つづき7
七章 絆
年も明け四月初旬、季節は春。桜は満開となり昼寝にはもってこいのうららかな日和。
久しぶりに希穂と匠は八女でデートをする事にした。さすがの匠も八女好きのオタクといえども最近は車で遠出をしたり、希穂のショッピングに付き合ったりして、美奈からはようやく恋人同士らしくなったと褒められたりしている。
前日の夜、携帯で会話をする二人。何気ないことで言い合いになってしまった。
「えっ、じゃじゃ丸はねずみでしょ」
と、匠。
「違うよ。じゃじゃ丸は猫よ」
と、希穂。
「えっ、嘘だー」
「間違いないって」
話の内容は子どもの頃に見ていたNHKの子ども番組「おかあさんといっしょ」のワンコーナー「にこにこぷん」のキャラクターである。じゃじゃ丸は猫。ぴっころはペンギン。ぽろりがネズミだ。三匹は毎回、たわいのない事をやらかして大げさにしてしまうという筋の子ども受けする人形劇である。
言い合いの内容は、このキャラクターのじゃじゃ丸が何者かということだった。その正解は希穂だった。
「そうかな?」
「そうよ」
「じゃじゃ丸、ぴっころ、ぽろり~♪でしょ」
匠は三人の登場シーンで歌われる曲をなぞって歌ってみる。
「そう、そうたいその曲」
希穂は携帯越しに頷いた。
「バンダナしたネズミでしょ」
「違う。それはぽろり。へんなベスト着て、でべそなのがじゃじゃ丸」
「そうかなあ?」
「そうよ」
「ん~」
腑に落ちない匠に、
「匠君は、まだ小さかったから、うろ覚えなんたい」
「うーん」
「お姉さんを信じなさい」
「うん」
「よしよし」
「でも、まぁネットで一応、調べてみるか」
「このスットコドッコイが!」
希穂は信じない彼に、思わず怒りを露わにした。
翌日。
デートは今里家の前にて待ち合わせ。
頭をかきながらバツの悪そうな顔をして匠は歩いてきた。希穂に両手を合わせ頭を下げる。
「ごめん。やっぱり希穂さんが正解やった」
「やろ」
希穂は胸を張った。
あまりにも彼女が得意気だったので、彼氏は思わず笑ってしまった。
「・・・なによ」
「さぁ、行こうか」
匠は自然に手を差し出す。
「うん」
その件はもう終いだ。なんのわだかりもなく希穂は彼の手を取る。
二人は手をつなぎ歩きはじめた。古松町の白壁通りの道を行く。
途中、通りを曲がり自転車がやっと通れる細い砂利道を抜ける。脇には小さなドブ川がある。小道を二度曲がると、無量寺に着く。
参道脇に植えられた桜が満開だった。
キラキラと光る春の木漏れ日、澄んだ空気が心地よい。時折、風に吹かれて桜吹雪の花びらが舞う。
二人はしばらく満開の桜を眺めた。
「きれいやね」
希穂は目を細めて愛でる。
「ええ」
匠は頷いた。
(希穂さんの方が綺麗だ)
歯の浮く台詞が自分の脳裏に浮かび、言うか言わないか迷った。よし、言おう。匠は意わ決した。
「あの」
「ん?」
匠に振り返る希穂。二人の目が合った。
「あの・・・希穂さんは、俺にとっては桜より綺麗かとよ」
「・・・・・・ん?」
「・・・・・・」
「ぷっ」
思わず、希穂は吹いてしまった。
「・・・なんで」
「どうしたと、いっちょん、似合わん」
「え~」
せっかく思い切ったのに、匠は肩透かしを食らってふくれっ面をした。
「ごめん。ごめん」
「もう、よか」
匠はぷいっとそっぽを向いた。
希穂は笑顔のまま。
彼女は握っている匠の手を強く握りなおした。
「・・・・・・」
「ありがと」
希穂は照れ臭そうに言った。
「さっ、いこ」
「はい」
匠の小さな不満は一瞬にして吹き飛んだ。二人は無量寺を後にした。
裏の狭い小道を抜けると前方に税務署が見える通りに出る。そこを渡って進み警察署が見えてくる。その横が八女公園だ。
公園にはたくさんの桜の木々が植えられている。ここも満開だ。地面には多くの花びらが落ちて絨毯のようになっていた。
二人は自販機でジュースを買い、休憩所のベンチで腰掛けた。
「昔、あの辺りに円形状の小さなジャングルジムのような、くるくる回る遊具あったよね」
匠は公園の入り口横の芝生を指さす。
「あーあったね」
希穂は頷いた。
「よく男の子が無茶回しして怪我してたもん」
「ええ、俺もぶん回していたら、遠心力で飛ばされそうになりましたよ」
「大丈夫だった?」
「はい。必死にしがみつきました。でも、今は危険遊具といって、どこも撤去されていますよね」
「そうか、そういえば・・・その先にも揺りかごみたいな四人乗りのブランコがあったよね」
「そうそう」
匠は頷いた。
「そう考えると、昔は大らかだったんかな?」
希穂はかつて遊具のあった芝生を見た。
「そうですね。大らかでよい時代だったんでしょうね」
匠は笑った。
子どもの頃の話で希穂は思いついた。
「そうだ。匠君。福小(福島小学校)いってみん?」
「小学校ですか、いいっすね」
匠は希穂に手を差し伸べた。
福小は二人の母校である。市役所通りの道を歩き、横断歩道を渡ると小学校だ。正面に新しい体育館が見える。
そこは昔、老朽化した木造建ての講堂があった。歴史のある建物で保存の話もあったが、費用対効果の問題もあり保存維持より新築となったのだ。
その新しい体育館は高床式に建物が持ち上げており、下の宙に浮いているところが駐車場となっている。これを見てもかなりの建築費がかかったと思われることから、一部では講堂を残した方が良かったのではという意見もあった。
講堂保存派の匠は溜息をついた。
「講堂は残して欲しかったですね」
「でも、私のおった頃から、頻繁雨漏りしてたし、ステージ裏はお化け屋敷みたいにボロボロやったもんね。でも、味のある建物やった」
「そう」
匠は頷いた。
休日の小学校、二人は遠慮がちに校門をくぐった。目の前には柱時計、あの頃は大きく見えていたのに、今は小さく見える。右手に岩戸山古墳のミニチュア。その隣にはわんぱく相撲の土俵。
鉄筋の校舎は今も変わらず、希穂の入学する数年前に木造校舎が解体され現在に至っている。
校庭に入ると子どもたちの姿はなかった。二人はなんとなくほっとしてプール側の端を歩いた。
「わっ、まだありますね。タイヤ!」
校庭の隅に廃タイヤが半分埋められている。子どもたちはタイヤに乗りぴょんぴょんと飛び移っていく。想像力豊かに地面を海にしたり、地獄にみたててりして楽しんでいた。
「匠君、ちよっとよか」
希穂はタイヤに乗った。タイヤがへこむ。子どもたちのタイヤ乗り酷使し、経年劣化により一部のタイヤは強度がなくなっている。
「わ、わ、わ」
ぐらりふらつく希穂、
「ちょっ、やってみるけん。しっかり手を持っといてね」
「りょうかい」
匠は希穂の右手をとって、彼女のバランスに注意をはらう。
希穂はゆっくり、ゆっくりタイヤを飛び越えていく。
中盤までさしかかり、次のタイヤに飛び移った時、ぐにゃりタイヤがへこんだ。彼女はバランスを崩し後ろに反り返ってしまう。
「わわわわわ」
「危なか」
匠は倒れ掛かる希穂を背中から抱きとめる。勢いあまって、支える彼は彼女を抱えたまま尻もちをついた。
「いたたたた」
「ごめん。匠君、大丈夫?」
「・・・なんとか、希穂さんは?」
「大丈夫。ありがとう・・・支えてくれて」
「なんの、なんの」
匠はもう少し、このまま希穂を抱きしめていたい思いにかられたが、公衆の面前である。先に立ち上がり、手を差し伸べ彼女をゆっくり引っ張り立たせる。
二人の目が合う。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
気恥ずかしさで顔が赤らむ二人。
「行きましょうか」
「うん」
手をつなぎ二人は裏門から学校を出た。
裏の道を抜けると、土橋の通りに出る。
「あっ、駄菓子屋さん」
希穂は声をあげる。
「カタカタ屋ですね」
匠は店舗名を言った。
クラブや学校で遊んだ帰りの土曜半ドン(希穂はゆとり世代ではない)や日曜に、必ず子どもたちはカタカタ屋に小銭を握りしめ買い物をした。駄菓子にアイス、カード、ゲーム。そこは子どもたちの社交の場、オアシス、宝島なのだ。楽しき駄菓子屋ライフ、思い出尽きない場所であった。
「閉まっている」
「ですね」
「・・・あ」
今日は休日、普段なら開いてるはずだ。にもかかわらず、シャッターがしてある。店の正面には休業中の文字が白い紙が貼ってあり、かなり色褪せてボロボロだった。
二人は少なからずショックを受けた。
「つぶれたんですかね」
「そうかな」
思い出すのは、優しかったお店のおじちゃん、おばちゃんの笑顔。
ちょっぴり寂しい気持ちになる希穂だった。匠はつとめて明るく振る舞い、
「希穂さん、土橋の商店街歩いてみません」
「うん」
希穂はこくりと頷いた。
通りの向こうに土橋商店街がある。今は廃れ、シャッター街。路地裏のスナックが数件細々と営業している。
「ここの駄菓子屋さんも潰れちゃったね」
「そうですね」
(ここもか・・・そうだよな)
匠は商店街に誘ったことを後悔した。
「たしか、すずらんっていうお店だったっけ」
「かき氷が大盛で練乳もたっぷりでしたよね」
「そうそう、テレビゲームがあって、男の子集まってたよね」
「ですね」
二人はちょっぴりノスタルジックな気分に浸りながら、商店街の奥にある土橋八幡宮でお参りをした。
「そうだ、宮野八幡も行こうか」
希穂が誘った。
「いいですね」
二人はまた歩きだした。大人になって車を使うことが多くなり、周りの景色が変わってしまっていたことに気づかなかった。歩いてみると二人は子どもの頃を思い出し、それと時の変化を感じるのだった。
鳥居をくぐると、こちらも桜が満開。向かって右のスロープをのぼり、眼下には祭りの際、燈籠人形の建つ舞台跡の基礎が見える。社務所の横を抜け社へ。
二人は再びお参りわする。
匠は奮発して五百円を賽銭箱に、
希穂は、
「あっ」
と驚く。
「五百円」
「ええ」
柏手を打つ。
(希穂さんとずっとご縁がありますように)
彼は祈った。
二人のお参りが済んで、ほどなく匠の携帯が鳴った。
「・・・・・・!」
「・・・・・・」
「・・・」
匠はそれからの記憶が世界が全くぼやけたものになってしまった。
匠はこの部屋の木の香りが好きだった。
木の香り漂う作業場。
勲は八女伝統工芸の一つ、仏壇作りの職人だった。
一心に作業する祖父の横で、匠は勲の巧みな手さばきの職人技を見るのが好きだった。
顔や額に刻まれた幾重の皴。
仕事中に見せる鬼の形相とは違い、匠に見せる表情は優しい。
勲は多弁で常に明るかった。
仕事がひと段落すると、勲はお菓子箱から金平糖と黒棒を取り出す。
匠は勲と一緒に食べながら、おじいちゃんから八女にまつわる話を聞くのが大好きだった。
祖父が死んだ。
匠は聞かされた時、呆然とただ茫然とその場に立ち尽くした。
希穂は何事かと心配し、匠に声をかけるが届かない。
立ち尽くしたまま、時だけが経つ。
匠はようやく口を開く。
「おじいちゃんが・・・」
と言うと、
「ごめん」
希穂に言い残し駆けだした。
勲の訃報に匠は激しいショックを受けていた。だだ信じられなかった。
一方、一人残される希穂。
(・・・どうしたの?おじいちゃん)
希穂は言い知れない不安を感じた。
匠は勲が大好きだ。八女好きの影響も知識の大半も祖父から貰ったものだった。
必死に走り、自宅にたどり着く。
そこには静かに眠る祖父がいた。
嘘だ。信じることが出来ない。
顔にかけられた白布をそっと外す、笑顔にもみえる安らかな死に顔。
匠はその顔を見て思わず笑った。じっと勲の寝顔を見つめ、そっと白布をかけ直す。
遺体が置かれた仏間に、匠は食事もとらず長いこといた。
思考はぼーっとし、身体は鉛のようだ。
幾度も希穂から電話やメールがあった。
ふと、気づいて携帯に目を通すが、うつろな目で携帯を離した。
翌日の通夜。
紗枝から勲の訃報を聞いた希穂は通夜に訪れた。明らかに虚ろにやつれている匠を見て、何もすることが出来ない自分に悲しさと苛立ちを覚えた。勲にお悔やみ感謝し、親族、匠に軽く礼をして馬場宅を出た。
そして葬式。
匠の脳裏に、在りし日の祖父の姿がずっと浮かんでいる。
希穂からメールが届く。
(ごめん・・・希穂さん)
連絡をとる気がおきない。心がずっと沈んでいた。
火葬場で荼毘にふされる祖父。
また涙が出てしまう。
自宅に戻ると自室のベッドにうっ伏した。
携帯を見る。
電話にメール。希穂の気にかける優しい留守電とメール。また泣いた。
希穂は戸惑っていた。あの日、尋常じゃない顔をして走り去っていった匠。通夜で見たやつれ疲れた匠。
希穂は大きな溜息をついた。
匠はベッドからのっそり起き上がり、携帯を手に取りメールを打った。
「連絡もとらずにすいません。とても辛くて」
希穂は携帯をぎゅっと握りしめた。
「大丈夫?」
短いメールを送る。
「はい」
匠の返信は短い。
希穂は一旦、携帯を置く。もう一度とってメールを打つ。
「会えませんか」
匠は携帯を握りしめた。
「ありがとう」
匠は嗚咽し鳴いた。泣きながらメールを打った。
「会いたいです」
希穂はその返事を見ると家を飛び出した。
匠も駆けだす。
二人は走り出し、偶然にも宮野八幡宮の鳥居の前で出会う。
希穂も匠も目に涙を浮かべて。
二人は自然に抱き合った。
「ごめんなさい」
匠は子どものように謝る。
「ううん」
希穂は頭を振ると優しく匠の頭を撫でる。
匠はひとしきり号泣し、泣くだけ泣いた。
そして・・・。
匠は決意と思いを込めて言った。
「俺と結婚してください」
「はい」
希穂は静かに頷いた。
深い絆を感じる二人。
夜桜の残り少ない花びらが風に舞った。優しい夜の春風が二人を祝福した。
エピローグ あの場所で
匠は法被。希穂は浴衣という出で立ち。身長差のある二人は凸凹コンビだ。仲良く手を繋いでいる。
「よっ、ご両人」
美奈は二人を冷やかす。
顔を赤らめる二人。
「新婚さんは熱いねぇ」
外野からもワイワイと言われる。
九月の天高く晴れる秋の日の放生会。
ここは宮野八幡宮、燈籠人形舞台前。公演がはじまる直前。
「じゃ、行ってくる」
匠は帯を締め直す。
「うん。頑張って」
「・・・き、希穂さん・・・希穂も」
匠は頑張って呼び捨てをし、恥ずかしさが込みあげてきた。
「うん、匠も」
希穂はにっこりと笑い、軽く右拳をあげた。匠も同じように拳を見せた。踵を返し舞台へ駆けだす。
「なんかいいね」
美奈はちょっぴり羨ましそうに言った。
「うん、いいやろ」
希穂は素直に笑った。
公演時間が迫る。
希穂は舞台の二階で、膝に三味線を置き、静かにその時を待つ。
匠は舞台下でスタンバイする。
希穂はそっとお腹に手をあてる。
芽生えた小さな命。
大切にしよう。
新しい家族。
がんばろう。
拍子木が鳴った。
奏でる三味線の音色。
祭りは今、はじまったばかりだ。
おしまい
なんとか書きあげました。
希穂と匠の八女の恋ものがたりいかがだったでしょうか。
よろしかったら感想聞かせてください。
お付き合いいただきありがとうございました。




