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続々・怪異の掃除人  作者: 長埜 恵
第4章 夢で見た小箱
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4 異変

「大丈夫ですか、曽根崎さん。えらい顔してますよ」

「そ……そうか?」

「はい。何かありました」

「……いや、別に」

 怪しい。じとっと曽根崎さんを観察してみたが、奴は露骨に目を逸らすだけだった。ますます怪しい。

「……ま、いいや。僕、ちょっと道を聞いてくるんで」

 しかし、ここで膠着していても仕方ない。僕は持っていた水筒を取り出すと、コップにお茶を入れて曽根崎さんに渡してやった。

「休んでいてください。すぐ戻ってきますから」

「わ、分かった」

「ちゃんと水分取ってくださいよ」

「……」

 曽根崎さんが頷いてコップに口をつけるのを見届けてから、僕は再び人探しに戻る。今度は場所がよかったのだろうか。まもなく、畑で農作業をしているおばあさんを見つけることができた。

「この山は“入らず山”といってなぁ」

 話しかけたおばあさんは少し曲がった腰を叩き、首にかけたタオルで汗を拭って言った。

「一度入れば方向感覚を失い、帰り道が分からなくなっちまうんだよ。もっとも、最近はだいぶ道も整ってきたから迷う人も減ったそうだけどねぇ」

「そうだったんですね」

「お前さんも気をつけな。街に戻りたいなら、村の入り口から白い石を目印に下るといい。五分ほどで街へ続く道へ出る。もし迷いそうになったら、石を辿ればまたここに戻ってこられるから」

「分かりました。教えてくださり、ありがとうございます」

「いいえ、気をつけてお帰りなさいな」

 頭を下げて、親切なおばあさんと別れる。それから、大人しく待っているだろう曽根崎さんの元へと戻った。

「曽根崎さん」

「……」

「どうしたんですか」

「……あ、え」

 だけど様子がおかしいのは依然変わらず。鋭い目を大きく見開いた彼は、村の奥に体を向けて棒立ちになっていた。

「な、なんだ。終わったのか」

「終わりましたよ。集落の入り口を出たら、白い石に沿ってまっすぐ下山すれば街への道と合流できるそうです」

「そ、そうか」

「ここ、“入らずの山”って呼ばれてるそうですよ。迷子になりやすいんですって」

「……へぇ」

「あと、もしまた迷子になりそうだったら、石を辿って集落に戻ってくればいいっておばあさんが――」

「それだけはだめだ!」

 強い言葉だった。思わずビクッとした僕に、曽根崎さんは慌てて首を横に振る。

「い、いや……怒鳴ってすまない。違う、もう迷わないように気をつけて行けばいい。……私が、先導するから」

「どうしたんですか? さっきから様子が変ですよ」

「ち、違う。……あれだ、腹だ。腹が死ぬほど痛いんだ」

「嘘つかないでください」

「ついてない。多分駅弁が腐ってたんだろう」

「失礼過ぎるでしょ。つーか僕も同じもの食べてるし」

 とにかく、早く下山するに越したことは無いだろう。まだ見守ってくれていたおばあさんにもう一度頭を下げて、僕らは集落を後にした。子供たちの遊ぶ声が、段々と遠くになっていく。

 おばあさんの言った通り、道には目印の白い石が点々と置かれていた。これならまず道を外れることは無い。そして宣言通り、曽根崎さんは僕の前を歩いてくれていたけれど……。

「……曽根崎さん」

「な、なんだ」

「どうしたんです、キョロキョロして。何か探してるんですか?」

 やっぱり、曽根崎さんの挙動不審は変わらなかった。むしろ悪化している。彼は僕の問いに立ち止まると、こちらを見もせずにギクシャクと肯首した。

「この辺は……クソ凶暴な猿が出るらしいんだ。目が合っただけで、周りにある固そうなものを片っ端からぶん投げてくる、恐ろしい猿が」

「それはヤベェ猿ですね……」

「だから、頼みがある。いざとなったらすぐ逃げられるよう、私と手を繋いでおいてほしい」

「何? 手?」

「手が良くないなら、ハンカチを引いてくれるだけでもいい。……頼む」

 そう言ってハンカチを差し出した曽根崎さんの目には、とても冗談では済ませられない真剣さが宿っていた。光の加減のせいか、漆黒の瞳もどこか潤んでいるようにすら見える。

 ……えー?

 なんだなんだ、どうしちゃったんだ、この人。だいぶ精神的にやられてるんじゃないか。

 まあ、理由を尋ねてもはぐらかしやがるし、聞くだけ時間の無駄だろう。僕はため息をつくと、曽根崎さんの右手を取った。

「……分かりましたよ。アンタの気が済むなら、僕の手ぐらい全然どうぞ」

「あ、ありがとう」

「でも道が合流するまでですよ? いいですね?」

「ああ、それで構わない」

 繋いだ冷たい手は、か細く震えていた。強く握ったところで止めることはできないんだろうなと思ったけど、何もしないよりはいいのかと力を込めてやる。

 ……何をそんなに怖がっているのだろう。もしかしたら、さっきの集落にいた時に何らかのトラウマスイッチが入ってしまったのかもしれない。あり得るな。普通の人よりもずっと恐ろしいものを見てきた人である。なんでもないことをきっかけに、突然狂気の淵に立たされたとしても何も不思議じゃない。

 チクリと胸が痛む。あえて感情を表明するなら、それは不安と呼べるものだった。

「……旅館についたら、ゆっくり休みましょうね」できるだけ優しい声色であるよう気をつけて、話しかける。

「体も冷えてるみたいですし、まず温泉に入るのがいいかもしれません」

「……私は人よりも脳に回る血の量が多いからな。手足の末端にまで、なかなか行き届かないんだろう」

「こんな状態でも自尊心バカ高ぇとか、どうなってるんですか。まあそれでいいですよ。お土産屋さん巡りも楽しみだったと思いますが、とりあえず明日にして……」

「別に私はそうでもないぞ。楽しみにしてんのは君だけだ」

「あ、そういうこと言います? 意地を張るなら、黒いドラゴンが巻きついた剣のキーホルダー買ってあげませんけど」

「いらん」

「なんでだよ、いるだろ黒いドラゴンのキーホルダーは」

 案外大丈夫そうだ。そうやってつらつら話しながら歩いていると、ようやく見覚えのある道が姿を現した。曽根崎さんもホッとしたのか、束の間繋いだ手が緩む。まあ震えも落ち着いてきたみたいだし、この分だと旅館に帰る頃にはいつもの曽根崎さんに戻っているだろう。

 ――そう思っていたのだが。

「ッ……!」

 旅館に戻って、部屋の前までたどり着き、引き戸の鍵を開けたその直後のこと。

 突如、僕の口は曽根崎さんの大きな手に塞がれた。僕の体は強引に倒され、部屋の中へと引きずりこまれたのである。

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【書籍化情報】
怪異の掃除人・曽根崎慎司の事件ファイル(宝島社文庫)
表紙絵
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