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勢いづいたままポンとまた別の時間軸にやってきたものの、そこで見たものに既視感があった。
「ちょっと、待って。せめて名前くらい教えてくれても」
「いえ、名乗るほどの者では……ハハハハ」
混雑した廊下で、飛鳥先輩が恵都を呼び止めている。恵都は慌てて走り去っていく。
でもこの時、恵都の中に入っていたのは私だ。今、この空間に私の魂がふたつ存在している!?
どうすればいい?
あのあと、私は何をしたんだっけ。結局は何もできずにお弁当を食べている英一朗を見つめてシュワシュワが始まってしまったんだった。
何もできないままに終わったので、もう一度その場面を見に行くのも躊躇らわれた。
でも行くべきだと思ったその時、「飛鳥先輩」と呼ぶ声が聞こえた。
振り返れば、絵梨が飛鳥先輩と向き合っていた。
「君、誰だっけ?」
「えっと、野球部のマネージャーの立之です……」
「そうなの。僕に何か用?」
「いえ、矢野さんと話されてたので、私も挨拶しただけで……」
「あっ、今の子、矢野さんっていうの? 君と友達なの?」
「は、はい。そうです」
絵梨は恵都を出汁につかって飛鳥先輩と仲良くなろうとしていた?
「だったらさ、矢野さんに野球部のマネージャーにならないか誘ってみてよ。君も友達なら一緒に部活ができていいだろう?」
「えっ?」
「ああいう清楚な感じの子、好みなんだよね」
あら、恵都がもてている。
絵梨はどう対処していいのかわからないまま、曖昧に返事して愛想笑いで返していた。
あの後こんなやり取りがあったなんて知らなかった。確か遠足のバスの中で、絵梨がこのことについて話してたけど、あの時は状況を知らなかったから聞いてもわからなかった。
女子にもてもてと噂される野球部のエースが恵都を好んでるなんて、恵都に聞かせてあげたかった。少しでも自分に自信を持つことでまた変わるきっかけになれたかもしれない。
でもその時、微かに違和感を覚えた。
しかし、そんなことに構っている暇はなかった。大急ぎで教室に向かった。壁も床もすり抜けて教室にたどり着いたとき、そこにはまだ私が入ったままの恵都が教室の後ろで立っていた。
視線は英一朗に向いている。私は英一朗に近づいた。
「おい、お前のこと見ている女の子がいるぞ」
友達が声を掛けるも、英一朗は黙々と下を向いてお弁当を食べている。
「嘘じゃないから、顔をあげてみろよ」
「そうやっていつも僕をからかうだろ」
ちょっと待って、これって恵都が見ているって微塵も感じていない。
「今回は本当だから、あの子、矢野さんだっけ? クラスでも派手なグループにいて結構目立つ子じゃん」
「えっ!?」
英一朗が顔をあげた。
でもその時、いつもの恵都に戻っていて、中にいた私は消えていた。
恵都は辺りをきょろきょろして自分が教室に居ることをびっくりしている。
「恵都、何こんなところで突っ立ってるの?」
教室に戻ってきた利香が声を掛けた。
「私、なんで教室にいるんだろう? さっきまで化学室にいたのに」
「用があるって、慌ててたじゃない?」
「本当? 覚えてない」
私が消えるとこういう風になってたのか。
「もう、また? たまにあるよね。ぼーっとすること。でもそれは女の子にはよくあるから仕方ないか。ほら、いつまでも突っ立ってないで、早くお弁当食べよう。由美里と清美は今購買でパン買ってるから、先に食べてって言ってたよ」
利香に引っ張られていく恵都。
その時やっと英一朗が恵都を見ているというのに、恵都が、気がついてない。タイミングが悪かった。
「やっぱり気のせいだったかも。ごめん、ごめん、英一朗」
「いいよ、別に」
英一朗は再びお弁当を食べることに専念する。
顔を上げた時さりげなく恵都のいる方向に視線を向けるが、それに気がついた英一朗の友達は余計な茶々を入れる。
「俺のせいで、却って気になってしまった? もしかして英一朗はああいう子が好みとか?」
「馬鹿、そんなんじゃないよ」
「恥ずかしがることないじゃんか。まあ、俺がそう仕向けたのは悪かったけど。まあ、俺らには高嶺の花ってとこかな」
その時、由美里と清美が教室に入ってきた。
四人が合流し楽しそうに語り合い、笑い声が聞こえる。
恵都の中に入って見ていたからわからなかったけど、四人集まっているととても目立ってキラキラしていた。恵都だって全然見劣りしてない。
英一朗は四人に興味がないと、ぷいと視線を逸らす。最後に残っていたご飯を口に放りこみ、食べ終わると乱雑に蓋をして片付けていた。
私は英一朗の体にそっと潜りこむ。憑依はできないが、彼の気持ちが流れこんでくる。魂だからか、中に入れば少しだけ本人の気持ちとリンクするみたいだ。
この時は寂しさを感じる。胸が締め付けられる切ない思いだ。
なんとかしてあげたくて、彼を動かそうと押したりひっぱったりしても私には暖簾に手押しだった。
どうにかして英一朗を恵都のもとにつれていきたいのに、またパチッと泡が弾ける感覚に襲われた。
ひとつのところに長く居られないけど、その代わり場面が目まぐるしく変わっていく。憑依できない分、色んな過去にポンポンと飛べるみたいだ。そのうち何かいい方法が見つけられるのかもしれない。私は期待して次に飛んだ。でもその時、ぞっとした。
今度は屋上にいたからだ。案内人の元に戻ってきたらこれで終わってしまう。
でもよく見れば天気がよく、青空に白い雲が気持ちよく流れていた。振り返れば恵都と紗江が向かい合っていたのを見てはっとした。これはあの時の話し合いの場面だ。
あの恵都の中には私がいる。私はすぐさま近くに寄った。
熱いバトルが繰り広げられていた。恵都の中の私も反論して頑張っている。でもそれを改めて外から見るのは不思議な感じだった。
その時、紗江に思いっきり馬鹿にされる。
「でも矢野さん、高校生に上がって眼鏡をはずしてコンタクトに変えて外見を変えても、あなたが一緒にいるあの派手な三人とは全然釣り合ってないわよ。あなたあんなキャラじゃないでしょ。いきがって調子に乗ってるんだろうけど必死にそれにしがみつこうと無理してるみたい」
全てを知った今だと、紗江の言い方にすごく腹が立ってくる。
でも初めて聞いた時はよく状況が飲み込めなくて、また恵都の中に入って楽しかったから利香たちに嫌われたくないという気持ちが強かった。つい紗江の言葉に抗えないものがあった。
でも今ならわかる。恵都がコンタクトに変えたのは成り行きだったし、あの三人の中にいても全然見劣りしないし、それに恵都は利香たちが好きで友達になれたことをとても喜んでいただけだ。
みんなが恵都を大人しい、いい子だ、逆らわないって決め付けすぎている。恵都はただのどこにでもいる普通の女の子で、みんなと同じように喜怒哀楽だってある。ただそれを表現するのが不器用で、それでも一生懸命になっていた。人に理解してもらえないことを悩んでいたにちがいない。
恵都ならこれくらい言っても大丈夫だろう、きっと理解してくれるだろう、文句はいわないだろう、そんな暗黙のイメージを押し付けられすぎていた。だから恵都が楽しそうにしていたり、ちょっと目立つと、それが気に入らないとやっかむ人もいる。
この紗江もそうだ。恵都を舐めすぎている。自分の方が上だと思っているから、恵都に負けていると思うのが悔しいに違いない。嘘をついてでも恵都を貶めようとしていた。
自分で勝手に挑んで勝手に負けて、それで逆恨みだ。
恵都はそんな紗江を最初から相手にしてなかったのかもしれない。紗江のような図太い性格には何を言っても無駄だ。
言い争いをしていた恵都の顔つきが、急に穏やかになっていく。
「あれ、どうして私、屋上にいるの?」
私が消えた後の恵都だ。またきょろきょろして戸惑っている。
「ちょっと、矢野さん、何ボケたふりしてるのよ」
「ボケたふり? あっ、もしかして私またぼうーっとしてた?」
「何、その態度。結局はそうやって私を馬鹿にする」
何を言ってんだか。恵都を馬鹿にしてたのは紗江でしょうが! 反論できないのがもどかしい。
「違うの。私、時々何か変なときがあって。自分でも訳がわからなくなるの。一体ここで何をしてたの?」
「どこまで、私をからかう気? 私に構うのがもう面倒くさくなったんでしょ。記憶がなくなったふりなんかしてわざとらしすぎる。卑怯よ。もういいわ。矢野さんなんて、もう知らない」
紗江は悔しさのあまり、走って去っていってしまった。
先ほどまでヒートアップして気持ちをぶつけていたのに、急に恵都の感情が消えて何事もなかったようになれば馬鹿にされたとしか思えないだろう。
「待って、和久井さん」
口では引き止めても追いかけようとはしなかった。紗江とはあまり深入りしたくないのだろう。
恵都は「はぁ」とため息を吐いた。
「私、高いところ苦手なのに、どうしてここにいるんだろう」
私が出て行った後は置いてけぼりになってしまう恵都。申し訳ない感じもするが、どこかで仕方がないと受け入れている恵都もすごい。つくづく流されるタイプなのかも。そういうところは見ていていらっとしてしまうのもわかる。
でもうすうす感じているのかもしれない。自分の中にもうひとりの自分がいるかもと。それが出てくる時、自分の中の不満が爆発しているとでも思っているのだろうか。
恵都は浮かない顔をして屋上から去ろうとする。その後をついていきながら、ここにはもう来ちゃだめだと私は囁いた。
恵都が不意に振り返った。不思議な顔をして辺りを見る様は私の存在を探しているようにも見える。
もしかして私を感じるのだろうか。
「恵都! 私はここだよ!」
私は叫んでみたけど、恵都は何も気がつかず、諦めて屋上から出て行った。
恵都と向き合って話し合えたらどんなにいいだろう。恵都の中に入っていた時のことも、外から見た恵都の事も、私は全て彼女に伝えたい。
あなたは自分の価値に全然気がついてない。
もっと自分を見つめて――。
そこでまたパチッと泡が弾けた。
次に飛ばされたところは教室の中だった。私は天井すれすれに浮かんでいる。先生が黒板の端にいるけど、クラスはところどころグループになってざわざわと騒がしい。日付を確認すれば五月二十六日となっている。
黒板にはバスの座席と記されて、番号が羅列されている。
これは遠足に行くためにバスの座席を決めているところだ。
恵都は利香たちと一緒にいて、黒板に書かれたバスの座席表を見ながらどこに座るか話し合っているところだ。
「後ろって、大体騒ぐような男子が座るよね。うるさいのはあまり嫌だな」
利香が言った。
「前も担任がいるし、あまり近くに座りたくないな」
由美里が言った。
「じゃあ、真ん中辺りがいいんじゃない?」
恵都も意見を出している。
「あっ、早く取らないと、みんな希望の場所書いてるよ」
清美が慌てる。
四人は黒板に近づき、利香がチョークを持った。
「私と恵都、由美里と清美で、この辺でどう?」
「それでいい、そこしか条件に当てはまって四人一緒に近くに座れるところないし」
清美は取れてほっとしていた。
「みんな早く決めろよ。早いものがちだぞ」
先生がせかしていた。
黒板の前は人でごった返しになって、急に騒がしくなる。
その時、絵梨が黒板の前から去ろうとしている恵都を呼び止めた。
恵都が振り返ると絵梨は満面の笑みで近寄ってくる。
「バスの座席、矢野さんの近くで嬉しい。よろしくね」
「ほんとだね。こちらこそよろしく」
恵都も素直に喜んでいた。
絵梨がまだ何か話したそうにしている時、紗江がそれを邪魔するように遮った。
「立之さん、ちょっと」
こっちにこいと手で招くその呼び方がわざとらしく、紗江はあからさまに絵梨と恵都を離したがった。
「ごめんね、矢野さん。またあとで」
絵梨は仕方なく紗江の元に行く。その顔はとても不満そうだ。
恵都はあまり気にする事なく利香の側に行き、また楽しそうに話を始めた。由美里と清美も恵都にちょっかいを出しながらケラケラと笑っている。絵梨はそれを横目に紗江に近づいていた。
こういう時、英一朗はどうしているのかと気になって見てしまう癖がついてしまった。教室を見回し彼を探す。英一朗も友達と一緒にいて話し合っていた。特に何も変わったところはなかった。だけどやっぱり視線はふいに恵都の方を向くことがあった。
ここでも私はどうすることもできなくてもどかしい。でも諦めたくない。ここでなんとかしないと、最悪の結果が待っている。
もしかしたら他に道があるかもしれない。このクラスの誰かに取り憑くことができないか、かたっぱしから憑依できないか試している時だった。すぐ近くで紗江と絵梨たちの会話が耳に入ってきた。
「どうして矢野さんと話そうとするの?」
紗江が訴えている。
「いいじゃない。私が誰と話しても」
絵梨もうんざり気味だ。
「前にも言ったでしょ。矢野さんは無自覚で人のものを奪う人だって。いつもいい子ぶりっ子で、みんなそれに騙される。立之さんとは絶対合わないって。一緒にいたらイライラするだけだよ」
紗江は性格が悪い。英一朗を盗られたと思っているから恵都を悪者にしないと気がすまない。仲がいいと思っている絵梨も恵都に盗られそうだから、必死につなぎとめようとしている。それが裏目に出るというのに、紗江はとことん強気だ。
「そうかもね」
意外な絵梨の受け答え。そのお陰で紗江はほっとしている。絵梨も反論しない方がいいと思ったのかもしれない。
恵都がいる方向をちらりと見て、絵梨はため息をつく。
気をよくした紗江は、他の友達に話しかけ明るく振舞っていた。その陰で絵梨は嫌な顔を紗江に向けていた。
紗江を嫌いになる気持ちは私にもわかる。それは英一朗も言っていた。
気が強く押し付けがましく、うるさいから反論する気も失せて黙って従うことを余儀なくされる。
この後で紗江は虐められていると恵都を訴えるけど、回りにいる人は虐めてるわけじゃなく避けているだけだろう。
きっと絵梨が紗江の愚痴をこぼした時、他の誰かも同じ気持ちだと同調し、その流れて紗江は敬遠される存在となっていくのだと思う。紗江が話しかければ、表面上は何もないを装うけどそれは無理をしているからで、結局長く付き合えず自然と紗江から離れていってしまう。
別に露骨に悪口を言うわけでもなく、ただ紗江に空気を読んで欲しいとそっけなくなっていく。
そのうち紗江も気がついて学校での居場所を失い、その矛先に恵都のせいと決め付けてしまった。
八つ当たりも甚だしい。
結局絵梨は紗江の言うことを聞かず、恵都に近づいていく。バスの席では積極的に話しかけていた。その頃偶然クラスの席も近くなって益々親密になっていく。
その時、私が中に居た時は、絵梨のことを邪魔に思った。でも恵都は違う。お人よしなこともあるだろうけど、絵梨を簡単に受け入れた。
絵梨も紗江から離れたかったから、恵都のグループに入れたのはラッキーなことだったのかもしれない。
でも恵都は後にそれを後悔するのかも。
まさかそれでストレスが溜まって悪口をネットに流したとか……。
恵都だって愚痴ぐらい言いたいだろうし、不満だって溜まるだろう。
誰だって口に出さないだけで、何かと心に秘めているものだ。
でも、不特定多数が見るようなネットで悪口を言うのはやっぱりやったらいけないことだと思う。ばれないとでも思って油断していたのだろうか。
いや、違う。私が恵都を信じなくてどうする。恵都はそんなことするような子じゃない。
ざわめく教室の中で、恵都はまだ何も知らないで無邪気に利香たちと話をしている。
私はそれを見ながら、パチンと泡がはじける音を聞いた。




