29 堕ちた英雄
昼を過ぎた幻想図書館の広場では、騒動の余韻がようやく収まりつつあった。
分身するように四方から襲いかかる忍装束の少女達は、ジョシュアとセラが指揮する幻想図書館の所員達に徐々に押され、その数を減らしていく。分身体が消えない程度の負荷であれば、自在に消えることができないのか、少女達は一人一人、捕縛されていった。
残るは、爆弾を予測不能にばら撒く本体らしき少女だが、少し前に遠くの爆発音を聞いてから、その動きを止めていた。
ただ、今は、瓦礫を運ぶ職人たちの掛け声と、ほこりを払う音だけが響いている。
少女の見上げる先——空には、貴族街の方角から立ちのぼる紫煙が、いまだ薄くたなびいていた。
「……見えるでやんすか、あれ。さっきの爆炎、かなり派手でやんしたな」
瓦礫の山の上で、忍装束の少女が肩をすくめる。
それを見上げたセラが、鋭く声を張り上げた。
「時間稼ぎは終わりって合図かしらね?
じゃぁ、そろそろ、あんたも捕まる頃合いかしら」
「へいへい、金髪の姉さんは怖いでやんすねぇ。
あいにく、あたしの仕事はまだ他にありやすので。
ま、今回はお互い命があっただけでも僥倖ってことで……」
忍装束の少女はぴょんと飛び降り、瓦礫を蹴って背を向ける。
「じゃ、こっちは引き上げるでやんす。後は貴族様方の喧嘩っすよ」
セラが「待ちなさい!!」と声を返すが、影はもう路地裏へと消えていった。振り返り、捕縛した他の少女の様子を確認するが、煙のように掻き消えてしまう。たゆんで落ちた捕縛綱の近くには、人形の紙切れが裂けるようにヒラリと落ちた。
沈黙が落ちる。風が通り抜け、戦闘の終わりを告げるように土埃と硝煙の匂いが過ぎ去った。
「……まったく、好き勝手言って。……どうしたのよ?」
苛立ちを吐き出すようにセラが腕を組む。
そのすぐ横で、ジョシュアは何かに気づいたように周囲を見渡していた。
「……居ない。ミカサを知らないか? さっきまで一緒に……」
「え?」
セラもはっとして辺りを見回す。
瓦礫の山の向こうにも、崩れた階段の下にも、魔導書を貼り付けた黒髪の少女の姿はなかった。周囲の所員達も、ミカサの特徴を共有すると捜索を始めるが見つからない。怪我を負って倒れているわけではないようだ。
「おかしいわね、無事なら顔を出してもいい頃合いなのに……」
セラは、ジョシュアとミカサが到着した時点の記憶を遡り、ミカサの行方を思い出そうとするが、そこで何かに引っかかるように眉根を寄せた。
——忍び姿の爆弾女は何て言ってたかしら……。たしか
『ふふ、目標は釣れなかったようでやすが、目的は上々でやんす』
『ありゃ、引きつけすぎたでやんす』
——私が到着した時には、釣れなかったと……。
だけど、ジョシュアが到着したら、引きつけすぎたと言った。
セラの顔が一気に強張る。
心臓を鷲掴みにされたような焦りが走る。
「しまった……!!」
拳を握り締め、思わず近くの崩れた壁に向かって打ち付けた。あまりの威力に、ビシリと亀裂が走る。悔しげに歯を食いしばりながら振り向き、声を張り上げた。
「まさか……連れ去られた?!」
ジョシュアが驚きの表情でハッと顔を上げる。
真言の書がミカサに示したのは二つの執着という危機だ。
執着の一つはノアの街を示した。闇ギルドだとすれば合点がいく。
「……そう、かもしれない。どさくさに紛れて、何者かが……」
二人の背中に、冷たい汗が落ちた。
遠くで鳴る昼過ぎを告げる鐘の音が、高い空に乾いた音を残す。
その響きが、まるで“何かが崩れ落ちていく前触れ”のように思えた。
「そんな顔しても仕方ないでしょ。探すしかないじゃない」
セラの声も震えている。怒りと不安が入り混じっていた。
その時、幻想図書館の外門の空間が揺らぎ、その奥から複数の足音が響いた。
落ち着いた重い靴音に、ジョシュアが振り向く。
「ジョシュア、……ここに居ましたか」
灰色の外套を羽織った、上級司書のメモリウスが部下を伴い、広場へ姿を見せた。珍しくスーツ姿の上から、荒事への対応に優れた魔法具を装備している。
部下の一人が耳打ちし、手短に報告を済ませていく。
メモリウスは素早く目を通し、紳士然とした落ち着いた声色で呟いた。
「……やはり、相手は “闇ギルド” のようですな」
「闇ギルド……!?」
セラが息を呑む。隣のジョシュアを見ると、予想していたのか落ち着いた様子ではあったが、その拳は音を立てて握られた。闇ギルドといえば、大都市ノアの裏社会だ。現在は誰が牛耳っているのか……セラは急いで記憶を手繰り寄せる。
メモリウスは冷静に頷き、言葉を続けた。
「今朝からの指名手配騒動、都市内の封鎖……いろいろあったようですな。
こちらの爆発騒動の他にも、貴族街で爆破事故があったようです。
陽動、工作——混乱の隙を突き、人を攫う。——その狙いは」
「やはり、ミサカの持つ『空から落ちた魔導書』——」
ジョシュアが立ち上がると同時に、別の方向から慌ただしい声がした。
「道を開けろ、警邏隊だ!」
鉄鎧の軋む音とともに、ヤコートン隊長が駆け込んできた。
額に汗を滲ませ、息を荒げている。
「おお、ジョシュア! ようやく見つけだぜ。
市場区と商業区の封鎖も解けた。
朝からの騒動も夕方には落ち着くはずだ。
いったいどこのどいつが仕掛けたのかと監視線の通信から辿ってみたんだが、やばいことになった。
……裏にいるのは “闇ギルド” の仕業と見て間違いない」
その言葉に、セラとジョシュアが一斉に顔を見合わせた。
貴族街の方向から立ち上る、あの紫の狼煙は、何かの合図か、まさか——。
「ミカサが攫われた可能性があるんだ。どこに連れ去られたか、目星はわかるか?」
ジョシュアが息を詰めたように尋ねる。
ヤコートンは詰所の部下たちと、魔道具で通信を行い、手早く情報を書き留めたながら、眉を寄せた。
「商業区の第二地区、それと市場区の旧商店通りだ。どちらの方角にも、黒髪の少女を背負った女の目撃情報がある」
「二方向……あからさまね」
セラが吐き捨てるように言う。
「どちらちかが誤情報、もしくは囮……時間稼ぎかもしれない」
短い沈黙の後、金髪を揺らしてセラは決断した。
大きな金属製の鞄を担ぎ直し、強気な笑みを浮かべる。
「私は商業区へ行くわ。人通りが多い方が動きやすい」
「なら俺は市場区から当たる」
ジョシュアが即座に応じた。
互いに頷き合い、それぞれの持ち物、通信機の状態を確かめる。
ヤコートンが一歩前に出て、二人を止めるように手を上げた。
「おい、二人とも。……深追いは気をつけろよ。相手は闇ギルドだぞ」
その声は、怒号でも命令でもない。
仲間を失いたくない者の、わずかな祈りが滲んでいた。
ヤコートンは拳を握り、苦々しげな表情は、長年この都市の裏を見てきた者のものだった。
「十年ほど前にボスが代替わりしてから、
奴らは“地下都市”を完全に掌握した。
今じゃ、どの組織も手を出せねぇ。
凶悪な猛者がうようよいやがる……化け物の巣だ」
ジョシュアは足を止める。
焦りと同時に、そこに含まれた“警告”の重さを感じ取ったのだ。
「……そのボスってのは、どんな奴なんだ?」
ヤコートンは短く息を吐き、低く答える。
「名前は“毒島”。
……異世界転生者だ」
「転生者……!」
セラがわずかに目を見開く。
ヤコートンは遠い記憶を掘り起こすように語った。
「俺が直接見たわけじゃねぇが、
警邏連隊の古い機密記録に、毒島の名を見たことがあると話してた隊員がいた。
十数年前の戦争に従軍した、元凄腕の冒険者。
“いくつもの都市を滅ぼした悪魔”を討伐した英雄チームの一員だったらしい。
……そんな奴が、闇に堕ちた」
メモリウスが無言で眉を寄せる。
ヤコートンは続けた。
「今の冒険者ギルドの金級でさえ、
奴には刃が立たないって噂だ。
相当腕が立つ上に、異能力使い。
戦時中には、西の緩衝地帯で大虐殺を起こしたヤバい奴だ。
その後、ノアの闇社会を瞬く間に掌握して……今じゃ、地下都市で奴に逆らえる者は皆無らしい」
セラが喉を鳴らす。
だがその目には、恐怖よりもむしろ闘志が宿っていた。
「なるほど……堕ちた英雄、ってわけね」
彼女は口の端を吊り上げ、不敵に笑った。
「いいじゃない。私が見つけたら、地獄まで落としてやるわ」
ジョシュアはそんな彼女の横顔を一瞥し、息を整える。
そしてヤコートンに向かって、短く頷いた。
「ありがとう。……覚えておく」
再び足を踏み出す。
彼の瞳には、迷いよりも確かな決意があった。
風が吹き抜け、崩れた石畳を舞い上げる。
その先に待つのが、激戦の入口だと分かっていても——
ジョシュアは走り出した。
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