対決 その4
血で壁を塗り尽くされた大広間。
城にいる奴らはきっと、毎日ここで楽しく食事したり踊ったりしていたのだろう。
その奥には、かつてドールだった怪物が、生気の失われた目で俺のことをじっと見つめている。
「よおおおおお、薄汚い獣人君、ようおおおおおやく戻ってきてくれたか。まああああち詫びていたよおおおお」
だんだんと奴の話す言葉から、理性そのものが失われてゆくのが感じられてきた。もう何を話しても無駄だろう。
血だまりと化したベタつく床を一歩一歩踏みしめ、俺は奴の懐へ一気に走って詰めた。
「どうおううする気だね。勝ち目などないというのにいいい⁉」
振り下ろされた奴の腕が俺の頬や肩口をかすめ切ってゆく、だが俺の毛はちょっと硬いんだ、だから痛くもなんともねえ。
「うおおおおおおおおっ!!!」俺はそのまま奴の胴体へ斬りつけ……
……たが、やっぱりさっき刺したときと変わらない。鋼鉄製の盾に受け止められるのと同じ感触だ。
だがさっきの時みたいに刃は折れない、さすが名剣だけあるな。
「だから言ったじゃないかあああああ! 無駄だってねえええ」
ああ、無駄だっていうのは百も承知してるさ、だが今度は一人じゃない。
そしてまた再生した腕からまた鞭のような攻撃が繰り出される。あれを食らったらひとたまりもない!
「こっちだよ、バケモノさん!」その声に見上げると、ジールが崩れた柱や壁を、まるで空を飛んでいるかのように軽々と跳ね回り、撹乱していた。
さすがサーカスの花形だな、と感心しながら俺はもう一度、効かない一撃をドールに浴びせた。何としてでもこっちに注意を向けさせないと、今度はジールが危険だ。
ジールがナイフを投げつけはするものの、俺の攻撃同様奴の身体には傷一つ付けられない。
……だから、これが必要だ。
だが、普通にこの瓶を投げつけたところで、奴の鞭のような腕に簡単に弾かれてしまうだろう。それにあいつの腕はすぐに再生する。つまり……
「とにかく距離をとって投げつけてください。この液体は強力ですから、我々の身体にちょっと付いただけでもすぐに溶けてしまいますので」
ルースはそう言ってたっけ。しかしどうやって距離をとれっていうんだ。難題だぞこいつは。
「接近して投げても危険。距離があったら逆に失敗する。どうやれっていうのさルース?」
「そこはお二人のチームワークに任せます」
こんな危険な状況で大雑把すぎる作戦だな。
しかもこいつは頭の上にも目があるかのように、ジールの投げたナイフはことごとくはじき返してしまうし……
頭を使え俺……なんとか、なんとかしてこのバケモノに一発だけでも……
「きゃっ!」そんな中、ジールの短い叫び声が広間に響いた。
細い両腕は瞬時に蔓にからめとられ、ジールはバケモノの真上で、左右に腕を引っ張られるかたちで捉えられた。
「情けないなあああ子猫さん。素早さが君の武器なんじゃなかったのかああああい?」
まるで大広間の壁に磔にされるかのように、ジールの細い両腕が徐々に引っ張られていく。
「ぐっ……ああ……!」
「ほらほらラッシュ君。早くしないと君の大切な彼女が真っ二つに裂かれてしまうよおおおお」
彼女じゃねえし。って話をつけたところでいったいどうすりゃいいんだ……
…………………………
………………
…………
……
そうか!
「ジール、こっからだとお前の足元丸見えだぞ!」
「いっ……って、ええええええええええ!?」
この言葉がバケモノと化したこいつに効くかどうかは分からない。
だが一瞬でもいい、奴の注意をそらすことができれば!
ジールが動揺したのか、大慌てで両足をジタバタさせた。
そうだ、この前トガリが教えてくれたことが役に立った!
「ジールは女性なんだ。だからお風呂とかでラッシュみたいな男性に身体をまじまじと見られるのが嫌なんだよ」
「なんで男に見られるのが嫌なんだ?」
「うーん……嫌っていうか、恥ずかしいんだよね。見られるという行為そのものがさ」
「恥ずかしい……?」
そうだ、そのあとトガリに徹底的に教え込まれたんだっけ……けど俺にはピンとこなかったがな。
でも今ならわかる、ジールは恥ずかしがってる!
「やめろ! バカ! ドスケベ! 見ないでよラッシュ!」その怒りは完全に俺の方向へと向いてはいる……
だがその直後、ジールの両腕に絡みついていた蔓が、わずかだが動いた。
しめた、緩んできた!
察したジールはすぐに右腕の蔓を振りほどくと、そのまま奴の頭の上へと酸の入った瓶を投げつけた。この距離なら大丈夫だ!
……と思ったんだが、やっぱり不安定な状態だったのか、定まらないコントロールのままほど遠い方向へとすっ飛んでいった。
だが大丈夫だ、バケモノの意識……いや、顔も視線も瓶の落ちた方向に向いている! チャンスだ!
俺はザイレンから奪った剣の刀身に、すぐさま酸を注いだ。
ジュワアアア……と、瞬く間に刃は錆色に染まり、泡を立てて崩れ落ちていく。
「まだだ……まだ、まにあええええええええええ!!!」
俺は一気にバケモノのもとへ詰めてゆき、そのまま朽ち果てつつある剣を……
「うおおおおおおおおっ!!!」
奴の開いた口の中へと、ありったけの力を込めて突き刺した。
「がぼがぼがぼげぼげぼがぼおおおおおおおおおおおおお……」
錆色の泡を吐き出し、バケモノと化したドールの顔はみるみるうちに溶け始めた。
ジールは……というと、スキを狙ってうまく逃げ出せたようだ。ケガもなかったみたいだし。
腐臭がする泡に包まれながら、溶けた顔のあたりから赤い心臓のようなものが姿を現し始めた。これがルースの言ってた核ってやつか?
「とどめ刺す?」ジールが懐から一本のナイフを取り出すと、それを俺にぽんと渡した。
「いいのか?」構わない。とジールは素っ気なく俺に返した。
やっぱり、この前風呂をのぞいたことといい、今回のことといい、恨みが貯まってるのかな……
なんて心の隅で思いながら、俺は一息に……
脈打つ心臓へと、ナイフを突き立てた。
「げぼごおおおおおおお……」
真っ赤な心臓も同様に溶けだしてゆき、やがてそれは錆色の沼と化した床に、奴の溶けた身体が沈んでいった。
「ごおおおおおおお……」
断末魔にも似たドールの声を残し、そして茶色く臭う水たまりだけが残された。




