。
「三トン半、MG手! 二時の方向 距離100 目標、指示方向の大岩 射撃用意!」
その命令に機敏に反応した重機関銃の射手は、重いチャージングハンドルを引き、その太い銃身を大岩に向け照準を定めた。
「撃てっ!」
その瞬間、重々しい射撃音が衝撃となって周囲に鳴り響き、曳光弾が指示された岩に吸い込まれる。
土煙と破片をまき散らし、岩が銃弾を受けてあっと間に砕け散った。
「撃ち方止め!」
白山が短く号令をかけた時には、岩は跡形もなく消え去っていた……
「これで判ったか?兵を展開させる必要はないんだよ」
白山の言葉に、責任者は先程まで紅潮させていた顔を青くして、岩があった方向に視線を向け絶句している。
3トン半の後部で、槍を向けていた兵達は重機関銃の射撃音に驚き尻餅をついてしまっていた。
そして今更ながらに、隊員達の持つ銃が、視線が、自分達に向けられていることを……
「それで、これでもまだ私の兵について、その人品を検めるかな?」
白山の言葉で我に返った責任者は、眉間にしわを寄せ首を横に振る。
「いや、その必要はない。書類は正式なものであるし、人員は……護衛で間違いない」
その言葉に満足したのか、白山は表情を和らげて大きく頷いてみせた。
「ふむ、では問題ないとして国境は通過させて頂く。書類の発行を頼む」
白山の言葉に、責任者は部下に命じて書類を持ってこさせた。
一行を代表してリンブルク公が、その書類にサインをして、何とか国境の通過が認められる。
車両が発進して詰所が遠ざかった頃に、リンブルク公が大きく息を吐き白山に声をかけてきた。
「いやはや、いささか型破りではありましたが、無事に通過できて何よりでしたね」
苦笑しながらそう言った公爵は、王都での出発前に二百名の公爵軍を引き連れて行く、と言った意味を教えてくれた。
オースランドでは武威や威容を比較する慣習があり、勇猛で知られるオースの軍と比較して、舐められない数の軍勢を連れて行くのだそうだ。
白山としては出発前にその話を聞かせて欲しかったと思いながらも、同じように無事に通過出来たことを喜ぶ。
「それにしても、あの射撃で岩が崩れ去ったのは驚きましたね」
そう言ったのは、だいぶ車に慣れて酔わなくなってきた騎士のニルスだった。
白山はその言葉に、タネ明かしをする訳でもなく、ただ静かに笑っただけだった。
実を言えば、慣習として周囲の状況を確認していた時に、この砂漠の岩が多孔質の軽いものだと気づいていたのだ。
その性質を利用して、迫力のある重機関銃の射撃で、岩を崩す演出をしてみせたのだった。
「さて次は、オースの護衛団との合流ですな。気を引き締めて行きましょう」
短い会話を終え、見えてきたオース側の国境の町が徐々に大きくなる。
今日は忙しくなりそうだと白山は考え、見えてきた町をじっと見据えていた…………




