41 昨日の敵は、というやつだ
喝采の禁書が繰り出す、必殺の幻想。
突然の一喝に、ジョシュアは死を回避する。現れた男は……
「誰よ、こいつ!」
突如として差し込まれた炎の照り返しに、セラが血相を変えて叫ぶ。
「あん? てめぇこそ誰だよ」
グラヴェルは肩をすくめ、炎剣を軽く振るった。
たった数回の切り払いで、夜の雑木林が音を立ててなぎ倒される。
燃えた枝が弾け飛び、周囲の闇が切り裂かれた。
開けた地面に、熱と煙が渦巻く。戦場が――出来上がる。
「待て、埒が明かない……お前は、先日の魔導国のやつか?」
禁書の致命打をかろうじて回避したジョシュアが、
助言の主であろう灰色の剣士に目を細める。
炎の明滅に照らされたその横顔は、記憶の影と重なった。
「そうだって言ってんだろ、図書館員。……いや、言ってねぇか」
うはは、と場違いな笑い声が夜気を震わせる。
熱気と焦げた風が一気に吹き抜け、グラヴェルの外套がばさりと翻った。
燃えさかる炎の向こうへ――喝采の禁書とジョシュアの間に割って入る。
炎が怯むように揺らぎ、戦場に、異質な静けさが落ちる。
「広大な森でも、あれだけ派手に暴れられたら、さすがに見つけれるもんだな」
夜の森を焦がす風が、灰を舞い上げた。
グラヴェルはその灰の流れを目で追いながら、剣を強く振り払う。瞳の奥に宿るのは、戦士の見聞。荒れ果てた大地を一瞥しながら、息を吐いた。
「よりによって、この地で暴れやがって」
炎剣から火の粉が舞い、ゆらめく影が木々に滲む。
「気になって来てみれば、探し物まで見つかったってわけだ」
その口元が、獲物を前にした猛獣の様に歪んだ。
突如現れた男の変化に、禁書が反応する。頁が一枚、興味深げにめくれた。
薄闇の中で、喝采の禁書がゆらめく――何かを思い出そうとするように、グラヴェルの姿を“観察”していた。
「禁書と何か因縁か?」
風に焦げた灰が舞う中、ジョシュアの問いに、グラヴェルは凄んだ笑みを浮かべる。
「勘ぐるなよ。助太刀に来たつもりだぜ」
軽口。だが声の調子には、どこか張り詰めた硬さが混じる。
背を向けたまま、冗談を投げ捨てるように肩をすくめるが油断できない。
ジョシュアの指がわずかに動き、いつでも魔導構築に移れる姿勢をとる。その後ろで、ミカサを守るようにセラが身をかがめ、状況がどう転ぶのか息をのんだ。味方か、敵か。たった一挙動で、すべてが決まる――
「喝采の禁書って言うんだな……初めて知った」
グラヴェルはふっと笑みを消した。
声が、地の底から響くように低く変わり、炎剣の火が、ざわつく心を表すかのように揺らぐ。
「十年越しで敵の名を知るってのは、なんだ? 嬉しいじゃねぇか」
長年、怒りと後悔の灰の中を歩き続けた者の響きだった。
ゾワリと、気配が膨らむ。
見えない威圧が周囲の木々を軋ませ、枝が悲鳴を上げる。
灰が渦を巻き、夜気が震え、怒気に包まれたその背中が語る。
――ここは、任せろ。
グラヴェルに握りしめられた炎剣が、応えるように咆哮を上げた。
ゴォッ――!
燃え盛る炎が夜を裂き、周囲を橙に染め上げる。
その光の中で、彼の横顔がわずかに浮かぶ。
狂うような、怒りを滾らせたような、壮絶な笑み。
ただ感じるのは、そこに立つ男が、
長い年月を越えて、因果を絶とうとしているようだった。
炎の柱が遠くで唸り、焦げた風が頬をかすめる。
まるで様子を伺うように、宙でゆらゆらと頁をめくる喝采の禁書を睨みつけて。
グラヴェルは、因縁をかい摘んで説いた。
「……十数年前、俺の隊を喰った、賛美の悪魔」
グラヴェルの声は、静かに熱を孕んでいる。
「そいつが持ってたのが――福音の魔導書……そこに浮いてる、喝采の禁書だ。
多くの同胞を狂わせ、いくつも街を壊しやがった」
ジョシュアは視線で相槌を打つ。
「賛美の悪魔はな……“興味を持ったもの”に、魔導書を贈りつける。まるで印みてぇにな」
「生贄の印……」
「知ってたか、そうだ。興味ってのは“悲劇性”だ。苦しみ、裏切り、喪失。
そういう匂いを嗅ぎつけると、やつは魔導書を送り込む。
一冊、二冊……そして五冊分の“悲劇”が溜まったら、喰われる。魂ごとな」
淡く、ジョシュアの背後でミカサが息をのむ気配。
グラヴェルはその視線に気づいて、わずかに目を向けた。
「異世界人、もう四冊分、だな」
その一言に、セラが驚き、ジョシュアが身構えた。
「どうしてそれを……」
「見りゃわかる。あの悪夢に選ばれたやつは」
グラヴェルは淡々と続ける。
「悲劇は連鎖する。泣くやつが増えるほど、やつは喜ぶ。……都市が滅ぶ理由の大半は、それだ」
ジョシュアは拳を握りしめた。
「つまり、禁書を止めなければ、ミカサも――」
「喰われる。次は五冊目だからな」
短く言い切るその声に、ためらいはなかった。
炎剣の刃がわずかに揺れ、赤光がジョシュアの頬を照らす。
ジョシュアは数秒、沈黙した。
風の音に乗せて、灰と火の粉の境界線が、二人のあいだを横切る。
「……ミカサを救うには」
「逃がせ。ノアの街まで……こっから先は地獄になるぜ」
ジョシュアは口を結び、ミカサへと視線を移す。
「……少し、休ませてやりたいと思っていたんだ」
セラが苦笑を漏らす。
「先に貴方が休んだほうがいいと思うけど?」
グラヴェルは口角を上げた。
「たしかに。半日も森中を駆け回る図書館員なんて、聞いたことがねぇよ」
疲弊し、行き詰まっていた中に活路が開く。ありがたい申し出だ。
しかし、任せてよいか、最後の確証が足りない。
ジョシュアの建造魔法は、すこぶる相性が悪いのは確かだ。
構築したそばから、詩の一節に呼応して崩れ去る。塔も、壁も、盾も。
喝采の禁書の前では、造形の理すら紙のように脆かった。
そのような相手を、目の前の剣士はどう立ち向かうというのか。
だが、グラヴェルに言わせれば、そんな事は、当たり前なのだ。図書館員は前提が間違っている。
「奴の破壊は惨劇の象徴だ。図書館員、お前は守ろうと作るから壊される。壊されるから悲劇が詩になぞられる」
喝采の禁書にとって、ジョシュアの魔法は“最高の舞台装置”というわけだ。その理屈は正しい。創ることで防ぎ、戦うのが建造魔法。
――ならば俺なら?
グラヴェルが低く呟く。瞬間、静寂を押し除けるように空気が張り詰め、剣気が立ち上がった。
呼応するように、炎剣が高熱に色めき立つ。
紅蓮から橙、橙から白炎へと変わるグラデーション。
沈黙していた喝采の禁書が、気配を隠して嗤った。
闇の中、安堵の歯車が噛み合うような、冷たい音。
それは“静寂”という名の、油断。このわずかな間隙に、絶望を叩き込みたい。
「安全ではなかった」と。
「しゃべっている場合ではなかった」と。
「逃げるべきだった」と、後悔に沈めるために、荘厳な声色を振るわせる。我慢できない!
『レンガの巣穴に引きこもり 子豚は兄弟を眺めみる。
ほら、ここは安全だと 穴蔵へ誘ったのが運の尽き。
北風は破顔して 全て吹き飛ばし呑み込んだ――喝采!』
――詩が終わるより速く、林の奥がドパンッと裂けた。
木々が木っ端に砕け散り、地響きが迫ってくる。夜空から拍手の旋律が降り注ぎ、暴風が再び大口を開けた。
セラが咄嗟にミカサを抱き寄せ、ジョシュアがその背をかばう。
嵐が唸り、視界が白炎に塗りつぶされる。
先頭に立つ――グラヴェルは動じない。
「……奴を上回る破壊の一撃。それが、賛美の悪魔を討つコツだ」
破壊の暴風を目前にして、静かに息を吸う。
半身を沈め、重心を後に――構えは弓引き、剣先は暴風の中心へ――蹴りを起点に爆発点を超える。
その瞬間、音が――消えた。
破壊を穿つ一撃。
轟く炎が烈風を切り裂き、世界がひと筋の閃光に貫かれる。
暴風の塊を貫通し、喝采の禁書を撃ち抜いた!
『…………?! !?!?』
拍手が途切れ、風が止み、残響が遅れて空を震わせる。
ちぎれた頁が弧を描いて燃え上がる。
「どうよ――」
一撃の余韻を残し、グラヴェルは炎剣を軽く払った。
燃え残る旋律が灰となって散り、夜風が、ようやく戻ってくる。
桁違いの威力にジョシュアは息をのんだ。
先日遭遇した際には持っていなかった炎を纏う長剣。
魔法剣の威力ではない。それ以上に――所作に現れる、技量の高さ。
重ねた修羅場の数が、その一閃に宿っている。
「剣士、だったのか」
交わる視線が、短く、鋭く。
「さっさと行け。
……そんで、気が向いたら、禁書を討ち取った俺様を。
称えに来いよ、先輩」
冗談めかした声だ。【英雄狩り(イェーガー)】、【軍団長】。魔導国が与えた格の上下を揶揄したのだろう。だが笑っていない。
覚悟を秘めた目が、すべてを語っていた。
「ずいぶん、凶悪な後輩じゃないか」
うはは、と笑い、グラヴェルは肩をすくめた。
灰の舞う中、二人の距離が静かに離れていく。
ジョシュアとセラは、贄の対象――ミカサを大都市ノアへ送り届けるため、走り出した。
「よく言うぜ――」
凶暴な眼光が火花のように光る。その腕は、背後も見ずに斬り上げた。
――ザンッッッ!!
あまりの剣圧に地面から宙まで空気が裂けた。
気配もなく、ジョシュア達を追うため飛び出した喝采の禁書がバッサリと頁ごと斬り飛ばされる。
火の粉を吹き上げ舞い上がる紙片。
「おいおい、どこに行くんだぁ……喝采の禁書よォ」
追跡を阻まれた苛立ち、その舌打ちが聞こえてきそうな。
忌々しげな気配を漂わせ、喝采の禁書が、ゆっくりと振り返る。
「俺にはもう、福音はいらねぇのか?」
挑発の声と共に、グラヴェルが取り出した、燃えかすのような魔導書――その黒炭の頁が、炎の揺らぎに照らされた。
ピクリ、と禁書が応じた、次の瞬間。バラバラと頁が禁書を離れて舞い上がる。爛々と光を放って。
ざわめくように、何処からともなく拍手の音も奔る。
それは喝采。讃美に咲く、嘲笑。
グラヴェルの手にある炭化した魔導書が激しく燃え上がり、
灰色の炎が色めき、黒藍に輝きを変えた。
喝采の禁書が、何かを、思い出した。
ばら撒かれた頁が禁書に舞い戻り、風が止み、拍手が――ピタリとやむ。
――じゅるり。
『ぁぁ……。グぅぅぅうウラヴェルぅぅ……灰と死の谷の少年んん……』
よだれを垂らすような、粘つく声が闇ににじむ。
『禍つ森を駆ける…………イェェエガァァ……』
声が高く裏返り、低く震え、嗤い、熱を帯びていく。
『賛美の悪魔を……討ち倒したぁ……喰い損ねぇェェ!!』
闇夜の空気がどよめいた。
どぷん――と、沼を打つような怨念が地を叩く。
喝采が狂気の渦と化し、星空すら黒く塗りたくる――叫びが、爆ぜる。
『――五冊溜まったから、頂きまぁす!!』
次回、魂の捕食。抗う覚悟。そしてあの男の真相が明らかに。




