53 闇ギルドの首魁、リハビリしてたら誘い込まれる
「……マスター」
レヴィがローブのフードを深くかぶり直し、黒い肌を隠すように肩を寄せてきた。金融街の照明がガラスに反射し、宝石のような光が流れていく。
毒島は歩調を変えず、少女を抱き直しながら低く返した。
「そのまま、気取られるな」
周囲に気配を散らし、ただの通行人として溶け込む。腕の中の少女はびくりと震えたが、毒島の心音を聞いて、落ち着きを取り戻した。
「面白いものでも見つけたか?」
「……いえ。ただ」
レヴィの視線は、前を行く人混みの一点に吸い寄せられていた。
──【秘匿開示】
異世界転生者であるレヴィが有する、チート能力だ。
認知した対象の敵性や害悪などを図ることができる、とレヴィは申告している。
その能力が作動した、微細な気配の乱れが伝わる。
「名前までは分かりません。でも──害意が……高いです。かなり」
毒島はわずかに顎を上げ、静かに視線を送る。
黒と白の髪が交差した、縞模様の女。ゆっくり歩きながら、こちらに気付いているのを隠そうともしない。
「……気づかれてるな」
縞模様の女は、ショーウインドウの影越しにチラリと振り返り、唇の片端だけを持ち上げる。
挑発の笑み。背を向け、まるで「ついてこい」と言わんばかりの足取りで人混みを抜けていく。
無表情ながら不安を滲ませた少女が毒島の胸元をぎゅっと掴んだ。
毒島は片腕で彼女を支え、ゆっくり揺らして落ち着かせながら、内心で小さく舌打ちする。
「いらぬ火種を消そうという時に……面倒な横やりだ」
「知り合い、ですか?」
レヴィが気遣わしげに囁く。
「古い馴染みだ」
毒島は視線を女の背に固定したまま、淡々と言い放つ。
「奴が暴れると、地形が変わる」
レヴィの表情がひきつった。
かつて冒険者として各地を走り回っていた頃の記憶が、ふと胸の底をかすめた。
天真爛漫な笑顔、乱暴なほどまっすぐな声が過ぎる。
「……ウル」
毒島の歩みが、少しだけ揺れた。
縞模様の女の背を追い、地下道を抜け、湿った風穴を通って、森林へ。
木々のざわめきが街の喧騒を遠ざけ、代わりに不穏な静寂が広がっていく。
やがて木々の切れ間から、山肌に貼り付くように建つ巨大な影が姿を現した。
「……要塞?」
レヴィが息を呑んだ。
驚きと、理解できないという困惑が声に滲む。
外郭は無骨な木杭で囲われている。しかし、その奥では硬質な素材で組まれた基地が山肌の上から見下ろしていた。無数に並ぶ小窓がこちらを監視するように黒く口を開け、屋根には見慣れない紋章旗が風を切って翻っている。
視線を走らせた毒島は、即座に全貌を把握した。
「警戒網が整いすぎている。山賊の規模じゃないな」
見張り台、巡回の導線──。
それらはすべて「訓練された軍」の動きだった。
「マスター……これは、まさか」
「敵性国家の軍事基地だ。真新しい、な」
レヴィが眉をひそめ、全容をとらえようと身を寄せる。
抱えた少女がきゅっと彼女の服を握った。
「あの女……何が目的なの?」
問いはもっともだが、答えは容易く出せない。
縞模様の女──ウルは、基地の門前でこちらを振り返った。
赤い口元が、ゆっくりと笑みに歪む。
そして、兵士に制止される様子もなく、要塞の内部へと消えていった。
毒島は静かに息を吐いた。
懐かしさとも苛立ちともつかない感情が胸を刺す。
「……厄介な場所に引きずり込む気か」
毒島は短く息を吐き、鈍い痛みが残る傷口に意識を巡らせて体調を確認した。
──どこぞの国に属したか?
木陰と茂みに気配を沈めながら、首に巻きついていた角の折れた少女をそっとレヴィへ預ける。
レヴィはうなずき、少女を抱えたまま息を潜める。
毒島は苛立ちのこもったの目を細めた。
縞模様の女の気性はよく知っている。面倒ごとを撒き散らし、笑いながら去っていくタイプだ。時の流れはいくつかの記憶を刺激したが、毒島はそれを振り払うように瞬きした。
──大都市のすぐ近くに、正体不明の軍事基地を置いていい理由なんざない。
だが、指揮系統すら確認せず突っ込むのは愚策だ。
ノアの評議会の汚職は日常茶飯事。他国と裏で手を組む連中もいる。
売国奴まがいの議員が一人二人混ざっていたところで、誰も驚きはしない。
──防衛の主軸、アイゼンヒュート家を焚き付けるか?
その瞬間、基地全体がざわついた。
蜂の巣をつついたような喧騒が、静寂を破って一気に押し寄せてくる。
軍事基地の各所から、金属音を散らしながら兵士が一斉に駆けつけてくる。
雪崩のように配置につき、瞬時に陣形を組んだ。
逃げ場を潰すように包囲網が締まっていくさまは、まるで逃げ惑う獲物を追い立てる罠そのものだ。
レヴィは小さく息を呑み、角の折れた少女を胸に抱き込んで身を低くする。
視線は前へ固定したまま、一瞬たりとも警戒を緩めない。
その時、基地の正面入口の影が揺れた。
縞模様の女が、笑いながら飛び出してきたのだ。
不敵な眼差しは心底楽しそうな狂気で濡れている。
次の瞬間、彼女の視線が毒島たちを射抜いた。
愉悦に笑む頬が吊り上がる。
──あのクソ女、まさか擦りつける気か?!
縞模様の女の視線に釣られた兵士たちの目線が、一斉に毒島へ向けられた。
その瞬間、完全に気配が露見する。
「あそこにも侵入者がいるぞ!」
「敵性反応確認!
味方識別と一致せず! 排除に移れ!」
鋭く突き立つ怒号。
兵士たちの敵意が、刃のように空気を震わせた。
少女がびくりと肩を跳ねさせる。
レヴィはすぐに胸へ抱き寄せ、頭をそっと押さえて囁いた。
「大丈夫よ、落ち着いて」
毒島はほんの一瞥でレヴィに指示を送る。
──包囲を抜けろ、待機だ。
レヴィがわずかに頷いた、その刹那。
毒島は足元にあった拳大の石を掴んだ。
次の瞬間にはもう、それは消えていた。
見えるはずもない速度で投擲された石塊が、
兵士たちの背後──基地外縁の木杭へ突き刺さり、轟音とともに粉砕する。
破砕音に、兵士たちが一斉に振り返る。
「他にも侵入者が?!」
幾人かの兵士の意識がそれたところで、毒島は地を這うように飛び出した。
──ジャキッッ
すれ違いざまに手に触れたのは兵士の腰に刺した長剣。
奪い取るように抜き放ち、気づかれるより早く胴を斬り飛ばす。
あまりの速さに、飛ばされた塊は近くの兵士ごと吹き飛んだ。
糸が切れたように崩れ落ちる味方の身体と、吹き飛ぶ身体──それは視線の誘導。
意識の方向を強制された兵士達は毒島の影を捉えられない。
だから気付かない。
それは死出に向かう選別だ。
僅かに鋭敏な者から周囲に潜む毒島の探ろうとするのだ。
急げと、もがくような気配の揺らぎ。
死神が振るう鉞の優先度。
点を線で結ぶように、短い断末魔が打ち上がる。
精鋭と、一目置かれたソレが次々と宙を舞う。
誰かの悲鳴が遅れて近くに遠くに響く最中、緊張の間合いからレヴィ達が姿を消すのを感じ取った──毒島の気配が一段、危険な香りへと変貌する。
突如、叩きつけられた凶悪な暴威に、押しつぶされそうな威圧感。
命を刈り取る、大混戦が始まった。
次回――毒島の過去を知る狂気が交差し、山間の基地が想像を超えて――!




