第二十八話目だけれど、恋のお話をします!
重い足取りで、アナベルの部屋を目指す。
物語の勇者が、魔王に挑むときはこんな気分だったのか。あまりにも、恐ろしい。
ゆっくりゆっくり歩いていたのに、アナベルの部屋にたどり着いてしまった。
息を大きく吸い込んで、はきだす。もう一度……と思っていたら、突然扉が開いてアナベルが顔を覗かせた。
「あなた、何をちんたらやっているのよ! 早く入りなさい!」
口から心臓が飛び出そうになったのと同時に、アナベルに腕を引かれて部屋に入る。
私を気の毒そうに見つめるシビルと目が合った。
「ミラベル! どういうことなのよ! 朝帰りを通り越して、お昼に帰ってくるなんて!」
「す、すみませんでした」
「叔父様なんか、デュワリエ公爵がミラベルを連れ帰ったと聞いて、白目を剥いて倒れてしまったのよ!? それはそうとして、デュワリエ公爵に、変なことをされていないでしょうね!?」
変なことと聞かれて、走馬灯のように思い出してしまう。
一緒の寝台で一夜を明かし、遅すぎる朝食を共にした。そして最後に、デュワリエ公爵は私を守ると宣言し、手の甲にそっと口づけしたのだ。
唇の感触を思い出して、顔がカーッと熱くなっていく。
「ちょっと、なんなの、その反応は? あなたまさか本当に、デュワリエ公爵に処女を捧げたのではないわよね?」
「ち、違う! そんなことしていないわ!」
「神に誓える?」
「誓えます!」
それを聞いて安心したのだろう。アナベルは長椅子にどっかりと腰掛け、ため息をついた。
「昨日は、申し訳なかったわ」
「へ!?」
あの傍若無人な暴君アナベルが、謝っている? 我が耳を疑ってしまった。
「え、な、何が?」
「何がって、コランティーヌ嬢のことよ」
「あ、ああ~~!」
そんなことがあった気がする。それ以降のデュワリエ公爵とのやりとりがすさまじくて、すっかり記憶の彼方に飛んで行っていた。
「まさか、わたくしより先に、あなたに喧嘩をふっかける者がいるとは思わなくて」
「私も驚いたわ。彼女は、どうなったのかしら?」
「さあ? それよりも、頬の怪我は大丈夫だったの? 化粧で上手く誤魔化しているようだけれど」
「ええ、大丈夫。心配しないで。痛みはもうないわ」
「だったらいいけれど」
頬の傷を隠すために、全体の化粧を濃く施してくれたようだ。おかげで、手を加えずともアナベル化粧が完成したわけだ。
「本題に移るけれど――婚約破棄は、できたのよね?」
アナベルの問いかけに、言葉を失ってしまった。
「騒ぎを利用して、上手く言い訳できたわよね?」
最大限の努力はした。けれど、相手は何倍も、何十倍、いいや、何百倍も上手だったのだ。
「その様子だと、婚約破棄できなかったようね」
「ひゃい……」
なんとか絞りだした言葉が、「ひゃい」だった。
もっと、ごめんなさいとか、すみませんとか言葉はあるのに、「ひゃい」って……。
「シビル、用意を」
「……はい」
「早くなさい!」
「は、はい!」
何を準備するのかと思えば、シビルはアナベルの衣装部屋から大きな旅行鞄を持ってくる。
「アナベル、どこに行くの?」
「修道院よ」
「ちょ、ちょっと待って!!」
アナベルに駆け寄り、動けないようにぎゅっと抱きつく。
「は、離しなさい!! わたくしは、アメルン伯爵家とフライターク侯爵家の結婚を阻むために、修道院に行かなければ、いけないのよ!!」
「ダメ、アナベル!」
「止めないで、ミラベル!」
「もしも行くときは、私も一緒だから!」
「馬鹿なことを言わないで! なんで、あなたも一緒に修道院へ行くのよ!」
「だって、伯父様は野心家よ? アナベルがいなくなったら、私がフライターク侯爵と結婚することになるかもしれないから!」
それを聞いたアナベルは、もがくのを止めた。落ち着くように、背中を優しく撫でながら話しかける。
「アナベル。私達は、いつも一緒だったでしょう? 離れるなんて、絶対に嫌よ」
「ミラベル……!」
アナベルは私をぎゅっと抱き返す。彼女の温もりを感じているうちに、気分が落ち着いた。それは、アナベルも一緒だろう。
私とアナベルはきっと、神様から与えられた祝福をふたつに分け合った状態で生まれてきたのだろう。だから、何をするにも一緒でないといけない。
「アナベル、落ち着いた?」
「ミラベル、あなたこそ」
「私は、大丈夫よ」
「わたくしもよ」
視線で、シビルに「危機は回避できた」と伝える。シビルは嬉しそうに頷き、持っていた旅行鞄を元にあった場所に戻しに行っていた。
落ち着きを取り戻した私達は、再び長椅子に腰を下ろす。
「あなた昨晩、デュワリエ公爵に婚約破棄をしなければ手を離さないと、騒いでいたようね」
「みたい。記憶にないんだけれど」
「話を聞いて、呆れたわ。結局手を離さなくて、そのまま連れて帰ったって。あなた、寝るときまで離さなかったのではないわよね?」
「その、まさかで」
アナベルは「はーーーー」と、盛大なため息をつく。
「デュワリエ公爵が紳士であったことに、感謝なさい」
「わかっております」
「それで、デュワリエ公爵はそんな騒ぎを起こした呆れたあなたと、婚約破棄はしたくないと」
「ま、まあ、そんな感じで」
「デュワリエ公爵は、よほどあなたのことが気に入ったのね」
その指摘に、胸がズキンと痛む。
デュワリエ公爵が気に入ったのは私ではなく、アナベルだ。だって私はずっと、アナベルの演技を続けていたのだから。
「デュワリエ公爵がお気に召しているのは、私ではないわ。アナベルよ」
「ありえないわ。言っておくけれど、ミラベルの演技は、完璧ではないのよ。たしかに、振る舞いや言動はそっくりよ。けれど、演技にあなたのお人好しさが滲み出ているのよ。何度も会って、ミラベルについて深く知ろうと思った人は、気付くはず」
「そ、そんなこと……!」
否定したかったが、ふと思い出す。デュワリエ公爵は、私をこう評していた。
――本当のあなたは、どこか抜けていて、おっちょこちょいで、お人好しなのでしょう
はっきり、私の本質について見抜いていた。
ということは、デュワリエ公爵が気になる相手は、アナベルではなく私なの?
「ミラベル、あなたも、デュワリエ公爵が好きなのでしょう?」
「は!? ど、どうして!?」
「だってあなた、耳まで真っ赤よ。その顔はどう見ても、恋する人そのものだわ」
ありえない。私が、デュワリエ公爵に好意を抱いているなんて。
「ち、違う! 違うから!」
「あなた、恋をしたことはないの?」
「それは……!」
ない。誰かに恋い焦がれるなんて、一度もなかった。
「胸が苦しくなって、切なくなって、ふとした瞬間に、相手の顔が思い浮かぶの。これが、恋よ。心当たりは、あるでしょう?」
心当たりが、ありすぎた。アナベルに「素直になりなさい」と言われて気付く。
私は、デュワリエ公爵に恋をしているのだと。
「なんだったら、あなたがアナベルとして、デュワリエ公爵に嫁いだらいかが?」
「いやいやいや、ないないないない!!」
アナベルが歩むべき人生を、私が奪い取るわけにはいかない。
「もしも、わたくしがミラベルになれるのならば、自由に恋ができるわ!」
「こ、恋?」
問いかけに、アナベルはコクリと頷く。
そういえば、好きな人がいると言っていたような。
「アナベルが私になったら、恋が成就するの?」
「いいえ、わたくしの恋は、一生成就しないわ。だって、あのお方は、とても病弱な人だもの」
ずっと、気になっていたのだ。アナベルの好きな人について。
なんとなく、聞けずにいた。
お兄様と一緒にいることが多かったので、もしかしてアナベルが好きなのはお兄様では? そんなふうに推測するときもあった。
けれど、朴念仁でぼんやり屋さんな兄とアナベルの恋なんて、まったく想像できない。
やはり、別に好きな人がいたのだ。
「あの、アナベルの好きな人って、誰?」
「わたくしがお慕いしているのは、王太子様よ」




