第二十一話「そして彼女たちは歩き始める」
自然のものとは思えない不規則な紫色の風が、レイミアの周りを緩やかに囲んでいた。腹部に走る鈍痛に呼吸を乱しながら、倒れたままのミルウルは王族のローブを羽織るレイミアを見上げる。
「ひ、ひぃぃぃ……‼」
俺にはまるで、悪魔と出くわしたかのような恐れ方に見えた。
当然と言えば当然だろう。ただ強いだけでないのだから。おそらく、この屋敷の気配から察するにまだどこかにミルウルの雇った傭兵は隠れているはずだ。
本来ならば、予想外の出来事が起きたときに対処するための伏兵だったのだろうが、それに攻撃を指示することが出来ないのだ。
だって相手は、王族なんだから。
「なあ、クリファ。本当にレイミアって王族だったの? 俺、普通に担いだり友達みたいに話してたんだけど」
「そんな問いを王である妾に投げかけるとは、さては貴様馬鹿か?」
「あ、それもそうだな。ならまあ、いっか」
「本当に馬鹿だとは思わなんじゃ……」
呆れたように頭に手を当てて、残念そうにクリファは首を振った。
だが、そんな俺の前では今でも緊迫した状況が続いていた。
「さあ、どうする。ミルウル」
「え、あ……」
返事なんて出来るわけがなかった。
だって、このミルウルという男は貴族という立場を利用してラディアを脅し、逃げ道も権力を使って用意していたんだろう。
しかし、もう権力に意味がなくなってしまったのだ。
と、突然ミルウルの口角が上がった。
「そ、そうだ! アルバトロスは!? あいつはどうしたんだ!」
ラディアを使った俺の暗殺を指示したミルウルは、本人がたった今口にしたようにアルバトロスと繋がっている。結果としてはその策はレイミアとシヤクのおかげでどうにかなったわけだが、そんな現状をミルウルは知らないのだ。
もしかしたら、今も城で反乱をしている最中なのかもしれないとでも思っているのだろうか。現実逃避にも近い期待だった。
「アルバトロスなら、俺がぶっ飛ばしたぞ?」
「なっ……!?」
俺が突き付けた事実に、ミルウルは狼狽の色を見せた。
練った策は完全に破綻し、残された道は敗北のみ。
半ば諦めたような笑みで口元を歪めた。
「もう、終わりだ……」
「なにが、終わりだって?」
鋭い殺気。そして風を切る乾いた音。
それが、ミルウルの頬をかすめ、一筋の紅い線を作り出した。
その傷が生じた原因は、レイミアの力だった。
彼女の手に、紫色をしたサバイバルナイフのようなものが見えた。
「私のスキルは、魔力を刃物という現象として使うこともできる。知ってた? 魔力って紫色なんだよ」
そういえば、エストスの使っている魔弾砲やガントレットも紫の煙が舞っていたような気がする。
それにしても、ナイフまで作れるのか。俺からすると凄い便利なものに見えるけど、扱いの難易度はかなり高そうだ。
「ラディアの苦しみを、お前も味わえ」
紫に揺らぐナイフを逆手に持つと、おびえるミルウルの体めがけてレイミアは腕を振り下ろして――
「や、やめろレイミア! ミルウルに抵抗するような力と気力はもうない!」
レイミアの腕を止めたのは、ラディアだった。
ラディアの力があれば、レイミアの腕はピクリとも動かない。しかし、気が収まらないのか、レイミアは振り払うように体を動かして抵抗する。
「離してッ! 私はこいつを――」
ピッ……っという小さな音が、ラディアの頬を薄く横切った。
ミルウルの頬に出来た切り傷と同じようなものが、ラディアにも出来る。
その傷は、紫の風によって生まれたものだった。
「ぁ……」
ピタリとその動きを止めたレイミアは、後悔の混じる言葉にならない声を出した。
また、やってしまったのだと。そう、言うかのような。
そんな顔で、そんな表情で。
「わ、わたし……‼」
この力を制御するために費やした全ての時間を無に帰すような怒りから、ようやくレイミアは帰還する。
だかしかし、もう取り返しがつかないというかのように、体が小刻みに震えていた。
そんな不安定な少女の体を、ラディアは強く抱きしめる。
「もう、いいんだ」
華奢な体が悲鳴をあげてしまうかもしれないなんてことは一切思考には入らなかった。
ただ、強く。もう二度と離したりなんてしないからと伝えるように、強く。
「もういいんだよ。私はレイミアがこうやって怒ってくれたくれただけで満足だ。だから、こんなことはもう、いいんだ……」
後ろから抱きしめるラディアの眼から溢れる涙が、彼女の頬を伝い、そしてレイミアの頬へと落ちる。
その涙は、二人分の悲しみを背負って地面へと吸い込まれていった。
堰を切ったようにこぼれる涙を拭いもせずに、ラディアは言う。
「私は、『冒険者レイミア』の親友だ。王族の家臣でも、親衛隊でもない。レイミアは、いつだってレイミアだ。それで、いいじゃないか……!」
「…………、」
自分の首を回る腕を、レイミアはそっと撫でる。
ゴツゴツとしていて、間接も太い。筋肉に覆われたそれは、一見しただけでは女性の腕とは思えないだろう。
でも、それは確かに、彼女の親友の手だった。
「ごめん、ラディア」
「謝るのは私のほうだ。私が弱いせいで」
レイミアは自分を抱きしめてくれる武骨な手を強く握った。
怒りが収まり始めたのか、彼女の体の力が抜けてラディアへと体重をかける。
「私さ、王族なんだよ」
「ああ」
「ラディアがずっと嫌いだった、地位を持つ側の人間なんだよ」
「だからなんだ。お前がレイミアであることに変わりはないだろう」
「ずっと隠してきたんだよ」
「お前だって好きで王族に生まれたわけじゃないだろう。隠したくもなる」
淡々とした会話が続いた。まるで、少しでも強く握ったら壊れてしまうものを、丁寧に確認するかのように。
そして、沈黙があった。
きっと、もう二人の中で何かが終わったのだろう。
だったら、これからは俺の番だ。
「よお、貴族。生きててよかったな」
「サイトウ、ハヤト……」
「俺も殺されかけて腹は立ってるけど、その借りはこいつらが返してくれた。俺からはもう何もしない。だから、終わりだ。お前の負けだ」
「……、」
「詳しいことは俺には分からない。でもな。これ以上ラディアにしたように誰かを苦しめることを全てやめろ。手出しもするなよ。もしこれから先にまたなにかをしたっていうなら、俺がお前をぶん殴りにくる。いいな?」
「わ、分かった……」
何度も素早く、ミルウルは頷いた。
アルバトロスも、ミルウルも、全てが片付いた。
ようやく、俺たちの長い一日が終わるのだ。
外へ視線を移す。
青かったはずの空が真っ赤に染まり、すでに闇が空の隅からこの世界を包もうとしていた。
「これにて一件落着……ってことで大丈夫だよな?」
「うむ。幸い、アルバトロスのクーデターも全て城の中のみで完結したからの。これから先にある他国との話し合いでも要らぬ心配をする必要はなさそうじゃ」
「よし、じゃあ帰ろうか。ほら、レイミア、ラディア。歩けるか?」
「……ああ」
そう言ってラディアが立ち上がるが、力なくぐったりと分厚いローブが絨毯のように横になっていた。
もぞもぞと動くそれは、やる気のない声で小さく呟く。
「……疲れた。おんぶ」
そんな言葉を聞いて、ラディアは幸せそうに笑い、子どもも抱えるようにレイミアを持ち上げる。
「私でいいならいつだって背負うさ。……ずっと、な」




