10 sacer
新幹線に乗り込んだ僕らは、駅弁を食べながら作戦会議をしていた。
「で、君は集落にて謎の老人からこの小箱を貰ったと」
曽根崎さんは小さな木箱を手のひらに乗せ、くるりと回す。
「老人というのはアレだろう? 村にいた黒い服の」
「曽根崎さんも見たんですか?」
「見るも何も、君集落に行くたびにあの老人の元に走って行ってるじゃないか。毎回何を話しているのか気になっていたんだが、へぇ、こんなもんを貰っていたのか」
「……覚えていません」
「老人のことを?」
「その人の所に走っていったこともです」
「前回も私は尋ねたはずだが」
そういや集落にいた時、曽根崎さんに『何を話していたんだ?』って聞かれたっけな。そっか、彼には僕がおじいさんと話しているように見えていたのか。
「いえ、僕は子供達の遊びに巻き込まれていただけですよ。鬼ごっこみたいなことしてたんですけどね」
「子供達っていうと、あの四人の?」
「はい。顔もちゃんとある普通の子供でした」
「……見た覚えが無いな」
「え、マジですか」
「マジマジ」
曽根崎さんが口を開ける。僕の食べようとした、タコさんウインナーを要求しているらしい。仕方ないので、曽根崎さんの弁当箱の中から漬物を取り、奴の口に放り込んでやった。
「……あの集落で、子供を見た記憶は無い」ボリボリといかにも不服げに咀嚼して、曽根崎さんは言う。
「笑い声自体は聞こえていたがな。正直、幻聴かと思ってた」
「うわぁ……」
「しかし私には老人に見えていたものが、君には子供に見えていたのか。奇妙だが、ここに何らかの意味はあるのだろうか」
立方体の小箱が、無造作に宙に放り投げられる。すぐに曽根崎さんの手の中に返ってきたけど、見ているこっちは心臓が冷えるどころの騒ぎじゃなかった。
「やめてくださいよ! その小箱、ループ脱出の鍵なんですから!」
「ループ脱出の鍵、ねぇ。君は老人の言を信じるのか?」
「当然でしょう! だってあの人は、本心から僕を心配してくれて……!」
「よし、もう一度同じ言葉を繰り返してごらん」
「……あの人は、本心から僕を心配してくれて?」
「どうしてそう思ったんだ?」
向かいに座る曽根崎さんが、鷹揚な仕草で長い脚を組む。唇には、薄い笑みが引かれていた。
「なんで、でしょう……?」
そして僕は、彼の投げた疑問に答えることができなかった。「親切な人だったからです」なんて言ってみようとしたけど、不思議と老人の顔は思い出せない。笑っていたか、無表情だったか、心配そうにしていたか。いや、フードをかぶっていたから見えなかっただけか……?
「『終わらせたいと思えば、開けるといい』か」
考え込む僕をよそに、曽根崎さんは今度は自分で漬物を食べ始めた。気に入ったのだろうか。
「いずれにせよ、小箱を開けるのは後回しにしたほうがいいな。幸いにして構造上、落とした弾みでうっかりオープンなんてことは無さそうだし」
「逆にいざという時、ばっちりオープンは可能そうですか?」
「ばっちりオープン……?」
「不可解そうな顔すんな」
「まあ簡単だよ。ほら、ここの部分が留め具になってるだろ? これを外して上半分をずらせば……」
「はー、うまくできてますねぇ。誰が作ったんでしょう」
「知らん」
曽根崎さんは興味無さそうに返事して、僕のお弁当から漬物を強奪した。なので僕も奴の唐揚げをいただく。美味しかった。
「……あの天使は、何者なのでしょうね」
僕の問いに、曽根崎さんの持ったお箸の動きが止まる。それからものすごく嫌そうな顔をこちらに向けた。
「それってあの青いヤツのことか? なんだよ、君あれを天使なんて呼んでるのか」
「え、的確じゃないですか? 綺麗だし、清浄だし、神聖だし」
「あー……そうも見えるのか。そうかそうか」
妙に納得げに曽根崎さんは頷いて、窓の外を見る。手前の景色は矢のように、遠くの景色はじわじわと動いていた。いつの間にやら、彼のお弁当箱は空っぽになっていたようだ。
「私はあれを、忌むべきものとしてしか見られなかった」ぼそりと、曽根崎さんは言う。
「なあ現役大学生。『聖なる』を意味する英単語が何かは知ってるか?」
「馬鹿にしないでくださいよ。sacredでしたよね?」
「その通り。ちなみにこの語源はラテン語のsacerにあたるんだが、こちらには、『聖なる』の他に『神へと捧げられた』『呪われた』という意味も含まれている」
「呪われた……なんだか真逆の言葉ですね」
「ところがそうでもないんだ。神に捧げるものとなれば、当然易々と触れ難きものして特別視されるだろ? 触れ難いという感覚は、転じて忌むべきもの、もっと乱暴に言えば差別へと変わりやすい。人の歴史を見ても、アルビノへの偏見や女性の出産など、神聖とされながら忌むべき対象とされた例は数多く見られる」
「……だから、曽根崎さんは僕が天使と思ったあの存在も、忌むべきものだと言うんですか?」
「違う。同じだ。同じなんだよ、景清君」曽根崎さんは、ぶんぶんとボサボサの頭を振った。
「君はアレを神聖なものだと思い、私はおぞましいものだと思った。まるで正反対に聞こえるが、根本にあるのはsacerという思想。世界中どこに行っても共通する、神聖がゆえのある種の忌避感情だ。その証拠に、今までのどのループにおいても、我々は直感的かつ徹底的に天使を避けてきた」
「……」
「アレには、決して見つかってはならない」
片頬を引き攣らせた顔が、近づく。
「君だって本能的にそう思っただろう? 正しいよ。アレは――天使は、不可侵の存在なんだ」
新幹線の速度が落ちていく。せっかちな乗客は、もう立ち上がって自分の荷物を下ろしていた。あたかも日常のような光景の中で、僕は緊張に生唾を飲み込んだのである。





