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第5話 彼女と彼女の宿題(完)

「マリー、宿題終わった?」

「……おわってねえ……」

 理香子が花火の柄のウチワで仰ぎながらマリーに聞いた。

 マリーは長時間トイレに閉じこもったような青いゲッソリした顔で答えた。

 夏休み最後の週。蝉が最後の宴とばかりに鳴いている。



「え~。夜あんなに勉強してたじゃない」

「勉強系は終わった。読書感想文も終わった。自由研究が終わってねえ……」

「先週やらなきゃって言ってたのに、まだ手をつけてないの?」

「つけてねえ……ッ!」

 マリーは頭を抱えて自室ベッドの上で悶えている。理香子は自分の自由研究をノートパソコンで悠々とまとめていた。彼女のコーヒー研究は夏休みの間だけでなく、1年越しの研究結果だ。ピーッガーと音が鳴り、プリンターから続々と紙の束が印刷されてゆく。

「題材も決まってないの? 適当にネットで拾えばいいじゃん」

「いや……私は安易にそういうのに頼るのはちょっと!」

 去年マリーのクラスで、ネットの内容が8人も被ったらしく、教師に延々と嫌味を言われたのがトラウマだった。

「じゃああれにしよう! サボテン観察日記」

「……」

 理香子のプリンターがピポッと紙切れの音を鳴らした。



挿絵(By みてみん)



 高校2年生の青春の輝きのような夏休みは、疫病の最中で、部活も旅行もフェスもなく、どこにも行けずに終わろうとしていた。

 幼馴染の理香子とマリーは、ほとんど毎日タブレットを繋ぎ、昼夜お喋りしながら休みを過ごした。

 マリーはペンギンのぬいぐるみに噛り付きながら、ベッドへ寝そべっている。理香子は、氷をいっぱい入れたアイスコーヒーを飲みながら作業していた。

「そうだ、小説とか詩でもいいみたいだよ」

「え」

「歌詞にしたら? 自由研究」

 2人は軽音部に入っている。マリーはギター、理香子はベースで、ボーカルとドラムは現在募集中だ。

「小説でもいいの?」

「うん、うちのクラスでいたよ。ポエムと小説書いた人。どっちも文芸部なんだけど、OKだって先輩が教えてくれたんだって」

「へー」

 先輩と折り合いの悪いマリーは、そういう情報を全然知らない。

「曲作りなよ。マリーの新曲聞きたいな」

「あと4日だよ? 軽くいうじゃん……」

 ペンギンを放り投げ、ベッドの傍に立てかけてあるギターを取り出した。



 あくる日。

 理香子の両親は仕事で不在。静かなリビングには、パソコンのキーボードとプリンターの音だけが響いていた。

『一曲仕上げるまで待ってて!』

 あれからマリーはタブレットを閉じ、連絡を絶ってしまってる。余計なこと言ったかなあと、理香子はホチキスで紙の束を止めながら、ちゅーっとアイスコーヒーを啜った。

「よし、完成!」

 最後に表紙を作ってレポートが完成した。自由研究を含めて、理香子の夏休みの宿題がすべて終わった。喜び勇んで立ち上がるも……特にやることも思いつかず、ストンと椅子に座った。

「………」

 なんとなくベランダに出てみた。目につくのは新しい国立競技場。緑豊かな新宿御苑。昔はよく競技場傍の地下鉄に乗ったものだが、おじいちゃんが亡くなってからとんと疎遠になっている。

「ル、ルルルル……♪」

 ベランダにもたれてアイスコーヒーを啜る。今年も暑くてあまり蚊がいない。昔はよくここで夏にアサガオやトマトを作っていたが、中学生になった頃からやらなくなっていた。代わりに部屋にガジュマルやモンテスラなど、いつでも緑が楽しめる観葉植物が増えてきた。

「トゥララ、ララリラ、ララ……♪」

 今のベランダにあるのは、サーフィン型のミニテーブルと、アウトドア用のビニールチェア。父はさらにここにテントを張って、夜にビールを飲んでいる。

「ラララ♪……よいしょっと」

 理香子はテントの中へ入ってみた。去年の夏に買った黄色いテント。家族全員入るにはかなり狭いが、1人なら充分だ。テントに入ると、そこには森の中のツリーハウスが広がっていた。



 そこは太い木材でできたログハウスだった。ピチチチ、チュチュチュチュ、と小鳥のさえずりが聴こえる。1部屋しかなく、中にはベッドとテーブル、CDプレーヤー、空のギターケースが転がっていた。

「マリーのギターケースだ」

 この部屋はマリーのものらしい。よく見るとCDプレーヤーも彼女のものだ。ケースの傍には書きかけのレポート用紙と譜面がある。

「うーん、曲作りに出かけたのかな」

 こんな森まで行ってしまうなんてマリーらしい。ガラスのないむき出しの窓から景色を見ると、ずいぶん高い場所にあるようだ。ドアを開けて外にでると、そこには鮮やかな深い緑の森だった。

「うわ、高い……!」

 思ったより数倍高かった。外にある木はどれもケニアにあるバオバブのように高くて太い。この高さなのに針葉樹でなく、常緑樹だった。縦横無尽に伸びた太い幹に移動用のハシゴや小道がかかっている。空は雲に届くほど近く、地面ははるか遠く離れていて、マリーはおろか人ひとり見当たらなかった。

「ど、どこ行っちゃったんだろう」

 見通しが甘かったようだ。理香子はとりあえず手近なハシゴへ降りてみた。どのハシゴも、端がロープでしっかりくくられていて安心感がある。幹を歩くのは少し怖いが、ロープみたいに太いつるがあちこちにあるので、それを握って進んでいく。

「こういう時って地面に降りればいいのかなあ……いや、マリーのことだから空の上でギターしてるかも……」

 まったく見当がつかない。その場に座り、耳を澄ませて、ギターの音が聴こえないか試してみるも、木々の揺れる音や小鳥のさえずりでかき消されてよく分からなかった。

「あーもう、どっち行ったらいいの!」

「どけ、小娘」

 理香子の背後からキイキイ声がした。



「どかないんなら勝手に通るまでだ、フン!」

「ちょ、わっ……!」

 何か小さいものが理香子の背中をよじ登り、頭のてっぺんを踏みつけられて、前を無理やり通っていった。

 リスだ。日本にいる小さな茶色いシマリスではない。アメリカの公園にいるような、大きなハイイロリスだった。

「小娘ってあなたの方がだいぶ小さいよ」

「うるさい! ワシはリス界の中じゃ大物で通らしてもらってる」

「私も日本の女子高生の中じゃ大きいほうだよ」

「知らん!」

 リスはダン!と足で踏んだ。彼はロープを肩にかけ、白い腹かけを巻いている。職人のようだった。

「ワシは忙しいんだ。今日は5カ所もハシゴを治さねばならん。先を行かせてもらう!」

「待って、マリーを見なかった? 私より背が低くて、ギターを持ってるの」

「そこの家の持ち主か?」

 くいっと、先ほどのツリーハウスを指さした。ここから見ると、もうクルミくらい小さくなってる。

「うんそう。たぶん……そう、なのかなあ?」

「なんだ、ハッキリせんか!」

 リス大将はもう一度ダン!と足で踏んだ。

 理香子にもマリーが分からないことだってある。あれだけ毎日おしゃべりしてたのに。哀しい顔をしていると、大将はほんの少し表情を和らげて教えてくれた。

「ここから南東に50度目指していけ。森のばあさんに会うといい。なんでも知ってる」

「待って、南東に50……どれくらいかかるの?」

「お前さんの足なら1時間だ。ワシなら低く見積もって30分!」

 大将はくるりと背を向け、あっという間に幹を伝い、森の奥へと消えていった。



 えっちらおっちら、幹をつたい蔓を握り、理香子は森の中を進んでいく。

「マリー。マリー…」

 途中で道が壊れていて、必死で幹や枝をつかんで下に降りたり、リスしか通れなさそうな隙間を這ったり、切り傷だらけになりながら必死で森のばあさんの居場所を目指す。

「マリー……こんなとこ通ったの?」

 ふと理香子は不安になった。あのツリーハウスで待ってたほうが良かったんじゃないか? 通ってきた道など覚えておらず、もうあそこへ戻れる気がしない。

 不安が増幅し、「ウワアアア!」と叫ぶと、「アギャアアア!」とカラスの鳴き声がかえってきた。

「どうしよう…どこなの……?」

 集中力が切れ、もう方角も分からなくなってきた。鬱蒼とした森の深部に入りこみ、空が葉っぱで見えなくなっている。疲れきって幹の端で座り込んでいると、子供を背中にたくさん乗せたオポッサムの親子が目の前をよぎった。

「助けて!森のばあさんはどこ?マリーを見なかった!?」

 しかし、オポッサムの親子は、ボロボロの人間を不審そうに寄り目で見つめた。「あのねぇー」と教えようとする末っ子の顎を掴み、そそくさと行ってしまった。

 末っ子が一瞬指さした方向を、藁をつかむ思いで理香子は進んだ。

 郵便屋のモモンガが目の前に飛んできて、「おっと失礼!」と叫んでまた飛んでいこうとした。いそいで森のばあさんの居場所を聴いたら、「あっちのクルミの木の下だよ~い」と、滑空しながら消えていった。

「クルミ!? どこ?」

 理香子はその場に立ち、目を凝らした。大ぶりの枝で葉っぱを払い、周囲を探す。少しずつ移動しながら下の方を探していくと──

「クルミ……あった!」

 緑の丸みを帯びたフォルムの巨木に、黄緑色のクルミの実が鈴なりになっている。葉っぱの下には、おばあさんの顔をした太い幹。幹の前には木材で作られた円形舞台が設置されてて、たくさんの動物たちが集まり、音楽会の準備をしていた。


 ダダダダ♪


「ギターの音だ!」

 ギターの主は、小柄なクロクマだった。



挿絵(By みてみん)



「……マリー??」

 ギターの音も、細かな仕草も、確かにマリーのものだった。でもクマだ。黒い小熊が楽しそうに喋ってギターを弾いている。

「君も来たのか、理香子」

 呆然とする理香子の傍に、マリーのぬいぐるみのペンギンがいつの間にか立っていた。理香子と同じ、ボロボロの傷だらけであちこちに葉っぱがついている。

「あのクマさんはマリーなの?」

「喧嘩したとき集中したいとき、曲を作るときはここへ来る。クマになって」

「なんでクマなの?」

「聞いてはいけない。誰にでも秘密はある」

  ペンギンは、体についた葉っぱをぺっぺっとヒレで払った。理香子は(シーサーじゃないんだ……)と思ったが、声には出さなかった。

「傍にいってもいいかな?」

「行こう」

 ペンギンは、ポケットからビニールプールの滑り台を取りだし、円形舞台へ滑っていった。

「うわ、ちょっと理香子じゃない! どうしたの!」

「えへへ、遊びに……構わないで続けて」

 クマでもいつものマリーだった。ゆさゆさと体を揺らし、楽しそうにギターを弾いている。

「新曲できたの?」

「ええ。みんなの力を借りてね。ようやく3分の2ってとこよ」

 ウサギのボーカルに、キツネのドラムに、シンバルのシカに、キーボードのアライグマ……森の音楽隊たちがウインクした。

「わぁ、素敵だね」

「まあそこで見てて」

 ジャンジャンジャン♪ と出来立ての曲を聴かせてくれた。途中からは理香子もベースを持って合流し、夜になるまでセッションした。

「ふあ~。汗かいたねえ」

「温泉入りたいわね。おばあちゃん、ここに温泉作って!」

 かぱっと、森のばあさんの口が開き、舞台に温泉が流し込まれた。みんなでゆったり湯に浸かる。流血と怪我がみるみるうちに治っていった。

「おばあちゃんってマリーの知り合いなの?」

「うん。うちの多摩じゃない方のおばあちゃん。生まれる前に死んじゃったから、写真でしか見たことないの」

「そうなのね」

 理香子はおばあさんに一礼をした。音楽隊とペンギンも思い思いに泳いだり浸かったりして楽しんでいる。

 急に森の空に花火が上がった。

「隅田川と同じ花火だ……」

「砂漠で見たかった? 森の中だけどね」

「ううん、素敵だね」

 ヒューン! ドーン! と轟音が鳴り、

 パパパパッ と花火が散った。

 理香子はマリーの横顔を見つめた。黒い熊の毛皮に花火の色に染まってくるくる変わる。

 愛おしそうに眼を細め──



 再び眼を開けると、秘密基地の天井だった。タブレットがピピッと鳴っていた。

「おはよう理香子、何そんなとこで寝てたの。熱中症気をつけなよ」

 寝汗がぐっしょりカラフルなゴザにかかっている。スマホで時間を確認した。朝10時、日付は夏休み最後の日だ。

「おはようマリー。大丈夫だよ。宿題終わった?」

「まあね。徹夜で完成したの、3日でよ? 凄いでしょ」

 マリーの目元には立派な黒いクマが出来ていた。努力の証だ。

「良かった。じゃあ、ゆっくり寝てね」

「待ちなさいよ、今から聞いてよ!」

「学校始まってからにしよう。会ったときに直接聴くね」

 理香子が笑った。

「……そう」

 マリーは一瞬不服そうな顔をしたが……すぐ「そうね」とにっこり笑った。



 理香子とマリーの夏がもうすぐ終わる。

 季節が終わるが、ふたりはこれからも千駄ヶ谷で仲良く生きていく。



挿絵(By みてみん)

サボテン (写真家 suju-foto サイト pixabay)

クルミの木(写真家 Pat_Scrap サイト pixabay)

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