表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幻想のアルキヴィスタ 〜転生者溢れる異世界で禁書を巡る外勤録〜  作者: イスルギ
幕間

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

58/58

57 フォール・ララバイ



 ──この選択は、正しかったのだろうか。



 脚に残る、かすかな熱。

 指先に感じた、あの小さな重み。


 夜明けとともに、毒島たちは倒壊した軍事基地を後にした。

戦火の余熱が嘘のように、森は静まり返っている。

朝露に濡れた草葉が足元でかすかに鳴り、冷たい空気が肺を満たした。


 国境線に近づくと、ほどなく魔導国の偵察隊を見つける。

手短なやり取りののち、少女は引き渡された。



「マスター……」



 背後で、レヴィが低く唸るように歯噛みする。



「これが最善策だという事は理解してますが──」



 置き場のない苛立ちを、切り捨てるように言葉を切る。


 確かに、と毒島は内心で応じた。

少女を値踏みするような視線。無事を確認することもなければ、感謝も敬意もない。

足元を見る態度は、護送ではく、荷物を請け負う回収屋のそれであった。


 だが、状況は変わらない。

毒島は振り返らなかった。躊躇を切り捨てるように、すぐに踵を返す。

その背に、すがりつくかのような弱々しい気配。



「…………」



 声にならない呼びかけは虚しくも、恐る恐る伸ばされた小さな手が、空を掴む。

毒島は、その動きを視界の端で捉えながら、あえて視線を外した。



すがるな」



 低く、突き放すような声だが、冷徹の色はない。



依存いぞんするな」



 それが、生き延びるための言葉だと知っているからこそ、付け足した。


 少女は、ただ見つめていた。

毒島の背中を。影が森の奥へ溶けていく、その瞬間まで。


 はるか先──気配の揺らぎで、まだ見られていることは分かっていた。

それでも、振り払ったのだ。胸の奥に残る熱を無視するために。



--



 ふらりと下がった、空っぽの手。

それを見つめていた少女の指をさらうように、硬い手が力任せに掴んだ。



「ぐずぐずするな。お前が行くのはこっちだ」



 淀んだように低く、無感情な声。

骨に響くほど強く握られ、思わず息が詰まる。


 毒島たちと別れた角の折れた少女は、街道を外れ、再び山道へと引きずられた。

魔導国の哨戒隊だと名乗った男たちは、歩きながら小声で何かを言い合っている。

時折こちらへ向けられる視線は、いつか見たことがあるような不穏な顔。

何処に行くのだろうかと、なるべく考えないようにする。


 舗装もされていない山肌は険しく。

震える膝を叱咤しながら歩くたび、まだ履き慣れていない薄紅色の靴が土に汚れていく。

それが、なぜか少しだけ悲しかった。


 何度か休息は取られたが、少女は数に入っていなかった。

男たちは輪になり、火を起こし、食事をし、笑い声さえ上げる。

少女は少し離れた場所に座らされ、まるでそこに存在しないかのように扱われた。


 驚きは、ない。

少し前まで──それが当たり前だったのだから。


 殴られてはいない。

興味本位で、もう一方の角を折られる事もない。

それだけで、まだましなのだと、言葉を呑み込む。


 折れた角の付け根に、そっと指を這わせた。

ひび割れた感覚が残るその場所を撫でながら、少女は、なんとなく理解してしまった。



 ──これが、日常。



 夜が明ける。

朝霧の向こうに現れたのは、山の中に不自然に開けた空間だった。


 立ち並ぶ薄汚れた露店。行き交う檻。やじに交じる怒号。

視線が、値踏みするように集まる。


 ……人も、物と変わらぬ値で、ぞんざいに売られ、買われていく。



 ──ガチャリッ



 再び、手錠で繋がれた。

冷たい金属が手首に触れた瞬間、ヒヤリとした感覚と、言いようのない焦燥が込み上げた。

だが、思考はそこまで。

空の手には何もない。少女は感情に、また蓋をする。


 もとより、希望などなかったはずだ。


 毒島との出会いは──夢だったのかもしれない。



 ──(すが)るな



 泥に沈んでいくようなこの感覚は、今さら、なぜこんなにも苦しいのだろう。



 ──依存するな



 錆びた頑強な檻の中、少女はその言葉を反芻する。

意味は、分からない。だが──胸の奥に、小さな塊のように残っている。

舌を通り過ぎた熱。スープの温もりと、かすかな匂いが、まだ残っている。

喉の渇きよりも、心のほうが、ひどく乾いていた。



--



「あの女は……」



 木陰に紛れる影が枝葉を揺らす。

静けさを破ったのは、レヴィの低い独り言だった。


 十数メートルはあろう高木の枝から、音もなく地へ降り立つ。

着地の衝撃すら殺し、すぐさま毒島の隣に並ぶと、視線を伏せたまま、簡潔に情報を並べる。



「──軍事基地を壊滅させた黒髪と白髮を編み分けた女です。

 魔導国の偵察兵と思われる小隊と、行動を共にしています」



 毒島は歩みを止めない。

だが、その視線だけが、周囲を大きく一巡した。


 二人がいるのは、まだ魔導国との国境線上。

角の折れた少女を引き渡すという目的は、すでに果たしている。

今の彼らは、ここにいる理由を失った存在だ。

魔導国に、都市国家側──どちらに見つかるのも宜しくない。

毒島は表情を変えず、じっと、俯瞰するように思考を巡らせた。



 ──何を企んでいる?



 吐いた息は、左手に連なる山並みへと消える。

レビィが発見した女──ウルヘルミナと魔導国兵が同行していること自体は、問題ではない。

かつて共闘した経緯がある。それ故、縁があっても不自然ではない。


 だが。


 その背後に、ラース・ザインの影がちらつくとなれば、話は別だ。



 ──このタイミングで、俺たちに見つかるように露出した、理由は何だ?



 立ち止まり、遠くの気配に揺らぎが出るか試すも、動きがない。

かわずかに眉をひそめつつ、現在の見通しから不要な要素を切り捨てていく。

このまま奴を放置すれば、闇ギルドが束ねた謀略──踊る盤面に、予測不能な歪みが生じるだろう。


 変数を抱えたまま進むより、ここで消したほうが、単純でわかりやすい。



 ──ラース・ザイン。

   喝采の禁書を手ぶらで欲しがる、浅ましい背信者。



 狂気に濁った目を思い出すと、眉間に、自然と皺が刻まれた。どちらに転んでも、面倒は避けられない。

隣では、レヴィが無表情を装いながらも、緊張のまま目を輝かせている。

その様子を横目に捉え、毒島は内心の苛立ちを手放した。



「……あのウルヘルミナを確認しろ」



 命じられ、レヴィは一瞬だけ目を閉じ、蒼い輝きを灯して開眼する。

チート能力──【秘匿開示デンジャーメーター


視認した対象の名前、所属、適性、危険度。

重なり合う情報の中から、必要な部分だけを抜き出した。



「軍事基地で襲ってきた女・・・・・・ウルヘルミナ。脅威度は大。

 こちらへの害意が──非常に高いままです」



 つまり、先日の軍事基地破壊で、終わりではない。

まだ、本命を残している。

再び刃を交えるつもりならば──決断は、早いほうがいい。

静かな威風を宿し、毒島は進路を変えた。

その大きな背中に浮かぶ筋肉の隆起を追うように、レヴィもまた、無言で引き返す。


 空気がとろけるように揺らいだ次の瞬間、獲物を定めた毒島の移動速度は、常軌を逸していた。

つい先ほどまで視界の端に捉えていた山の中腹など、距離と呼ぶには短すぎる。

大地を疾走する姿は目に追えず、空気が遅れて追随する。


 離されまいと金髪を振り乱し、黒い肌を隠しきれないまま荒い息を吐き捨てた。

身体強化の魔法具を使用して尚、全力で追従するレヴィは、木々や小石に身体が掠めて損壊しないか必死だ。


 豪速で移動する二人の影は、ほどなくして目的を捉える。


 見覚えのある魔導国の偵察兵、その横顔が異常な空気を察知し振りむくも。

唐突に視界へ割り込んできた毒島の巨躯に、ぎょっとするのも無理はない。



「こんなところで奇遇ね……」



 レヴィが、わずかに息を整えながら声を投げる。

疲労は見せず、深く被った外套のフードから刺すような視線を送る。



「ところで。あの子は、どうしたの?」



 一瞬の沈黙。

魔導国兵たちはお互いを見やり、すぐにへらへらとした態度で取り繕った。



「本国に護送した。心配はいらないさ」



「それより、お前たちこそ分かっているのか?

 ここがどこだか──」



 言い終える前に空気が、変わる。

毒島の内から立ち上がった威圧が、音もなく周囲を侵食した。



「……人間め」


 偵察兵の一人が反射的に剣へ手を伸ばす。だが──抜けない。

喉を震わせ、必死に虚勢を張るも意味をなさない。



「俺達にこんなことをして良いのか。国際問題になるぞ」



「ほう。お前程度が消えて。……それで、魔導国が動くのか。

 試してみるか?」



  周囲に立ち込めた威圧は、頭上から叩きつけられるような殺気に変わる。重くのしかかる恐怖に、偵察隊の膝が折れガクガクと揺れた。



「くそっきいてないぞ、ただの商品回収じゃないのか?!」



  ピクリと──眉間が反応した。毒島の双眸が僅かに細まる。

古城に現れた2人の狂人、軍事基地への誘い込み。その狙いが輪郭を帯びてきた。

角の折れた少女とは──思考を短く巡らせたその時、不意打ちのように毒島とレヴィの周囲に魔法が撃ち込まれる。


 レヴィは毒島の前に躍り出て、外套で弾くように身構える。

その肩を引き寄せ、迫りくる魔力の塊へと一睨ひとにらみ──異能力を解いた毒島の前に、撃ち込まれた魔法は煙と化し、ぶわりと膨張したと思えば風に流され消え去った。


 死角に潜む襲撃者たちに動揺が広がる。

彼らは見誤ったのだ。首先まで浸かると錯覚する程に、静かに怒気が充満した。

レザーカットの側頭がゆっくりと振り返り、取り返しのつかない視線が愚か者を射抜く。



「──レヴィ」



「承知しました」



  畏怖に当てられ、震えるも、返事は短い。

だが十分だ。角の折れた少女はすでに何者かの手にわたった。



 ──あの子を見つけ、マスターが動く前に状況を作り出す。



  それが、何を意味するのか誰にも、まだ分からない。


  レヴィは煙に紛れて姿をくらませた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ