トガリのこと その4
幸いにも僕が起きた時間は早かったみたい。お昼までにはまだ十分に時間がある。
おやっさんに聞くと、仲間は総勢10人くらいだそうだ、ならば僕の得意な料理……いや、みんなが喜ぶ料理をとにかく大量に作らないと!
厨房に駆け込み、使える食材があるかどうか探してみた。だけどわずかな野菜くらいしか残されていない……。こりゃ買出しに急いでいかないとダメだってことで、そこのところをおやっさんに説明したら、すぐさま握りこぶしいっぱいの銀貨を僕にくれた。
よかった、信用してくれているみたいだ。
おやっさんは続けて「荷物運びでも力仕事でも、必要ならあのバカ犬を使え。あいつは頭は悪いが馬鹿力だけはあるからな」だって。
助かった。僕一人じゃ10人分の食材なんて持ち運ぼうとしたらすごい時間がかかってしまうし。だから僕は大急ぎでまた二階へと向かった。寝室で眠っているバカ犬……じゃない、ラッシュを起こしに。
おやっさんが教えてくれた部屋の前まで行くと、ドアの向こうから大きないびきが響いてきた。驚かさないようにゆっくりと扉を開けると……
く、臭い……!
真っ暗な部屋の中に、使い古されたモップをたくさんため込んで、そのまま何年も放置していたんじゃないかってくらいの、僕の繊細な嗅覚がひん曲がりそうになるほどの臭さ。そんな中であいつは大いびきをかきながら眠っているんだ。
息を止め、部屋の窓全てを開ける。彼の名前なんてまだ知らないから、とにかく起きてと叫んだ。何度か耳元で怒鳴りつけてようやくあいつは目を開けてくれた。
しかし泥で汚れまくりのベッドといい、ゴミの散らかりまくった部屋の床といい、とどめに彼の臭いといい、いつかきれいさっぱりとしてあげなきゃって。僕はその時、心に誓った。
けどいまだに実現してないけどね。あいつ強情だし。
「なんだよ親方ぁ……仕事終わった後は一日寝かせてくれるってぇ約束だろがぁ」
まだ寝ぼけてるみたい。というか、あの人のことは親方って呼んでるんだね。
ともあれ、僕がさっきの経緯を一生懸命説明すると、あいつかようやくその汚れた臭いモップのような身体を起こしてくれた。
「時間がないんだ。僕は昨日ここへ来たばかりだから、買い物をしようにもどう行けばいいのか全然わからない。おやっさんのために10人分の食事を一人でお昼までに作らなきゃならないんだ。もちろん君もおなかすいてるでしょ、いっぱいおいしいご飯作ってあげるから」ってね。
「親方の会合が終わったら、メシたっぷり食わせてくれるんだろうな?」
僕の説明が終わるや否や、あいつは大あくびをしながらそっけなく答えた。もちろんだよって。
「ハラ減ってるし、それに親方が困ってるンならとっとと行かねーとな……よっしゃ!」
するとあいつは突然僕の首根っこを掴んだんだ、まるでカバンでも持つみたいに。
そして……
ここ、二階だっていうのにさ! 窓から飛び降りたんだ!
いくらがっしり掴まれてるとはいえ、一気に血の気が引いた、なんなんだよこいつ、昨日も今日もハラハラさせて!
「さて、どこの店に行くんだ? 肉か? 魚か? それとも野菜か?」
ずれていたメガネを慌てて直す僕に、今度はあいつの方から聞いてきた。
「にに肉屋から先に行こう。っていうかさ、きききみの名前まだ聞いてなかったんだけど?」
すっかり忘れてたんだ、まだ彼の名前全く聞いてなかったことにね。
すると、走ってたあいつの足がピタッと止まった。
「……んあ? そんなのねえぞ」
へ? 無いって一体どういうことなのよ、名無しでずっと生きてきたっていうのかい?
……でも、そういえばおやっさん、彼のことはずっとデカ犬とかバカ犬って呼んでたっけ。まさか本当に名前を持ってなかったのかな?
「ンじゃあよ、お前は何て呼ばれてるんだ?」
「ぼぼぼ僕のなな名前は、ドドド、ドゥガーリっていうんだ!」
焦ってついつい、いつもの訛りが出てしまった。
「……変な名前してンな、うーん……よし、チビメガネ。いや、メガネでいいか!」
ちょっと、そんな変な呼び方勘弁してよ! とは言ってもあいつは妙にその名前が気に入ってしまったらしく、以降しばらくの間、僕はメガネという名でこのギルドで暮らすことになる。もう、大好きな名前なのに。
メモはあいにく砂嵐で無くしてしまったけれど、大丈夫。僕の頭の中にはこういう時のレシピくらいは全部記憶している。
来客の時。お爺さんの300歳の誕生日、妹が生まれたとき……
僕があの時に作った大皿料理や煮込み料理を振る舞えば絶対いける!
まず一品目は……そうだな、串焼きにしよう。鳥にするか、オーソドックスにバジャヌの肉にするか。そして次はさっぱりと、川魚の香草蒸しなんかいいかも。この街の魚屋に大きくて新鮮な魚があればいいんだけど。
付け合わせに蒸かしたジャガイモかパンも用意しなきゃね。それで盛り上がってきたら最後に大鍋料理だ。トマト、タマネギ、豆と肉…最後の決め手はアラハスの特製スパイス!
……あ、そうだった。
すべての買い出しが彼のおかげでスムーズに終わって、キッチンに戻った時、僕はようやく思い出した。
紅砂地、いや、アラハスの食そのものを代表する最高のスパイス「ガダーノ」を持ち合わせていなかったことに。




