教え子に堕とされた俺の、終わらない転落人生(伊集院征四郎視点)
「おい、伊集院! いつまでサボってんだ! コンクリートが固まっちまうだろうが!」
親方からの怒声が、頭蓋骨に直接響く。二日酔いの頭痛と、真夏の太陽がじりじりと肌を焼く不快感に顔を歪めながら、俺はスコップを握り直した。汗と埃にまみれた作業着。これが、かつて「先生」と呼ばれ、女子生徒たちに囲まれて悦に入っていた男の今の姿だ。
どうして、こうなった。
その問いは、この地獄のような日々が始まってから、もう何千回、何万回と繰り返しただろう。答えは分かっている。俺が、調子に乗りすぎたのだ。
日向朱音。あいつは、格好の獲物だった。素直で、純粋で、そして俺のような「大人」に憧れを抱いているのが手に取るように分かった。何よりそそられたのは、あいつには夜凪蓮という、成績優秀で真面目一辺倒な彼氏がいたことだ。他人のモノを奪う快感。純粋な少女を自分だけの色に染め上げていく背徳感。それらは、退屈な家庭生活と、マンネリ化した教師という仕事に、最高のスパイスを与えてくれた。
「レンくんみたいな真面目なだけの男じゃ、つまらないだろ?」
俺がそう囁くと、朱音は困ったように笑いながらも、決して俺を拒絶しなかった。その反応がたまらなく愛おしく、俺の征服欲をさらに掻き立てた。夜凪蓮というガキの存在を嘲笑い、俺の腕の中で蕩ける朱音を見るたびに、俺は自分が世界の王にでもなったかのような全能感に浸っていた。
あいつはまだ子供だ。万が一バレそうになっても、泣きつけば許してくれるだろう。朱音も、俺が少し脅せば口を噤む。今までも、そうやって何人もの女子生徒と危ない橋を渡ってきた。今回も大丈夫だ。そう、高を括っていた。
俺の人生が転落するゴングが鳴ったのは、皮肉にも、俺が人生の絶頂にいた瞬間だった。全校集会の壇上で、スポットライトを浴び、生徒たちの羨望と尊敬の眼差しを一身に受けていた、あの時だ。
教頭に腕を掴まれ、壇上から引きずり下ろされた時には、まだ何が起きたのか理解できなかった。校長室で突きつけられたスマホの画面に映し出された、匿名の告発メールと、そこに添付されたおびただしい量の「証拠」。朱音とラブホテルに出入りする動画。車内での、俺自身が生々しいと認めるしかない会話の録音データ。他の女との密会写真。過去に俺が手を出した生徒の名前まで……。
「誰が、これを……」
愕然とする俺に、校長は「お前は終わりだ」とだけ告げた。
そこからの転落は、ジェットコースターよりも速かった。懲戒免職。マスコミからの執拗な取材。ネットに永遠に残り続ける、俺の名前と「淫行教師」という不名誉な肩書き。そして、家に帰れば待っていたのは、鬼の形相をした妻と、弁護士が作成した分厚い書類の束だった。
「慰謝料、養育費、きっちり払ってもらうわ。あなたの退職金と財産、全部よこしなさい」
俺が朱音に送った証拠を、さらに詳細にしたデータが妻の元にも届いていたらしい。言い逃れの余地など、どこにもなかった。俺は、社会的地位も、家庭も、財産も、たった一日ですべてを失った。
誰だ。一体誰が、こんな周到な罠を仕掛けたんだ。
最初は、朱音が裏切ったのかと思った。俺との関係をバラし、自分だけ助かろうとしたのかと。だが、彼女もまた、学校で居場所を失い、心を病んで引きこもっているという噂を耳にした。じゃあ、一体誰が?
その答えを知ったのは、全てを失ってから数ヶ月後。日雇いの土木作業員として働き始め、安酒を呷るしか楽しみがなくなったある夜のことだった。偶然、駅のホームで、かつての教え子に出くわしたのだ。
「先生、大変でしたね。でも、自業自得っすよ」
憐れむような、それでいてどこか面白がっているような目で、そいつは言った。
「夜凪のやつ、マジでヤバいっすよ。あいつ、先生のことハメた後、朱音のことも完全に潰したらしいじゃないすか。学校じゃもう伝説ですよ。『静かな復讐者』って呼ばれてます」
「……夜凪?」
「え、知らないんすか? 全部、朱音の彼氏だった夜凪蓮がやったことじゃないすか。あいつ、ただのガリ勉じゃない。プロ級のハッカーみたいなもんで、先生の個人情報から何から、全部丸裸にしてたって噂っすよ」
その瞬間、すべてのピースが繋がった。頭を鈍器で殴られたような衝撃。
あの、物静かで、何を考えているかわからない、ただの真面目なガキ。俺が「子供の恋愛ごっこ」と見下していた、あの少年。あいつが、たった一人で、俺の人生を完全に破壊したというのか。
俺が朱音と密会している間、あいつはPCの前で、冷徹に俺たちの罪の証拠を収集していた。俺が朱音の純粋さを弄んでいたまさにその時、あいつは俺という人間を社会的に抹殺するためのプログラムを組んでいた。俺が優越感に浸っていたあの時間は、すべて、あいつの掌の上で踊らされていた道化のショーに過ぎなかったのだ。
恐怖が、背筋を駆け上った。俺は、とんでもない化け物を敵に回してしまったのだ。それは、単なる高校生ではない。感情を殺し、目的のためならどんな手段も厭わない、悪魔そのものだった。
それからというもの、俺の人生は本当の地獄になった。日中は汗と埃にまみれて肉体を酷使し、安アパートに帰れば、元妻の弁護士から届く督促状の山。慰謝料と養育費の支払いは重くのしかかり、給料のほとんどは右から左へと消えていく。手元に残るのは、安酒を買うためのわずかな小銭だけ。
時々、夢を見る。壇上でスポットライトを浴びる俺の夢だ。しかし、拍手はすぐに罵声に変わり、足元が崩れ落ちて、底なしの暗闇へと真っ逆さまに落ちていく。そして、その奈落の底で、夜凪蓮が、あの感情の読めない無表情で、俺を見下ろしているのだ。
「伊集院! 手を動かせ、手ぇを!」
親方の怒声で、俺は悪夢から現実へと引き戻される。俺はもう、誰かを指導する「先生」じゃない。誰かから指示され、罵倒されるだけの、社会の底辺の労働者だ。
あの時、朱音に手を出さなければ。
あの時、夜凪蓮を甘く見ていなければ。
後悔しても、もう遅い。俺の人生は、終わった。あの少年の手によって、完璧に、そして無慈悲に。
俺はこれからも、この終わりのない転落人生を、ただ息をしているだけの屍として生きていくのだろう。あの少年の顔を、復讐者の冷たい瞳を、死ぬまで夢に見ながら。それが、俺に下された、あまりにも重い罰なのだ。




