③森の中を進んで
「……ねぇ、ししょー……チリの事怒ってる?」
チリとししょー、そして犬人種のカーボンの三人は店に戻る途中だったが、溜まりかねたようにチリが尋ねる。
「怒ってるかって? そりゃあ多少はな……」
常日頃は感情を露にしないししょーだったが、今日は違うようだ。穏やかな口調だったが、チリに向かってそう返答する事は珍しく、その言葉を聞いたチリは見るからに落ち込んで見える。
二人の関係を深く知る立場ではないカーボンは、そんな遣り取りを黙って眺めていたのだが、
「……今日は店、休みだと聞いていたが?」
不意にそう言うと、ししょーの反応を窺う。
「ええ、休みですが……それが何か」
ししょーが答えると、小さく頷きながら町の外に広がる山の方を指差してから、
「気分転換で、少し遠回りして行かないか?」
と、二人に向かって提案する。
「チリさんの荷物の中には食べ物も入ってるんだろう。気分転換を兼ねて、ちょっと連れて行きたい所があるんだが……行ってみるかい?」
それから数刻後。森の木々が生い茂る中を、三人は歩いていた。
「ししょー! 早く来なよー!!」
「……あいつ、無駄に元気だなぁ……」
まるで軽い散歩のような気軽さで始まった、三人の進む道は次第に険しい山道になり、次第に疲労の気配をししょーは滲ませる。
「そろそろ休むかい?」
「……いや、あいつのペースが早いだけさ」
「普人種にしては、我々に良く付いて来れている方だよ。以前何かやっていたのかい?」
「……まあ、多少は心得は有ったんだが……流石に山岳縦走するとは思ってなかったよ」
そう言って軽く腿を擦るししょーだったが、何故自分達を連れ出したのか、とカーボンに尋ねると、たまに連れ立って山歩きも悪くないだろ? と簡潔に答えられ、ししょーはそれもそうかと納得した。
そうしてカーボンとししょーが話し合う中、まるで跳び跳ねて行くような足取りで変わらぬペースを維持していたチリが、何かを見つけたようで振り向くと手を振る。
「ししょー! カーボンさーん!! トレントが居るよー!」
「……トレントだって?」
チリの言葉に表情を変えるししょーに、カーボンは片眼を瞑りながら答えた。
「ああ、一つ目の目的が見つかったみたいだな」
そのトレントは、巨木が並ぶ森の開けた空間に、じっとして身動きせず屹立していた。その見た目は完全な樹木にしか見えなかったが、足に見える一対の根が地面に伸び、腕のような枝を顔(のように見えるシワ)の下で交差させるように組んでいた。
「おーい! 生きてるー?」
怖いもの知らずなチリが跳び跳ねながら叫ぶと、それまでピクリとも動かなかった巨体が反応し、ゆっくりと目蓋を開くと真っ黒な瞳がチリを捉えた。
【 ね こ む す め が 、 な ん の よ う だ ? 】
目の下の枝(鼻に見える)が僅かに揺れると、その下にぽっかりと穴が開き、そこから木々が擦れて軋むような声とも音ともつかぬモノが発せられる。ただ、ししょーの耳には言葉の間隔が広過ぎて、その意味を理解する事は出来なかった。
しかし、カーボンはどうにか理解したようで、荷物入れから石板を取り出すと蝋筆で字を書き、それをトレントに見せた。
【 マ ン ド ラ ゴ ラ か 。 良 い 。 あ れ は 取 れ 。 他 の 木 を 枯 ら す 。 】
(……全然判らん)
ししょーはトレントの発声を理解出来なかったが、それはチリも同じようだった。どうやら会話に飽きたようで、ししょーの背中にしがみつき、少しでも高い位置からトレントを眺めようとよじ登り始めたのだ。
「こっ、こら! 俺は梯子じゃない!!」
「えへへ……たまにはいいでしょ?」
ししょーに乗れる程は小さくないチリだったが、彼の肩にポンと身軽に飛び乗ると甘えるようにしがみついた。
「……肩車なんて、した記憶無いな……」
「ねー、カーボンさん! 何聞いたの?」
肩に乗ったチリの膝を落とさぬよう手で掴むししょーの上から、チリがカーボンに尋ねる。
「ああ、この辺りに生えてるマンドラゴラの場所と採る許可をもらってたのさ。黙って入って引っこ抜くと、誤解されて追い出されるんだよ、トレントにな」
トレントが教えてくれた森の奥地に、そのマンドラゴラの群生地は在った。
「それにしても、トレントやらマンドラゴラやら……カーボンさんはどうやって知ったんだい?」
ししょーの疑問はもっともだったが、彼の答えは明解だった。
「森の中の事は知り合いの狩人が詳しくてね。お互いに情報交換した時に聞いたのさ」
「なるほどね……で、どうやってアレを手に入れるつもりだい?」
ししょーの指差す先には、マンドラゴラの人面じみた部分が幾つも露出していて、風に揺れる葉が髪の毛のように靡いている。その表面部分は目のような一対のコブが目立ち、目蓋を固く閉ざして眠る人のようにも見える。
「ああ、抜くと叫び声を上げて聞く者を狂わせるって噂かい? あれは犬人種には効かないんだよ」
サラッと答えるカーボンだったが、ししょーは慎重だった。
「……コボルトには効かない、って事は……」
「そうだな……近くで聞くと、並みの普人種は耳と鼻から血を流して死んでしまうね」
そう言われた瞬間、ししょーはチリを乗せたままジリジリと後に下がり、カーボンから離れてしまった。




