つづき3
三章祭り
八女市には地味なあまり知られていない国指定民俗文化財の祭りがある。福岡県民でもその存在を知るのは、八女市民以外はほぼいないだろう。
それが九月の放生会の際、神社の奉納行事として行われる燈籠人形である。
宮野八幡宮の境内に巨大な木造舞台が建ち、そこで毎年演目に沿った人形劇(浄瑠璃)公演が行われる。人形はからくり製で舞台の袖や下から男性が操る。屋台の一番上には囃子方、唄う人、三味線を弾く人などがいて多くの人が携わっている。
江戸時代から続く由緒正しき、祭りの行事なのだ。だが、いかんせん、どうにもこうにも知名度がない。
屋台の目の前には神社の石垣があり、丁度そこが座れるなだらかな傾斜で、天然の観覧席とも呼ばれている。
知名度がないといっても毎年、このお祭り時期は大勢の人達で賑わう。一応、地元のテレビ局も季節の風物詩ということで取材にも来ている。
とは言っても・・・で、あるが。
さて、
希穂は目を閉じ、集中し三味線を弾いている。音に抑揚をつけ思いを奏でる。今日の彼女は、最近の鬱屈とした思いもあってか激しい音色だった。
三味線の師匠、木下操は隣で奏でながらじっと耳を傾ける。
希穂の演奏が終わった。
開口一番、操は、
「希穂さん、上手くなったばいね」
「いえ、そんな」
希穂は演奏の根源がイライラから来る気持ちだったので、後ろめたく恥ずかしくて謙遜してまう。
「ううん、師匠の私が言うとやけん、間違いはなか」
と、操はカラカラと笑った。
「そういえば、希穂さん、今年もおまつりに参加すると?」
「はい」
の言葉の後に、心の中で、
(やる事ないから・・)
自嘲気味に呟き、苦笑いを浮かべる。
「偉いわねぇ!」
「いえ、そんな」
「素敵な出会いがあるとよかね」
「えっ」
突然、操の言葉に、今最もうんざりしている「出会え。結婚しろ」という不可避なトークに入るのかと、身構えてしまう。
操はここぞとばかりに、
「いえね、ほら希穂さん、お家の中の仕事じゃなかね」
「はい」
「それだったら、出会いなんて当然、少ないでしょう」
「はあ」
「お祭りの時だったら、少しは出会いもあるんじゃなかね」
「そうですかね」
「希穂さん可愛いから、男の子がほっとかんと思うけど」
と言いながら、操は急にモジモジしだした。
(だったら、三十過ぎても独身じゃないと思うけど)
こちらは自己嫌悪。
操は一度大きく息を吸って、
「まっ、希穂さんも、そろそろいい時期よねぇ。ねっ、お見合いしてみらん(みない)。いい人がいるのよ」
(そういうことか)
話の流れ的に予測できた展開。操の話を聞くふりをしながら、帰りの身支度を整えた。
「ねっ、ねっ、だからね。写真持ってくるから、ちょ、ちょっと待ってね」
操はそそくさと奥の部屋へ行った。しばらくすると、小脇にお見合い写真を抱えてやって来る。
希穂は、三味線を手早く直し立ち上がると、
「お疲れ様でした~」
と、有無を言わさず木下邸を後にした。
一人取り残される操。
「もう・・・いけずう」
操は一人呟いた。
祭りを控えた前日。燈籠人形を扱う裏方さんで決起会という名の飲み会が行われた。毎年、決起会は行われるのだが、希穂はその都度、理由を作って参加しなかった。が、今年で裏方参加二十の希穂を祝って表彰したいという意向があり、強制参加と相成っていた。
「はあ・・・」
つい自然にでてしまう溜息。誰が言ったか溜息をつくと幸せが逃げていく。あまり良くないなと希穂は思うが、自然と出てしまう。
お宮から少し離れた居酒屋「食べ吾郎」の入り口前で躊躇し、一人佇んでいた。
すると、
「あっ、希穂姉ちゃん」
同じ三味線方の田中美奈が駆け寄って来た。
「美奈ちゃん」
美奈は希穂と同じく操の三味線教室に通っている。幼い頃からの知り合いで二人は互いを姉妹と慕う仲だ。
「あれっ?あなた、まだ未成年じゃなかと」
「お姉ちゃん、なんば言よっとね。私、ハタチたい」
「えっ、この前は?」
「この前って、いつの話ね」
「そっか、私も年をとるはずたい」
その言葉に、美奈は首を傾げ、じっと希穂を見た。
「・・・お姉ちゃんは・・・小学生、いや全然変わらんね」
「・・・どういうこと」
「さっ、中に入ろうよ。いい席がなくなっちゃうよ」
お茶を濁し、そそくさと美奈は店に入っていく。
(童顔で悪かったわね)
釈然としないのは希穂。
美奈の言う通り、席のスペースは残り少なくなっていた。二人で座れるところは一か所しかない。とりあえず、希穂と美奈はそこへ行き、場所を確保した。
こういう場に来るのは久しぶりなので、希穂はソワソワしてしまう。キョロキョロと辺りを見渡しはたから見ると挙動不審だ。その希穂の視界に見知った男性の顔があった。
(誰だっけ?どっかで・・・)
と考えを巡らせていると、相手と視線があい、彼が会釈したのでこちらも返した。
(あっ、ラーメン屋の人)
正確にはラーメン屋にいた人だが。
その会釈の仕草であの時の男性と思い出した。多少、気まずいなと思いながらも、美奈との会話に集中し極力意識しないよう心掛ける。
やがて、皆が揃い開始の時間となった。祭り保存会会長がはじまりの音頭をとるべく、のっそり立ち上がった。
「では、そろそろ始めるばい。その前に今里さん
「・・・」
「・・・」
静まり返る宴会場。
希穂は周りを見渡した。今里という人間が他にいないかと探す。どうやらいないようだ。も違いない自分だ。
事前に言われた表彰を今やるようだ。
「・・・お姉ちゃん」
美奈が促す。
「うん」
小さく頷くと、
「はい」
と遠慮がちに手を上げて立ち上がる。会長は手招きをして、上座へと呼ぶ。
(え~、勘弁してよ)
と思いながらも、のそのそ歩き、時間をとせらせて申し訳ない気持ちで会長の隣に並んだ。
会長は咳払いを一つ、
「えー、ここにおられるむ今里さんは、見れば若い顔をしておりますが、なんと二十年も祭りに参加されているベテラン中のベテランなのであります。すごかろうが!」
何故か会長がドヤを顔をする。
(恥ずかしい・・・)
小さい希穂が身体を丸め、ますます小さくなる。
「毎年、祭りに二十年携わってきた人は表彰しとるけど・・・にしても若かね、アンタ」
「・・・へっ」
「いくつになった?」
会長は酒も入らない内に、禁断の言葉を希穂に浴びせた。
(セクハラばい!)
「いくつね」
会長が好奇心よろしく、しつこく聞いてくるので、彼女は怒りと恥ずかしさで顔が真っ赤になった。
「えーっと・・・は、は」
答えるべきか、はぐらすべきか迷う希穂だが、回避できるようなキャパシティは持ち合わせていなかった。
その時、声があがった。
「会長!その発言は酒も入らない内からむ言いよると、パワハラ、セクハラにあたります」
援護の声があがる。ラーメン屋にいた男である。
会長は興ざめの表情を浮かべると、
「そうなの?ワシは昔のモンやんけ、そこらへんはよう分からんとよ。いやー今里さん、失礼やったね。すまん」
さすがに会長だけあって、機転を利かし素直に自分の非を認めた。
「・・・いえ」
こわばった表情で呟く希穂を見て、やっちまったことに気づき手短に表彰し席へと帰す。皆から拍手があがる。
が、ちっとも嬉しくない、むしろ欠席すればよかったと暗澹たる気持ちが込み上げる。
それから乾杯の音頭へとうつる。
乾杯が終わり、希穂は大きな溜息をついた。
「大丈夫?お姉ちゃん」
美奈が心配そうに顔を覗き込む。
「うん」
力なく答える希穂。
「本当に大丈夫やったですか」
美奈の隣に、ラーメン屋にいた男性がいた。
「さっきは、ありがとうございました」
素直に希穂は感謝を伝える。
「いいえ・・・こちらこそ、あっ、それからその節はどうも」
「・・・ラーメン屋」
希穂は小さく呟く。
「です」
男はにっこりと笑った。
「あの、僕、祭りでは人形遣いをやっています」
「そうですか」
「おやぁ」
美奈は好奇心旺盛に二人を覗き込む。
「二人はお知り合いね?」
「まぁ」
「一応・・・」
「もう、歯切れが悪いわね。お姉ちゃん、この人、馬場匠さん。会社の先輩っていうか、上司」
「へぇ、そうなの」
「・・・木下さん、今里さんと知り合いなの?」
今度は馬場が尋ねた。
「知り合いも何も、私のお姉ちゃんなんだから、ねっ、お姉ちゃん」
「えぇ」
「って、もう酔っぱらった?」
馬場は真っ赤な顔をして、フラフラな動きをしている美奈に聞いた。
「この前まで、未成年だったから、仕方ないでしょうが!」
と、逆ギレ返事。
「仕方ないかは分からんけど」
「仕方ないの、ぜったい!あっー、馬場さん、ひょっとしてお姉ちゃんば、狙っとるちゃなかと」
一人でエキサイトしていく美奈。
「えっ?何言っとると」
馬場は瞬時で顔を赤らめた。
「隠しても駄目ばい。私には分かる。目が、その目がお姉ちゃんば、ケモノの目で見とった!」
「ケモノって・・」
「ああもう、いやらしか。でもいかんばい。二人は釣り合わん。かたや二十八歳かたや三十四じゃ」
「わーっ、せっかく、年齢は言わんで」
希穂は叫んだ。
再燃した火の粉に、
「ごめーん」
美奈は舌をぺろっと出すと、そのままテーブルにうっ伏して倒れた。
「ちょっと、美奈ちゃん大丈夫と?」
「らいじょうぶ」
しばらく、希穂は美奈を膝に乗せ介抱する。そんな彼女を馬場は横目で見ながら、ぽそり、
「そんな事ない・・・と思います」
「はぁ」
何のことかと思いつつ、ドキッっとする希穂。
「そんなことないです」
もう一度言う馬場。
「へっ」
声がうわずる希穂。
「釣り合わないことはないと思います。むしろ合う・・・合います」
「・・・・・・あの、酔ってらっしゃる?」
「僕は大丈夫です」
「はぁ」
希穂の心臓はバクバクしだした。
(ここは、ひたすら身体によくない)
さらに深みに入った宴会は泥沼の様相を呈していく。が、その直後に美奈がゲロンパ。馬場は仲間に連れ去られた。介抱する名目で希穂は美奈を連れ逃げだすように店を後にした。
祭りの当日、八女市福島地区あたりはにわかに賑わいをみせる。燈籠人形が公演される宮野八幡宮は参道から境内まで、露店が所狭しと並ぶ。少し離れた公共施設である八女伝統工芸館では広めのむ駐車場を開放して昼間にカラオケ大会やちょっとした芸人を招いてイベントが行われる。夜には燈籠の山車が町をゆっくりと練り歩く。
子どもたちは、祭りに参加する者、そうでない子。燈籠人形をちらっと見たり、露店目当ての子。その露店は型抜きや、豪華景品が当たらないくじ引き、輪投げ、鉄砲、金魚やスマートボールすくい、お面、風車、怪しい光を放つおもちゃ、カラメル、イカ焼き、りんご飴、かき氷、はし巻き、たこ焼き、フライドポテト、わた菓子、と子どもの心を鷲掴みするお店ばかりだ。
ぼぼ大多数の子どもたちが、燈籠人形より露店に心を躍らせている。大人たちはその祭りの雰囲気を楽しむ。そして的屋の皆さんは稼ぎ時なのである。それでも純粋に燈籠 人形を心待ちにしている人たちもいる。・・・はずだ。
この燈籠人形は三日間行われる。公演は一日に四回、午前、午後、夕方、夜と行われる。
演目は毎年三作品くらいのたらい回しなので、一度見てしまうと、ああ今年はこれかぁという感じなのである。それでも何度も見ている人もいる。・・・はずだ。
今年の演目は「玉藻の前」、劇の終わりに屋台の二階から狐の人形が綱渡りするのが、盛り上がりポイント。子どもたちは、この瞬間だけ見てしまえば、「見た」と胸を張って言える名シーンなのである。
燈籠人形公演初日
屋台二階の座敷にスタンバった希穂は、ちらりと外を見た。石垣にはそこそこの観客、定位置の座布団に正座し、静かに目を閉じた。
そして小さな溜息をつく。普通の生活ぶりからしても、人の多さに慣れない彼女にとって、多くの人の圧や視線を感じる祭りの日々は、何度体験しても落ち着くことはない。
けれど、演目が始まり目を閉じすべてをシャットアウトして、三味線を一心不乱に弾く。そうするといつの間にか、演目が終わってしまっているのだ。
やがて開演を迎えた。
希穂は三味線と向き合う。ベテランおばあちゃんの名調子の浪曲が歌い始まる。毎年、聞きなれている歌の心地よさに集中を高め、三味線を奏でる。
三味線の音、浪曲。何度も演奏している曲だが、その空気感にあわせ強弱、抑揚をつけ、激しく優しく。公演の間、必死に演奏する。
舞台では人形遣いの人達に操られ、からくり人形が舞っている。
やがて、クライマックスの狐の綱渡りがはじまり、観客の大きな拍手があがる。狐がゆっくり渡り終えると、舞台に幕が降り、公演の終わりを告げる拍子木の音が鳴った。
「ふう」
希穂は一息をつき、傍らにゆっくり三味線を置いた。天井をあおぎ、しばしぼんやりして演奏の余韻に浸る。この心地のいい時間は彼女にとって至福の時間だ。
やがて・・・。ふいに至福の時間がやぶられる。階下から、
「今里さん、ちょっと下まで来て」
「はーい」
希穂はもう少しだけ、余韻に浸っていたかったが、仕方なく下へ降り外へ出た。
「こっち、こっち」
と、おばちゃんに手招きされる。隣には馬場がいた。
「この兄ちゃんが、あなたば探しよったから」
おばちゃんは、含み笑いを浮かべ、
「おばちゃん、邪魔したらいけんね」
と、気を利かしたテイで、そそくさとその場を離れた。
「ちょっ」
言う間もなく、去っていったおばちゃん。二人だけ取り残される。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
無言の間、ほどなく馬場が、
「あの・・・すごく良かったです」
馬場は興奮気味に話しだした。
「はぁ・・・」
気の抜けた希穂の返事。
「あの、三味線」
機先が削がれ、再確認する馬場。
「・・・あの、今日はお祭り(人形遣い)はいいんですか」
希穂は言いながらも、我ながら間を繕う間の抜けたことを言っているのを感じた。
(せっかく、褒めてくれたのに・・・)
多少の自己嫌悪。
「ああ、僕、今日は夜の部なんすよ」
馬場も真面目に返す。
「そうでしたか」
「石垣で見ていました」
馬場は石垣に視線をうつす。
「ああ」
頷く希穂。
「とても良かったです」
繰り返す褒め言葉。
「ありがとうございます」
頭を下げる希穂。
「いえ、僕こそありがとうございます」
返し、頭を下げる馬場。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
妙な間の後、二人は偶然に視線が合い思わず、互いに笑った。
「じゃあ、私戻りますね」
「はい。がんばってください」
「馬場さんも」
「はい、ありがとうございます」
希穂は不思議と湧き出る幸せな気持ちに、足取りも軽く二階へ戻った。
公演、二日目。希穂の出番は午前であがりなので、以前、母が仕立ててくれた朝顔の柄がついた浴衣に袖を通し、夕方から祭りを楽しんでいた。
毎年、恒例の伝統工芸館でのカラオケ大会。父浩志は参加していた。
「それでは、次の方どうぞ」
司会に促されると、浩志は颯爽と観客に手を振ってステージへと上がる。だが、その余裕の態度と裏腹に、マイクを持つ手は震え足はガクブルしていた。
「古松(町名)の今里浩志ですうっっ!」
かなり声がうわずっていた。
「お父さん、がんばって!」
母、一恵の黄色い声援がとぶ。その声が聞こえ、浩志は、
「おうぅぅぅ」
ステージ上から虚勢をはって、ガッツポーズをした。会場から笑いがおこる。あまりの恥ずかしさに顔をふせる希穂。
「それでは曲名をどうぞ」
「中島みゆきさんの「地上の穂」ですっ」
(なんで、その選曲・・・)
一恵の隣で呆れる希穂。
「すてき!ひ・ろ・し!」
と、自分のクールさと逆に母がノリノリなのも、より恥ずかしさが増す。
「だだん、むだだんだん・・・」
臨場感のある前奏の後。
次第に夕焼け迫るステージで浩志は、モノマネで熱唱しはじめた。
「かっぜのなかのすばる~」
それは見事に中途半端なもので来場者は困惑する。
「L・O・V・E・ひ・ろ・し!」
会場のお寒い反応をよそに、一恵は昔取った杵柄なのか、歌にはその要素ゼロなのにタテノリでジャンプし続ける。希穂は赤面を通り越して逃げ出したい気持ちになった。が、母がその手をしっかり握りしめており、その場を離れることが出来ない。しかも周囲からは仲間として認識され、被害者と化していた。
一恵の懸命に声援により、勘違いした浩志は勇気づけられ調子に乗り始める。間奏中にむくねくねと妙な踊りをしたり、ウインクや投げキッスをする始末。
「・・・・・・」
立ち眩みを覚える希穂。
「いや~、浩志さん誰にそんな事するの?」
「もちろん、君さ、マイ、スゥーイト、ハニー」
「きいぃぃぃぃゃゃゃゃぁぁぁ!」
どこをどうしたらそうなるのか、失神寸前の母。彼女の目に映る舞台には果たして何が見えているのだろうか。
(・・・うぇん)
いたたまれない希穂の視線は、もう地べたしか見ていられなかった。
歌が終わるまで、およそ五分、まさに地獄だった。
ようやく苦痛の時が終わりを告げる。
その後・・・。
両親の前をずんずんと歩いていく希穂。
「なんであいつは怒っとっと(ってるの)」
浩志は一恵に尋ねる。
「さぁ」
一恵にも思い当たる節はない。
「あー、もう、恥ずかしか!・・・」
彼女は急に歩みを止めた。
辺りはすでに薄暗く夜のとばりがおりようとしていた。
歩道の横脇に飾られた無数の灯籠に灯りがついたのだった。遠くで燈籠人形の囃子の音が聞こえる。
「おっ、始まったか」
希穂に追いついた浩志がそう言うと、歩行者天国の道路にゆっくりと燈籠の山車が次々と連なり夜の世界に幻想的に浮かび上がる。列をなしてゆっくりと進んでいく。
闇夜に浮かぶ優しい灯り。三人はしばらく見ていた。ほどなく、
「じゃ、燈籠人形見に行くか」
浩志は言った。
「参加するのと見るのは違うわよ」
母の言葉に言う通りだと思った。帰ってもいいけど、見に行くのも悪くないだったら、少しでもアクティブな方を選んだ方がいいかなと。
「そう。屋台もあるけんな
「そうね」
「東京焼きば買わんといかん」
「そうたいね」
(いい年して、そっちが目当て)
とは、希穂は口に出して言わなかった。
三人は流れる人の波に紛れ八幡宮へと向かった。
馬場匠は身長百七十センチで中肉中背、顔はいたって普通、どこにでもいそうな感じ、見た人はなんとなく優しそうな人だないう印象を受ける。言い換えれば頼み事のしやすいタイプの人間である。職業はJA職員。年齢二十八歳、A型。希穂との年の差は六つ。
公演二日目の夜、七時の部で匠は舞台下の奈落で人形を下から操作する下遣いをしていた。当然その位置からは舞台の状況や様子は分からないので、三味線の音、浪曲の歌に合わせて人形を動かすという繊細な動きが要求される。舞台の華やかさと違い、秋とはいえまだ挽夏。夜でも蒸すような密閉された空間で、匠は汗だくとなり必死に人形を操作した。
公演の最中は、ひたすら無心で人形を動かす。いつかベテランの人に近づき追い越すように願って。別にどんな動きをしたとしてもほとんどの観客が分からない(失言)だろうが、何事も全力を尽くすそれが匠の信条だ。幕が降りると、いつも匠はクタクタになる。ハッピは汗まみれでべとつく感じが気になる。
外は薄い暗闇に覆われて、連なる屋台の裸電球が世界をあかるくしていた。
匠は舞台から離れ、毎年のいきつけの露店でかき氷を買うと、人気のない裏の池で涼もうと、足早に賑わう人並みをぬって小走りした。
突然、匠の歩みが止まる。
視線の先には浴衣を着た希穂。一瞬、声をかけようとしたが止めた。
家族と一緒に楽しそうに歩いている。
匠はその合間に見せた笑顔と浴衣姿の彼女にドキリとした。
人ごみに紛れ、希穂は気づかずすれ違った。
彼は立ち止まったまま、彼女の後姿を人ごみに消えるまで見ていた。
燈籠人形三日目の最終日、二人は互いが少し意識し始めて初の競演を果たすことになった。しかし、共演といっても二階座敷の三味線奏者の希穂と舞台奈落下遣いの匠は、公演中に顔を合わせることはない。
それでも匠は十九時の公演の役割表をまじまじと見てにやけていた。二人の名前がそこに書かれてあることが嬉しかったのである。
「おい!そろそろはじまるぞ」
ベテラン先輩の声がする。
「はい!」
匠は頭の鉢巻きを締め直し、腰の帯を強く結び気合を入れた。
「さてと、いよいよラストだね」
美奈は両手をブラブラさせながら気持ちを落ち着かせ、眼下に見える天然の観客席を見つめた。最終の公演だけあって、そこそこに人は入っている。
公演の三味線奏者は希穂と美奈。
「そうだね」
希穂は感慨深く頷いた。あっという間の慌ただしい日々。
「ようやく、解放されるね」
伸びをする美奈。
「うん、でも・・・ちょっと寂しいかな」
傍らの三味線を引き寄せ胸に抱く。
祭りの寂しさは誰しも感じるもの、しかしそれに携わる人たちはなおさらである。
拍子木が鳴った。
「さぁ、始まるわよ」
「うん」
美奈は大きく深呼吸をした。希穂は目を閉じ集中を高める。
浪曲を歌うおばあちゃんが、開始の合図に頷き二人に目配せを送る。二人は同時に頷き返すと、互いの顔を見合わせて三味線を奏でる。
幕はゆっくり開いた。
匠は下遣いの人形を細心の注意で動かし見事に操る。耳に響くは希穂たちの三味線の音色、がぜん心が躍る。
石垣で観覧する人たちは最終公演とあって、集中してみている。途中で離れていく人もほとんどいない。普段のちょっとしたざわついた感じはなく、静寂に近い独特な雰囲気がある。
それが伝わるので、より気持ちが高まり、思いを込めて弾き操る。
縁者も観客も心地よい。
少しでも長く弾いていたい。希穂は心からそう思った。
楽しい匠はそう思った。
今年最後の万感の思いが込められた公演は幕を閉じた。
・・・・・・。
「ふう」
小さく一息をつき、希穂は静かに三味線を置いた。それから目を閉じ天井を見上げる。開けられた障子から、初秋の涼しい夜風が吹いて心地よい。しばらく希穂は余韻に浸った。
「あのう」
下から男性の声が聞こえる。
美奈が階下を覗き込み、なにやら話している。
「うん、はい」
美奈の声がほんやり聞こえる。
「お姉ちゃん」
美奈の声に現実へと戻される。
「どうしたの」
美奈はニヤニヤしている。
「馬場さんが呼んどるよ(でるよ)」
「へっ」
「早よ、早よ」
希穂が下を覗き込むと、匠が恥ずかしそうに手を振った。それから急にモジモジしだした。
「馬場さん、ふぁいとー」
美奈が冷やかす。
「?」
匠は思い切って、
「希穂さん、ちょっと涼みにいきませんか」
「・・・へっ?」
戸惑いだした希穂に、
「は~い、行きます。行かせます」
という美奈。
「ちょっと」
美奈はウィンクをし、
「行ってこんね。お姉ちゃん、ねっ」
「・・・うん」
希穂は頷くと階段を降りていく。
「やっぱり、匠さん、そっか・・・」
見送りながら、美奈は視線を下に向け呟いた。
祭りの後の高揚感もあってか、積極的に希穂を誘い出した匠だった。
馴染みの露店でかき氷を二つ買って、裏庭のベンチに二人腰掛けた。
しかし、祭りが終わった直後だったので、意外にも人通りが多く、会話を始めるきっかけがつかめず、先程まで高まっていた気持ちは次第に冷めていった。
当初の勢いはどこへ匠は貝となってしまい、会話が始まらないままだった。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
そういう中、二人とも無言で黙々とかき氷を食べる。しゃりしゃりと氷を噛む音だけが、耳に響く。次第に人通りがまばらになりやがて人気がなくなった。
このままではいけない。匠は氷を食べる手を止めた。
「あのう」
「はい」
突然の言葉にびくっとする希穂。
「今日はお疲れさまでした」
「馬場さんこそ、お疲れさまでした」
そこで会話終了。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
しゃりしゃり、再びかき氷を食べる音が響く。
今度は希穂が手を止めて、
「お祭り、終わっちゃいましたね」
「ええ、ちょっぴり寂しいですね」
「はい」
再び終了。
人もついぞいなくなり、夜闇の静寂にしゃりしゃりと氷の音。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
しゃりしゃり・・・。
「あの、こ、今年は特になんだか楽しかったです」
匠は思っていたことをそのまま口にした。
「私も思いました」
「そうでしたか、そうなんですね」
「はい」
二人は顔を見合わせ笑うと、しゃりしゃりとかき氷を食べる。
匠のかき氷は今度の一すくいで食べ終わる。ちらりと隣の希穂を見た彼女はかき氷の冷たさに頭痛が走り、しかめ面をしていたところだった。そんな姿に、
「はははは」
と笑う。突然の笑い声に、
「どうしたんですか?」
不思議そうな顔をして、希穂は尋ねた。
「頭、キーンを見てしまって」
「???頭キーン、ああ」
彼女はそう言うと、氷を一口。すぐに苦い顔を見せた。
「これですね」
「これです」
二人は、また顔を見合わせて笑った。
公演も無事に終わりその翌日。恒例の打ち上げが行われる。居酒屋「ひょっとこ」は今日も盛況だ。
希穂は今回いくつもりがなかったが、美奈や匠に誘われたこともあって、重い腰をあげ参加することにした。
今年の祭りのリーダーが、
「それでは、皆さん。今年も無事成功、まぁまあ、盛況で良しよし。お祭りに乾杯!ば~い!」
音頭をとった。
「乾杯!」
皆はグラスを掲げる。
祭りの緊張から解放され、皆は異様なくらい盛り上がっていた。賑わう雰囲気に慣れない希穂は小さく丸まっていた。隣に美奈と匠が両脇をはさんで座っているので、幾分、心強い。
が・・・。
「楽しかね~ねっ、ねっお姉ちゃん」
美奈にお酒のエンジンがかかる。
「そうね」
とりあえず、苦笑いを浮かべ頷き合わせる希穂。
「ああ、楽しかぁ」
美奈は上機嫌でピッチは速く、酒を飲んでいる。
元々、下戸な希穂は初めのビールを半分空けると、烏龍茶へとシフトチェンジしている。
益々騒々しさのます打ち上げ。
かたや匠は希穂と話す機会を伺い、ちらちらと彼女を見ている。
何度も視線を送っているうち、美奈と視線が合ってしまう。
「・・・」
匠の顔を覗き込む美奈。
「・・・はは」
バツが悪く愛想笑いをする匠。
「あれ~ちょっと馬場さん。さっきからずっとお姉ちゃん、見とらん」
美奈がツッコミを入れる。
匠は平静を装い、焼酎をあおる。
「そうかなぁ・・・はは」
「そうばい」
「・・・」
「・・・」
互いに様子をうかがう。間に挟まれる希穂は非常に居心地が悪い。
「飲め」
美奈から差し出される。茶碗。
「おう」
匠が受け取ると、美奈はなみなみと酒を注ぐ。
「おっとととっ」
溢れ出す酒、慌てて茶碗をさげる。
「さぁ、飲め」
「おぅ、飲むばい」
「ちょっと二人とも」
暴走気味の二人に不安気な希穂。
そんな心配をよそに、匠は一気飲みをすると、美奈の前に茶碗を差し出した。
それに酒を注ぐ。
「では、いただきまーす!」
「ちょっと、美奈ちゃん、やめんね」
美奈は止めようと乗り出してくる希穂を制し、豪快に一気飲みする。しかしながら、半分量まで順調だったが、ふいに動きが止まった
「・・・・・・うっ」
「美奈ちゃん!」
美奈は立ち上がり、一目散へとトイレに駆け込んだ。
「大丈夫?」
背中越しに聞こえる希穂の声に、ぶんぶんと手を振って答える。が、リバースする事は明白だった。
「ちょっと、馬場さん」
希穂は少し責めるような視線で匠を見た。
「だってぇ~」
残念ながら彼女の声は届いていない。匠の焦点は宙をさまよっている。
「希穂さんがぁ、可愛いですもん・・・だからいけないんだ!」
祭りメンバーが聞き耳をたてている。
酔った勢いとはいえ公衆を面前にしての発言に、希穂は耳の先まで真っ赤、全身に血が巡るのを感じた。
「はあぁぁぁ」
思わず唸り声をあげる。
「だからぁ、デートしてください」
「はぁぁ」
硬直しはじめる希穂。
「どぅえぃと」
それまでざわついていた会が、二人のただならぬ痴情のもつれにも似た状況に、固ずを飲み、成り行きを見守ろうと静まり返る。
「私は美奈ちゃんのことを・・・」
希穂は一歩後ろに話を戻そうとする。
「僕はあなたについて話してます」
匠は酒の勢いに乗り退かない。
こうなっては埒があかない。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
重たい空気が流れだす。
すると、二人の肩に手がおくれ、間に美奈が顔からぬっと入ってくる。
「うぉい、盛り上がっとるなぁ」
「美奈ちゃん・・・」
「ふふ、いいじゃん、お姉ちゃん。デートせんね」
「あなた、どこから聞いていたの・・・」
「へ~へ、内緒。酒の席でしかも勢いでしか告白できない悲しい馬場さんだけど、見どころのある男やんけん」
「なんだとう」
と、匠。
「それにお姉ちゃんもいい年やろ」
「わ、私は」
「いいじゃん、物は試しって言うやろ」
「・・・・・・」
「ねって・・・ちょっと皆、散れい!」
美奈が牽制すると、聞き耳をたて近づいてきた連中がそろりと離れていく。腰に両手を置き、皆が散らばるのを見守る彼女。
「さてと、その一歩を踏み出すことが肝心なんばい。お姉ちゃん」
「・・・美奈ちゃん・・・あなた酔ってるのよね」
思いのほか、大人発言する美奈に希穂は驚きを隠せない。
「そっ、そうっすよ。希穂さん」
ここぞとばかり便乗の匠。
「・・・」
「とりあえず、お試しってね。お姉ちゃん」
「はぁ」
歯切れの悪い希穂に、
「ねっ」
と、美奈。
「ねっ」
と、どさくさに紛れる匠。
懇願する眼差しがふたつ。
「・・・分かりました・・・もう」
希穂は根負けして呟いた。
「やったああああ!」
「よくやった馬場!」
匠、美奈は二人してハイタッチをかます。
(出来れば、こういうことはちゃんと言って欲しい)
そう思いつつも、まんざらではない希穂。
どことなく周りから小さくまばらな拍手が送られる。
「二人ともおめでとう!」
両手を上げ、爽やかな笑顔で美奈は叫ぶと、その場にうっ伏した。
「ありがとう!」
興奮冷めやらぬ匠は、何度もガッツポーズする。
「ちょっと、美奈ちゃーん」
希穂は力尽きた美奈を介抱する。
ますます、宴は盛りあがり夜は更けていくのであった。




