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第1話 彼女たちの秘密基地

「秘密基地が欲しいー!」

 暑い夏の始まりの坂道、前を歩いていた理香子が唐突にこう叫んだ。

「秘密基地って?」

 重いライブ機材を両肩に背負ったマリーは、イライラと返事した。



「そう、秘密基地。欲しくない?」

「この千駄ヶ谷のどこにそんなスペースあるのよ」

 東京で坂の上に住むってのはステータスだと婆ちゃんはよく言っていたけど、送迎車があるわけでもない坂道を徒歩で登るのは億劫でしかない。

 常に不機嫌な新田マリーと違い、井出理香子はステップしながら、外苑西通りを上へと進んでいく。


「そんな広くなくていいの。ふたりだけの秘密基地がいいな。クッションを敷いてコーヒー淹れるの。CDプレーヤーでボサノバをかけて、観葉植物もいっぱい置いて。あとはギターとベースを置く場所があればいい」

 彼女もマリーと同程度の重さの荷物を背負ってるはずだが、足取り軽やかに喋ってる。

「ロフトを片付ければ? 理香子んちにあったでしょ」

「違うちがう、外にあるのがいいの。風の音を聞きながら、虫が入ってくるの」

「いやだよ虫は。奥多摩の婆ちゃんちでもう懲り懲り」

「そうなの?」

「そうだよ。夏休み中、バッタとカマドウマがしょっちゅう廊下を歩いてたんだから」

 マリーは幼少期に預けられた木造家屋を思い出して震え上がった。



 理香子は「ふーん」と鼻歌まじりに秘密基地の話を続ける。

「ドーナツ型の基地がいいな。真ん中に楕円形のテーブル置いて、左右にゴザ引くの。あ、ゴザっていっても、いっぱい色で織ってるカラフルな敷物ね。寝そべってクッション敷いて色んなことふたりでお喋りするの。頭のところにCD置いて、テーブルにはコーヒーメーカー。足元にはギターとベースを立てて、周りには観葉植物が置いてあるの。ちっちゃなヤシとか、モンテスラとかガジュマルとかね。夜になったら風とセッションして、植物に音楽聴かせるの。素敵じゃない?」


 理香子はマスク越しに想像力たっぷりに語っているが、秘密基地のモデルは、どうみても目の前にある新しい国立競技場だ。植物が建物の外周に緑豊かに植わってるが、マリーはどうもあれは虫がたくさんいそうで苦手だった。

「国立競技場があるじゃない。あれにしときなよ」

 重い鞄から指を外し、マリーは左手にある巨大な建物に向かって指さした。

 すったもんだの末、ようやく完成した国立競技場。オリンピックは果たして開催されるのだろうか。



挿絵(By みてみん)



「やだなあ、あれを秘密基地にできるほど、わたし巨人じゃないよ」

 女子高生にしてはかなり背の高い理香子は、キャッキャと手を振り拒否してきた。

「それに国立競技場は、いつか宇宙人が地球から切り離して空へ飛んでっちゃうと思うの。だから使っちゃダメだよ。基地として使うなら最高の形をしてるけど」

「へえ。宇宙人の基地なんだ」

 ついにマリーは足を止め、理香子の空想に乗っかりはじめた。

「でも宇宙に行ったらあの植物たちも枯れちゃうね。もったいない」

「それは大丈夫。柵の間からプシューってバリアが出るから。宇宙でも全然枯れないの!」

 止まったことに気づいた理香子は、少し離れたところから大きな声でマリーに答えた。

「じゃあ宇宙でもオリンピックできるわね」

「そうだよ、宇宙飛行士じゃなくても宇宙でマラソンができる時代になるんだからっ!」

 ゴオオと後ろで轟音が鳴っている。競技場が宙へ登る音が確かに聴こえてくる。



「そんで、私らの秘密基地はどこに建てるの? 虫がいっぱいいる所はやだよ」

「じゃあ、あんま虫が出なさそうな森にしよう」

「そんな森ある?」

「うん、新宿御苑」

 御苑かい。マリーは思わず後ろを振り向いた。遠くにうっすらと緑が見える。

「御苑なら、虫はほとんどいないと思うの」

「まあ、家から近いし虫もあんまいなそうだけど、人が寄ってくるんじゃない」

「いいよ。音楽聴いてもらおうよ」

 理香子がベースのケースをポンポン叩いて喜んでいる。ふたりだけの秘密基地とはなんだったのか。

「趣旨が変わってきてるじゃん。ま、あそこで路上ライブしたら気持ち良さそうだけどさあ」

「あ、プラタナスのところはだめだよ。あそこは飛行機の滑走路なんだから」

 マリーは腕を組んで思いに耽り、それを見た理香子は急いで忠告してきた。

 プラタナスの並木道の真ん中に、空想の飛行機がブオオオと音を立てて降りていく。



挿絵(By みてみん)



 今度はマリーが理香子に提案した。

「どうせならその飛行機を秘密基地にしよ。ふたりだけの秘密基地だよ」

 飛行機の中なら虫もいないし、音楽をどんなに鳴らしても、たしなめる者は誰もいない。

「えっ、飛行機が秘密基地ぃ? ずっと座っているのは嫌かなあ」

 理香子が舌を出して、しんどそうに手を振った。

「座席は全部とっちゃっていいよ。中は楕円形で、ソファーとテーブルとゴザがあるのよ。窓から東京の景色を見ながら、寝転んで鳥と一緒に飛ぶの」

「コーヒーを飲みながら? ギターとベースもそばに置いていい?」

「もちろん。そんで、あちこちの公園に降りて、ゲリラライブやって去っていくのよ」

 マリーが理香子の隣に並ぶ。理香子の瞳はガラスの風鈴のようにキラキラしており、マリーの頬も熱く光った。



「すごい、代々木公園も井の頭公園も行き放題だね!」

 理香子の声がスニーカーの裏まで響いた。マリーは脚を大きく前へ踏みだし、理香子の腕を引っ張った。

「そうよ、もし警察に目をつけられて、いざとなったら国立競技場に乗って、ふたりで宇宙へ飛び立つの」

「ふたりで宇宙基地へ行くのね!」

「そこに秘密基地を建てるのよ」

「いっそ競技場も基地にしよう!」

「虫は一匹もなし!」


 ふたりの女子高生は手を繋ぎ、笑いながら千駄ヶ谷の坂道を歩いていく。夏はまだ始まったばかり。

国立競技場(撮影 作者  2019年)

新宿御苑 (撮影 作者  2019年)

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