違和感と福音と偶然と
白山達はあの後で、もう一度箱状に移動し念の為に三十分ほど待ち伏せの体制を取ったが、あの影達がもう一度現れる事は無かった。
追跡を振りきったと判断した白山は、弾薬の再分配を行い隊力を回復させた後、横断地点へと急いでいった。
追手を振り切ったのは良いが、今度は急がなければ日の出が迫っているのだ。
ハイペースで森の中を進んだ白山達は、何とかまだ暗いうちに、横断予定地点へと到達していた。
暗視装置を使った周辺観察でも、敵影は見えず安堵した白山は、そのまま隊員間の距離を広く取らせて、草原を移動し始める。
地形的には、街道をそこにした谷間になっており、左右は緩やかな傾斜だ。
五百メートルも進めば街道に達し、街道を超えればまた、森まで草原が続く。
開豁地ではあるが、それほど困難な地形ではないのは有り難かった。
ここまでの戦闘で、いくらタフな白山達でも体力的、精神的な疲労は蓄積している。
それに軽傷とはいえ、負傷しているカレンを連れているのだ。
草原を歩きながら落ち着きつつある状況に、どこか安堵感を覚えている自分を戒めた白山は、周囲に目を向けた。
長時間の暗視装置の使用は、眼精疲労を蓄積させる。
一旦暗視装置を跳ね上げて目頭を揉んだ白山は、もう一度暗視装置を下ろし周辺を警戒する。
不意に白山を違和感が襲い、何かが引っかかる……
しかし、暗視装置越しの視界にも、五感も何も異常を察知していない。
白山は直感に従い、ハンドシグナルと口笛で部隊を停止させると、その場で伏せるように指示を出す。
『何かが、おかしい……』
白山の本能が警鐘を鳴らしており、白山は部隊を止めてその違和感の正体を探り始める。
丹念に視界を走査してゆくと、四〇〇メートル程先の街道の先にある茂みで、目が止まった。
先ほどまでは気付かなかったが、そこ横から僅かに直線上の物体が目にとまる。
明らかに自然物ではないその物体は何なのかと、白山が目を凝らした瞬間に、何かが動いた。
『敵アンブッシュ、距離600!』
無線に向かって白山が叫んだ瞬間、不意に光球が空へと打ち出され、眩いばかりの光が闇を切り裂いた。
そして複数の茂みの陰から、バラバラと敵兵が踊り出して来る。
槍や剣を持った軽歩兵が、ざっと見ても二十人は居るだろう。
圧倒的な人数が光球の光を背に、こちらに向けて駆け進んでくる。
モタモタしていれば、すぐに到達してしまう。
反射的に暗視装置を跳ね上げた白山は、明るくなった周囲を一瞥し、判断材料を探す。
引くか進むかの逡巡は不要だった。
ここで引けば、逃げられる公算は高いが合流地点に達する事が困難になり、自力脱出を求められるだろう。
それにここで後方に逃げてしまえば、大部隊で捜索が行われ、脱出と逃走がいっそう困難になる可能性が高い。
それならば何とか敵を殲滅ないし潰走させ、その隙に西へ逃げて友軍と合流、離脱を目指す必要がある。
「足を止める!クレイモアを左右両翼、敵正面に仕掛けろ!信管は無線だ!
クレイモアを起点に100下がってから、火力機動離脱!
退避方向、敵正面に対し当初後方、その後左方に転ずる! 急げっ!」
白山の素早い命令に、各員は素早く反応する。
前方の田中二曹と後方に位置していたリオンが、素早くデイパックを下ろして、その側面に括りつけられていたクレイモアバックを外す。
バックから本体を取り出すと、脚を伸ばして草地の地面に迷わず突き刺した。
左右60度に広がる爆発範囲は大きく、応急設置では細かな照準調整などしている暇はない。
すぐに信管を差し込み、糸巻きに巻かれている起爆コードを引っ張って、無線起爆装置と連結する。
アンテナを伸ばし、プラスチック製の起動キーを捻り、リモートスイッチの機動を確認する。これで準備が整う。
そのまま後方に走り下がった田中二曹とリオンが、横一列に並び迎撃の体制が整う。
既に彼我の距離は、500メートルを切っている。
「引きつけろ!400を切ったらグレネード! 300まで来たら射撃開始!」
既に発見されているとは考えていないのか、敵方は一直線にこちらを目指して走り寄って来る。
恐らく素早くこちらに肉薄し接近戦、ないしは包囲して投降を迫る腹積もりなのだろう。
楽観論に過ぎるかもしれないが、こちらの射程と視界が遠くまで及ぶ事を、知らない可能性もあった。
視界の中で、怒涛の勢いで押し寄せてくる兵士達の群れに、そんなことを感じながらも、白山は慎重に距離を測る。
「グレネード!」
距離が400を切った所で、白山と上林二曹のM4に取り付けられたM320が、軽快な音を奏でながら40mmグレネードを撃ち出す。
山なりの弾道で撃ち出されたグレネードは、白い軌跡を残しながら、前進してくる敵の鼻先に着弾した。
上林二曹のグレネードは、やや後方よりに着弾した様だった。
それでも相手の足は止まらない。
犠牲は承知の上なのか、数名が倒れてもそのままの勢いを維持したまま、走り寄って来る。
ここまで近づいてくれば、風向きに関係なく鎧の鳴る音や足音が響き、白山の耳にも届く。
その音に緊張を覚えながらも、白山はもう一発グレネードを発射し、続いて射撃命令を下す。
「射撃開始!」
その号令で、全員が敵の方向に向けて射撃を開始する。
高気圧の圧縮空気を開放したような、パシンという独特の射撃音が周囲に響き、光学照準器の狙点に位置する敵の方向に、弾丸が吸い込まれてゆく。
最初の追跡者を振り切るために行った伏撃で、一弾倉持ってきていたサブソニック弾から、通常弾に切り替えたため射撃音が変化している。
亜音速に調整されたサブソニック弾と、音速を超える通常弾では、サプレッサーの減音効果に明確な差が出るのだ。
射撃が行われるたびに、向かってくる兵士達はバタバタと倒れるが、それでもその歩みは停まる事はない。
距離が200を切った……
「左方、動け!」
白山は後退する指示を出し、上林二曹と田中二曹が射撃を中断して、後方へと駈け出した。
先程も行った、射撃と機動の繰り返しだ。
白山は、そのまま射撃を継続しながらも、思考は別の事を考えていた。
何故、自殺行為にも等しい無謀な突撃をさせて、徒に損耗を出すのか……?
この部隊は、周囲に出された小規模な捜索部隊なのか?
どこか、拭い切れない違和感を感じながら、白山は自分の後ろに伏せているカレンへ、後ろに下がると伝えようと振り向いた。
サプレッサーを取り付けた射撃音でも敏感な耳にはキツイのか、両耳に手を当てていたカレンは、険しい視線を一点に向けている。
その視線は向かってくる敵の方向ではなく、その右側に向けられていた。
「正面右寄りの森の中、僅かだが魔力を感じる!」
その言葉に、これまで感じていた違和感の正体に行き当たったように思えた白山は、迷わずにそちらに銃を振り向けた。
だいぶ弱くなった上空の光球を無視して、暗視装置を下ろすと森に向けてイルミネーターを使い、赤外線を照射する。
そこにはカレンの指さす通り、森の中に同規模の部隊が身を潜めていた。
『敵、散兵二時の方向、森の中!』
射撃を継続しながらも、白山は無線に向けて叫び、もう一度情況を確認する。
クレイモアのキルゾーンは、現在向かってきている敵の方向に設置してあり、そちらに森の中の伏兵を誘引するのは難しい。
しかし、ここで横に移動しては正面の敵がキルゾーンから逸れる恐れもあった。
そうしているうちに、十名以下の数まで減らされた正面の敵が150を切り接近してきた。
クレイモアまでの距離は50に近い。
『起爆!起爆!起爆!』
白山が無線に声を上げ、それと同じタイミングで雷鳴のような爆発が引き起こされた。
キルゾーンに捕らえられた敵の兵士は、土煙の中に消え、後には静寂だけが残る。
しかし、まだ敵は残っている。
敵が潜む森までの距離は、およそ400……
「森の中の伏兵に対処!境界付近にグレネードだ!」
恐らく密集した木々が障害になって、それほどの損害は与えられないだろう。
それでも森から出る事を躊躇させれば、その分だけ接近を遅らせられる。
自身も最後の二発を森と草原の際に着弾させ、これで40mm擲弾の在庫はゼロになった。
これで敵の頭を抑えられると思ったが、白山の予想は裏切られた。
大盾を前面に並べ銃撃を警戒した風の敵兵達は、盾の隙間から光球を放ち始めた。
白山達に向けて数発と、既に消えた上空の光球を再び打ち上げる。
目に終える程度の速度で迫ってくる光弾に、意識は反応するが避けることは難しい。
「伏せろ!」
反射的に伏せた白山達から、かなり離れた位置に着弾した光球は、パンと言う軽い音とともに爆発し、地面を抉る。
どうやら遠距離での命中精度は、それほど優れている訳では無さそうだ。
遠距離では一塊に見える盾の壁に向けて、リズミカルに射撃を行い一弾倉を撃ち切った白山は、リオンとタイミングを合わせ後方に下がる。
盾を構えている以上、相手の足は先程の集団よりも遅い。
相手の射程距離から遠ざかり、速やかに離脱するのが現状での最適解になる。
潜入と救出を主任務とする白山達は、それほど多くの弾薬や大規模な火力を有していない。
森の中で弾薬を再分配しており、今白山達の手元にはチェストリグに入った弾薬が残弾としてあるだけだ。
先程からかなりの数を盾に命中させているが、盾が非常に頑丈なのか火花が散るだけで、後方の兵が死傷している手応えは感じられなかった。
白山達は知らないが、正面の敵が構えている盾は、魔導鎧に使われている重盾であり、重量軽減の魔法陣を貼り付けて運用されていた。
「転進しろ!左だ!左へ動け!」
このままではジリ貧になると判断した白山は、早急な離脱を実現すべく大声と手振りで、進行方向を変えさせた。
射撃と機動の組み合わせは、言い換えれば全力のシャトルランと呼吸停止の組み合わせであり、心肺機能に大きな負荷をかけ体力を消耗する。
汗をかき、息を切らせながらも白山達は、全力で機動を繰り返す。
街道まで達した所で、大きく肩を上下させながらスモークグレネードを全力で投擲した白山は、ゆるい勾配になっている先の経路に視線を向けた。
相変わらずこちらに向けて進んでくる盾の壁は、ゆっくりではあるが確実にこちらへ向かって来ている。
残弾倉は残り少ない……
チームに引っ張られ、既に泥だらけになっているカレンを押しながら、緩い上り坂を登り始めた白山の耳に、不意に無線が鳴り響いた。
『sfチーム、支援する!IRフラッシュを作動させろ!』
山城一曹の声は頼もしい響きで、まるで救世主のように疲れ切ったチームに福音をもたらした。
ドラムのように重く響くM240機関銃が、時折曳光弾を交えながら盾の正面に収束する。
それと同時に白山自身が持ち込んだM72が、派手なバックブラストを吹き出しながら同じく盾の方向へ飛んでゆく。
一呼吸置いて、狙い違わず盾の正面にぶち当たった対戦車ロケット弾が、大きな爆発を引き起こす。
燃え移ったのかそれとも魔法の誘爆か、着火した何かの破片と明るい炎が周辺に飛び散りる。
そして頭上から、小隊の一斉射撃が開始された。
「走れ!森に入るんだ!」
白山はそう叫んで、友軍の方向を指し示した。
四人が坂を登り始めたのを、撤退を援護しながら確認していた白山は、自身も踵を返して坂を駆け上がる。
視線上げればリオンがカレンに肩を貸して、坂を登っている。
その手前では、田中二曹が白山の撤退を支援するために後方を向いて、警戒を行っている。
白山は撤退の合図である田中二曹の肩を叩き、その横を通りすぎてゆく。見上げれば森まではあと半分、そう思った時だった。
既に止んでいた敵からの光球が、不意に土煙を割って飛来し、白山の後方に着弾した。
ドン!と、これまでよりも重く近い感覚に、思わず振り返った白山の視線の先に、あってはならない光景が映る。
至近に着弾した光球で、斜面が抉られておりそのすぐ横に先程肩を叩いた田中二曹が倒れている……
短く舌打ちをこぼした白山はすぐに駆け戻り、田中二曹の容態を見る。
ここでは的に近すぎて治療は不可能だ。全身所見を検め、素早く腹部を触るがこちらは異常はない。
続いて四肢に触れる。骨折は見当たらず、指先や足先の感覚はあるようだ。
しかし手から腕へと触っていくと、肩口に何かの破片が刺さっているのか、白山の手にべっとりと血が付着する。
傷口に触れられて痛みが走ったのか、田中二曹が僅かに呻き声を上げる。
「おい、しっかりしろ!動けるか?」
「うぅ……くっ、片口に喰らった。四肢の感覚はあるが、平衡感覚が……」
戦闘負傷であるというのに、冷静に自己所見を述べる田中二曹の胆力と精神力に、白山は感心を覚えたがすぐに離脱へと意識を切り替える。
「よし、担ぐぞ。 帰ったらビールを奢れ」
そう言って、上体を起こした田中二曹の腕を肩に回しファイヤーマンズキャリーの要領で担ぎ上げた。
最後の最後に偶然やどんでん返しが潜んでいる戦場は、些細な偶然が情況をひっくり返す事がままある。
それに備えるため、兵士達はどんな状況にも対応できるよう自身を鍛え、そして仲間と訓練に励むのだ。
心臓が口から飛び出そうになる重資材搬送訓練などは、苦行でしかないが、この時ばかりはそんな辛い訓練に感謝する事になる。
森の入口まで達すると、支援チームの隊員達が飛び出してきて、周囲を援護し白山から田中二曹を引き取った。
水筒の水を一口飲み、頭からかぶった白山は大きく息を吐き呼吸を整える。
きわどい作戦だったが、何とか上手く行った。
負傷者が出たのは残念だが、それは戦場には付き物だ。
人数が揃っていることを確認して、白山達が急ぎ森の奥へと進んでゆくと辺りには再び静寂が訪れていった…………
ご意見ご感想、お待ちしておりますm(_ _)m




