22 空から堕ちた魔導書——勝色の本は拒むことを許さない
酒場は再び、各所で宴会のような騒ぎに包まれていた。
木の壁が笑い声とジョッキのぶつかる音を反響させ、焼き肉の匂いと酒の甘い香りが入り混じる。吟遊詩人が軽快な旋律を奏でると、客たちは歌い出し、酔いに任せて肩を組み合った。
その喧噪の隅で、ミカサたちは金部理人に促され、ようやく落ち着いてテーブルを囲んでいた。
まだ涙の跡が残る布木こぼれは、両手の指先でコップをくるくると回し、霧吹カケルと泡立のぼるは気まずそうに鼻をかきながら、間延びした声で会話を繋ぐ。
「……その、ひさしぶり、だね」
緊張が伝染したのか、ミカサまでぎこちない様子だ。
「ん、まぁ……あれだ、元気そう、だよな」
「へ、へへ……なんか、へんな感じだね。学校じゃ、あまり会話したことがなかったから」
言葉は途切れがちだが、笑い声だけは自然に零れていた。
異世界転移した学友同士、再会の喜びが、まだ恥ずかしさと混ざり合って胸の奥でじんわり広がっている。
様子を見守っていた異世界転移の先達、金部は、酔っ払った雰囲気を崩さず、ふと低く呟いた。
「……話から察するに、おまえらの背後には、闇ギルドがついてるみたいだな。……でも味方って感じでもない」
霧吹が不安気に頷き、肯定した。ふらふらしながら盃を傾け、金部が続ける。
「闇ギルドには密輸や闇市を仕切ってる幹部がいたんだが、粛清されたって噂が広がっている。闇ギルドで何か動きがあった……何か問題が起きたんだ……
となると、粛清できる立場にあるのは……毒島――闇ギルドの頭目が、ミカサちゃんの魔導書を狙ってやがる、そんなところじゃないか?」
その名が落ちると、霧吹と泡立の肩が小さく震えた。
布木は顔をしかめ、声を絞り出す。
「……私たち、闇ギルドが経営する店で……問題を起こしちゃって。それが弱みになって……いいように、こき使われてるの」
ミカサは小さく目を閉じ、ひと息吸い込むと静かに言った。
「つまり――今回の襲撃も、騒動の発端も。ぜんぶ、闇ギルドにつながっているのね」
その言葉に、三人は重くうなずいた。
泡立が勢いよく頭を下げる。
「……ミカサちゃん、本当に悪かった。俺たちのせいで……巻き込んでしまって」
「本当ごめんなさい……」
霧吹も続けて、しゅんとした声で謝罪した。
布木は目を腫らしたまま、頬をぷくっと膨らませて横を向く。
「……ふんっ! べ、別に謝ったって、許してくれるとは思ってないし。……勝負だって、まだ決着ついてないし!」
その様子があまりにも布木らしくて、ミカサはむしろ安堵し、思わず笑みをこぼした。
――あぁ、自分には、まだ友達がいてくれる。そう実感できた。
無言のまま、金部の大きな手がミカサの頭をわしわしとくしゃくしゃに撫でた。
「ちょ、やめてください! 子供じゃないんですから!」
ミカサが顔を赤らめて抗議すると、布木がテーブルをばんっと叩いて叫んだ。
「セ、セクハラよ! てか、このおっさん誰なのよ!!」
その声に周囲の客がどっと笑い、また一段と酒場は明るさを増した。
ミカサからは頼れる先輩冒険者として紹介された金部だったが、周りの酔客からは「万年駆け出しだろ!」「問題児、あとスケベ、女子高生に手を出すなよ!」「大丈夫。恋人は首から下げた胴のタグ。ブロンズ・メイトに愛された男だから」などと囃し立てられ、一幕の笑いに包まれた。
そのざわめきも収まり、視線はようやくミカサへと向けられる。
「……次は私の番ね」
話の流れはようやくミカサの番となった。
布木が目を赤くしたまま、真剣な顔でミカサを見据える。
酒の香りと肉の焦げた匂いが漂う中、ミカサはゆっくりと息を吐いた。
「……私の魔導書のことだけど」
その声に霧吹と泡立が背筋を正し、布木は口を真一文字に結んでうなずいた。
「みんなが噂するように、ある日、空から落ちてきた。中身は……こんな感じで白紙。布木さん達と森で遭遇したあと、……二冊目が落ちてきて。その後は、張り付いて離れなくなったの」
木の卓に置かれたランプの炎が揺れ、ミカサの影を伸ばす。
布木たちの表情に緊張が走る。
「聞いたところ、これまで、暴走の予兆が二度ほどあったみたい。だから……」
「な、なんだよそれ、やっぱヤバい魔導書じゃん!」
泡立が声を上げ、霧吹も額に汗を浮かべる。
「僕たち、もうちょっとで共倒れになってたんじゃ……」
「……心配しないで」
ミカサは笑みを作り、首を振った。
「幻想図書館の皆さんに相談してるの。だから大丈夫」
その名を聞いた途端、二人が何かを思い出すように腕を組み、同時に身を乗り出した。
「おい、それって……あーっ! 俺たちの足を容赦なく打ち抜いた銀髪のムッツリ男か!」
「いや、泡立、いくら相手がイケメンだからってそれは失礼でしょ。って、いやいや、幻想図書館といえば、ツインテールのめちゃくちゃ怖い女性もいたよね!
容赦なく鉄の鞄で殴ってくるんだ。異世界転移で記憶喪失になる半数は彼女のせいだって噂が、もはや都市伝説じゃない?!」
「いや、霧吹。それを言うなら、ムッツリ男のほうだろ。あいつ、母親と父親を混ぜたような魔導書を連れ歩いるらしいぜ。マザコンだね!いけすかねぇ!」
泡立の叫びに霧吹が反応し、聞きかじった噂に二人して顔を引きつらせる。
ミカサはある意味事実な部分を見てしまっただけあって、うまく弁明できなかった。
その様子を睥睨していた布木こぼれが眉をひそめ、じろりとミカサを見る。
「なによ、それ。誰のこと? ……彼氏? 紹介しなさいよ」
思わず噴き出したのは金部だった。酒を吹き出しそうになり、肩を揺らしながら腹を抱える。コバルトブルーのサングラスが前髪に隠れた。大笑いするほどツボに入った様子だ。
「……おまえら、ほんと仲良いな」
ランプの炎が小さく瞬き、夜の冷たい風が窓の隙間から忍び込む。宴も終盤、酒場は少しずつ人影が減り、空気が落ち着いてきた。
「じゃあ、そろそろ私たちはこれで」
布木が椅子を引き、立ち上がる。名残惜しそうに霧吹と泡立も同じく腰を上げた。
「ミカサともちゃんと話せたし。こっちはこっちで、けじめをつけに行かなきゃね。……私たちに明日があれば、一緒に帰るって約束して」
布木は明るい調子で言ったが、その笑顔の奥に決意の色がちらついていた。
ミカサは胸の奥がざわめくのを感じた。霧吹と泡立の目にも、覚悟を決めた硬さが宿っている。布木さん達は闇ギルドの任務——ミカサ(わたし)が持つ魔導書の奪取に失敗した。これから起きるのは処罰……そして、闇ギルドからの解放と交渉だろう。
「……本当に、大丈夫なの?」
金部が重々しく立ち上がり、サングラスの奥から視線を投げた。
「心配すんな。あいつ等の様子は、俺がそれとなく見ておいてやる」
低く響く声に、ミカサの強張っていた肩がわずかに緩んだ。
窓の外では夜が深まり、群青の空に浮かぶ月が静かに街を照らしていた。
酒場を出ると、夜気の冷たさが肌を撫でる。
「ふぅ……」
ミカサは吐いた息が白く揺れるのを見ながら、石畳を踏みしめる。灯りの少ない路地には、酒場の明かりが背後から淡く漏れ、遠くの方で犬が二声ほど吠えた。
――今日は、ほんとにいろんなことがあったな。
西の森で死にかけるほどの恐怖を味わったこと。それがきっかけだったのか、水魔法が急激に上達したこと。街に戻って布木さんたちと再会し、誰にも言えなかった胸の奥のことを話せたこと。
その一つひとつが、まだ胸の奥に熱を残している。
「……私、やっと、少しは成長できたのかな」
自分の声が夜の静けさに溶けていく。
落ちこぼれだと嘲られていた日々を思い出す。けれど今は違う。勝利こそないが、確かな成長を実感し、胸を張って歩けそうだ。これなら魔法学校に戻っても、きっと――。
そんな、むず痒くも甘い余韻に浸っていた、そのときだった。
――バサッ!
乾いた衝撃音がすぐ後ろから響き、ミカサのすぐ足元に何かが落ちてきた。
「……っ!?」
振り返り見て、反射的に後ずさる。石畳に転がったのは、一冊の本。表紙は深い藍をさらに濃くしたような——勝色の魔導書だった。
風が吹き抜け、ぱらぱらとページがめくれる。
だが中は白紙。どのページも、まるで何かを書き込む瞬間を待っているかのように、虚ろな白が広がっていた。
「うそ……」
思わず腰に手をやる。すでに張り付いて離れない二冊の魔導書。それらと比べると、どちらよりも――以前より濃く、色を深めている。
背筋に冷たいものが走った。
偶然なんかじゃない。闇ギルドの執着も、そしてこの三冊目も、全部つながっている。
「……明日の朝、すぐジョシュアさんに相談しよう」
声に出して、自分を落ち着かせる。だが手は小さく震えていた。
夜風が強まり、髪をなびかせる。勝色の本は、足元にぴたりと吸いつくように寄り添い、拒むことを許さない。
ミカサは息を呑み、堪えきれずに駆け出した。
石畳を蹴る音が夜に響き、揺れる灯火が遠ざかっていく。
胸の奥で、不安と焦燥がせめぎ合う。
――どうして私なんだろう。
振り返ることなく、宿舎の扉を押し開けると、木の香りと灯りの温かさが彼女を包み込んだ。
だが心は安らぐどころか、より一層、ざわつきを増していた。
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