14 曽根崎のループ
――曽根崎慎司には、最初からループの記憶があった。血だらけの閉鎖空間に閉じ込められ、不気味な子供達によって泥に引きずりこまれ。どうにか景清だけでも逃がせないだろうかと彼に手を伸ばした所で、窒息により意識が途切れたのである。
次に気がついた時、曽根崎は事務所でぼうと立ち尽くしていた。
「僕は準備できましたよ」
端正な顔立ちの青年が、几帳面に荷物をしまいこんだスーツケースの前でこちらを振り返っている。
「曽根崎さんは終わりました?」
それは紛れもなく、旅行直前の光景だったのだ。
「……景清君」
「はい?」
「これは……どういうことなんだ?」
「何の話です?」
キョトンとした顔は、彼が本気で言っているという事実を曽根崎に思い知らせた。――まさか、覚えていないのか? さては、あれはただの白昼夢だったとでも……。
いや、そんな都合のいい話があるわけがない。恐らく自分達は、また怪異に巻き込まれたのだ。
ならば正体を探らねばならない。検証の必要性を認めた曽根崎は、景清の頭部をつついた。
「なあ」
「もー、早く準備を……」
「やーい、お人好しのぽんぽこりん」
「はぁ!? 誰がぽんぽこ……」
「――」
「え?」
不気味な音と言葉の羅列に、景清は動きを止める。しかし、すぐにむっすりと眉をしかめた。
「誰がぽんぽこりんですか! っていうかそもそも悪口なんですか、それ!?」
「……ふーん」
「ふーんじゃなくて!」
記憶を曇らせる呪文を唱えてみたものの、景清に効いた様子は無いようである。かく言う曽根崎自身も、呪文の反動が無かったのだ。どうやら“この世界”において、自分の力は無力も同然らしい。
ではそうなったトリガー――きっかけはどこだったのだろう。疑わしきは滝、集落、旅館……いずれにせよ、旅行に赴いた先で起こったことには違いない。
ならば元より行かなければいいのでは? だが、簡易な結論はあっさりと打ち砕かれた。
「……ッ!」
景清の、すぐ後ろに。
例の子供が一人、ぴたりと張りついてこちらを見上げていたのである。
(……見張られている。道から外れるな、ということか)
背筋に冷たいものが走った。元の世界ではないはずなのに、自ずと速まる鼓動はまるで今にも止まってしまいそうなほどである。
(黒い男による『玩具の試練』か? いや、奴の仕業ならもっとあからさまなはず。これは全く別件と見なすべきか)
「曽根崎さん? 聞いてますか?」
(加えて景清君に記憶も無く、子供も見えてないときた。彼とループの情報を共有することは難しい)
「無視しないでくださいよ。……大丈夫ですか? なんか物凄い顔色ですけど」
(確かなのは、子供達に連れて行かれた結果私の意識はここに戻ってきたこと。この事象に必然性はあるのか……試してみるか)
「景清君」
皮肉めいた笑みを浮かべた曽根崎は、長い腕を伸ばして景清のスーツケースを閉めた。困惑する彼をよそに、どかりと床に胡座をかく。
「やめた。私は旅行に行かない」
「え!? 何でですか!?」
「持病の不眠症が爆発してな。至急受診しないといけなくなったんだ」
「嘘つくにしても雑すぎるだろ! どこが爆発するんだよ!」
間抜けなやりとりの間にも、景清の背後にいる子供の姿は変わっていく。目鼻口は変形していき、縦に細長い三つの空洞が出来上がる。
「……とにかく、旅行には行かない」
曽根崎は、景清の腕を強く掴んだ。
「君も、行かせない」
一瞬にして地面が真っ赤に変わり、血の匂いが鼻腔をついた。状況が飲み込めず驚き慌てる景清を引き寄せ、異形の子供を睨みつける。子供の腕はもはや人のそれではなく、昆虫を連想させる脚が数本蠢動していた。
血の泥から三体の子供が現れる。景清は悲鳴を上げて逃げようとしたが、ありえない力で不潔な鉤爪に搔きつかれ、地面に引きずりこまれていく。
喉に血が流れ込んできた。息などとうにできなくなっている。見開かれた目に曽根崎を映し、だらりと景清は脱力した。そんな彼を見届けたあと――。
「――僕は準備できましたよ」
整然と並べられた家具。事務机に散らかった資料。人の良さそうな青年。何事も無かったかのような顔をする世界。
「曽根崎さんは終わりました?」
曽根崎は、事務所の真ん中に立っていた。
……やはり、そうだ。ここが起点。この世界では、たとえ死んでもこの時間のこの場所に帰ってくるのである。
(どうすれば抜けられる?)
一字一句同じ音で繰り返される景清の言葉を聞きながら、曽根崎は顎に手を当てて考えていた。今の所、ループに関する手がかりは無いと言っていい。そして景清の記憶も失われている今、曽根崎はたった一人でこの問題に対処しなければならなかった。
(考え続けねば。情報を集め、思考しなければならない)
事務机まで歩いていき、引き出しを開けてナイフを手にする。起点に戻されるとはいえ、死の感覚は人の精神に多大な負荷をかける。極力第三者の介入は防ぐべきだろうと考えた曽根崎は、鈍色の自決手段を懐に入れた。
(死ねば起点に戻される。だが、もしも死ぬこと無くループの時間を進めたら? ……いや、試すにはリスクが大き過ぎる。矛盾した考えだが、確実に彼を生かしたいのなら……)
導き出されたのは、壮絶な帰結。曽根崎は小さく嘆息すると、景清に目をやった。
(これは必要なことだ)彼の背後に佇む子供を冷たく一瞥し、決意する。
(なんとしても、竹田景清と元の世界に戻るために)
一方何も知らないアルバイトの青年は、まともに返事すらせず奇妙な行動を取る曽根崎を前に不思議そうに首を傾けていたのだった。





