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第3話 彼女たちと浜辺の漂流物

「今日はこれからカニを食べるの」

「良かったね」

「マリーも一緒に食べよう」

「は?」

 夏休みが2週目に入ったある日の夜。赤いカニ爪を持ちながら、タブレット越しに理香子がニッコリと微笑んだ。



 ふたりの秘密基地——もとい理香子宅2階のロフト部屋に、カニ鍋とガスコンロを持ち込みグツグツと鍋を沸騰させた。

「そういうご馳走は家族と食べなさいよ」

 マリーは200m離れた彼女の家から、画面に映るカニと白菜がグラグラ揺れる様子を呆れて見ていた。

「いいんだ、もうウチの家族も飽きてるの。一緒に食べるの」

 毎晩パパはベランダのテントでクラフトビールを飲んでるし、ママはスマホで推し俳優のドラマを見ながら夕飯食べてるの。そんな現代家族らしい様相を語りながら、菜箸で鍋をかき回していた。

「フゥン」

 最近はマリー家も似たようなものだった。夜はさすがにリビングへ集まるものの、誰かしら欠ける日も多くなってきた。マリーは出来上がっていくカニ鍋を眺めながら、勉強机にあぐらで座り、ドクターペッパーの缶をプシっと開けた。

「カニ、かにかに、カニ♪」

「やめてよ」

 理香子は鍋からカニを引き上げ、長い蟹用フォークでほじりはじめた。マリーはそれを見ながらうどんを啜る。

「それ何のおうどん?」

「アサリとワカメと天かす」

「わー、美味しそうだね」

「黙れよ」

 マリーは下唇を尖らせて、アサリの黒い二枚貝を上唇にくっつけた。理香子の小皿に、蟹の細くて白い身が溜まっていく。

「海行きたいね、海」

 ポン酢ともみじおろしをかけながら、彼女はポツリと呟いた。



「海?」

 マリーがうどんの出汁を啜る。

「うん。磯の香りを嗅いで、波の音を聞きたい」

 モソモソと茹だった白菜を齧りながら、理香子が願望を述べる。

「お台場とかじゃダメなの」

「ううん、浜辺があるところがいいな。千葉県の銚子とか良かったよ」

「銚子って千葉の先端の?」

「うん。不思議な気分だった。ここからずっと行くと太平洋なの。ハワイなんだよ」

 真っ白な犬吠埼の灯台に立ち、眼下に広がる海を見つめながら、理香子が両腕を横へ開いた。ゴツゴツした黒い砂岩に、白い波の飛沫がかかる。東京湾より少し荒々しい千葉の海。

「その前に小笠原諸島に会えるんじゃない」

「グアムに立ち寄ってもいいね」

 マリーが本棚にある地球儀を持ち出し、うどんを啜りながらクルクル回した。

「私は沖縄行きたいなあ。前は冬に行ったから海には入ってないのよ」

「一昨年だったっけ。シーサーお土産に買ってきてくれたよね。マリーみたいな顔してるの」

「はい?」

 マリーは一瞬でシーサーの顔になった。

 理香子はマイペースに蟹の身をほじりながら食べている。うどんを汁まで飲み切ったマリーは、シーサー顔のまま部屋を出て、キッチンから切った桃を持ってきた。



挿絵(By みてみん)



「海行きたいね、海、うみ」

「カニの話しなさいよ」

 太いタラバガニを食べながら、理香子は左右に体を揺する。マリーは地理と生物の勉強を始めることにした。地理の問題集には青く美しいハワイ湾が、生物の資料集には両腕を上げたザリガニの写真が載っている。

「そうだ見てみてマリー。これ綺麗でしょ」

 急に思い出した理香子は、ロフトに僅かに残った収納ケースから、何か物を取り出した。

 それは貝殻の形のドールハウス。ツルツルしたアクアマリン色のプラスチックで、2階建てのドールハウスだ。同じおもちゃシリーズの中でも大きいタイプで、マリーも当時大好きで憧れていた。幼稚園の時にトイザらスで購入し、確か小2の頃まで遊んでいた。

「うわ懐かしい……! それ取っておいたんだ」

 理香子がパチンと蓋を開けると、そこにはパステルカラーの空間が広がっていた。目の前には海と砂浜のシールが広がり、端には桟橋と小舟が浮かんでいる。砂浜を奥に進んで、赤いドアを開けたら上の殻には淡い色で塗られたおうちがある。

 左1階には黄色いリビングテーブルとキッチンに、右には水色の浴室には猫脚バスタブ。2階左のエメラルド色の寝室は、天蓋付きの貝殻の形のダブルベッドだ。各部屋には丸窓がついていて、窓の外には浜辺のヤシの木が揺れている。

 2階右にあるピンク色のおしゃれ部屋には、鏡とクローゼットとドレッサーのほか、立派なグランドピアノが置いてある。ここにギターも置きたいと理香子が言って、マリーの家の食玩のミニギターを勝手に持っていったのを覚えている。10年近く経ち、再び出会ったマリーのギターは、ピアノのそばにちゃんと置いてあった。

「どうするの、それ」

「これで海を漂流するの」




 パチンと貝殻ハウスの蓋が閉まった。白い犬吠埼の灯台の上から、アクアマリンの貝殻ケースが落下し、ざぶんと群青色の海へと潜る。貝は理香子とマリーを乗せて、ぶくぶくと泡を立てながら海へ潜っていく。

 二人はキャッキャいいながら黄色いキッチンで料理をこしらえた。リビングでカニ鍋をつつきながら、丸窓から太平洋の海中をゆったり眺めた。この部屋には惜しいことにテレビがないけど、窓があれば退屈しない。

「すごーい。このサイズだと、イワシもイルカみたいに大きく見えるね」

「この蟹はなんで小さいのよ」

「さあ。私たちと一緒に縮んだからじゃない」

 理香子は甲羅から蟹味噌をちびちびつまむ。マリーはきゅうりを丸かじりし、出会う魚や亀をぼんやり眺めた。貝殻のドールハウスは黒潮から太平洋海流に乗り、すごい勢いで進んでいく。

「締めはうどんを入れよう。アサリもいいよね」

「七味をかけてね。卵も入れちゃう」

 脂の乗った大マグロと並走して海を進む。すっかり料理を楽しんだあとは、猫脚バスタブで泡風呂パーティーすることにした。水色の浴室は、外の海の光が入り、より一層青い色になっていた。太陽の光で白くきらきら鱗が光る魚群に、ドクターペッパーと同じ色をした赤紫の大きな魚が、食事のために群れの中を襲っている。

「すごいね。水族館より迫力あるわ」

「そりゃそうだよ、食物連鎖だよ」

「このドールハウスが食べられたらどうすんのよ」

「大丈夫。ちゃんと色を擬態するから」

 理香子がぱちんと指を鳴らした。窓からうっすら見えるアクアマリンの壁の色が、海と同じ色に変化した。ドクペの缶で乾杯する。

「ここからまっすぐ進むと、カリフォルニアに着くのよね。よく日本からの漂流物が流れつくって」

「えっ、ハワイは?」

「いかないわよ。ここから南へ逸れていかないと」

「待って待って」

 理香子は慌てて泡まみれの裸で出ていった。プラスチックのドアを開け、シールの海に浮かぶ小舟を、キュッと右へ動かす。

「これで良し!」

「どういう原理よ」

 2人はおうちに戻り、おしゃれ部屋で服に着替えた。白いお揃いのキャミソール。そして音楽で遊び始めた。久々に出会った食玩ギターは長年放置していたにも関わらず、見事な音を奏でてみせた。

「セッション楽しー!」

「次はこの曲ね、3小節目で入ってきて」

 理香子はピアノをパンパン叩き、マリーはギターとくるくる踊る。海中にいることも忘れて、ひたすら曲を鳴らして楽しんだ後は、寝室の貝殻ベッドに寝転んだ。

「明日はハワイの浜に到着するよ」

「早いわね」

「うん、いっぱい遊ぼうね」

 エメラルド色の天幕を見ながら、2人は手を繋いで眠る。ゴポゴポと水の音を聴きながら──。




「あー、美味しかった!」

 理香子がカニ鍋を食べ終わった。冷や飯を入れて、最後のシメまでしっかり楽しむ。マリーは桃の切れはしを食べながら、地理の小問を解いていた。

「良かったわね」

「さ、片付けよっと」

 テーブルのガスコンロと食器をまとめ始める。貝殻のドールハウスも、収納ケースにしまおうとした。

「待って。それは飾っておいて」

「え」

 理香子が振り向いた時には、マリーは机に頬杖をついて問題を解いていた。『マリアナ海溝』とシャーペンでカリカリ書いている。

「わかった、しばらくここに置いておくね」

 理香子は貝の口を開け、ロフトのテーブルに置いておいた。

 マリー所有の食玩ギターが、天蓋ベッドの傍に置いてある。




「そのドールハウス、取っておいてよね」

「分かった。おばあちゃんになっても取っておくね」

「そこまでは、流石にいいよ」

「ついでに蟹の殻も飾っておこう」

「やめなさい」

 片付け終えた理香子が、ベースを取り出してかき鳴らし、静かに歌をうたい始めた。太平洋の真ん中でセッションした時の歌。マリーは3小節目から鼻歌で参加する。千駄ヶ谷に住む彼女たちは、翌朝ハワイに流れ着くのを楽しみに眠りについた。



挿絵(By みてみん)

犬吠埼(写真家 キースワークス サイト photoAC)

ハワイ(写真家 BKD サイト pixabay)

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