8 ここにいた俺を
「どうしたい……って」
こぼした声は震えていた。情けないことだ。
「言葉の通りさ。自分で死ぬか、外に出てあの不気味な子供らに殺されるか、それとも私に介錯されるか」
「……」
「繰り返すが、あまり悩んでいる時間は無いぞ。君って奴は、いつも死に方を決めてからが長いから」
「誰だってそうでしょ。いきなり死ねって言われて、行動に移せる人とかいませんよ」
「本当に死ぬわけじゃない。始点に戻るだけだ」
「死ぬ行動を取ることに変わりはないです」
「あーもう、堂々巡りしてる余裕は無いって言ってるだろ。ほら、ナイフを寄越せ」
「僕を殺すんですか?」
「君を死なせたくはないからな」
「なんか禅問答みたいですね」
「だからふざけてる時間は」
「分かってますよ。だから――」
曽根崎さんに向き直る。彼の手首を掴んで地面に押しつけ、体を固定したところで首にナイフを当てた。驚いたように息を飲むのが、聞こえた。
「ぼ、僕が……アンタを、殺します」
「……できるのか?」
「や、やります。なんてことないですよ」
フヒッとわざと変に笑ってやる。本当は口から心臓が出そうなぐらいバクバクしていたけど、悟られたくなかった。
「大丈夫ですよ、すぐに後を追いますし。ほら、僕そういうの慣れてますから」
「自虐も自虐だな。まあ助けられてきた側からすると、何も言えないんだが」
「あと僕、人を殺したことがないんで、刺してから死ぬまで時間がかかるかもしれません。そこは初心者ってことで大目に見ていただき、そっちで便宜を図ってください」
「どうしろと」
「気合いで血を放流」
「ダムじゃねぇんだよ」
「できるだけ痛くしないようにしますから」
「無理無理。絶対痛いもんだ、あれは」
そんなやり取りをしている間にも、青い光は近づいてきていた。焦っていた。焦っていたけれど、曽根崎さんの首に当てられたナイフは、未だ微動だにできていなかった。
――やらなきゃ。早く曽根崎さんを殺さなきゃ。だって、もしも曽根崎さんの正気が僕を殺した瞬間に失われたらどうする? 自殺ができず始点に戻れなかったら? この人はループを覚えている。そのたびに消耗されただろう今の精神なら、何かの弾みでそうなってもおかしくないのだ。
「……」
曽根崎さんを助けたければ、曽根崎さんを殺さなければ。僕が、ちゃんとやらなければ。
手が震えている。呼吸が短くなる。肺が痙攣している。頬を伝うのは汗だろうか。それとも涙? 冷たい。内臓が。手が。指先が。
「……つくづく君は、“人間”だよなぁ」
腹立たしいほど呑気な声と共に、軽く足首を引っ張られる。曽根崎さんは、また僕のアンクレットに指を引っ掛けていた。
「いっそ感心するよ。生き長らえる保証があるのに、わざわざ君は葛藤する。理由はループごとに変わるようだがな。果たして今回は何だったのやら」
「……だから、それが普通じゃ」
「私は君を殺せるよ。そうする必要があれば」
「……」
「けれど……そうだな。一点だけ、心残りがあるとすれば」
曽根崎さんの手が、ナイフを持つ僕の手に添えられる。ポカンとする僕に何の説明もなく、ぐっと刃が動かされる。
血が噴き出た。僕の手に、顔に、生温かい液体が飛び散った。
「……ここにいる今の君を、失うことだ」
曽根崎さんは、疲れたように微笑んでいた。
「いやなぁ……これでも結構楽しんでるんだよ、この旅行。もっとも、いつも途中で……それどころじゃ、なくなるが」
「……」
「不思議なことに……見る景色は同じでも、君の反応や行動は毎回、微妙に違うんだ。意外なアクシデントが、起こることだってある。しかし、それも……ループに入れば、全て君は忘れてしまう」
声に血が混ざって、ゴボゴボと音を立てている。もう数十秒ももたず、曽根崎さんは死ねるだろう。なのに僕は、ナイフを捨てて彼の血を止めようと必死で首を押さえていた。
「……寂しい、というのかな。これは」
曽根崎さんが、僕の後頭部を押さえた。思いの外強い力で引き寄せられ、彼の肩に僕の額がぶつかる。……もう、こんなに体が冷たい。声だって酷く余裕が無いのだ。まるで今肺にあるだけの酸素で、残る言葉を吐いてしまっているかのように。
「なあ、無かったことにするなよ」曽根崎さんの心音に、血の音が混ざる。
「僅かでも……楽しいと思ったなら、さ。見た景色を。感情を。辿ってきた、道を。俺と交わした……言葉だって、そうだ」
「曽根崎、さん……」
「たの、む」
血まみれの手が、僕の耳の後ろ辺りの髪を掴む。肘で体を固定される。僕はやっと、自分が捨てたはずのナイフが無くなっていることに気がついた。
「ここにいた、俺を……忘れるな」
僕の脳に、鋭い凶器が差し込まれた。





