行間「朝日の昇り始めたスワレアラ国の城内にて」
「ああぁ~~っっ! そこ、そこじゃ…………あんっ!」
背中から伝わる刺激に、少女は思わず声を上げた。
ぐっ、ぐっ、と押し込む力を増やしていくと、さらに少女の声が高くなる。
当然、こんな声を出されては俺もドキドキしてくる。
だから、とりあえず言葉にしておこう。
「あのさ。こんな朝早くにマッサージをしろって、どういうことなんですかね女王様」
昨日はかなり濃い時間を過ごしたうえに帰りの時間がとても遅かったので、倒れるように寝ていた俺だったのだが、朝日がまだ顔を出すか出さないかの時に城の従者に起こされて、「女王様がお待ちです」と言われたときの俺の顔は、きっと地獄に行く前の魂のような精魂朽ち果てたものだっただろう。
泊まらせてもらっている身で断れない俺は、なんとか体を起こしてクリファの元へ行ったのだが、待ち構えていた薄着のクリファは開口一番「マッサージをしろ」とだけ言ったのだ。
当然断れない。
そうして五分程度マッサージをしたところなのだが、もうすでに腕が疲れてきている。
ステータスカンストはどこにいったとツッコみたくなるが、多分寝不足やらなんやらで精神的な疲れもあるのだろう。
ただ、そんなことはこの女王には関係ない。
「妾は毎日毎日仕事仕事で心身ともに疲れておるのじゃ。だから暇そうなやつにマッサージでもしてもらおうかと思っての」
「暇って。俺を王都まで仕事だからってよんだのはお前だろうが……」
「はっはっは! そうであったな、許せ許せ!」
「まったく……で? 部屋で俺たちが二人っきりってことは、呼んだ理由はマッサージだけじゃないんだろ?」
元々、クリファが多忙を極めていることは知っている。睡眠時間だってあまりないはずだ。それでもこれだけ早くに起きて俺を呼んだっていうことは、だ。
もちろんマッサージだってしてもらいたいんだろうが、そこは本題ではない。
二人じゃなきゃ話せない何かがあるっていうのは、バカな俺でもすぐに分かる。
「話が早くて助かるの。ではさっそく話しを……お? 手は止めるでないぞ。マッサージも妾には必要なのじゃ」
「はいはい。ほら、これでいいか?」
肩甲骨の間を伸ばすように、それでいて少女の体に負担がないように、注意を払って俺は腕に力を入れていく。
クリファの口から気の抜けた声とともにぬるい吐息が溢れてきた。
それに満足したのか、クリファは本題へと入る。
「実はの。恥ずかしいことに、スワレアラ国の中にまた裏切り者がいるみたいなんじゃよ」
「……え?」
なんだか、とてつもない事実が飛び出した気がしたのだが。
空耳、にしてはずいぶんとはっきりと聞こえたな。
「裏切り者って、どういうことだ?」
「妾の身近な、スワレアラ国に仕える者の中に、妾の打倒を考えているものがいるらしいのじゃ。まったく、物騒な世の中じゃの」
「そんな他人事みたいに言うものなのか? 俺はかなりヤバいと思うんだけど」
「勿論、事態は深刻じゃ。しかし、だからといって取り乱しても思考が固まってしまう。だからこうして身も心もほぐしながら話しておるんじゃ…………んっ! ちょっと強い……」
いつの間にか腕に力が入ってしまっていた。
自分の動揺が身体から伝わっていた。
慌ててクリファに合わせて力を調節する。
「おぬしに頼んでおったダンジョン攻略の話があるじゃろう? 実はな、一ヶ月前に少数ではあるが、王国の兵士を派遣したことがあったんじゃ」
「え? そうだったんだ。それなのにどうして俺が呼ばれたんだ?」
「兵士からの報告が『一切の異常無し』であったのじゃ」
「異常無し……?」
聞いた限りだと悪いようには聞こえないが、これのどこが問題なのだろうか。
「鉱石採掘量の減少。魔物の強さの歪さ。そして、『災い』。その全てを調査させて、その全てに『一切の異常無し』じゃ。裏がありますと言っておるようなものではないか」
確かに、昨日も最近になって上層に強い魔物が増えているって言っていたし、一ヶ月前に調査して異常無しはおかしいな。
まるで、何か――
「何か探られたくないものをそこに隠しておるから近づかせたくない、というように感じるじゃろ?」
「だから、俺たちなのか」
「うむ。元々の人手不足や恩もある。おぬしらを呼ぶことにも違和感はない。それに、こうやって真実を言っておるのはハヤトを含めても極々少数の、妾が心から信頼しておるものだけじゃ。いつ誰が聞いておるかわからんからのぉ」
「……やっぱり大変なんだな。王って」
今更、これでよかったのかと悩み始めてしまう。俺がもっと別の選択肢を選んでいれば、もっと丁寧にクリファが王位を継承するように立ち回れば、こんなにクリファに苦労させることもなかったのではないかと。
俺は、正しかったのだろうか。
俺が歩いた道は、本当に間違っていなかったのだろうか。
それこそ、あの魔王の言う通りなのかもしれない。
俺は、ただ自分の考えを押し付けて――
「安心するとよい、ハヤト。妾に後悔など一切ない。怖いといえば嘘になるが、しかしそんなことなど関係ないのじゃ」
うつ伏せになっていた体を起こすと、穏やかな笑みでクリファは俺の手を握った。
「戦うための力は、ハヤトが見つけてくれた。争うための勇気は、ハヤトが与えてくれた。おぬしは妾を救ってくれたのじゃ。臆するな。胸を張れ。おぬしは間違ってなどおらん。また、妾を救ってくれ」
「…………あぁ」
たった一〇秒ほどの言葉で、どれだけこの少女は俺を救ってくれただろう。
俺がやったことなんて、大層なことじゃない。
勇気を与えた? バカ言え。俺がこれだけもらってどうする。
そうだ。胸を張れ。
俺が助けた人たちの未来に責任を持て。
「ありがとう。頑張る」
「うむ。それでよいっ!」
胸の奥から溢れ出そうな涙をぐっと堪えて、俺は無理やり笑みを作った。
こんな少女の前で泣くわけにはいかない。
「話は、終わりか?」
「そうじゃな。あとは……『災い』についてくらい――」
と、クリファが話している途中で、コンコンと扉がノックされた。
一瞬のうちにクリファは声に厚みを含ませ、女王としての言葉を発する。
「……入れ」
「おはようございます。女王陛下」
入って来たのは、昨日、魔法学校で叱られた後のレイミアを運んでいたスワレアラ国の騎士団長だった。
たしか、アルバトロスって名前だったか?
向こうも俺に気づいたようで、驚いたように目を見開く。
「おや。ハヤトさんではないですか。お二人で何を?」
やはり騎士団長という立場上、安全面からも俺とクリファが二人でいるというのはあまり良くないのだろう。
だが、横でくつろぐ女王様には関係ない。
「なに、疲れていたからマッサージに呼んだだけじゃ。王室の堅苦しい者より、気の置けない者の方が妾もリラックスできるからの」
「そうですか。ですが、入り口にも警備を置いていないというのは、この国に仕える者として無視するわけにはいきません。次からはせめて一人だけでも兵士を置いてください」
「相変わらず固い男じゃのう。もう少し肩の力を抜いた方が楽じゃろうに」
「騎士団の長として、私は誰よりも固い人間でなければなりませんから」
淡々と語るアルバトロスを見て、クリファは諦めたようにため息を吐いてやれやれと首を振った。
「それで、おぬしが来たということがもう時間かの?」
「はい。今朝はドルボラ国からの使者がまもなく到着しますので、今度の交易や国境付近の防衛線についての取引があります。防衛線については、騎士団長である私も出席させていただきますので、私が陛下を呼びに参りました」
「そうか。ならばすぐに行くからおぬしは先に準備しておいてくれ」
「はい。それでは」
頭を下げ、アルバトロスの姿が見えなくなると、クリファは寝転がっていた台から降り、横にかけてあった王のローブを手に取った。
「すまんが、もう行かなくてはならん。朝早くからご苦労だったの」
「何言ってんだ。お前の方が大変なんだから、これぐらいで文句を言ったりはしねぇよ」
そんなことよりも、俺はアルバトロスが入ってくる前にクリファが言おうとしていた『災い』ということに関して気になっていた。
「なあ、クリファ。さっき言おうとしてた『災い』ってなんなんだ?」
「そうか。『災い』について言っておらんかったな。あのダンジョンについて調べたとき、『災い』という存在があることがわかっての」
「それって、強い魔物がいるってことか?」
「分からん。ただ、遭遇した者に災いを振りまく存在があり、今までの冒険者たちが『災い』と名付けたようじゃ。なんでも、その者の実力に関係なく憑りつき、病のように内から対象を殺すらしい」
「なにその都市伝説。めっちゃ怖いんですけど」
「まあ、これは調べているうちに出てきた噂のようなものじゃ。真に受ける必要はない。頭の片隅にでも留めておいてくれ」
言って、クリファは豪奢なローブをまとった。
さて、俺も今日はダンジョン攻略だし、戻って準備でもしないとな。
「もう行くんだろ? 頑張れよ」
「うむっ! また落ち着いたらマッサージでも頼もうかの! よろしく頼んだぞ、ハヤト」
「おう。任せとけ」
身だしなみを整えて歩き出そうとしていたクリファの後ろ姿を見ていたら、羽織っているローブが近くの観葉植物に引っかかっていた。
あのままだと、大事なローブに傷がついてしまうかもしれない。
俺は歩き出すクリファの肩にそっと手を置いて、
「お、おい。ローブが枝に――」
「なんじゃ急に――キャ……ッ!?」
ローブにひっかかった植物が、クリファに向かって倒れてきた。
すぐ近くにいた俺は、前にいるクリファを植物から守るように慌てて体を動かした。
俺がやったことは、クリファの手を引いてこちらへ体を寄せただけ。
植物の枝は倒れた拍子にローブから外れ、クリファにも当たらずに地面へと倒れた。
「大丈夫か、クリファ」
「う、うむ……」
ちょうどクリファを優しく後ろから抱きしめるような体勢になっているので、クリファの顔は俺のすぐ近くだった。ただ、正面から見ているわけではないのではっきりとはしないが、心なしかクリファの顔が赤くなっているように見えた。
かなり疲れもたまっているだろうし、熱でもあるのだろうか。
「無理するなよ。いくら王としての仕事があるって言っても、体を壊したら元も子もないからな」
「……ん。そうじゃな。すまない」
「なんかあればいつでも呼べよ。すぐに助けに行くから」
「……うむ。して、ハヤトよ」
「お、どうした?」
俺が問いかけると、クリファは恥ずかしそうに、
「その……、手が、胸に……」
後ろから抱きしめるようにクリファを助けたため、俺の手がクリファの淑やかな胸を覆うように触れていることに俺は言われてから気づいた。
「す、すまんっ! 触ってる感覚がなかったから全然気づかなくて……」
ピクっと、クリファの表情が波打った。
「触っている感覚が、なかった……?」
「え!? い、いや! 別に特別な意味はないからな!?」
「ほうほう。ではなんじゃ。特別な意味はなく、普通に触っても分からない程度の胸だった、と……?」
「ち、違いますよ女王陛下‼ 決してそんな意味を含んでいることはな――」
「【王の重圧】ァァァァァァァアアアアアアアア!!!!!」
「どうしてこうなったぁぁああああ‼!???」




