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僕を裏切った幼馴染とゲス顧問、二人まとめて地獄に堕とします  作者: ledled


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6/9

隣の家の神童は、悪魔に変わった(日向朱音の母親視点)

「お母さん、ごめん……もう、食べられない……」


テーブルの向こう側で、娘の朱音あかねが力なく呟きました。ほんの数ヶ月前まで、どんな時も「おいしい!」と言って私の手料理を平らげていた娘の面影は、どこにもありません。青白い顔、落ち窪んだ目、生気なく彷徨う視線。あんなに輝いていた命の光が、まるで蝋燭の火が消える寸前のように、弱々しく揺らいでいるのです。


娘の異変に気づいたのは、ある日、学校からかかってきた一本の電話がきっかけでした。美術部顧問の伊集院先生が、不祥事を起こして懲戒免職になったこと。そして、その件に関して、朱音が何らかの形で関わっている可能性があること。電話口の教頭先生は言葉を濁していましたが、その声に含まれた非難の色は、嫌でも伝わってきました。


それからでした。あれほど学校が好きで、友達が好きで、毎日楽しそうに通っていた朱音が、部屋に閉じこもるようになったのは。最初はただ、尊敬していた先生が罪を犯したショックなのだろうと、そう思っていました。夫と二人で、「朱音も辛いだろうから、少しそっとしておいてやろう」と話し合っていました。


しかし、事態は私たちの想像を遥かに超えて、最悪の形で進んでいきました。近所の奥様方からの、あからさまな無視。スーパーへ買い物に行けば、聞こえよがしに囁かれる「あそこのお嬢さん、例の先生と……」「育て方が悪かったんじゃないの」という陰口。そして、郵便受けに投げ込まれていた、『人殺し』『恥を知れ』と書かれた匿名の誹謗中傷の手紙。


その時になって初めて、私たちは娘がただの「被害者」や「関係者」ではなく、渦中の「当事者」なのだという、目を背けたい事実に直面させられたのです。


夫は激昂し、朱音の部屋のドアを叩き、「どういうことか説明しろ!」と怒鳴りました。しかし、部屋の中からは、か細い泣き声が聞こえてくるだけ。埒が明かないと判断した私たちは、隣の家へ向かいました。れんくんなら、きっと何か知っているはずだ。物心ついた時から朱音の隣にいて、あの子を誰よりも理解してくれている、もう一人の息子のような存在の彼なら、と。


インターホンを押すと、蓮くんはいつもと変わらない、礼儀正しい穏やかな表情で私たちを迎えてくれました。


「朱音のことで、何かご存じないかしら……?」


震える声で尋ねる私に、蓮くんは少し悲しそうな顔をして、静かに首を横に振りました。


「いえ……僕も、何も聞いていなくて。最近、朱音の様子が少しおかしいとは思っていたんですが……。僕も、友人としてすごく心配です」


その言葉に、私たちは何の疑いも抱きませんでした。そうよね、蓮くんが知らないなら、本当に朱音は何も悪くないのかもしれない。何かの間違いなんだわ。私たちは、彼のその完璧な演技に、いとも簡単に騙されてしまったのです。


真実を知ったのは、その数日後。精神的に限界を迎えた朱音が、夜中に蓮くんの家へ駆け込み、そして、絶望の淵に突き落とされて帰ってきた夜のことでした。


「蓮が……蓮が、全部……」


自室で泣き崩れる娘の口から語られたのは、にわかには信じがたい、悪夢のような話でした。朱音が伊集院先生と不貞を重ねていたこと。蓮くんがその全てを知りながら、何か月も気づかないフリを続けていたこと。そして、伊集院先生の社会的抹殺も、朱音が学校で孤立するように仕向けたのも、すべてが蓮くん一人の手による、周到に計画された「復讐」だったこと。


全身の血の気が引いていくのが分かりました。あの穏やかで、優しくて、礼儀正しい神童のような少年が、そんな恐ろしいことを……?


「私が……私が、蓮を裏切ったから……罰が、当たったの……」


そう言って泣きじゃくる娘の姿を見て、私はようやく全てを理解しました。娘が犯した罪の大きさと、隣の家の少年が抱えていた憎しみの深さを。


私たちは、娘の裏切り行為を蓮くんに謝罪することすらできませんでした。彼はもう、私たち家族との関わりを完全に断ち切っていたからです。道で会っても、彼は私たちに気づかないかのように視線を合わせず、静かに通り過ぎていきました。その背中から放たれる絶対的な拒絶のオーラは、私たちに声をかけることさえ許しませんでした。


あの日から、私たち家族の時間は止まってしまいました。


朱音は完全に心を病み、部屋から一歩も出なくなりました。食事もまともに摂らず、夜中に突然泣き叫んだかと思えば、次の瞬間には虚ろな目で宙を見つめている。病院に連れて行こうとしても、頑なに拒絶する娘を、私たちはどうすることもできません。かつて太陽のように笑っていた娘は、もうどこにもいないのです。


夫は仕事から帰ると、ただ黙って酒を煽るようになりました。近所付き合いも途絶え、この家に笑い声が響くことはなくなりました。まるで、家全体が分厚い灰色の雲に覆われてしまったかのようです。


時々、窓から隣の家を見ます。蓮くんの部屋には、深夜まで明かりが灯っていることがあります。彼はきっと、私たちのことなどもう忘れて、大学受験のために必死に勉強しているのでしょう。自分の未来に向かって、着実に歩を進めているのです。彼が自分の力で掴み取った、光り輝く未来へ。


それを思うたびに、私の胸は罪悪感と、言いようのない恐怖で締め付けられます。


私たちは、隣の家の少年のことを、何もわかっていなかった。いつも穏やかで、何をされても怒らない、心優しい子だと思い込んでいました。娘がどんなに酷い裏切りをしても、最後には許してくれるだろうと、どこかで甘く考えていたのかもしれません。


でも、違った。彼の優しさの仮面の下には、一度敵と見做した者は容赦なく破滅させる、悪魔のような冷徹さが隠されていたのです。そして、その悪魔を呼び覚ましてしまったのは、他の誰でもない、私たちの最愛の娘でした。


「お母さん……私、どうしたらよかったのかな……」


夜中、ふと目を覚ますと、朱音が私の寝室のドアの前に、亡霊のように立っていることがあります。


「どうして、蓮を裏切っちゃったんだろう……」


その問いに、私は何も答えることができません。ただ、痩せ細ってしまった娘の体を抱きしめ、背中をさすってやることしかできないのです。


もしも、あの時に戻れるのなら。いいえ、そんな詮無いことを考えても仕方ありません。犯した罪は消えない。与えられた罰から逃れることもできない。私たちは、この静かな地獄の中で、心を壊してしまった娘と共に、ただ息を潜めて生きていくしかないのです。


隣の家の神童は、悪魔に変わりました。そして、その悪魔が作り出したこの絶望から、私たち家族が解放される日は、永遠に来ないのでしょう。

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