第二十五話目だけれど、大失態を犯してしまいました!
せっかくなので(?)コランティーヌ嬢の騒ぎを利用し、婚約破棄に挑んでみる。
好きな男性がいるので結婚できない。恋愛小説でよくある展開である。
「あなたは、フライターク侯爵を、慕っていたというのですか?」
「いいえ、それは違いますわ。フライターク侯爵との一件は、完全に誤解です」
「では、誰を慕っているというのですか!?」
ピュウピュウと、暴風雪が吹き荒れているような気がした。久しぶりな、“暴風雪閣下”の登場である。
眉間に皺を寄せ、怒気の籠もった瞳で私を見つめていた。ガクブルと、震えてしまう。
「だ、誰って……!」
好きな人なんて、いない。
そう思った瞬間に、デュワリエ公爵の朗らかな笑顔が浮かんできた。
いやいや、違うと、首を振って否定する。
「誰のことを、考えているのやら」
呆れるような声に、カーッと顔が熱くなっていくのを感じる。
デュワリエ公爵の笑顔を思い浮かべていたなんて、口が裂けても言えない。
「あなたは、貴族間にある婚姻の意味を、理解できていないようですね」
「り、理解できておりますわ。けれど、胸の中に渦巻く恋心には、抗えませんの。その男性を想いながら、誰かと結婚するなんて、ありえないですわ!」
「では、その男性と、駆け落ちでもするのですか?」
「いいえ。わたくしは、修道院に行きますわ」
「なぜ?」
なぜと聞かれましても。アナベルがフライターク侯爵との結婚を回避するには、修道院に行くしかないだろう。彼女を、ひとりだけ行かせるわけにはいかない。私の人生には、アナベルが必要なのだ。だから、アナベルが「行く」と言うのならば、私も一緒だ。
「修道院に行くなど、許しません」
「それは、どうしてですか?」
逆に、聞き返す。きっと、アナベルのことをフロランスが思いのほか、気に入ったのを見たからなのかもしれない。それか、婚約が破談になれば、恥となるのか。
デュワリエ公爵は、目つきを鋭くさせる。理由を口にすることは、自尊心が許さないのか。
「よろしかったら、デュワリエ公爵のほうから、婚約破棄を申し出ても、よろしくってよ」
「なぜ、私が婚約破棄しなければならないのですか」
「でしたら、これ以上、お話しすることはありませんわね。わたくしは、近日中に修道院に行きますので。お目に掛かるのは、これで最後でしょう。短い間でしたが大変お世話になりまし――」
立ち上がり、優雅に礼をして、去ろうとした。それなのに、デュワリエ公爵は私の腕を握る。簡単に振り払えないほどの、強い力だった。
「な、なんですの!?」
ジッと、焼けるような視線を向ける。あまりにも熱烈に見つめるので、煉獄に放り込まれたように全身に熱を帯びているのではと思ってしまう。
「私は、あなたのことが、とても気になるのです。このまま、修道院に行かせるわけにはいかない」
その言葉を聞いた瞬間、「わかる!!」と返しそうになった。
私も、アナベルのことがとても気になる。言動や行動は興味深く、一日一緒にいても飽きない。
アナベルはデュワリエ公爵ですら魅了してしまう、世界でただひとりしか存在しない特別な女性なのだろう。
デュワリエ公爵はアナベルを、気に入っていたのだ。だから、“エール”の装身具を買ってくれようとしたり、会った翌日に手紙を送ったり、していたのだろう。
けれど、まだ「気になる」の段階だ。心の中にくすぶるのは、恋心ではない。
きっと、三日もぐっすり眠ったら、アナベルのことなんて忘れてしまうだろう。
こうなったら、強引にこの場を去らなければ。
「ごめんなさい。わたくしは、愛に生きます!!」
力いっぱい腕を振ると、デュワリエ公爵は手を離す。
そのまま振り返らずに走った。だが――。
「ぎゃう!!」
ドレスの裾を踏んでしまい、盛大に転んでしまった。
しかも、「ぎゃう!!」という、貴族女性とは思わない妙な悲鳴を上げつつ。
「アナベル嬢、大丈夫ですか!?」
デュワリエ公爵は、駆け寄って私を起こしてくれた。
彼の優しさに、涙が浮かんでくる。ここは、見捨てるくらいの冷徹さを見せてほしかった。
「少し、落ち着いてから、帰ったらどうですか?」
「いえ、もう、大丈夫ですですので、帰らせてくださいです」
動揺のあまり、言葉遣いもはちゃめちゃになってしまう。情けないにもほどがあった。
デュワリエ公爵は確実に私がおかしくなっていると思ったのだろう。私の体を横抱きにすると、長椅子に運んで下ろしてくれた。
「もう、あなたには指一本触れませんので、ご安心を」
「は、はあ」
そう言って、向かい合わせに置かれた一人掛けの椅子にどっかりと腰掛けた。
気まずい。非常に、気まずい。
手持ち無沙汰となったので、テーブルに置かれたスパークリングワインを手に取る。
ナプキンで栓を覆い、瓶をくるくる回した。すると、スポーン!! と大きな音を立てて、開封される。
「ひええっ!!」
悲鳴を上げただけなのに、デュワリエ公爵はコロコロと笑い始める。なんというか、スプーンが転がってもおかしい年頃なのかもしれない。
グラスにスパークリングワインを注いだが、泡だらけになってしまった。執事のように、上手くいかない。あれは、職人技なのだなと、改めて思ってしまう。
そんなことを考えつつ、泡だらけのスパークリングワインをデュワリエ公爵へ差し出した。
デュワリエ公爵は口の端をわずかに上げつつ、スパークリングワインの瓶を手に取る。
そして、優雅な手つきでグラスに注いだ。ぶくぶくの泡を一つも立てずに。それを、私に差し出してくれたのだ。
せっかくなので、いただく。お酒はあまり得意ではないので、舐める程度にしておかなくては。
お酒が解禁になる十六の誕生日に調子に乗って飲み、翌日に酷い二日酔いになったのだ。
十八歳になり、度数が強いお酒を飲んでも問題ないのだが、控えておかなくては。
そう思っていたのに、口を付けた瞬間に一気飲みしてしまった。喉が渇いていたのか、おいしく感じてしまったのだ。そのまま、二杯目、三杯目と飲み干す。
不安な気持ちは消え去り、だんだんと楽しくなってきた。
いったいどこで、箍を外してしまったのか。
周囲がぐるぐる回っているところで、意識を手放した。
◇◇◇
鳥の、チーチー鳴く声で目を覚ます。
「うう……!」
頭が、痛い。昨日、おいしいスパークリングワインを、調子に乗って何杯も飲んだからだろう。
十六歳の誕生日にしてしまった失敗を、十八歳の誕生日にもしてしまうなんて。ここまで学習能力がないとは思わなかった。
まだ、昨日の疲れが取れていないのもあるのだろう。体が重たい。頬の傷は、誰かが手当をしてくれたのか。新しいガーゼが当てられている。
今、何時なのだろうか。鳥のさえずりが聞こえるので、夜が明けていることは確かだろうが。部屋のカーテンは生地が厚いのか、外の明るさを一切通さない。
「……通さない?」
私の部屋のカーテンは、太陽の光をこれでもかと通す。
ふと、我に返る。布団が、いつもよりふわふわだ。そして、何かを握っていることに気付いた。持ち上げてみると、それが人の手であることが判明する。
「ひっ……!」
人の手ごときで驚いている場合ではなかった。誰かが、隣に眠っていた。
急いで起き上がると、頭がズキン! と痛む。けれど、気にしている場合ではない。
カーテンを開き、これでもかと陽光を部屋に入れる。
明るく照らされた部屋は、私のよく知る私室ではなかった。
毛足の長い絨毯に、大きな大きな天蓋付きのベッドが部屋の中心に鎮座されていた。
ここはどこ? 私は誰?
疑問が滝のように流れてくる。
ドキン、ドキンと高鳴る胸を押さえながら、頭から毛布を被った膨らみの確認を試みた。
ふわふわの毛布を掴み、一気に剥ぎ取る。
悲鳴をあげそうになったが、喉から出る寸前でごくんと飲み込む。
驚いたことに、毛布の下にはデュワリエ公爵がスヤスヤと眠っていた。




