第八話「気まぐれ魔王はケーキを頬張る」
理解など、できるはずもなかった。
今、この少女はなんと言ったのだ。
聞き間違いではないのか。
いや、でも。はっきりと聞こえたのだ。
それにこの禍々しい、近づきたくもない気持ちの悪い雰囲気は。
ならば、彼女は、本当に。
「…………魔王」
口にするのも躊躇われるその言葉を、俺はようやく声にした。
しかし、張りに張った俺の警戒心などこれっぽっちも気にせず、魔王メリィは笑う。
「あらら〜? 意外と素直に信じてくれるんだね。こういう時って、『はっ、そんなわけないだろ。お前みたいな小娘が。笑わせんな』ぐらい言われるものだと思って身構えてたのに」
少しつまらなそうな顔で唇を突き出すと、魔王メリィはゆっくりと俺の方へと歩き始める。
反射的に、俺は彼女が歩いた分だけ後ろへ下がっていた。
数歩進んでも変わらない距離に対して、魔王は不満そうに、
「ねえ〜! 確かに私は魔王だけどさ? 別に戦いにきたわけじゃなくて、君と話をしにきたんだよ? そんなに警戒しなくってもいいってば!」
「ふ、ふざけんなっての。どこの世界に魔王って名乗るやつに無防備に近づく人間がいるんだよ。俺は石橋を壊れそうなほど念入りに隅々まで叩いてから渡る派なんだ」
「あははっ。なにそれ! 意味わかんな〜い!」
ケラケラと笑う魔王。
あまりの気味悪さに若干の吐き気までやってきやがった。
とにもかくにも、まずはこいつがなにをしたいのかを把握しないと。
「……話って言ってたな」
「うん! のんびり話したいから……あ、あそこのお店とかいいね! ほら、行こ!」
まるで待ち合わせをしていた恋人のように手を握って店へと連れていかれた。
しかも、店に入る瞬間に禍々しい気配が完全に消えて、ただの明るい少女へと化していた。
「たのもー! 甘いもの食べたーい!」
「お、おい! 俺はまだ――」
「『話すだなんて言ったつもりはない。はやくお前の目的を教えろ』って、言うつもりだった? 大丈夫だってば! ちゃんと話すから。焦らない焦らない」
図星どころの話ではない。
思っていたことを言い当てられたというよりは、『俺がこれから言おうとしたことを丸々先に言われた』気分だ。
なんなんだ。これはもう気持ち悪いどころのレベルじゃないぞ。
豆鉄砲をくらったような顔の俺の手を引いて、魔王メリィは二人席のテーブルへと進み、注文した甘いものとやらをそわそわと待っていた。
魔王と相対しているというのにこの緊張感の無さは逆に疲れる。これはもう気を張るだけ無駄なんだろう。警戒心はそのままに、俺は少しだけ肩の力を抜く。
「それで、俺と話したいことってなんだ。やっぱりシアンか?」
自分の陣営の幹部が俺と一緒にいるってのは、考えられる限り一番もっともな理由だ。
だが、魔王は表情を変えない。
「んー。別にそれなら話す必要ないじゃん? ほら、私的にはシアンは必要になったときに回収できればそれでいいし、今は別にどこにいても変わらないんだよね~。最初に敵になったって聞いたときは焦ったけどさ。ハヤトくんって勇者の仲間ってわけじゃないんでしょ?」
「まあ、仲良くはないな」
「でしょ~? 別にシアンが死ぬ可能性が低いなら大丈夫だから、逆に必要になるまでもう少し預かっててくれない? そのうち回収しに行くからさ~」
「それはシアンが決めることだ。シアンを物みたいに扱うんじゃねえよ」
「あらら~? そんなつもりはなかったんだけどな。怒らせたならごめんね!」
魔王はお茶目に舌をわずかに出して顔の前で手を合わせた。
神経をこれでもかと逆なでしてくる魔王の言動に、危うく冷静さを欠くところだった。
深呼吸をして、俺がなんとか平常心の一部を取り戻したところで、俺たちの前に魔王の注文した甘いものが提供された。
出てきたのは俺の世界でもそこそこ値段の張りそうなケーキだ。
茶色のスポンジの上を白のクリームで覆い、その真っ白なキャンバスは様々な色の木の実で彩りされていた。
「わあ! これがケーキってやつ!? 私、ケーキ食べるの初めてなんだよね! ねね! これってこのナイフで切ればいいの?」
「普通に真ん中から三角に切ればいいと思うけど……」
「なるほど! じゃあこう切ればいいのかな?」
ナイフで円形のケーキを三角に切り取ると、その手にもったナイフをそのまま突き刺して切り取ったケーキを一口で魔王は頬張った。
おいおい。丸かじりじゃあナイフで切った意味ないだろ。
口の周りにクリームをつけたまま、魔王は幸せそうに、
「うまーい! あまーい! おいしーぃぃいい!!」
「お、おい。口にクリームついてるぞ」
「え? ほんと? とってとってー!」
笑顔で顔をぐっと俺の前に出してくる魔王メリィ。
顔がやたら可愛いせいで頬についたクリームをとるというだけでやたらドキドキしてしまう俺。どうして一九歳にもなってこんなことで無駄に心拍数を上げなきゃいけないんだ。
楽しそうな顔をしやがる魔王のクリームをぎこちない手つきで取ると、俺の指の先についた白のクリームを見て、
「はむっ」
ぱくっと俺の指を咥えると、指についたクリームを綺麗になめとった。
初めての感覚に、指先からムズ痒さが全身に伝播してきた。
「ちょっ、それは……!」
「なに? 勿体ないじゃん、クリーム」
「それはそうなんだけどさ……」
このままだと魔王のペースのままだ。
どうにかして流れを変えないと。
「そうだ、話だ。結局本題には何も触れてないじゃんか」
「あ、それもそうだね! 今日は話をしにきたんだった! ごめんね〜! ケーキが美味しすぎて忘れてたよ〜」
未だにもぐもぐとケーキを咀嚼しながら、子どものように握っているナイフの先で魔王はくるくると円を描く。
「さっきも言ったように、今回の私の目的はシアンじゃない。君なんだよ、ハヤトくん!」
「俺、が……?」
シアンではなく、目的は俺。
シアンを狙って俺に接触するなら理解できるが、シアンを抜きにして俺を目的にするなら、理由はなんだ。
まさか、魔道書のことがバレてる?
レイミアとの会話を聞いた限りだと、世界のパワーバランスが傾くものだ。
ならば、魔王軍が欲しがるのも当然だ。
俺は無意識に魔道書を入れたホルダーに手を掛けた。
「実際に会ってみて分かったんだけどさ、ハヤトくんって凄い変わってるんだよね」
「どういうことだ」
「うーん。言葉にするのが難しいんだけど、強いて言うなら……そうだな〜」
思考する時間を経て、閃いたように魔王はナイフの先で俺を差して、
「ハヤトくんは、神にも等しい異質な力を持ってるんだよ。それこそ、この世界に存在していること自体がおかしいと思うほど。ってか、ハヤトくんって本当にこの世界で生まれ育ったの? それすら疑問」
「……」
図星どころではない。
少女の雑談のような軽い声は、確実に俺の心の芯を揺らしていた。
「まあ、ハヤトくんがどう育ったかは実際どうでもいいんだけどね。でも、神に等しい、いや、それこそ神の力を持っているのなら、私はここに来た意味があるってわけなんだよね!」
その言葉の深刻を霞ませるほどに明るい声で、魔王は言った。
神の力、か。
言われてみれば、魔道書の最初に書いてあった名前は「女神リアナ」だ。
もし、その力が俺に宿っているなら。
「神の力をもし俺が持っているなら、なんだってんだ」
「そうなら、私の目標の最重要ピースの一つになる。ずっと探してても見つかることのなかった、心臓のような大事なピースに」
「目標……? ピース?」
そういえばこの魔王、というより魔王軍の目的ってなんなんだ。
よくある話だと世界征服とか、人間を絶滅させるとかだけど。
「あれ? 言ってなかったっけ、私のやりたいこと」
「言われてないな。なんなんだ。魔王軍がここまでしてやりたいことって」
「うーん。あんまり他の人には言いたくないんだけどなぁ。ってか、魔王軍でもちゃんと言ってるのは幹部の数人だし……でもまあ、ハヤトくんならいっか!」
完全にケーキを飲み込んだ魔王メリィは、これ以上ないほどはっきりとした声でこう言った。
無邪気な少女にも見える、明るい笑顔で、
「私の目的はね、この世界をみんなが住みやすい世界に変えることだよ」
「…………は?」
「聞こえなかった? みんなが住みやすい世界にするの。ハヤトくんとこうして話してるのも。この目的のため」
何を、言っているんだ。
勇者の正義があれだけ凝り固まるほどの悪行を働いて、エルフの里を襲撃して、そこまでしておいて、住みやすい世界にするだと?
どうして、そんなことをこんな笑顔で言えるんだ。
「だからね。私が今日、ハヤトくんに会いに来た理由はとっても簡単」
背筋が震えそうなほど可愛らしい笑顔で、魔王メリィはこう言った。
「私の仲間になってよ! ハヤトくん!」




