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第二十三話「子羊は優雅な散歩を嗜む」

 悪寒が、衝撃波のように広がって城を一瞬で埋め尽くした。

 周囲にいた人々は逃げ、兵士は無意識に剣を抜いていた。


「うわぁ。わざわざこんなことする必要あります? 俺、この量の兵士と戦える自信ないですよ?」


「あれれ~? 私的にはこんな予定じゃなかったんだけどなぁ。でもまあ、私が守ってあげるから大丈夫だよっ」


 その声が聞こえて初めて、俺はメリィの隣に誰かが立っていることに気づいた。

 すらっとした長身で、目にかかる程度の前髪に合わせるように揃えられた短髪。

 パッと見はただの青年なのだが、メリィの横に立っているということは、つまり。


「お前も、魔王軍か?」


 俺の問いかけに答えたのは、メリィだった。


「ご名答ッ! 彼は私の側近、魔王軍幹部が一人。テレポート使いのレアド君なのだよ!」


「ちょっと、魔王さん!? なんで俺の個人情報を敵陣のど真ん中で言ってるんですか!? 俺の力ってバレてたら不意打ちも出来なくなるんですよ!?」


「いーのいーの。今日も戦いにきたわけじゃないし、私がいれば戦闘は問題ないでしょ?」


「そういう問題じゃないっすよぉ……」


 レアドと呼ばれた青年は、頭に手を当てて諦めたように息を吐いた。

 首を振りながら、レアドはメリィを見て、


「これでなんかあったら、マゼンタさんに言いつけますからね……」


「ええっ!? それは困っちゃうなぁ! マゼンタは怒ると怖いんだよ!? レアドもそれくらいは知ってて言って――」



「広場で剣を握る全兵士は撤退を最優先ッ‼ 逃げ遅れた一般人たちに傷一つつけさせるなッ‼」



 轟いたのは、女王クリファの声だ。

 スワレアラ国の城内でこれだけの禍々しさを放ちながら、気の抜けた会話をする二人のせいで戸惑っていた兵士たちが、その一言で我に返って行動を開始する。


「へぇ。さすがにあの年で国を一つ背負うだけあるね。良い判断だと思うよ」


 不敵な笑みを浮かべるメリィは、自分から逃げていく兵士たちのことなど一切視界に入れず、クリファを見ていた。

 そして、俺もようやく思考を取り戻す。

 そうだ。まずやるべきは。


「ボタン! シヤクをつれて全力で逃げろッ!」


「で、でもハヤトさんは……」


「俺は大丈夫だ! とにかくお前たちは逃げてくれッ!」


「は、はい!」


 戸惑うシヤクの手を掴むと、ボタンは走り出す。

 去り際に、心配そうなシヤクが俺を見て、


「どうか、ご無事で……‼」


「おう、任せとけ」


 ぐっと親指を突き立てて、俺は二人を見送る。

 大丈夫なはずだ。これで戦闘に不向きな人は全員広間からいなくなったはずだ。

 あとは、こいつの目的か。


「……何を、しに来た」


「ふっふっふ~。実は今日もハヤトくんに用があって――」


「ハヤト、避けろッ!」


 メリィの発言の真っ最中に、俺の上から声が聞こえた。

 見上げると、そこにいたのは白髪の剣士。

 自分の身長を超える長さの大剣を手に、それをメリィへためらいなく振り下ろす。

 そして、それとほぼ同時に横から炎が魔王へと襲い掛かる。

 隣を見ると、そこにいたのは手を水平に掲げたレイミア。


「あんまりスキルは使いたくないだけど……」


 二人ともが、完全に全力の攻撃だった。

 慌てて、俺は回避するために後ろに下がって――


「それでね、ハヤトくんのところへきた用っていうのはね……」


「――ッ!?」


 もうすでに、回避行動へ移った後ろでメリィが表情を変えずにそこにいた。

 待てよ。ついさっきまで、こいつは。

 視線を移すと、そこでは。


「ラディアッ‼」


 この国で最も、いいや、この世界で最も魔法の扱いに長けていると言っても過言ではないレイミアの炎が、ラディアを呑み込み、その体に火傷を作っていた。

 理解ができなかった。確かに、レイミアのスキルは少しの調整ミスで簡単に暴走すると言っていたが、あの瞬間でそんな暴走が起こるような要素はなかった。むしろ、調節さえ間違えなければレイミアの意のままに炎は蛇のように鞭打つはずなのだ。

 ラディアに襲い掛かるなんて、あり得ない。

 それにレイミアの表情を見ても、その現象の意味が分からないという顔をしている。

 ということはつまり、その原因は俺の目の前にいる魔王だ。


「慌てるな、レイミア! 早くラディアに回復魔法を!」


「う、うん!」


 少しだけだが落ち着きを取り戻したレイミアは、ラディアに体を近づけて詠唱を口にし始めた。

 少し距離があるので何を言っているのかは分からないが、ラディアの傷が回復しているところが確認できたのでひとまず安心して……いや、それは無理か。

 俺は後ろにいるメリィへと視線を戻した。


「ねえねえ、聞いてる? 君に用があるんだよ?」


 ラディアとレイミアの攻撃をかわし、どうやったのかは分からないがレイミアの炎の軌道を変えてラディアへの反撃をしたにも関わらず、まるで散歩をするかのような顔でこの魔王は俺の前に立っているのだ。

 俺に用があるっていうなら、きっと以前に俺と接触したときと同じ目的か。


「俺を仲間にしようって話か?」


「あー。それは今はいいかなー。どうせ仲間になる気ないでしょ?」


「なに……?」


「今回は別。だからレアドを連れてきたんだし」


 そういわれて、メリィとともに攻撃を避けたレアドが隣で「まったく、我がままに付き合うのも大変ですよ」と嘆いていた。

 ならば、こいつの目的はなんだ。俺を仲間にすることじゃないってことは。


――必要になるまでもう少し預かっててくれない?


 ふと、そんな言葉を思い出して。


「……シアンッ‼」


「大丈夫かッ! ハヤト‼」


 ドンッ! と鈍い衝撃が床を揺らし、俺の目の前に現れたのは、美しく銀に輝く髪と、それとは対照的な褐色の肌を持ち、強引に成長させた体に不釣り合いで張り裂けそうな黒い服を身にまとった少女。

 魔王の気配を感じ取っていたのか、最初からフルスロットルで臨戦態勢のシアンが目の前に現れた。


「あら。わざわざ自分から私の前に来ちゃったんだ。シアン」


「ハヤトに何をするつもりだ!」


「ん~? 別にシアンには関係ないけど?」


「なんだと!」


 妙に感情的になっているシアン。いや、魔王の危険性を知っているからこその態度か。

 でも、メリィの目的にシアンが含まれている可能性がある今の段階で、シアンとメリィを戦わせるわけにはいかない。


「シアン、下がってろ! ここは俺に任せてくれ!」


「そんなわがまま、聞きたくないって感じ!」


 シアンを追うように広間に来たのは、朱色のくせ毛を風に揺らすスタイルのよいサキュバス、リリナだった。

 この空間に入るや否や、すぐにリリナは攻撃へ移る。


「――【眠香ドルミール】!」


 戦闘に特化はしていないサキュバスだが、こういった後方支援においてはかなり優秀な立ち位置にいるリリナ。白い粉が勢いよく振った両の手から噴出し、意思を持ったようにメリィとレアドを狙う。

 しかし、案の定メリィは瞬間移動のようにその粉を回避するが、その背後に白い影。


「――【神の真似事(リアナイテーション)】」


 ガチャン、という金属の揺れる音が響いた。

 それと同時に、紫色の弾道がメリィを襲う。

 完璧な死角からの一切の躊躇のない全開の攻撃。

 俺でも一たまりもないと、そう思った…………と。

 なぜか、俺の視線がメリィの顔に移った。理由は分からない。強いて言うなら、違和感を覚えた程度なのだが。


「あいつ、どうして笑って――」


 ついさっきのレイミアの攻撃を、メリィは瞬間移動で回避しながらその矛先を別の方向へ向けていた。さらに、何度か俺に対して行った、『言葉の先読み』。

 なら、あのメリィの笑みの理由は。

 思わず、この先のことなんて考えずに、俺は走っていた。


「エストスッ‼」


 正面から抱き着く形で、俺はエストスに飛びついた。それと同時に、やはりメリィは魔弾砲による攻撃をなぜか弾き返す。そして、エストスを庇った俺の背中に、ラディアの大剣よりも大きな魔力の塊が襲い掛かる。


「ぐぅぅぅうああああ‼」


 焼けるような痛みが、俺の背中を駆けまわった。


「だ、大丈夫か、ハヤト!」


「俺はいい! どうやら、今のところあいつには『先を読む』『瞬間移動』『攻撃の反射』を使ってきてるみたいだ。あっちから仕掛けてきてないから、まだ手のうちが分からない! エストス、視れるか!?」


「……やってみよう」


 そう言って、エストスが眼鏡を外そうと手をかけた瞬間だった。


「……動くな」


 聞こえたのは、ビリビリと痛みが走る背中のすぐ後ろ。

 魔王メリィが、珍しく冷たい声を発していた。

 そして、そのメリィは誰かの首に手を回して、人差し指を子どもが銃の形を真似るようにピンと伸ばしてその誰かのこめかみに当てていた。


「……ハヤトっ」


 メリィに押さえつけられていたのは、クリファだった。


「な……ッ!? いつの間にクリファがここに!」


「わ、妾も分からぬ。壇上にいたはずなのに、気が付いたらもう捕まっておったのじゃ……!」


 どうなっている。瞬間移動の応用なのか。

 なんにせよ、この中で身体能力が一番低いクリファを押さえられたのは痛い。

 クリファが戦うとしても、出来ることはスキルでの制圧だけだ。しかし、メリィが何らかの方法で攻撃を反射できるとしたら、クリファがスキルを使った瞬間にクリファ自身が潰れてしまうかもしれない。

 助けようにも、メリィには未来予知まである。不意打ちは効かない。

 俺は、ただ歯を噛みしめることしかできなかった。


「……ハヤトくんだけじゃない。エストス、君もその眼鏡を外すな。外した瞬間にこの女王様の命はない」


「ぐッ……‼」


 エストスは、眼鏡から指を離した。

 メリィがクリファのこめかみに当てた指は、一体どういった理由なんだ。原理は分からないが、これだけ全員が渾身の攻撃をぶつけて一つとしてそれらが当たらないのだ。

 あの指の危険性はそれだけでも理解できた。

 メリィは俺たちが動かないという意思を確信したあと、その周囲にいるシアンやリリナ。レイミアやラディアにも視線を送り、全員の動きを拘束する。

 と、急にメリィの表情が緩んだ。


「はぁ~。ここまでしないと止まらないって、どれだけ血の気荒いのさ君たち。下手すると魔王軍並みだぞ~?」


「乗り込んで来ておいて自分は悪くないみたいな言い方するお前の方がよっぽど気味悪いよ」


「ひっど~い! 私はハヤトくんに用があるだけなんだってば!」


「シアンは渡さない」


「ん? 私は別にシアンの回収にきたわけじゃないよ?」


 ケロッとした表情で、メリィはそういった。

 どういうことだ。なら、どうして。

 俺が言葉を失っていると、メリィはレアドに何かを告げ、それを聞いたレアドがこちらへと歩いてくる。

 全員が警戒をするが、メリィが再びクリファの首を絞める力を強めることで零れたクリファのうめき声で、誰も身動きが取れなかった。


「悪く思わないでくださいね。別に、魔王さんはシアンを取り戻しにきたわけでも、誰かを殺しにきたわけでもないですから」


「じゃあ、なんで」


 レアドの言葉に対して俺がそう返すと、メリィがため息を吐きながら言う。


「もう。ここまで言わなきゃ分からないの?」


 とろけるような笑みを浮かべて、メリィは言う。

 きっと本人にしか理解できないような、そんな言葉を。


「今、この場所に『主人公』がいる必要はないから、さっさといるべき場所に行って頂戴ってこと♪」


 そうメリィが言った直後、レアドの手がポンと俺の手に置かれた。

 そして、無表情のまま彼は口を開いた。


「――【転送テレポート】」


 視界が、一瞬だけ暗くなる。

 続けて体が宙に浮くような感覚があって。

 そして。

 そして。

 そして。


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