25 幻想を落とし、乖離せよ
ミカサが警邏隊の詰所に足を踏み入れると、むっとした鉄と革の匂いが鼻を刺した。焦ったように周りに視線を彷徨わせていると、ようやく見知った後ろ姿を見つけて、少女は少しばかり平常心を取り戻す。
先に着いていたジョシュアが振り返り、ミカサの姿を見て安堵の笑みを浮かべた。
「ミカサ、無事か……!」
「はい……ジョシュアさんも。ご心配をおかけしました」
だが、すぐに詰問が始まる。
警邏隊長と名乗った黒ひげの男は、ドンッとテーブルを叩いて二人を座らせた。
太眉を逆立てながら、無機質な机をはさんで、何度も同じような質問が繰り返される。
ジョシュアとミカサの二人は、西の緩衝地帯の付近の森で、魔獣の密猟者に遭遇したこと、罠を解除したこと、密猟者達は魔導国の偵察兵によって倒されたこと、その経緯を何度も説明した。
主張に食い違いはない。心身をすり減らすミカサの代わりに、ジョシュアが淡々と答える。
心を揺らそうと敢えて仕掛けられる侮辱や、誤解、誘導に対しても、落ち着いて対応した。
それなのに、空気は次第に淀み、まるで見えない糸に絡め取られるように不利な雰囲気が積み上がっていく。
ジョシュアは目の前の警邏隊長が、何か無理やり用意した答えにこじつけていくような、不審な空気を感じ取った。
——この男は、何を狙っている?
その時、詰所の扉が軋みをあげて開かれた。
現れたのはジョシュアの知己。
眠たげな目をした無精髭の男が入ってきた。
同僚のセラに、よく笑いながら器物破損の修繕費を請求する警邏隊員——ヤコートン隊長の姿だ。
「……なんだよジョシュア、お前さんが詰所にくるなんて珍しい。今日は金部の兄ちゃんは捕まってないぞ。
……ありゃ? 迎えに来た様子じゃないのか……いったい何をやらかしたんだ?」
軽口を叩くような調子だったが、室内の緊張を感じ取ると眉根を寄せた。
「おいおい、こりゃどういう状況なんだ?」
問い詰められた黒ひげの警邏隊長は、予期せぬ同僚の登場に動揺したようで、汗ばんだ額をぬぐいながら応答する。
「ヤコートン。これは、冒険者ギルドからのタレコミがあったのだ」
「なんだよ問題が起きたのか。……今朝の朝礼では、そんな話はしてなかったぞ」
「……なにぶん急なことだったのでな。ただいま、緊急の取り調べ中をしているところだ」
黒ひげの警邏隊長の言動が気になるのか、ヤコートン隊長は戸口で記録をとる隊員と目配せ仕合い、そしてジョシュアと視線を交わした。
「ふーん……国際問題に発展しかねない重要案件だろう?
他にどれくらい動いてるんだ、……俺も手伝おうか?」
「申し出はありがたいが、既に詰所の精鋭を動員している。――“機は敏なり”と異世界人もよく言うじゃないか。ヤコートン……君は休暇中だろう、ここは私に任せて、休暇を楽しんでくれたまえ」
「だとしても、情報の連携はあるだろう。状況によっちゃぁ休暇返上だろうに。
ちょっくら、お伺い立ててくるぜ。仕切りは誰がしてんだ?」
問われた警邏隊長は、言葉を失った。
黒ひげがヒクヒクと動き、一拍の沈黙が流れる。
休暇中の同僚を気遣うような笑顔が張り付き、木机の上で指が小さく震える。
「……おい、なぜ黙る。まさか、お前の独断なのか?」
「そ、そうだ。私は警邏責任の一人だ。隊長の私が指示する、何も問題ないだろう」
声がわずかに上ずり、室内の空気がざらりと震えた。
「お忙しいところ、失礼いたします」
そのやり取りを断ち切るように、扉が軋み、革靴の音が床を打つ。
若い警備担当者が帳簿を抱え、緊張した面持ちで入ってきた。
「尋問中すみません……ホブロ隊長。今朝方、入館手続きがなされなかった来客を、こちらに記録いただきたいのですが……」
帳簿を差し出す仕草に、室内の視線が一斉に集まった。
矢のような視線の先――黒ひげの警邏隊長にホブロ。
彼はわずかに肩を震わせ、言葉を選ぶように沈黙した。
「すまない、ど忘れしてしまってな。……後で思い出したら書いておくよ」
口元に薄い笑みを浮かべたが、その笑顔は引きつり、頬の筋肉がひきつくのを隠せなかった。
「でしたら、来客の所属や来所目的でも結構です」
さらりと続ける警備担当者の声が、無意識に場を締め付けた。
ホブロの額から汗が滑り落ちる。
“闇ギルドのパイプ役”などと書けるわけがない。
重苦しい沈黙。
それを破ったのは、ヤコートンだった。
無精髭をゆっくり撫でながら、目を細め、射抜くような視線をホブロに向ける。
「こら新人、ホブロは別の仕事中だから後にしねぇか。……だが、俺たちが知らない、記録のない奴っては気になるな……。なぁ、ホブロよ。そいつは誰なんだ?」
声色が変わった。
いつもの軽口ではない。
心中に直接問いかけるような、尋問官の威圧が込められていた。
室内の温度が一段下がったように感じられる。
ミカサは場の空気が変わりつつあることを知覚した。
正面に座るホブロは顔色が悪くなり、悪寒を感じて振り返ってみると——見上げた先、ヤコートンの視線には、有無を言わさぬ力が宿っていた。
「なぁホブロよ。聞くまいと思っていたんだが……。
お前……。
なんで、俺の休暇中に、俺の管轄で、俺に黙って、俺の部隊を指揮しているんだ?」
ミシリ、と壁の張りが音を立てた。
室内の空気が一気に重くなる。
観念したホブロは机を叩き、声を荒げた。
「少し後ろ暗い筋からタレコミと賄賂をもらっただけだ!
冒険者の違法行為を取り締まるのは我々の仕事だろう、
これくらい、みんなやってる事だ。何も間違ってない!」
「……っ」
ヤコートンは開き直るホブロに怒気を叩きつけ、短く舌打ちすると、深く頭を下げた。
「ジョシュア、それと嬢ちゃん、すまなかった」
そして部屋の外に声を張る。
「おい、こいつを捕らえろ!
俺の縄張りで賄賂だとよ。
他に隠し事がないか洗いざらい吐かせろ!」
「何っ!? おい、待て——」
突然の同僚からの逮捕指示に、ホブロが血相を描いて立ち上がる。だが、後で書記を務めていた隊員と、来所記録を問い合わせてきた若手の隊員に、手早く組み倒され、頬をテーブルに打ちつけられた。
——用意周到。ヤコートンが入ってきた時に目配せしたところから、すべて想定された動きであった。
「——ぐっ、俺は第二地区の隊長だぞ!?
同格のくせに無礼な!
ヤコートン、俺は警邏隊として治安活動を行なったまでだ。
こら、…… 放せぇ……!」
怒声は引きずられるにつれて遠ざかり、やがて途絶えた。
重苦しい沈黙が落ちたあと、ヤコートンが苦笑いで振り返り、再度、深々と頭を下げる。
「改めて謝罪する。嬢ちゃんも災難だったな……今後、同じ事が起きないよう、俺が責任をもって身元保証しよう。どうか許してくれ」
低く落ち着いた声。真剣な眼差しがミカサに向けられる。
急な展開に頭が追いつかず、ミカサは小さく首を傾げた。
「……ありがとう、ございます?」
自分でも頼りない返答だと思いながらも、言葉がそれしか出てこない。
ジョシュアが肩をすくめて「よかったな」と呟き、そっと彼女の頭に手を置いた。
指先が優しく髪をなぞり、温もりが額に広がる。
金部の乱暴な手つきとは大違いだ。胸の奥から安堵が込み上げたのだろうか……、頬が熱を帯びて俯いてしまう。
「異世界人に身元保証とは……隊長は気前がいいな」
からかうように笑うジョシュア。
「厄介事に首を突っ込む兄ちゃんが言うなよ」
ヤコートンも意地悪く口角を上げ、普段の軽口に戻ってみせる。
途端に場の緊張が和らぎ、ジョシュアが憮然と、への字に口を曲げた。
「……っ」
ミカサは涙を浮かべながら微笑む。張り詰めていた空気がほどけ、ようやく温かな呼吸が戻ってきた——その瞬間だった。
駆け足の靴音が石床を叩き、遠くから近づいてくる。
ばんっ、と扉が荒々しく開かれ、冷たい朝の風と共に複数の隊員が雪崩れ込んできた。
彼らの顔色は血の気を失い、焦燥でひきつっている。
「幻想図書館の広場で爆破が! 襲撃です! 街中で多数のけが人が!」
室内の温度が一気に凍りついた。
ジョシュアは反射的に腰から翼十字の装飾を取り出し、耳に当てて素早く呟く。魔法通信の低い響きが室内に混じった。
「外門が封鎖されています! 商業区と市場区が行き来できず、各地で騒乱が!」
「移住区で火災が発生! 避難民が市場区に押し寄せて大混乱です!」
ミカサの脳裏に、炎に包まれる市場の光景がよぎった。
見たこともない惨状なのに、胸を締め付けるような焦燥と恐怖が喉を塞ぎ、声が出ない。
「貴族街にて馬車が襲撃! 被害者は、評議員ゼムント伯の家門とのこと!」
矢継ぎ早に告げられる報告。
ミカサは唇を震わせ、ただ呆然と隊員たちを見つめる。
ヤコートンは額に手を当て、呻くように吐き捨てた。
「なんだ……いったい何が起きている?!」
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